#40 本性
次の日のお昼、水上くんとの昼食が終わり、私は教室へと戻っていた。
今週に入ってから、お昼は食堂で水上くんと食べている。
水上くんが言うには、しっかりと周りに「付き合っている」と思わせる必要があるということで、いつも私たちは食堂の真ん中で昼食を食べていた。
私はここまで大々的に付き合っているフリをするとは思っていなかったので、そのことを水上くんに伝えたのだが、水上くんは「ひめのためでもあるから、ね?」と言うばかりで、何も言い返せなかった。
食堂の視線が全て自分に突き刺さるようなあの居心地の悪さは、四日目でも慣れることはない。
どうして水上くんは、あんなに堂々と振る舞えるのだろう?
フリとはいえ、水上くんは「本当の彼氏」のように私に接してきており、私はどうすれば良いか分からずにいる。
そんな昼食時の会話で、土曜日に水上くんとお出掛けすることが決まった。
決まったというよりも「決められていた」という感じがして、今も少し表情が強張ってしまう。
そのお出掛けもまた、付き合っていることを周りに信じ込ませるために必要なことらしいが、本当にそこまでする必要はあるのだろうか…。
しかし、その時に川瀬とのことで相談に乗ると言われたため、私は行くという選択肢しかなかった。
でも、私がこうして水上くんとの関係を続けているのは、私自身のためにきっと「必要」なことなのだ。
「間違っているかもしれない」という頭の声を無視し、私は教室への歩みを進めた。
教室に入ると人はまばらで、いつもより少し早くに食堂を出たからだと私は時計を見て気付く。
私は席に座り、少しだけ落ち着こうと机にうつ伏せとなった。
ここ最近はほとんど眠れておらず、体の疲れが著しい。
目の下の隈はメイクで誤魔化しているものの、毎朝朱莉は心配そうな顔を向けてくる。
そんな親友の様子に胸が痛くなるが、私は未だに何も言えずにいる。
そして、このまま五分だけ目を瞑ろうかと思っていると、教室の窓側から微かに話し声が聞こえてきた。
腕の隙間からちらっとその方向を眺めてみると、川瀬と律が「仲良さそうに」会話をしていた。
その光景に、私の胸はひどく締め付けられる。
川瀬の表情は普段とあまり変わっていないものの、嫌という感じは全くなく、律の話に相槌を打っている。
律は身振り手振りを交えながら、川瀬に笑みを向けていた。
その二人は、誰がどう見ても「仲良し」という感じで、気安い関係が見て取れた。
私は律が羨ましかった。
文化祭の準備期間、律はすぐに川瀬と仲良くなり、いつも楽しそうに二人で会話をしていた。
川瀬と揶揄ったり揶揄われたりの関係でいられるのは、律が相手のことをよく理解できる素敵な性格であるからだろう。
私は、律のような会話を川瀬としたことはなかった。
それに、私とは違って簡単に川瀬をフォークダンスに誘ってみせた。
冗談で言っただけのようだが、冗談でも私にはできないことをやってのける律は、私にはあまりにも眩し過ぎた。
認めよう、私は、そんな律に嫉妬をしているのだ。
律みたいに、川瀬と楽しく話したい。
律みたいに、川瀬と仲良くしたい。
律みたいに、川瀬を名前で呼んでみたい。
律みたいに…っ。
でも、私にその資格はもうない。
そもそも、初めからなかったのかもしれない。
とっくに嫌われてしまっているのだ。
ここからどうすることもできないじゃないか。
それなのに。
それなのにっ!
どうして私の胸はこんなにも痛むの!?
どうして私は、それでも「諦めたくない」なんて思ってしまうの!?
「どうして!?」と自問自答するも、答えは出てこない。
いや、「答え」はとっくに出ているのかもしれない。
しかし、他でもない私自身が、それを受け入れられなかった。
二人の姿から視線を反らし、私はこれ以上何も見ないように、ぎゅっと目を瞑った。
それでも、今も微かに聞こえてくる二人の話し声に、胸の奥がザワザワとする。
今、こうして顔を伏せておいて良かったと私は安堵する。
だって、醜い嫉妬で顔を汚している私の姿を、他の誰にも見せずに済んだのだから___。
***
約束の土曜日を迎え、私は水上くんと一緒にショッピングセンターに来ていた。
ここは、星乃海高校よりも先にある総合施設で、前に朱莉と映画を観た場所とは別のところである。
できるだけ高校に近い場所の方が私たちの姿を見る星乃海生も多くなり、偽装の信憑性が増すということだったので、この場所が目的地となった。
ショッピングセンターの最寄り駅を集合場所としたのだが、駅に着くなり水上くんは私の服装を褒めてきた。
今日の私は、髪型もメイクも学校の時のままで、服装はズボンスタイルである。
服装を褒めてもらえるのは嬉しいが、本当にただ嬉しいというだけで、そこにそれ以上の感情はなかった。
それに、水上くんの元に近付いた時、水上くんが服装を見て眉を動かしたのが私には引っ掛かっていた。
しかし、私はどうしても服装やメイクにこだわろうとは思えなかった。
隣にいるのは水上くんなのに、私は別の男の子のことを何度も、何度も考えてしまう。
でも、それは水上くんにあまりにも失礼過ぎる態度であると私は思った。
私はすぐにかぶりを振り、水上くんの「彼女のフリ」をしようと気持ちを入れ替えた。
ショッピングセンターをしばらく歩き回った後、お昼が近付いてきたということもあり、昼食を食べることになった。
水上くんが選択したのは有名なカフェだった。
緑と白のロゴで、店名も略称で呼ばれるほど人気のカフェであり、朱莉がよく新作を飲みに行こうと誘ってくるお店だ。
ここでゆっくり話そうと水上くんに言われたので、私は頷きを返し、早速店内に入ろうとすると、
「あれ、流星。何してんだよ?」
という声が後ろから聞こえてきた。
後ろを振り向くと、チャラくてガラの悪そうな見た目をした大学生くらいの男の人が立っていた。
隣から「チッ…」という舌打ちの音が聞こえてきたような気がしたが、気のせいだろうか…?
「先輩じゃないですか。今日はどうしたんですか?」
「今あっちで遊んでてよ、便所行きたくなって横見たらお前がいたから声掛けたってわけよ。てか、隣の女ってお前の『新しい』彼女?とんでもねぇ上玉じゃねぇか!」
「…っ」
水上くんが「先輩」と呼んだ人物が、私の全身を舐めるように観察してくる。
背筋が凍るほどの不快な視線をぶつけられ、私は恐怖心から一歩後ずさってしまった。
それに、「新しい彼女」とは一体どういうことだろうか?
水上くんが付き合っている、あるいは付き合っていたという話は聞いたことがない。
と言っても、高校に入ってからの水上くんの話しか知らないので、もしかしたら中学時代やそれ以前の話かもしれないが…。
私が恐怖やら何やらで少し震えていると、
「ひめ、先輩と会話をしてくるから、すこしだけ待っててもらっても良いかい?」
と水上くんが声を掛けてきた。
私が頷き、お店の前のベンチで座っていることを伝えると、水上くんはその「先輩」と一緒に、近くの薄暗い通路へと移動していった。
残された私は、ひとまず落ち着くためにベンチへ腰を下ろすことにした。
さっきの視線に未だ嫌悪感を抱きながら、あの人が水上くんと知り合いであるという事実に、私は何とも言葉にできない感情を抱き始める。
水上くんは、誰でも優しい「王子」と呼ばれているほど性格が良く、こうして私にも協力をしようとしてくれている。
私の第一印象が悪かっただけかもしれないが、そんな水上くんとあの人が無関係ではないということが想像できない。
しかしここで、私の頭にあることがよぎる。
それは、朱莉が水上くんを良く思っていなかったということだ。
(どうして朱莉は水上くんを警戒していたんだろう?)
そう考え始めると、私もこれまで水上くんとはどこか「距離を置いていた」はずだったことを思い出し始めた。
そうだ、私も水上くんの「何か」にずっと警戒心を感じていたのだ。
今の今まで感じなかった、いや忘れていた感覚が、私の中に宿り始める。
文化祭から今日までの間、どうしてか水上くんに「違和感」というものをほとんど感じなくなっていた。
恐らく、他のことを考える余裕がないほど、私の心はすり減っていたのだろう。
(やっぱり、水上くんには何か秘密があるっ)
私はベンチを立ち上がり、二人が曲がって行った薄暗い通路の方へ歩き出した。
通路の方へと近付いていき、こっそりと曲がり角の先を見つめると、壁に背中を預けながら腕を組んでいる水上くんと、先ほどと同じ笑みを浮かべている「先輩」が目に入った。
二人は何かを話しており、私が見ていることには気付いていない。
ショッピングセンター内の話し声が後ろからガヤガヤと聞こえてきているが、ここからでも二人の会話は十分に聞き取れるため、私はそのまま耳を澄ませた。
「そんでよ、流星。あのアイドルみたいな女は一体誰なんだよ?」
二人の会話内容はどうやら私のことのようだ。
「先輩」と呼ばれた男の人がそう尋ねた瞬間、驚くべきことが起こった。
「先輩、『俺』は今日の昼間は忙しいって言ったじゃないか。『あれ』は『まだ』彼女じゃない。ちょうど今『落としてる』最中だ」
「…えっ?」
先輩と向かい合いながらそう口にした水上くんは、普段の水上くんとは全く違う様子だった。
口調もいつもの穏やかなものから荒々しいものとなっており、それに加え、
___水上くんもまた、下卑た笑みを浮かべていた。
(えっ…ど、どういうこと?)
水上くんは、私とは「まだ」彼女ではなく、「落としている」最中だと口にした。
意味は分かる、でも、理解が及ばない。
(私は、水上くんに嵌められていた…?)
本性を露わにした水上くんは、そのまま何かを話し始めようとしている。
今の私には衝撃が強過ぎて、現状を把握するほどの落ち着きはない。
しかし、ここからの会話は、絶対に聞き逃してはいけないような、そんな感覚が頭を支配する。
自分の直感に従い、私はスマホを構えた後、録画ボタンを押し、カメラのレンズを二人の方へと向けることにした。
以前に朱莉と見たドラマの中で、同じような方法で「証拠」を残していたシーンがあったことを思い出す。
まさか自分がドラマのようなことをするとは微塵も思わなかった。
何も無いのなら無いで良い。
盗撮と言われてしまっても無理のない行動だが、これが今の私にできる最善だった。
「流星が『落としてる』のなんてこの前の『花城の女』、えっと誰だっけ?『はるか』だったか?あれ以来じゃねえの?」
「今回のはもっと上玉だ。春香も俺に相応しい女だが、姫花が手に入ったら用済みだ。そん時はいつものように先輩に流してやるよ」
「まじか、流星様々だぜ」
「まぁいつも大学の方の伝手で世話になってるしな、お互い様だろ?」
「まぁな」
この人たちは、一体何の会話をしているのだろうか?
考えるのもおぞましいような内容が、日常会話のように交わされている光景に、私は足が竦み始める。
会話からまず分かったことというのは、水上くんは花城高校に「はるか」さんいう彼女がいるということだ。
いや、口振りからして、はるかさん以外にも彼女のような関係の人がいるのかもしれない。
そして、そんな水上くんに、私は狙われている…。
今すぐ逃げ出したいほどの衝動に駆られるが、まだこの場を離れるには早計過ぎる。
震える体に鞭を入れ、私は二人の方に視線を戻す。
「それで?今回の女はどうやって落とすんだ?いつもなら勝手に女の方から寄ってくるじゃねえか」
「あんなブス共と一緒にするなよ、先輩。姫花は俺の隣にいても唯一釣り合いが取れる女だ。ただ、姫花は少々厄介な相手だからな、ちょっと罠に嵌めさせてもらった」
「へぇ、どんな罠だ?」
先輩と呼ばれる男の人は、興味深そうな視線を水上くんに向ける。
その罠というのは…私の予想を遥かに超えた、何とも卑劣なものだった。
「姫花には気になっていそうな男子がいたから、ソイツが『悪口を言ってた』っていうデマを流したんだよ。姫花はソイツのことをただのクラスメイトだって言ってたけど、俺の思った通り、ソイツの噂を聞いた途端顔を真っ青にしてやがった。それで、その噂で傷付いた姫花に『優しく』声を掛けてやったってわけだ」
「ソイツは噂のことを知らねぇんだろ?どうして流星の思惑通りになったんだ?」
「あぁ、それは、ソイツにあらかじめ『姫花が俺から話を聞いたって言ってきたら、肯定をしろ』って言っといたんだ。ソイツは何も疑わずに俺の言葉に頷いて、あろうことかこの前感謝まで伝えてきやがった。はぁー、今思い出してもソイツの『何も知らない』顔は傑作だったよ。ああいう根暗なキモいヤツは、本当に馬鹿で扱いやすいから助かる」
「気になっている男に傷付けられたところを狙う、か。やっぱり流星のやることはえげつねぇな」
「今回はそれほどの手間が必要な上玉ってわけだ」
「お前は面が良いからな、上手くいくだろ」
「計画も半分まで終わってるからな。協力するフリをして、もう一回傷心させたら姫花は晴れて俺のものになるだろうさ」
「くくっ、相変わらずの自信満々っぷりだぜ」
「当たり前だろ?俺は誰もが認めるイケメンで、『王子』だからな。俺に惚れない女なんていないんだよ」
「ハハハッ!お前の本性を知ったら、誰もお前が『王子』なんて言わないだろうけどな」
「ふっ、どうせ誰にもバレはしないさ、先輩」
そのまま二人は他のことを話し始めたので、私は録画の停止ボタンを押し、その場から全力で離れていく。
そうして、そのままの勢いでショッピングセンターの外に出て、駅の方へと向かった。
あんなことを聞いてしまった後、あの人と一緒に昼食を食べるなんて、私にはできそうになかった。
さっきまでの彼らの会話を思い出し、私は自分の心が段々と冷たくなっていくとともに、静かな怒りも湧き始める。
私を騙していたことに対する怒り。
女の子の気持ちを弄んでいることに対する怒り。
人を物扱いするような態度に対する怒り。
色々な怒りがこみ上げてくるが、私が最も怒りを感じていたのは、私の前で「川瀬を馬鹿にした」ことだ。
私の大切な男の子のことを、彼は「根暗なキモいヤツ」と表現した。
あの場で「違うッ!」と訂正したかったが、あそこで私が姿を見せたら、より大変なことになってしまうのは明らかだった。
今はただあの場から去ることしかできない自分自身に、悔し涙が溢れてくる。
しかし、この涙は今までの涙とは違う。
悲しみや諦めから流していた、これまでの涙とは別物だ。
私は袖元で涙を抑えながら、しっかりと前を向く。
様々な感情が渦巻く一方で、私の心に安堵の気持ちが広がっているのも確かだった。
___川瀬は、川瀬はっ、私の悪口を言ってなかったんだっ!!
ここから私は、大変なことに向き合わないといけないだろう。
しかし、不安はない。
だって、私はあの日、彼から大事なことを学んだから…。
『大丈夫、きっと間に合います』
あの日みたいにできないと諦めるのは、もう終わりにする。
「大丈夫、私はきっと大丈夫…っ!」
「どうしたいのか」について、私はようやく自分の「答え」を受け入れることができた___。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
連載の励みになるので、良ければ評価の方もよろしくお願いしますね。