#35 どうでも良い
次の日、今日は文化祭前最後の一日ということもあり、授業なしの一日準備期間となっている。
昨日、愛野さんとは少し気まずい状態で別れたからだろうか、ほんの少しだけ胸の奥にモヤモヤとしたものがある気がする。
しかし、僕とは関わらない方が良いということは伝えたので、何も悩むことなんてないはずだ。
恐らくは、文化祭に憂鬱な気持ちとなっているだけであろうと僕は思い直し、教室の隅で目立たず作業の手を動かした。
今作業をしているお化け屋敷は、結局何とも言えない出来具合となってしまい、クラスのみんなもそう感じていたようで、出し物の名前は「おもしろお化け屋敷」となった。
「脅かす」というよりは、クラスの陽キャ男子たちが中心となって、参加者を「笑わせる」という方向にシフトした。
この大きな方向転換は今日の朝一に決まった案で、ここまで出し物準備を引っ張ってきた愛野さんは困ったような顔をしていたが、反対に男子たちは自分たちが主役になるような出し物となったことでやる気を取り戻しており、クラスの雰囲気的には良かったのではないか?と他人事のように思っている。
もちろんその案が成功するかどうかについては…推して知るべしだ。
多分、愛野さんもそのことを感じ取っていたので、困ったような顔をしていたに違いない。
そう言えば、今日の愛野さんは普段よりも元気がない様子で、朝からクラスメイトたちに心配されていた。
本人は「気にしないで」と笑みを見せていたようだったので、連日の文化祭準備に少し疲れているのだろう。
言葉では言い表すことができないような違和感を覚えつつも、特に気にしないようにし、僕は午前の準備に取り組むのだった。
***
時間だけが刻一刻と過ぎていき、昼休憩の時間となった。
昼ご飯を食べる前にトイレへ行こうと思ったので、つい先ほどから僕のことを弄ってくる元山さんを適当に躱し、教室の外へと出た。
廊下に物を広げて作業している生徒たちが沢山いるため、邪魔にならないように端を歩いていく。
先日のアルバイトの時、戌亥さんと柄本さんが星乃海の文化祭に来たそうにしていたが、何とか来ないように説得を行った。
二人はブーブーといじけていたが、今年も図書室で静かに過ごすという目的があるため、来てもらっては困るのである。
来年は参加すると二人は豪語していたが、僕は曖昧に頷いておいた。
来年のことを話す二人が眩しくなったわけではない。
かと言って、厭わしく思ったというのも違う気がする。
黒い感情の奔流に飲み込まれそうになっていると、
「川瀬くん、だよね?少し良いかな?」
と、後ろから誰かに声を掛けられた。
聞いたことのない声で呼ばれたので、誰だろうと思い後ろを振り返ると、
「初めまして、かな?水上流星です」
と、水上くんが僕に笑顔で自己紹介をしてきた。
「…え?あ、はい、川瀬朔です。初めまして」
いきなりの事態に一瞬戸惑ってしまうも、僕はとりあえず水上くんに自己紹介を返すことにした。
どうして水上くんは僕なんかに声を掛けてきたんだ?と思っていると、
「いきなりごめんね、川瀬くん。川瀬くんにどうしても聞きたいことがあるんだ」
ということで、ひとまず水上くんが僕に何か聞きたいことがあるというのが分かった。
「場所を移そうか」と言われたため、僕は水上くんに連れられ、屋上に続く階段の踊り場まで移動を始めた。
___水上くんが僕に聞きたいことなんて、何があるのだろうか?
人気のない階段の踊り場まで移動をすると、早速水上くんが口を開いた。
「昨日の放課後に、川瀬くんと『ひめ』が一緒にいるところを遠くから見てしまってね。何を話していたのかなぁって気になったんだ」
近くで見る水上くんは、僕よりも背が高く、確かに噂通りのイケメンだなぁと余計なことを考えていると、水上くんはどうやら僕と愛野さんの話していたことが気になったらしい。
(いや、どうしてそんなことが気になるんだ?)
僕の困惑をよそに、「教えてくれないかい?」と丁寧な態度で頼んでくる水上くん。
大した会話もしていなかったので別に隠す気もないのだが、どうして愛野さんとの会話を知りたがるのだろうか?
そこでふと、この状況をデジャヴと表現するのが正しいかは分からないが…以前にも似たような機会に出くわしたことがあるような気がした。
そうして、柄本さんが深森さんのことを話していた時と同じではないか?と僕は思った。
深森さんが他の男の人に告白されているのを見たと話していた柄本さんの表情と、今の水上くんの表情が重なって見える。
加えて、愛野さんのことを「ひめ」と呼んでいたことから、二人は意外と親密な関係性であるのだろう。
愛野さんが水上くんの話をしてきたことは今までになかったが、僕は教室にいる時の愛野さんしか知らないため、交流はあったというわけだ。
突如として起きたこの状況と、水上くんの態度から推測するに、水上くんは愛野さんに好意を寄せているのかもしれない。
僕の勝手な考えだが、自分の好きな相手が他の男子と話しているのが気になったから話し掛けたと考えれば、全ての辻褄が合うように感じる。
愛野さんは水上くんのことを多少なりとも意識しているのではないかと予想していた手前、水上くんからも愛野さんに好意を寄せるような行動が見られたことで、二人の関係性に現実味が帯びてくる。
もしかしたら、元山さんの言っていた『彼と一緒に踊れるのなんて姫花ちゃんくらいだから』という言葉が的を射ているのかもしれないという事実に気付き、僕はほんの少し興奮を隠せずにいた。
…胸のモヤモヤ感は一向に消えてはくれないが、些細な問題である。
「昨日は僕と同じ係の元山さんのことで、愛野さんに注意をされただけですね」
「どういうことだい?」
水上くんは興味深そうな視線を僕に向けてきたため、より詳しく「僕と愛野さんが何でもない関係だ」ということを強調する。
「元山さんは愛野さんたちのグループメンバーで、その元山さんが僕を揶揄ってフォークダンスを踊ろうと誘ってきたんです。それに思うところがあった愛野さんに、あれは冗談なんだから本気にしないようにと暗に伝えられただけですね。愛野さんは友だち思いなので、グループメンバーが僕のようなヤツと踊ることが心配だったんでしょうね」
僕がそう言うと、水上くんはどこか疑うような視線を一瞬こちらに向けたが、「それは大変だったね」とすぐに爽やかな笑顔を見せた。
そんな水上くんの表情を見て、彼ほどのイケメンであれば、他の男子のことを気にする必要はそもそもないのでは?と思ってしまい、これ以上疑われないための防衛本能かは分からないが、
「愛野さんは優しい人なので、クラスで一人の僕にも話し掛けてくれるんですが、無理に僕へ話し掛けてこなくても良いんですけどね」
と、これまで話したことのない水上くんに思わず口を滑らせてしまった。
それを聞いた水上くんは驚いたような表情を浮かべた後、くすりと笑い、いきなり僕の肩に腕を回してきた。
「川瀬くん、僕なら君のその悩みを解決できると思うよ」
水上くんが僕の耳元で言った言葉は、僕も予想だにしないものだった。
なんと、水上くんなら僕の悩みを解決することができるらしい。
方法は全く分からないが、優しいと評判の水上くんがこう言ってくれているのだ、きっと僕には思い付かないような解決方法に違いない。
水上くんが急に距離を詰めてきたことに違和感は覚えるものの、僕にとって悪い提案でないのも確かだ。
そのため、「僕の方からもぜひ水上くんにお願いしたいです」と、僕は水上くんの力を借りることにした。
「じゃあさ、その方法なんだけど…」
そうして、どこか楽しそうな笑顔を見せる水上くんからその方法を聞き、僕は当初の目的であるトイレへと向かうのだった。
★★★
根暗陰キャの肩に乗せていた腕を手で払いながら、さっきまでの会話を思い出し、『俺』は笑みを浮かべた。
「まさかあんな簡単に提案を受け入れるなんてな。せいぜい俺の掌で踊ってくれよ?」
今も尚笑みを浮かべる男の表情は、普段の様子とはかけ離れたひどく醜悪なものだった___。
***
文化祭の準備も終わり、放課後を迎えたので、僕はいつものように裏庭の花壇へと向かっている。
明日が本番ということもあり、生徒たちの多くはまだ学校に多く残っている印象だ。
裏庭に向かう廊下では、今この瞬間を思い出として残すためだろうか、自撮りをしている生徒が多かった。
そんな光景を冷めた目で眺めつつ、僕はその場を通り過ぎていく。
撮った瞬間は楽しくても、それ以降はどうだろうか?
もしかしたら、その写真が地雷となり、思い出したくもない過去を掘り起こすかもしれない。
捻くれているのは重々承知している。
ただ、僕はそう思っているというだけだ。
そうして裏庭に到着した僕は、慣れた手つきで水やりを始めた。
今日と明日はアルバイトが休みのため、久しぶりにスーパーにでも行こうかなぁなんてどうでもいいことを考えていると、後ろから「川瀬ッ!」と大きな声を掛けられた。
振り返ってみると、顔を険しくさせた愛野さんが、ずんずんとこちらに向かって歩いてくる。
そうして、僕の前まで近付いてきた愛野さんは、少し赤くなっている目で僕を睨みつけながら声を発した。
「…川瀬、私のことを裏で散々言ってるって本当なの!?」
「その情報源はどこからですか?」
「水上くんが言ってたのよ!川瀬が言ってるのを聞いたって!」
「…」
正直、愛野さんが僕に詰問してきていることについて、僕は全く身に覚えがない。
僕は何にも話を理解してはいないのだが、水上くんから解決方法としてこう言われていた。
『ひめから僕が言っていたというような話を聞いた時、川瀬くんにはそれに肯定する態度を取って欲しいんだ。それだけで川瀬くんの悩みは解決できると思うよ』
恐らくこの事態は、僕のために水上くんが提案してくれた、皆目見当もつかない解決策とやらなのだろう。
水上くんが何を言ったのか、どうして愛野さんがこれほど怒りを見せているのかは分からないが、僕は予定通り肯定をすることにした。
それが、どんな結果を引き起こそうとも…。
「あぁ、その話ですけど、全部本当ですよ」
僕がそう言い返すと、愛野さんは驚きと悲しみがない交ぜになったような表情を浮かべ、ぼろぼろと涙を溢し始めた。
どうして愛野さんは泣いているのだろう?
状況に取り残されるとはまさにこのことだが、知らないところで状況が進んでいくことに、僕はほんの少し気味が悪くなった。
そんな僕の方を見つめてくる愛野さんだが、その涙で濡れた双眸には侮蔑の色が浮かんでいるような気がする。
「…川瀬って、そういうヤツだったんだ」
そういうヤツと言われても、どういうヤツなのかがさっぱり分からない。
同時に、モヤモヤが大きくなっているような気がする。
一体水上くんは愛野さんに何を言ったのだろうかと次第に不安にもなってくるが、僕のためにしてくれたことである以上、水上くんを問い詰めるのは筋違いというものだ。
愛野さんは僕から目を反らした後、一歩後ろに下がり、未だぼろぼろと流れ続ける涙を止めようともしないまま、僕にこう言い放った。
「…最っ低」
そうして愛野さんは、僕に背を向けて走り去っていった。
意味は全く分からないが、どうやら僕は愛野さんに嫌われてしまったようだ。
校舎から聞こえる小さな喧騒が、異様なほど大きな音を響かせながら僕の耳に入ってきているような気がする。
静寂の支配する裏庭にいながら、喧騒に包まれるような不快な感覚。
どうにも自分の足場が不安定なように感じ、視線を下げて、地に足が付いていることを確認する。
水上くんのおかげで、恐らく愛野さんが僕に話しかけてくることはもうないだろう…ということが直感として分かった。
僕はどんな顔をしているだろう。
手で顔を触ってみるが、自分の表情の仔細までは把握することができなかった。
しかし、鏡で見るほどのことでもないので、すぐにどうでも良くなった。
胸にぽっかりと穴が開いたような、そんな空虚な感覚。
それは、以前にもどこかで、そう、どこかで感じたことのあるものだった。
穴が開いている筈なのに、痛みを感じることはない。
胸に手を当てて、本当に穴は開いていないことを確認し、意味のない安堵を呼吸に乗せて吐き出していく。
しかしどうだろう、だんだんとこれまで感じていた違和感というものを一切感じなくなってきた。
胸のモヤモヤ感というものは消え去り、場違いな清々しささえ覚え始める。
もしかしたら、今までの僕が可笑しかったのだろうか。
本当の自分とやらを取り戻すとは、こういった感覚のことを指すのではないか?
僕は愛野さんの走り去っていた方向に視線を向ける。
当然そこにはもう愛野さんの姿はなかった。
そのまま僕は、いつものように水やりを続け、いつものように道具を片付け、いつものように荷物を持って自転車の元へと向かう。
いつの間にか、耳に入ってくる校舎の喧騒は鳴り止んでいた。
しかし、今の僕には全てがどうでも良かった。
そう、どうでも良いのだ___。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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