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#37 彼と初めて出会った日 前編







 私、愛野姫花が川瀬朔と初めて出会ったのは、中学三年生の時だ。

 その日は星乃海高校の受験日だった。

 その時のことは、今でも鮮明に覚えている。

 でも、誰にも詳しくは話していない。

 親友の朱莉にもだ。

 何度も口を滑らせてしまいそうにはなっているが、まだ大丈夫な、はず…。


 これは、そんな私だけの、大切な、大切な思い出の話___。










***










 受験日当日、私は朱莉と一緒に電車で試験会場の星乃海高校へと向かっていた。


「…でさ~、ママってば朝からトンカツを揚げようとしたんだよ?」


「ふふっ」


「大会ってわけでもないからやめてーって言って、何とか説得できたんだから…って、もお~姫花笑い過ぎだってばぁ~」


「ごめん、ごめん。でも、想像できる光景だったから、ついね」


「まぁいつも通りっちゃいつも通りかも?」


 朱莉の話を聞きながら、特に緊張もなく当日を迎えられていることを確認しつつ、私たちは電車に揺られている。


 中学三年生の夏休みに行われた学校見学に参加した時、私は学校の雰囲気や自由な校風に心を奪われ、星乃海高校に入りたい!と思った。

 高校生の人たちはみんながキラキラとしていて、早く私も高校生になりたいと強く実感した瞬間だ。

 朱莉も同じように思っていたようで、そこからは二人で受験勉強に毎日取り組んだ。

 そうして、風邪を引かないようにも気を付けながら、無事に今日の試験日を迎えることができた。

 ここまでの半年間はすごく大変だったが、朱莉とずっと一緒だったので、楽しかったという印象の方が強い。

 できることはやったので、あとは試験に全てをぶつけるだけだ(いや、ほんのちょっと不安はあるかも…)。

 マスクを付けて服も着込んでいるため、勉強以外の対策はばっちりである。


 しかし、一つだけ困ったことがあり、それは電車に乗っている人たちの数が異様に多くなってきているということだった。


「…姫花、今日は人がいっぱいだね」


「うん。星乃海以外の受験生も電車に乗ってるのかもね」


 今乗っている電車の一本後でも試験には間に合うが、それでもかなりのギリギリラインであるため、みんな余裕を持った登校をしようと考え、この電車に乗っているのだろう。

 駅に到着するたびに大勢の人が流れ込んできて、私たちは奥の方へとどんどん移動を余儀なくされる。

 そうして人が詰まっていくと、手に持っている学生カバンが周りの人たちに当たって迷惑になりそうだったので、足元の少し空いているスペースにカバンを置くことにした。

 幸いにも反対側の扉の前で立っており、後ろに人はいない位置のため、カバンが邪魔にはならないはずだ。


 そのまましばらく電車に揺られていると、とうとう目的の駅へと電車が到着をした。

 扉が開くと同時に、電車内の人たちが一斉に外のホームへと出て行く。


「姫花、行こっ」


 朱莉に手を引っ張ってもらい、私たちも電車の外へと出ることができた。


 そして改札まで移動をしようとした時に、あることに気付いた、そう気付いてしまった。


 むしろ、ここで気付けて良かったのかもしれない…。


「私、電車にカバン置いてきちゃった…」


 あのカバンの中には筆記用具に加え、受験で絶対に必要な受験票が入っている。

 事の重大さに気付いた私は、すぐに電車の方へと踵を返した。


「ちょ、姫花っ!電車もう出ちゃうよ!」


 朱莉の声が後ろから聞こえてくるが、私は立ち止まることなくそのまま電車の中へと走って戻った。

 中に入ると扉の隅に自分のカバンが置いてあるのを見つけ、私はそれを手に取り、安堵した。


 すると、後ろから扉の締まる音が聞こえてきた。


 勢いよく振り返ると、扉の向こうに焦った表情を浮かべている朱莉の姿があった。

 私がどうしよう…と思っている間にも、徐々に電車は次の駅へと移動を始めようとする。

 朱莉の声が微かに聞こえてくるが、頭が真っ白になってしまっていたこともあり、窓から見える朱莉の姿をぼんやりと眺めることしかできなかった。


 そうして、電車は無情にも次の駅へと向けて走り出したのだった。










 少し経って意識が明瞭となってきた私は、


『朱莉は先に会場に向かってね。私も絶対に行くから気にしないで!』


 と、朱莉にメッセージを送り、次の駅で降りた後、すぐに反対方向の電車に乗ろうと決める。


「はぁ…こんな当日に何やってんだろ、私」


 試験の当日、それも開始まで一時間と少しくらいの時間しかないのに、こんなハプニングに出くわすとは。

 ハプニングと言っても、自分の油断が招いたミスであり、あまりにも自業自得過ぎる状況ではあるのだが。

 私は度々こういうやらかしをしてしまうことがあり、そのためにも準備を万端にしていたのだが、言わんこっちゃない結果に気分もどんよりとしてしまう。

 しかし、すぐに逆方向の電車に乗れば十分に間に合うだろうと前を向き、起きてしまったことは仕方ない!と気持ちを入れ替え、私は電車が止まるのをじっと待った。




 時間にして数分といったところだろうが、体感ではかなり長く感じていた移動が終わり、電車が次の駅へとたどり着いた。

 私はすぐに電車を降り、ホームの頭上に備え付けられている電光掲示板に目を向けた。


「えっ…うそ」


 そこには反対に向かう電車の時刻が書かれていたのだが、一番早い電車に乗っても、試験時間には間に合わないということが分かった。


 さっきまでの希望は打ち砕かれ、私の心は「もう間に合わない」という暗い感情に支配されていく。


(どうしてカバンを置いてしまったの…)


 ついさっきの行動に後悔だけが募っていき、思わず涙が溢れそうになる。

 このままホームに残っても仕方がないのだが、私はどうすることもできない現実に心が折れてしまい、この場から動くことができなかった。

 呆然と立ち尽くしている私を怪訝な顔で見てくる人は何人かいたが、誰も声を掛けてくることはなかった。


 当然だ、誰も私のことを知らないのに、助けてくれる人なんているはずがない…っ。


 そうして負の感情に飲まれそうになっていた時、一人の男の子が声を掛けてきた。


「あの、もしかしてですが、星乃海高校を受験しますか?」


 涙を堪えるのに必死だったせいで、目は少し赤くなっていただろう。

 その赤くなった目を横に向けると、同い年くらいの制服を着た男の子がそこに立っていた。


 その男の子は、黒い髪に、平均くらいの身長で、真面目そうな顔をしていた。


 しかし、とても印象的だったのは、何も映さないと思えるほどの真っ黒な瞳に、疲れが見てとれる目の下の隈だった。


 どちらかと言えばかわいい感じの整った容姿をしているのに、その目元が悪印象を与えている気がして、目が合った時は少し体が強張った。

 しかし、見た目とは裏腹に彼の声には柔らかさがあったため、怪しい人ではないと私は判断し、


「うん。でも、電車がないからもう間に合わないの…っ」


 と彼に伝えた。

 言葉に出してみると、どうにもできない現状がより強く実感させられ、思わず声も震えてしまった。


「やっぱりそうでしたか」


 どうしてそんなことを彼は聞いてきたのだろうと思っていると、彼は続けてこう話した。


「実は、僕も星乃海高校を受験する予定なんですが、電車を降り損なってしまったんです」


「えっ?」


「だから、あなたと同じというわけです」


 彼も私と同じ状況だということを聞き、私は思わずびっくりした声を出してしまった。

 彼は平然とした顔でそう伝えてきたが、もう受験には間に合わないのに、どうしてそんな余裕のある顔ができるのだろうか?

 驚きも束の間、私は彼の様子に困惑を隠せずにいると、


「とりあえず、一旦改札を出ませんか?」


 と彼は声を掛けてきた。

 彼の提案に頷きを返した私は、二人で駅の改札へと移動をした。

 ピッとICカードをタッチして改札を越え、ひとまず正面の壁際まで歩いていき、他の利用者の邪魔にならないようにする。


「やっぱり逆方向の電車に乗っても間に合わなさそうですね」


 彼は電車の時刻を確認しながら、そのように呟く。

 同じような立場の人がいると分かり、不謹慎にも少し安心をしてしまっていたが、状況は何一つとして変わってはいない。

 別の人の口からも「間に合わない」という言葉を聞いて、私の目からはとうとう涙がこぼれてしまった。

 私はその場にしゃがみ込み、泣き声だけは漏らさないようにと必死に声を押し殺そうとする。

 マスクを濡らすわけにもいかないので、袖で涙を止めようとするも、一向に止まる様子はない。

 そうして、私が諦めの感情を受け入れようとしている時、


「大丈夫ですか?」


 と、男の子が私の目線の高さになるようしゃがみ、優しい声でそう声を掛けてきた。

 首を横にふるふると力なく振り返し、私は彼の言葉に答えた。

 しかし、彼は優しい様子のままであり、


「これ、使ってください」


 と、カバンから一枚のハンカチを取り出した。

 私もカバンの中にハンカチを入れているので、持っているから大丈夫と伝えようとしたのだが、上手く言葉を発することができず、そうして迷っている間に彼はそのハンカチを私の手に渡してきた。


「…ぁりがと」


 口から出たのは涙でかすれた声だったが、


「どういたしまして」


 と彼は頷いてくれたので、何とか聞こえていたようだ。

 彼の厚意に甘えることにし、ハンカチで涙を抑えていると、


「大丈夫、きっと間に合います」


 と彼が私の目を見ながらそう伝えてきた。

 相変わらず真っ黒な闇を彷彿とさせるような瞳だったが、私にはその中に、ほんのわずかではあるものの、「温かさ」というものが宿っているような気がした。


「少しだけ待っててください」


 彼は私にそう言って、駅員さんのいる方へと歩いて行き、その駅員さんと何かを話し始めた。

 そんな彼の姿を目で追っていると、今さっきの出来事がフラッシュバックしてくる。

 その結果、今になって物凄く近い距離で見つめ合っていたことに気が付いてしまい、私は頬が熱くなるのを感じた。

 今も負の感情は胸の中で渦巻いているが、そこに変な感情も割り込んできているような気がする。

 やっぱり整った顔だったなぁとか、優しい表情だったなぁとか、感じたことのない胸の高鳴りがだんだんと大きくなっていき、謎の感情が私の涙を少しずつ止めていく。


(なになになにっ!?なんなのこれっ!?)


 全く性質の違う二つの感情に翻弄されながら、私は駅員さんと話す彼から視線を外せずにいたのだった___。







今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。


連載の励みになるので、良ければ評価の方もよろしくお願いしますね。

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