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#3 水本家







 夏休み二日目。

 僕は今、毎週日曜日にすると決めている家掃除に取り組みながら、この後の予定に気を重くしているところだ。

 というのも、今日は「あの人たち」が家に来ることになっているからである。


___明日はアルバイトも休みなので、本を読んでゆっくりと一日を過ごそうなんてことを考えていた昨日の晩、家の固定電話に着信が入った。


 ちなみに、なぜ固定電話なのかというと、僕は携帯電話を持っていないからだ。

 連絡を取り合う相手もおらず、携帯電話を持つことに必要性を感じなかったので、高校に入学する前に解約を済ませておいたのだが、携帯電話がない生活も案外苦ではないと僕は感じている。


 そして、そんな僕にわざわざ昨日連絡をしてきたのは、水本進みずもとすすむさんという人物だ。


 進さんは、僕の「叔父」である。










___僕には両親がいない。










 中学三年生の時、両親がこの世からいなくなり、僕は一人になった。


 そこから僕は、三人で暮らしていた家で今も一人の生活を続けている訳だが、そんな僕にも一応「今の保護者」に当たる人物がいる。

 それが進さんという訳だ。

 両親がいなくなった後、進さんが僕の面倒を見るということが勝手に決まり、僕は進さんたち「水本家」の「養子」ということになった。

 「水本家」は進さんの他に、進さんの結婚相手である日奈子ひなこさんと、二人の娘である日葵ひまりさんを合わせた三人家族である。


 そして、そんな進さんたちは、僕に「四人で一緒に暮らそう」と提案をしてくれた。


 しかし、僕は三人の中に入っていくほどの図々しさを持ち合わせてはいなかった。


___だって、僕は三人と本当の家族ではないのだから。


 その後、何度も進さんと日奈子さんとやり取りを交わし、何とか二人が僕の意見に折れてくれたことで、僕は今この家での一人暮らしを継続できている。


 生活費も全部自分で稼いだお金でやりくりすると言った時、進さんと日奈子さんは悲しそうな表情をしていたが、二人に負担を掛けないのにどうしてそんな顔をしていたのか、僕には未だに分からない。

 学費は全額免除されていることもあり、必要なのは電気代や水道代、それに食費だが、廃棄のご飯をほとんど毎日持って帰れることで食費が浮いているため、四月からの一人暮らしはアルバイトで稼いだお金だけでも十分問題なしという感じだ。

 そのため、毎月通帳には進さんから生活費が振り込まれているが、僕は一度も使っていないので、今日会った時にでもこの通帳を進さんに返し、二人に心配する必要などないということをもう一度伝えようなんて思いながら、僕はリビングの掃除機をかけ終える。


 そうしていつもの掃除を終え、一息つこうと椅子に腰を下ろした僕は、ふと頭の中で当時のことを思い返した。



___あ、ぁえ?か、母、さん…?



___な、んで…なんで、なんでッ!?



___もうどうでもいいや。



 胸の奥の大事な何かが、音を立てて崩れていくのを感じたあの日。

 今はもう、何をそんなに嘆いていたのか、僕は全く思い出せない。


 そもそも、僕はどうして悲しんでいたのだろう?


 胸の中で確かに開いているであろう大きな穴が、どうして開いてしまったのか、僕にはもう分からなかった。

 しかし、当時のことを考え出すと、決まって僕はいつも頭が痛くなる。


(無駄なことを考えるのは終わりだ)


 そして僕は、そんなことを思いながら席を立ち上がり、コップに水を入れて一気に飲み干す。


___何故か喉はカラカラに乾いていた。


 そうして気持ちを切り替えた僕は、インターホンの音が聞こえるまでの間、無心で夏休みの課題に取り組むのだった。










***










 ピンポーンというインターホンの音が聞こえたので、僕は席を立ち上がり、玄関まで移動をする。


「やあ、朔。元気にしていたかい?」


「久しぶりね、朔くん。今日はいきなりでごめんなさいね」


「お久しぶりです、進さん、日奈子さん」


 そうしてドアを開くと、進さんと日奈子さんが優しそうな笑みを浮かべながら声を掛けてきた。

 三人は車で数時間かかる別の場所で生活をしているため、高校に入学してからは一度も会ってはいない。

 そのため、会うのは四ヶ月振りであったが、進さんと日奈子さんの様子は何も変わっていなかった。

 進さんは、大手金融会社で働いている爽やかな敏腕イケメンであり、今年で三十代後半になると言われても信じる人はいないだろう。

 日奈子さんも進さんと同い年のはずだが、誰もが二十代と言われても頷いてしまうほど若々しく美しい容姿をしており、「穏やか」という言葉が良く似合う女性だ。


「ほら、日葵ちゃんも」


 また、日奈子さんがそう言うと、二人の後ろから一人の女の子が僕の前へと出てきた。


「…久しぶり、お兄ちゃん」


「お久しぶりです、日葵さん。それと、僕は兄ではないのでその呼び方はしないでください」


「…っ」


 今、僕のことを「お兄ちゃん」と呼んできたのは、進さんと日奈子さんの娘である水本日葵さんである。

 日葵さんは腰まである黒髪を姫カットにしているのが特徴で、今日も白いワンピースを着ており、「清楚」な雰囲気を感じさせる。

 学年は僕の二つ下の中学二年生であるものの、中学生らしい子どもっぽさと共に、大人びた印象も兼ね備えており、可愛いと綺麗の両方を持つ女の子といった印象だ。


「また前みたいに『ひまちゃん』って呼んでくれないの…?」


「一年に数回会うか会わないかの関係ですし、親しく呼ぶ必要なんてないですよね?むしろ、そんな関係性の知り合いから親しく呼ばれても嫌でしょう?」


「…」


 僕がそう言うと、日葵さんはすっかり黙り込んでしまった。


 …日葵さんの目にはうっすらと涙が浮かんでいるのだが、どうしてだろうか?


 ほとんど会わないような相手から親しく呼ばれるのは、普通に嫌なことだと僕は思うのだが…。


 ただ、どうして日葵さんがそんな表情をしているのか、日葵さん本人が口を閉ざしてしまったため、聞くことは叶わないだろう。


 すると、そんな僕たちの沈黙を見かねた進さんが、「朔、玄関で話すのもあれだし、中に入っても良いかい?」と声を掛けてきたので、僕たちはリビングの方に移動を始めた。










 リビングに入ると、「これは…」と進さんが思わずといった感じで小さく呟き、他の二人もまるで奇妙なモノを見たかのような表情を浮かべる。


「…朔はいつもここで生活をしているのかい?」


 そして、進さんがそんな不思議なことを険しい顔で尋ねてきた。


「えぇ、そうですよ?」


 何がそんなに進さんの表情を険しくさせているのだろうか?

 進さんの言葉の意味が分からない僕は、疑問に思いながらもひとまずそう返事を行った。

 すると、僕の返事を聞いた進さんは「…なんてことだ」と口を開き、悲しそうな表情を浮かべ始める。

 そうして、益々どういう意味なのかが分からなくなった僕が、思わず進さんのその反応に首を傾げていると、


「…でも、このリビング、ほとんど何もない…」


 と日葵さんがぽつりと呟いた。


___その瞬間、僕は三人の表情の正体に納得がいった。


「ああ、そういうことですか」


 どうやら三人は、このリビングに大きなテーブルが一つとイスが三つ、そしてソファが一つしか置かれていないことを不思議に思っていたようだった。

 僕には三人がどうして「そんなこと」を気にしているのかまでは分からないが、最低限の家具しか置いていない理由は至って簡単だ。


「だって、必要のないものを置いておくなんて無駄ですよね?」


 僕がそう言うと、進さんだけでなく日奈子さんや日葵さんも悲しそうな表情となった。


 …さっきからどうしてそんな顔をするんだ?


 …僕には分からない。


 結局、分からないことを考えてもしょうがないし、時間の無駄だと感じた僕は、


「とりあえず椅子に座りましょう」


 と固まって動けないでいる三人に声を掛け、それぞれの座る場所は、僕の前の二席に進さんと日奈子さん、ソファの方に日葵さんという感じになった。


 そうしてそれぞれが席に座ると、「改めて…」と進さんが話し始める。


「今日まで元気だったかな、朔?」


「はい、何事もなく生活してますよ」


 僕がそう返事をすると、「それは良かった」と笑みを浮かべる進さん。

 そして、隣に座っている日奈子さんも僕にこう話し掛けてくる。


「でも、前に会った時よりも朔くんは少し痩せたようにも見えるの。ご飯はしっかり食べれてる?」


「はい。アルバイトで弁当やおにぎりが貰えるので」


 しかし、僕のそんな返答に日奈子さんは表情を曇らせる。


「コンビニのお弁当が悪い訳ではないけど、毎日偏った食事を続けていると体を悪くするかもしれないわ」


「悪くなったらその時は自己責任なので、日奈子さんに迷惑は掛けませんよ」


 僕がそう答えると、日奈子さんは「朔くん、手を出して」と徐に手を伸ばしてそう言うので、僕は訳が分からないまま指示通りに手を差し出す。

 すると、日奈子さんが僕の片手を両手で優しく包み込んできた。


「朔くん、あなたはもっと自分の体を大切にすること。あなたに何かあったら私や進さん、それに日葵ちゃんはとっても悲しいわ。本当は私が朔くんにも毎日ご飯を作ってあげたいけれど、あなたはそれを望まない…わよね?だから、せめてあなたが健康でいること、これだけは約束してね」


「…気を付けておきます」


 そうして日奈子さんは僕の返答を聞いた後、優しい笑みを浮かべながらゆっくりと手を離した。


 手を振り払うことはできた。


 保護者面しないでくれと叫ぶこともできたはずだ。


 でも、僕にはそれができなかった。


 日奈子さんが、僕のことを「あたかも」本当の子どもであるかのように僕を見つめていたことに、毒気を抜かれてしまったのだろうか。


 少し胸の奥に痛みを感じるが、この正体は一体何だろう。


 僕はその答えを自身の中に持ち合わせていなかった。


「話は変わるんだが、数日前に四宮先生から連絡があってね。面談のことを聞いたんだ」


 そのまま僕が「余計なこと」を考えていると、続けて進さんが「面談」の件を切り出してきた。

 僕の知らないところで進さんたちに連絡をしていた四宮先生に思うところがありながらも、僕はとりあえず進さんの話に意識を向け始める。


「朔、どうして三者面談のことを伝えてくれなかったんだい?」


「わざわざ伝える必要はないと思ったからです。時間を掛けてこっちに来てもらうほどの用件ではなかったですし、僕の成績なんて重要なことでもないですから」


 僕がそう伝えると、進さんの表情が真面目なものへと変わった。


「確かに、私たちは朔と同じ場所にいないから、すぐには駆け付けることはできない。だけど、朔から面談があると言われたら、私は仕事を休んででも君の元に向かうだろう。伝える必要がないと言ったね朔、でもそれは間違いだよ。だって、私や日奈子が君のことに興味がない訳ないじゃないか。私たちにとって、朔と日葵、二人の『子どもたち』のことは何よりも重要なことなんだ。だから、必要ないなんてそんな寂しいこと言わないでくれ」


 …進さんの言っていることが分からない。


 僕は進さんにとって、ほとんど赤の他人だ。


 それに、「養子」になったことだって、僕は今でも納得をしてはいない。


「…僕なんかのために仕事を休むなんて、それこそ無駄な行為ですよ」


 そして僕は、自身の行き場のない感情に促され、思わず嫌味っぽい言葉を口から出してしまった。

 しかし、その言葉を進さんは笑顔で受け止める。


「無駄なんかじゃないさ。『家族』を優先して何が悪い?それで会社が首になるものなら、こっちから喜んで首にされようじゃないか」


 その後、「本当に首にはならないでくださいね?」と日奈子さんが進さんに釘を刺し、「例えばの話だよ」と進さんが返事をするやり取りが目の前で繰り広げられ、リビングがどこか柔らかい空気で満たされ始める。

 一方、そんな進さんと日奈子さんのやり取りを見ている僕は、だんだんと頭が痛くなり始めた。


「朔、良かったら成績表を私たちにも見せてはくれないかい?」


「…もう捨てました」


 どうして僕に構うんだ。


「…そうか、それなら仕方ないな。今度は私たちにも教えて欲しい」


 どうしてそんな優しい目で僕を見てくるんだ。


 どうして?


 どうして?


 それから進さんに学校のことやアルバイトのことを聞かれた僕だったが、「どうして?」という疑問が頭から離れず、その質問のほとんどは曖昧な返事となってしまった。










 そうして時間もちょうど昼頃となり、「おっ、もうこんな時間か」と言いながら進さんが椅子から立ち上がる。

 そのまま進さんは、僕に向かってこう口を開いた。


「お昼にもなったし、今からみんなで食事に行かないかい?」


 それに合わせて日奈子さんもこう続く。


「朔くんの食べたいものを食べに行きましょう」


 しかし、僕は二人のその提案に「いいえ」と口を開いた。


「急遽出られなくなった人の代わりに午後のシフトに入るので、僕はやめておきます」


「…えっ」


 これ以上この人たちと一緒に居ると、僕が僕でなくなるような感じがしたので、僕は「嘘を付くことで」食事の同行を拒否した。

 進さんと日奈子さんは、僕が嘘を言ったということが分かったのだろう、一瞬悲しそうな表情を見せたが、「用事がある時に尋ねてしまった私たちのミスだね。そういうことなら、みんなで食事に行くのはまた今度にしよう」と笑みを浮かべた。

 しかし、日葵さんは僕が一緒に来ないということに驚き、何故か肩を落としているような様子である。

 恐らく、昼は僕を含めた四人で食事に行くという予定を、ここに来る前に二人から聞かされていたのだろう。

 僕には日葵さんがどうしてそんな残念がる素振りを見せるのか、全く分からない。

 そのため、僕は日葵さんの方に視線を向けてこう言った。


「僕がいても日葵さんは楽しくないでしょうし、ここに着いてから僕たちだけで会話をして退屈だったでしょうから、『三人』で美味しいものでも食べて楽しんできてください」


 僕がそう言うと、日葵さんはワンピースの裾をぎゅっと握り、目から大粒の涙を流し始める。


「…ごめんなさいっ」


 そして日葵さんは、泣きながら家の外へと出て行ってしまった。

 そのまま日葵さんを追うように、進さんと日奈子さんもリビングから出ようとする。


「…ごめんね、朔。日葵は朝から四人で外に出掛けるのを楽しみにしていたんだ。どうか日葵のことを責めないであげて欲しい」


「今度は日葵ちゃんとも沢山話してあげてね、朔くん」


 そうして、「それじゃあまた連絡するからね、朔」「健康に気を付けてね、朔くん。何かあれば私や進さんにいつでも相談してね」と優しい笑みを浮かべたまま家の外へと出て行く二人。


 少しすると、車の音が外から聞こえ、ゆっくりとその音が家から離れていった。


「はぁ…」


  三人が帰って行ったのを確認した後、僕は小さく息を吐き、台所の棚に置いてある頭痛薬を水で流し込んで、椅子に座りながらぼんやりと天井を眺め始める。


 そのまましばらくそうしていると、頭の中でふと思い出したことがあった。


「そう言えば、通帳渡すの忘れてたな」




 その後、僕は何をするでもなく、ただただ無駄な一日を過ごしたのだった___。







今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。


連載の励みになるので、良ければ評価の方もよろしくお願いしますね。

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[気になる点] 短編だと『単なる共感性や感受性に欠けた、ちょっとおかしい男の子』という感じだったのが、 何か悲しい過去を思わせる事で一体何があったんだ!?と続きが気になる感じになってる。 [一言] 日…
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