#50 鹿
バスに乗ること数十分、目的の駅にたどり着き、そのまま流れるように新幹線へと乗り込んだ。
新幹線の座席だけは一人になることができなかったので、座席が三つあるうちの通路側に座り、僕は静かに本を読むことにした。
坂本くんたちは座席を回転させて盛り上がったりしていたが、隣の二人が大人しめの男子たちだったこともあり、座席の回転に巻き込まれることがなかったのは救いである。
そうして、隣で二人がゲームをする声をBGMにしつつ、二時間と少し掛かった新幹線の移動は、無事に目的の駅へと到着をしたのだった。
新幹線を降りると、乗車駅同様こっちも沢山の人だらけで、外国の人も多いように感じる。
目新しい周囲の景色に視線を動かしながら、先導してくれるガイドさんの後を付いて歩く。
そして、再びバスへと乗り込むことになり、僕は座席へと腰を下ろした。
今からの予定としては、近くでバイキング形式の昼食を食べた後、大きな大仏のあるお寺へと移動することになっている。
バイキング形式のご飯は、三日目の夜と四日目の朝にもう一度ある予定だ。
訪れたことのない地域のご飯には少しだけ興味があるので、修学旅行の個人的な目的は食事とも言えよう。
ガイドさんの声を合図にバスが発進をし始め、僕は相変わらず窓から目新しい周囲の景色に視線を向けるのだった。
***
昼食を食べ終え、バスに乗ること一時間弱、僕たちは目的地のお寺へと到着した。
外に出てしばらく歩いていると、
「あっ、鹿だ!」
「本当だ、鹿がめっちゃいるぞ!」
というような声が周りから上がり始める。
このお寺は大きな大仏でも有名だが、鹿たちがいることも人気を集めている理由の一つである。
僕たちの他にも観光客は沢山おり、彼らは鹿に「丸くて薄いもの」を食べさせていた。
恐らくあの「丸くて薄いもの」が、「鹿せんべい」というやつなのだろう。
鹿せんべいを前に差し出すと鹿がこっちに寄ってくるという話は、かなり前からテレビ番組などで知っていた。
その番組では、とある芸人さんが大量の鹿せんべいを手に持ち、沢山の鹿に囲まれたりしていた気がする。
鹿せんべいを鹿に渡す時間は、ひと通りお寺を周った後にあるそうなので、今は鹿を眺めるに止めておく。
そうして歩いていると、どうしてだろうか…鹿せんべいを渡してもいないのに、何故か鹿がぞろぞろと僕の周りに集まってくる。
「川瀬くん、なんだか随分と鹿に懐かれているわね」
今、僕は二年七組の列の最後尾におり(距離は少し離れている)、他の生徒は一番前のガイドさんに付いて行っているので、同じく列の一番後ろにいた四宮先生だけが、僕の現状に気付いているという状況であった。
「四宮先生、笑いを我慢している場合じゃないですから」
「ふふっ、ごめんなさいわね。珍しく川瀬くんの困った顔が見られたから」
「…四宮先生、なんだかんだ夏休みのことをまだ根に持ってますよね」
「さて、何のことかしら、ふふっ」
列から離れ過ぎるのも良くないので、鹿に囲まれつつも前に向かって歩いていく。
どうして隣で歩いている四宮先生は無事なのに、僕だけ囲まれているんだ…。
「今度サクラに会った時にでも話そうかしら」
「絶対にいじられるのは目に見えているのでやめてください」
何とか鹿たちは離れてくれたようで、僕と四宮先生はクラスの列に追い付くことができた。
前のクラスから境内に入って行くようなので、今は少しの待ち時間となっている。
「はぁ、それにしても、どうしてあんなに鹿がやってきたんですかね?」
先ほどまでの状況にため息を吐いていると、
「ふふっ、川瀬くんは動物に好かれやすいタイプなのかもしれないわね」
と四宮先生が返してくる。
「動物は人間の本当の性質を感じ取るとも聞くし、川瀬くんを優しい人間だと判断して、沢山寄ってきたのかもしれないわね」
四宮先生はそう言うが、僕は自分が「優しい人」だなんて思ったことは一つもない。
これまでのあらゆる行動は、全て自分のためかどうかで判断をしているつもりでいるため、むしろ「優しさ」とは無縁であると言っても良い。
「それなら、鹿は随分と過大評価をしてくれましたね」
四宮先生に思ったことを口にすると、
「そうかしら?私はそうは思わないわよ、ふふっ」
と言い、四宮先生は微笑んでいたので、僕は四宮先生との認識の違いに首を傾げた。
そうしていると、僕たちの順番となったため、事前にバスの中で渡されていたチケットを取り出し、それを見せてお寺の境内へと入って行く。
本堂を正面とすると、その左手前から入場をしたため、通路を歩き進めて左に曲がることで、ようやく大きな本堂が視界一面に広がった。
教科書で見たことがある景観だという平凡な感想しか思い浮かばないが、言葉では表現できない荘厳さもまた、確かに肌では感じ取っていた。
綺麗な一本道に足を踏みしめながら、本堂までの道のりを進んでいく。
今日は良く晴れ渡った晴天とも言える天気であり、それと本堂が風光明媚な様を演出している。
この景色を撮影しようと、スマホを取り出している生徒も多かった。
僕はスマホもカメラも持っていないので、代わりに沢山眺めておくことにした。
いよいよ本堂にたどり着き、その中に入った途端、想像よりも大きな大仏が目に入ってきた。
本堂を見た時も思ったのだが、昔の人はどうやってこれほど大きな建築物や大仏を造り出すことができたのだろうか。
建築技法や製造法など、技術を用いて当時からこれだけのものを造った人たちがいるというのは、本当に驚くべきことであろう。
昔の人たちに尊敬の念を抱きつつ、僕は大仏の周りをゆっくり歩いていく。
前の方では、クラスの男子たちが「大仏の鼻の穴」をくぐっていた。
「大仏の鼻の穴」というのは、一本の柱に大きな穴が一つ開けられており、そのサイズが大仏の鼻の穴と同じサイズであることから、そう呼ばれているらしい。
「この穴を通ると幸福が訪れる」というのはガイドさんからの説明で、穴を通った後にお守りを買うと、よりご利益があるとのことだった。
そんな男子たちを横目に見つつ、周囲の説明文などにも視線をやりながら、僕は本堂を見て回った。
お守りを買っていた生徒たちが戻ってきた後、そこからは周辺の散策となり、他にも立派な建築物があるお寺内を、ガイドさんの案内を元に見学していく。
いつも住んでいる地域には、これほど自然と調和した場所はほとんどないため、歴史をその身で感じられる良い経験となった。
***
ひと通り見回った後、元の場所へと戻ってきた僕たちは、ガイドさんから何枚かが束になった鹿せんべいを受け取った。
そこからはしばしの自由時間となり、生徒たちは思い思いの場所に移動をしていく。
早速鹿にせんべいをあげている者もいれば、近くにあるお店でお土産を見たりする者もおり、僕も少し離れたところで鹿にせんべいをあげることにした。
移動をしている間も、やっぱりたくさんの鹿が僕の後ろや横に付いてくる。
みんなから大体離れられたかな?という位置で立ち止まり、恐る恐るせんべいを差し出すと、
「うおっ」
と思わず声が出てしまうほど、一斉に多くの鹿が一枚のせんべいに向かって口を伸ばしてきた。
「焦らなくてもちゃんとあげるから」
通じているはずもないのに、そうやって鹿を落ち着かせながら、一枚、また一枚と鹿にせんべいをあげていく。
しばらく鹿と戯れている?と、
「鹿せんべいがなくなった…」
ということに気付き、一気にお手上げ状態となってしまった。
しかし、鹿たちはもっと欲しいというような勢いで、僕に顔を向けてくる。
思わぬ事態に若干困っていると、
「めっちゃ鹿さんたちに囲まれてるじゃんっ!」
という驚きの声が後ろから聞こえてきた。
予想通り、その声を発したのは愛野さんだった。
そこにいたのは愛野さん一人で、周りに他の生徒たちはいなかった。
「どうしてか分からないんですが、何故か鹿に囲まれてしまってるんです」
とりあえず愛野さんに状況を説明し、どうすれば良いかを尋ねると、
「それなら、私の鹿せんべいも使って良いよ?」
と言い、愛野さんが鹿せんべいを渡してくれたので、僕はそれを受け取ることにした。
そして、さっきと同じように一枚ずつ鹿にせんべいを食べさせていく。
「愛野さん、ありがとうございます。鹿に囲まれていたせいで身動きが取れずにいたので」
「うぅん、全然良いよっ。それにしても、なんで川瀬の周りだけこんなに鹿が多いんだろうね?」
「さっき囲まれた時、四宮先生が鹿は人間の性質を感じ取るからと言ってましたが、僕は鹿に囲まれるような性格ではないんですけどね」
「うぉっ、ちゃんとせんべいあげるから」と言いつつ、僕は一頭の鹿にせんべいを近付ける。
すると、愛野さんが「あははっ!」と楽しそうに笑い始めた。
「どうしたんですか?」と尋ねると、
「川瀬が鹿さんたちに囲まれて困ってるのがおもしろくって」
と愛野さんは答え、何やらスマホを操作し出している。
スマホのレンズが向けられているので、撮らないでくれと言おうとしたのだが、鹿に体を押されてそれどころではなかった。
「川瀬っ、撮るよーっ♪」
結局せんべいがなくなった後も、しばらく鹿に囲まれ続けただけでなく、楽しそうな表情を浮かべている愛野さんにまで写真を撮られ続けた僕なのだった。
***
時間になったので集合地点に戻っていき、もう一つの見どころである有名な二体の像を見た後、僕たちは今回の宿泊施設へとバスで向かい始めた。
立派な二体の像を見て、その造形に圧倒されたにも関わらず、僕の頭の中には鹿の記憶しか刻まれていないのはどうしてだろうか。
あのまま囲まれ続けていたら、危うく鹿たちに恐怖心を植え付けられるところであった。
しかし、間違いなく今日の夢の中では大量の鹿たちが出てくるだろう。
それにしても、あの後も愛野さんはずっと上機嫌であり、スマホを眺めて嬉しそうにくすくすと笑っていた。
僕の写真で笑っていた可能性が高いので、ぜひそっと消していただきたいところだが、さっきそれをお願いしても、
「だーめっ♪」
と断られてしまったので、消える望みは薄いだろう。
また、
「鹿さんは川瀬のことをよく分かってるねっ♪」
と、愛野さんは変なことを言っていたが、僕にはその意味が分からなかったので、曖昧に相槌を返しておいた。
とりあえず今は謎に疲れたので、男子たちのカラオケ大会を右から左に受け流しつつ、少しだけ目を瞑ることにしたのだった___。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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