#57 優しい人
神社をひと通り見て回り、僕たちはこの場所を後にした。
今は次なる目的地に向け、再び電車に乗り込んでいる。
電車の座席に腰掛けながら、僕はついさっき買った「お守り」に目をやった。
そのお守りとは、学業成就のお守りだ。
南さんと愛野さんが順番にこのお守りを購入し、「みんなでお揃いにしよう」という視線を二人から感じたので、僕も買わざるを得なかったのである。
「形に残るもの」は買わないと決めていたのに。
午前中に出会ったおじいさんとの会話を振り返り、意思に反して「思い出」を積み重ねている自分自身に、何とも言えない気持ちとなる。
おじいさんの言葉が、僕の思考に違和感を生じさせているのは間違いなかった。
僕には「思い出」なんて要らない。
「思い出」なんて、どうせ全部が「思い出したくないもの」となるに決まっている。
僕はお守りをカバンにしまい、自分の心を落ち着かせることにした。
そう言えば、愛野さんは学業成就のお守り以外にもう一つ別のお守りを買っていたのだが、あれは何のお守りだったのだろう?
すぐに隠してしまったので見えなかったが、誰かへのお土産なのかもしれない。
そうして行きとは逆側の景色を眺めていると、何だか瞼が重くなってきた。
昨日は色々あって一睡もできなかったので、今更になって眠気が襲ってきたのだろう。
到着まではもう少し時間があるので、少しだけ目を瞑ろうかな。
愛野さんと南さんの話している声がだんだん遠くになっていくのを感じながら、僕はそのまま意識を手放した。
☆☆☆
朱莉と次の目的地の会話をし、川瀬にも意見を聞こうと思って視線を向けると、寝落ちしている川瀬の姿が目に入った。
朱莉もそれに気付いたようで、「しーっ」と二人揃って口元に人差し指を当て、静かにしようというアイコンタクトを交わし合う。
「川瀬くん疲れちゃったのかな?」
朱莉は小声で私にそう話し掛けてくる。
「うん。朝から疲れてそうだった」
朝にホテルのロビーで川瀬を見た時から、既に彼は疲れが溜まった様子だった。
昨日の夜も、列に合流した時の川瀬は何だか「思い詰めた顔」をしていたので、昨日に何かがあったのは間違いないだろう。
しかし、それとなく昨日の話を尋ねても、「水族館が良かった」という感想しか返ってこなかったので、結局何が原因なのかは分からずじまいだ。
そんな川瀬のことが心配で、お昼は彼に「一緒に行動をしたい」という提案をしてしまった。
もちろんただただ一緒に行動がしたかったというのも大きな理由だが…。
それにしても、まさか川瀬が私たちのことをナンパから助けてくれるなんて思いもしなかった。
川瀬はいつも、私が困っている時に颯爽と現れて、私のことを助けてくれる。
何度も何度も私にカッコいいところを見せ付けてくるなんて、彼は一体どれほど私の心をドキドキさせれば気が済むのだろう。
私が口元をもにょもにょさせていると、
「姫花、絶対川瀬くんのこと考えてるでしょ」
と、朱莉がニマニマしてツッコんでくるので、私は深呼吸をして平静を装った。
今、目の前では川瀬の無防備な寝顔が視界に入ってきている。
「何だか川瀬くんって、寝顔可愛いね」
私が思っていたことと全く同じ言葉を朱莉は口に出した。
「可愛い…っ」
いつもはクールな感じなのに、まだ「ハンバーグが好き」以外にもギャップ萌えを隠していたとは…。
私は思わず自分のスマホに手を伸ばし、川瀬の方にカメラを向ける。
「姫花のカメラを向けるまでの動きが速過ぎて、ボク何も見えなかったんだけど…」
朱莉は何やら呆れているが、気にせず私は撮影ボタンをカシャッと押した。
すぐにその画像はお気に入り登録をし、ホーム画面にも設定しておく。
また一つ、お宝写真を手に入れてしまった…。
私が鼻歌でも歌いたい気分になっていると、
「…こんな分かりやすい姫花なのに、何も分かっていない川瀬くん、やっぱり強敵だねぇ…」
と何やら朱莉が呟いていたが、有頂天になっている私の耳には入ってこなかった。
私はカバンの中から、さっきの神社で買った二つのお守りを取り出す。
一つは学業成就のお守りで、もう一つは「恋愛成就のお守り」だ。
「…気持ち、届くと良いねっ」
そのお守りを見た朱莉が、今度は優しく見守るような表情を浮かべてそう小さく口にした。
「うん♪」
私がそう頷き返すと、「ボク、今はブラックコーヒーが飲みたい気分だよ」と言いながら、朱莉はクスクスと楽しそうに笑い始めた。
その後、川瀬が目を覚ますまで、私は彼の寝顔を堪能するのだった___。
***
目的の駅にたどり着く直前、僕は仮眠から目を覚まし、窓から差し込む光に目を細くする。
「あっ、川瀬、起きた?」
何だか上機嫌な愛野さんにそう声を掛けられ、とりあえず僕は頷きを返す。
カバンに入れておいたペットボトルのお茶を飲むと、次第に意識がはっきりとしてきた。
時間にしては数十分であろう、しかし眠気もほとんどなくなり、頭がスッキリとしていることから、かなり深い眠りについていたようだ。
電車を降りて駅から出ると、目の前には一本の道路が走っており、その両サイドにはずらりとお店が並んでいる。
この場所には、紅葉の名所としても有名な橋と、数えきれないほどの竹で覆われている道を目当てにやってきた。
それに加え、この周辺は抹茶を使った食べ物が多いそうで、二人はどのデザートを食べようかと迷っている様子である。
早速、南さんは近くのお店に気になるものを見つけたそうで、
「姫花、川瀬くん、あっちのお店行こう!」
と僕たちのことを呼んでくる。
「川瀬、行こっ♪」
そして、僕は愛野さんと一緒に南さんの後ろを付いていくのだった。
そこからは、色んなお店を見て回り、目的の橋や竹の道にも訪れた。
竹の道へ行く前に、歴史あるお寺にも訪れたが、建築物はもちろんのこと、庭園の美しさも圧巻の一言だった。
抹茶の食べ物もいくつか食べ歩き、この観光地を十分に満喫することができた。
そして、辺りも暗くなり始め、時間もそろそろ終わりが近付いてきたので、僕たちは今日の宿泊場所である旅館へと向かうことにした。
「いやぁ~それにしても色々買っちゃったねー」
「ふふっ、確かにそうかもっ」
電車の中では、二人が今日の戦利品を確認し合っている。
「それにしても、戌亥さん用に探していた例のお菓子があって良かったですね、愛野さん」
「うんっ。川瀬もご当地キーホルダーが見つかって良かったね」
「ボクも戌亥ちゃんとイリーナ様にはいっぱい買ったから、お土産を渡す日が待ちきれないよー」
南さんは今も「戌亥ちゃん」や「イリーナ様」と呼んでいるが、どうやら南さんも二人とは仲が良いらしく(愛野さんが二人と知り合いなので当然と言えば当然だが)、さっきはかなり驚いたものだ。
南さんは二人の大ファン?だそうで、話の食い付き方も中々のものだった。
南さんと愛野さんが花城のライブを見たという話を聞いた時は一瞬焦ったが、どうやら既に僕が出ていたことはバレていたらしい。
恐らく、戌亥さんがドヤ顔でネタバラシでもしたのだろう。
戌亥さんとイリーナ先輩の話はかなり盛り上がったので、二人には感謝をしておくことにした。
そうして、僕たちを乗せた電車は、ようやく旅館の最寄り駅へと到着した。
時間はほんの少し早くはあるが、ギリギリで旅館に向かうよりもマシであろう。
電車を降りると、同じ電車の別車両から出てくる星乃海の生徒たちが、ホームにちらほらと見え始める。
ここまで星乃海の生徒と出会わなかったのは、運が良かったと言えよう。
おかげで、ここに来るまでの間、特に周りを気にすることなく観光ができた。
しかし、これ以上一緒に行動する(と言っても旅館に向かうだけだが)のはリスクが高いため、
「それでは僕は先に行きます。二人とも、今日はありがとうございました」
と告げ、僕は「二人とは関係がない」ような素振りで先に歩いていく。
二人から何かを言われることも、引き留められることもなかったので、無事に「一人」で旅館まで移動することができた。
周りの生徒からの視線もなかったので、今日の出来事で目を付けられることもないだろう。
本当に、今日も色々大変な一日だった。
夜にたっぷりと考える時間はあるため、とりあえず今は四宮先生に到着の報告をしに行こう。
そして、僕は旅館の中へと足を進めた___。
***
バイキング形式の夕食が終わってから二時間以上経ち、何故か外の空気が吸いたくなった僕は、コートを持って旅館内外の散策へと出掛けることにした。
夕食が終わってからの二時間は、生徒が自由に温泉へ入れる時間が設けられていたものの、僕は部屋にあるシャワーで済ませておいた。
その入浴時間から少し間隔を空けたこともあり、数人とすれ違うだけで、人通りはそれほど多くはない。
一階のライトアップされた庭園をぼんやり眺めながら、僕は外にある足湯へと向かうことにする。
入口とはまた別のところから外に繋がる扉があり、そこから足湯に行けるようだ。
その扉を開き、コートを羽織って足湯に近付いていくと、その場所から誰かの話し声が聞こえてきた。
声の数からして二人だろうか?
しかも、どちらの話し声にも僕は聞き覚えがある。
そうして、足湯を覆っている仕切りの端から中を覗いてみると、
「あっ!川瀬っ」
「おっ、川瀬くん、さっきぶりー」
という反応が二人から返ってきた。
案の定、そこにいたのは愛野さんと南さんだった。
「二人の会話を邪魔してしまい、申し訳ありません。僕は部屋に戻るので、どうぞお気になさらず」
先客がいるなら戻るつもりでいたので、そのまま僕は踵を返そうとする。
しかし、
「ボクはちょうど部屋に戻るつもりだったからさ、川瀬くんは足湯に入って行きなよ」
と南さんは僕に話し掛け、足湯の元へと手招きしてきた。
そのまま僕は半ば強引に?足湯のところへ座らされる。
「姫花が話し相手になってくれるらしいから、後は『二人』で楽しんでねっ♪」
そして、「時間的に他の生徒も来ないだろうし『心配』はいらないよー」と言い残し、南さんは電光石火の如き勢いでこの場から離れて行った。
あまりの速さに僕と愛野さんは呆気に取られ、満面の笑みを浮かべて消えた南さんに対し、反応をすることができなかった。
そのため、残された僕と愛野さんとの間に、何とも言えない空気が流れ始める。
「…とりあえず、足湯をご一緒しても良いですか?」
「ど、どうぞっ」
お互いぎこちない感じになりながら、二人分くらい空けた距離感で、僕は足湯に浸かることにした。
「温かいですね。愛野さんは温泉の方には入りましたか?」
何か言うことでこの空気をどうにかしようと思い、僕はひとまず思い付いたことを愛野さんへと投げかける。
「うんっ、私はさっき入ったよ。川瀬は入ってないの?」
「僕は部屋のシャワーで済ませましたね」
「そうなんだっ。温泉はとっても大きくて綺麗だったよ」
「他にも露天風呂とかがあるんですよね?」
「そうそう。露天風呂はね…」
適当な話題であったが、ひとたび話し始めれば会話は続き、ぎこちない感じはなくなったように感じる。
愛野さんと南さんは、ここで戌亥さんと通話をしていたらしく、僕が来る前にちょうど通話は終わったようだ。
戌亥さんの羨ましがっている様子が可愛かったそうで、愛野さんはそれを思い出しながらクスクスと笑っていた。
南さんと一緒に戻らなくても良かったのかという質問に対しては、何故か「だ、大丈夫っ」という謎の回答が返ってくるだけだったが、まぁもう少し足湯に浸かりたかったのだろう。
そうして会話をしていると、
「ねぇ、もう少し川瀬の近くに座っても良い…?」
と愛野さんが尋ねてきたので、僕は特に何も考えずに「良いですよ」と答えた。
すると、ほぼ肩と肩が密着するくらいの距離まで、愛野さんが僕の横に近付いてきた。
いや、「ほぼ」というか、「普通」に肩が触れ合っている。
「少し」と愛野さんは言っていたが、これはいくら何でも近付き過ぎではないだろうか。
隣からは石鹸の良い香りがしており、赤くなった耳や火照った首元が何とも艶っぽい魅力を感じさせている。
しかも、その愛野さん本人は「えへへっ♪」と嬉しそうな笑みを浮かべているため、僕は色々な動揺から「離れてください」と伝えることができなかった。
流石の僕もすぐには動揺を隠すことができず、少し焦った様子を浮かべてしまう。
「川瀬、どうかしたの?」
愛野さんが小首を傾げてそう聞いてくるので、
「愛野さんは旅館の浴衣を着ているんですね」
と僕は口に出した。
「そうなのっ、折角の旅館だし、着てみようかなって」
愛野さんは僕の動揺には気付いていないようで、浴衣の袖口を持ちながら、ひらひらと僕にその浴衣を見せてきた。
その間に、いつもの平静を取り戻した僕は、小さな深呼吸をした後、
「お似合いですよ」
と愛野さんの浴衣姿を褒めることにした。
その言葉に嘘はなく、上から羽織物をしているとはいえ、愛野さんはその着物を完全に着こなしていた。
しかしだ、いつもと同じ言葉を口にしただけなのに、少し恥ずかしさを感じたのはどうしてだろう。
急に距離を詰めてきた愛野さんに、今もペースを乱されているのかもしれない。
僕の褒め言葉を聞いた愛野さんは、
「…もぅ、バカ」
と口で言いながら、やっぱり表情は嬉しそうなままだった。
どうして愛野さんはそんなに嬉しそうな表情をするんだ?
僕の心臓は意味の分からない鼓動を刻んでいる。
思わず愛野さんから視線を反らしそうになっていると、
「川瀬はさ、いつも私が欲しい言葉を言ってくれるよね」
と、愛野さんが話し始めたので、僕はそのまま愛野さんの方に視線を向けておくことにした。
「今の、に、『似合ってる』もそうだし、今日のナンパから助けてくれた時の『大丈夫ですか?』とかさ…もちろん他にも色々あるけどねっ」
愛野さんはお湯をぱちゃぱちゃと足で跳ねさせながら、恥ずかしそうな、それでいて僕にとっては「眩しい」表情でそう語り出す。
「今日のナンパね、実は私怖かったの。たまに朱莉と一緒にいる時にナンパされることはあるけど、大体は無視をすればどこかに行ってくれるんだけどね、今日はそうじゃなかった。それで不安になってた時、川瀬がやってきて、私たちの前に立ってくれたでしょ?川瀬がナンパから守ってくれたおかげで、楽しい気分のまま私と朱莉は修学旅行の三日目を終えることができたの」
そして、「あの時はきちんとお礼が言えてなかったよね」と言って、愛野さんは体と顔を僕の方に向けてくる。
「今日は私たちをナンパから助けてくれて、ありがとう川瀬っ」
愛野さんは頭を下げて感謝を伝えてくるので、
「気にしないでください。本当にたまたまですから」
と僕は返し、気にしていないことを伝える。
愛野さんは頭を上げ、「やっぱり川瀬は『優しい』ね」と言葉を続けてきた。
「『最初に会った時』も、そして今日も、こうして私のことを助けてくれたのは、他の誰でもなく川瀬だった。『たまたま』じゃ何回も人助けなんてできないよ。だから、やっぱり川瀬は『優しい人』だねっ」
そして、ぽつりと口からこぼれ落ちたという感じで、愛野さんは思わぬ言葉を口に出した。
「そんな『優しい』川瀬だから、私は『好き』になったの」
「…えっ?」
「…えっ、あ…っ!?~~~…っ!!」
自分が何を言ったのかに気付いた途端、愛野さんは一瞬で顔を真っ赤にさせた。
同様に、僕も一体何を言われたのか、脳が「その言葉」を処理できないでいた。
今、愛野さんは何と言った?
もしかしてだが、僕のことを「好き」だと言ったのだろうか?
あの学校一の美少女である愛野さんが…?
「どうして?」という疑問と同時に、「いや、今のは聞き間違いだ」と判断する自分も顔を出してくる。
いや、そうに違いない。
どうして僕なんかのことを愛野さんが「好き」になんてなるのだ。
こんなの、嘘か冗談であろう。
しかし、聞き間違いでも嘘でもなかった。
愛野さんは大きく深呼吸をした後、真っ赤に染まった頬、潤んだ瞳を僕に向け、緊張で震える口を動かしながら、僕にこう告げてきたのだ___。
「私、川瀬のこと…好きだよ」
___どうしてこんなに胸が苦しくなるのか、僕には理由が全く分からなかった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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