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キュービット・オン・ザ・グラウンド  作者: TATA
第一章 一歩目の歩み
1/11

1-1 私の命はあと少し

 鏡に映った私の姿を確認する。


 色素の薄い、ビー玉のような双眸と目線が合う。

 小柄なのも一因であるが、頬は肉付きが薄く、瞼まで掛かる前髪は乱雑だ。唇も肌も血色が乗っておらず、浮き出た鎖骨が青白い肌に影を作っている。自分はこんなに不健康だったのかと自覚せざるを得ない。


 夜11時、天蓋の明かりはとうに消えていた。わずかながらの自然光が、暗くてコンパクトな部屋に差し込んでいる。


 さて、私には他人と異なる点がふたつある。


 ひとつは、髪の色がへんなこと。

 このヒナゲシ区に住む人間で、私のような黒と銀に分かれている髪色というのは見たことがない。そう、私は後頭部から生える髪だけ銀色なのである。


 奇異の視線で見られるのは一度や二度では無い。持ち前の黒髪と混ざるのを見ると、こう胸の部分がモヤモヤする。だから私は黒と銀を赤いバンドで分ける――いわゆるポニーテールにしているのだ。部屋の中でも、お風呂と寝る時以外は基本解く事が無い。


 もうひとつは、視界の左端に映る、これ。

 4682。

 デジタル表記で表されたこの数字。どんな時でも視界の隅に鎮座し、消すことが出来ない。目を瞑っても、寝起きで視界がぼやけていても、この数字が消えることは無い。


 最初は10000あったこの数字。その意味は───


 不意に、数字が4681に変わった。

 動悸が早くなり、呼吸が浅くなる。体に意識を向ければ、横隔膜が強ばっているようだ。


「ハァッ...ハァッ...」


 鏡の奥の自分は憔悴していた。

 今のように減ることはあっても、一度も増えることは無かったこの数字。


 ()()()()()()()()()()()

 このカウントが0になった時、頭のちょうど()()()に埋め込まれている装置が動かなくなる。


 その装置の役割とは、傷ついた脳みその補助。

 もし装置が止まってしまうならば、私は即座に意識を失い、そして二度と息を吹き返すことは無くなるのだ。


「落ち着いて...」


 自分で自分に言い聞かせる。場違いな鼓動はペースを戻し、どうにか平静を取り戻す。

 嘆息をひとつ。私は窓まで歩を進める。狭い部屋だが物が無いためすぐに着いた。


 意味もなく外を眺める。さりとて変わらず、広がっていたのは日常どおりの光景だった。

 空を舞う無数の白いキューブ。キュービットと呼ばれるそれが建物の継ぎ目に群れを成して向かっていた。首を捻れば高層の建物が角から霧散していく。その傍らを白い直方体が通過していった。


 天井は大きな正方形の升目が目を凝らせば見えた。空を覆う蓋は水平線の先まで続く。

 キュービットが支配する世界。それを見てぼやく。


 「何も変わらないまま、死ぬのかな...」


 誰も聞いていない自白は、風とともに流れて行った。


 私の名前はエス。15年生きただけの空虚な女の子。死の運命に逆らうには、あまりに無力で矮小だった。


****


 夜が明け、タイルのように貼り揃えられた天井が光芒を取り戻す。次第に、夜間に無かったものが姿を表し始める。

 ここに住む人間達だ。


 ヒナゲシ区にはおよそ1000人の人間が居住している。別の場所に行ったことが無いのでわからないが、彼らの行動原理は同じだ。

 自分に課せられた命題を果たし、規律を設定し従うこと。


 例えば、窓から見える、キュービットを6畳程に固めて飛行する人。彼はその盤上に四角い荷物を載せている。どうやらその荷物自体もキュービットで覆われているようだ。

 おそらく、彼の命題は荷物を輸送すること。手早く運ぶため、陸路ではなく空路を選び、突風に吹き飛ばされないようキュービットで舗装してあるのであろう。


 右下を見れば、建物を囲むよう人が複数人集まっている。 そのうちの一人が、空間に電子のパネルを呼び出し、何かを入力している素振りを見せる。

 動作の終わりとともに、辺りに浮遊していたキュービットが、建物の横から生えるように吸着していく。直方体の建物と同じくらいまで伸長していったところで、根元からポキリと折れた。


 慌てて周囲の人々がその場から退く。支柱を失った枝はゆっくりと降下していき、ずぅん...と音を立てて地面と衝突した。怪我人が出なかったようで、良かったと思う。


「あちゃあ...いくら操作に慣れてるからって、ちょっとやりすぎだよ。」


 私はぼやく。ここに居る人間は漏れなくキュービットを手動で動かせる。今の耐久性試験もそうなのだが、不慮のミスに反射的に対応できない───いわゆるトロい人間は、操作を誤って大怪我をしたりする。


 私もそちら側の人間なので、手元に電子のコンソールを呼び出し、予め足場を用意しておく。


「不肖エス、今日も元気に行ってきますっ...!」


 そして窓枠に足を掛け、地上20mの高さから身を放り出した。


****


「なぁ、この傷消毒して包帯巻いておくだけでいいんじゃね?」


「ダメだよ、傷口に細粒が入ってるの。水で洗い流してピンセットで取り除く!後に残ったら困るじゃん。」


 ヒナゲシ区を上から見た際に、右上に位置する場所。そこに位置する負傷者をケアする場所───いわゆる病院に私はいた。


 腕から血を流す患者を、私ともう一人の男が応対していた。

 盛大に転んだのか、擦りむいた二の腕からは血がじくじくと湧き出ている。傷口は深く、転んだだけとはいえ放っておく訳にはいかなかった。


「ちぇ...めんどくせぇの。真面目すぎるってのも考えもんだな。」


 横柄な態度を取る冴えない男は、ハゼという。一応私より5歳年上だが、何事も真剣に取り組んだところを見たことがない。それゆえか、目上として見ることに抵抗がある。


「直ぐに終わらせますから。痛いですけど我慢してくださいね。」


 患者は40歳位だろうか。小太りの男性である。直方体に並んだキュービットに座り、傷が痛むのか、たじろぐ度に顔を引き攣らせている。

 私は体温まで温めた純水を桶に用意し、手元の電子板を操作。ふよふよと壁から3センチ角のキュービットが近づいてくる。ピロン、という指先から発した音と共に、キュービットは最小単位まで四散。中に収められていた粉薬が、張った水に溶けていく。


 私は患部に水を漬けるよう指示し、数秒のあと、優しく拭き取る。


「ピンセットで細かい破片を取りますから、痛かったら言ってくださいね。」


 男性からの返事は無い。私はひと呼吸すると、真っ赤な傷口にピンセットを近づける。

 取り除くべき破片は三つだろうか。慎重に、しかし手早く不純物を取り除いていく。


「あっ...」


 三つ目の破片を取り除こうとした時、力の加減を間違い、傷口にピンセットを軽く突き刺してしまう。男性の体がビクッと震える。


「痛ってぇっ!!」


 頬に衝撃。然る後ゴンッ、という音と共に私は頭を壁に打ち付けられる。


 男性の腕が振るわれ、私を突き飛ばしたのだ。


「っ...」


 突然の出来事に、目眩から立ち直れない。それでも私は、朦朧とする視界の中で、男性を見つめる。


「ミスしてごめんなさい。でも、ちゃんとやらないと破片は一生残ってしまうんです。だから、もう少しだけお願いします。」


 私の態度が意外だったのか、男は唖然としている。鈍く痛む側頭部を感じながら、再び施術に向き直る。


 その後は支障もなく、完璧に治療を終えたのであった。

 

****


 ひとり帰路に着く私は、昼間のことを思い出していた。


「悪かったな、暴力を振るっちまって。悪い事づくめで少しイライラしてたんだ。」


 帰り際の男性から掛けられた言葉である。突き飛ばされたことに関しては、私はそこまで気にしていなかった。


「んむ、それよりも傷が悪化しなさそうでよかった。」


 私は人々の怪我や病気を治す命題を持っている。命題は適正に合ったものを与えられる場合と、自分で選択するものがあり、私は後者である。


 きっかけはそう、私自身が人の手によって救われたからだ。


 話は五年前に遡る。

 私は事故により後頭部の頭蓋がひしゃげる大怪我を負った。

 落下してきたキュービットの塊、それを咄嗟に避けることは不可能だった。


 ぐしゃり、と耳の内側から聞こえた音は、今でも忘れることが出来ない。

 急速に色彩を失う視界を捉えながら、体中から冷たい汗が吹き出ていることが感じ取れた。


 端末の機能をシャットダウンするように、私は瞼を閉じることしか出来なかった。


****


 瞼が開いた先にあったのは、白く無機質な空間であった。

 私が住むヒナゲシ区において、大体の場所は白く無機質なのではあるが、塵一つないと言える程には清潔だ。


「うそ、私...死んだかと思ったのに痛ただだだっ!?」


 生存による安堵もつかの間、後頭部に激痛が走る。上半身は固定されており、寝かされた姿勢で頭の半分は液体に浸かっていることが水音で理解出来た。

 頭を動かすことが出来ないので、自由になっている足をジタバタさせる。どすどすと、シーツと足が奏でる鈍い音が響いた。


「どうどう、暴れるなって。せっかくこの星一の名医が施術してやったんだ。大人しくしてれば...って、おいこらぁ!」


 低い女性の声。声の方に向き直ろうとするが、頭が固定されているので姿が見えない。代わりに、返答が腹部への衝撃で帰ってくる。


「ぶっ!?」


「頭は動かすなっつーの!薬液から患部が露出したら私の努力がパァになるんだからな!!」


 反射的に全身を固める私。身体が動かなくなるツボでも突かれたのだろうか。


 死角からにゅっと覗かれた/見えた女性はしかめっ面だった。

 桃色の直毛を後ろで留め、前髪はおでこが出るよう自然な形で左右に分かれている。肌は艶やかだが、若干ニキビの跡が残っている。顔の掘りは薄いが、目力の強さが剣呑な印象を与える。年は25歳位だろうか。


 状況の整理がつかない。私は何故拘束されているのだろうか。確か、私は瓦礫の崩落に巻き込まれ、後頭部に大怪我を負い...


「頭が、バリッって...!」


 途端に脂汗が流れ出る。私は果たして無事なのか。


「そう、小脳の部分までバリッって行ってたからな、治すのは無理かと思ったぜ。」


 その言葉を聞き、肩の力が抜ける。どうやら、私は一命を取り留めたらしい。


「あなたが...治してくれたんですね。ありがとう、おば...お姉さん。」


 言葉を選ばないとせっかく救われた命をまた落とすことになる。そう直感的に判断し、路線変更する。

 件の女性は怪訝な表情をしていたが、着ていた白衣を脱ぎ、近くの突起に掛けた。


「アタシの目が届く限り患者は死なせねぇよ。なんせ、私は天下一の藪医者だからな!」


 言ってることがよく分からなかったが、何はともあれ恩人だ。


「貴方は誰でしょうか?私はエスっていって、まだやることを見つけていないんです。」


「あ?そんなの年取れば勝手に決まってくるわ。嬢ちゃん、私は...」


****


 かつて生死を彷徨い、今も死が遠くに見える。私がやりたいことは、人を救うことだと思った。ゆえに、病院に居る時は、頭が引き締まるような感覚を覚える。


 男性から受けた痛みは、既に引いている。

 秒針が進む度に、光度を落とす天井。辺りは夜のとばりに包まれようとしていた。


「嘘っぱちだよ、そんなの」


 独り言が漏れたことに自分が驚く。私は彼女に救われたように、人を救いたい。


 しかし、その中に自分は入っているのだろうか?

 SOSを求めている一番身近な人間に気づいていながら、綺麗事だけが独り歩きする。


 余命のカウントは、おおよそ二日に一つ減少している。


 私はあとどれだけ生きる事ができるのだろうか...

 そんな事を考えていたからか、目の前で起きた光景を放っておけなかった。


 ぼとっ、と進路を何かが塞いだ。夜闇が深い中、視認で直ぐ判別できず、心臓が跳ねる。


 ボロ布か?いや、人だ。着ている衣類は汚れ擦り切れ、纏っている人間は酷く衰弱している。


 肩で息をしているように見えるが、全身が粟立つような奇妙な感覚に襲われ、一瞬手を差し伸べるのを躊躇する。


 そんな訳にはいかない、と私は近づく。


 男性だ。この辺りで見ないような赤色の髪が目に入る。それに全体的に筋肉質だ。しかし、髭が処理されていない顔にはあどけなさも感じる。


「あのっ...もしもし?大丈夫ですか?」


 私は声を掛ける。返ってきたのは神速の一撃だった。

 昼間の男性患者とは比にならない速度で首根っこを掴まれる。


「がっ...!?やめて...」


 万力のような握力。首が軋むのを感じ、私はやっと危機的状況に気がついた。


 両手で首にまとわりつく脅威を剥がそうとするが、びくともしない。


 「おね...がいだ...からっ...」


 もう必死だ。口の中は鉄の味がする。明滅する視界の中、もう私だけが持つ、最後の手段を使おうとした瞬間───


 意識が途切れた。


 私の首を掴んでいた男の。

 不意に自由になり、慌てて尻もちを付く。


「っ!ハァッ...はぁっ...何なのっ!」


 昔死にかけたことがあるというのに、九死に一生を得たという感覚が天頂から爪先まで突き抜ける。 ここまで怖い思いをしたのは何時ぶりだろうか。


 男は事切れたように動かない。呼吸をしているため、どうやら生きてはいるようだが...

 私と男、細い路地にふたりが取り残されていた。すっかり暗くなった辺りにも気づかず、私はどうすればいいか思案していた。


「ほっとく訳にはいかないよね。はぁ...」


 まさしく息の根を止められかけたばかりだが、死に体の男をそのままにしておく訳にはいかなかった。警備を呼ぶか迷ったが、ある程度の応急処置が出来るため、私の自室に連れ帰る事にした。


 電子のコンソールを操作し、男を格子状に囲む。自由を奪ったことを確認し、大きな大きな荷物をひっさげて、私は帰路への歩みを再開したのであった。

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