河童の合羽
小雨の降るある夜のこと。中学生だった僕は塾の帰りに川の近くを歩いていた。少し遠回りになるのだが、受験だなんだと煩わしいことから少しだけ解放されるこの時間が好きだった。
歩いていると、パシャリ、と川の方から水の跳ねる音が聞こえてきた。なんだろう、とそちらを見ると、なにやら明るい色が川の中腹に漂っているのが見えた。
子供用の合羽だ! 自分も昔同じようなデザインの合羽を持っていたのですぐにそう気が付いた僕は傘を投げ捨てると急いで川に近付く。そして、近くになにか浮きになるようなものはないかと目を走らせる。
焦りながら、頭は変なことを思い出していた。そういえば昔好きだったあの合羽は、一体どこになくしてしまったんだろう。
頭がよくわからないことを考えながらも、目はずっとあの子どもを助けるためのものを探している。しかし。
「風邪、ひいちまうぞぉ」
川の方から、否、川にある合羽の方からそんなのんびりとした声が聞こえてきて思わず動きを止めた。
そして僕が合羽の方をじっと見つめていると、その合羽はすいっと川の中を動いて僕のいる岸辺へとやってきた。
「雨んときの川は危ねぇぞぉ」
ざばっと音を立ててその合羽は川から立ち上がる。裾から覗く腕は緑がかったもので、長い爪が生えているのが見えた。下半身にはなにも身に着けておらず、つるりとした爬虫類のような肌が目を引く。
背丈は僕の半分くらいだろうか。
「か、河童?」
その河童はおぅおぅと笑い声のような音を立てると、分かってて逃げねぇなんて珍しいなぁと言ってフードを取った。その下から現れたのは、まさしく河童そのものだった。
苔色の肌に黄色い目、クチバシ。そしてなにより頭の上にある皿。昔話にある姿そのものだった。
河童はペタペタと歩くと、先ほど僕が投げ捨てた傘を拾って僕の方に差し出してくる。そしてまた風邪ひいちまうぞぉ、と言った。
僕はその傘を受け取ると礼を言い、あんたはここでなにをしてるんだ、と聞いてみた。
すると河童はどこか嬉しそうにしながら答えた。
「ちょっと前になぁ、雨の日にここで子どもが溺れてたんだぁ。たまたまおぃらがそこにいたからなぁ、助けたんだぁ。そしたらその親になぁ、えらく感謝されてなぁ」
なぁんか気持ちよかったから、また溺れてる子がいたら助けようと思ってんだぁ。河童のその答えを聞きながら、僕はふとあることを思い出していた。
何年も前の話である。まだ小さかったときに、僕はこの川で溺れたことがあった。そのときに、誰かに助けて貰ったのだ。そして、お礼として、お気に入りの合羽をその誰かに。
「それじゃあなぁ」
僕が物思いから覚める頃には河童はざぱりと川へ戻るところだった。そしてそれきり、河童の姿は見えなくなってしまった。
家に帰った僕はパソコンを使って、あの川での水難事故について調べてみた。
すると、僕が小学生だった頃のある時期を境にしてピタリと事故がなくなっているということが分かった。
「今度、新しい合羽でも買っていってあげようかな」
河童の着ていたボロボロの合羽を思い出しながら、僕はそう呟いた。
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