第5話「この大空に」
「はいこれ!」
アジトに戻ったキリエが最初にやったのは、数枚の金貨が入った袋を3つ、テーブルに叩きつけることだった。
「なんだよ、これって……」
「これまでの働きに対する賃金! 手切れ金と言い換えても良いから!」
「そんな! アタシたちもうお払い箱か!?」
「その通り!!」
ヴィッキーに対してキリエは言い返した。
「ヴィッキー! 貴女戦闘民族オークのくせに、とんだ腰抜けじゃん! 腕っぷしに自信があるなんてよく言えたもんね!! それにラファエル! 確かに貴女のスキルについて詳しく問いただしたりはしなかったけど、まさかベルティリア家の魔術師が幻覚魔法しか使えないだなんて! アメリア! 貴女はーー貴女は……まあ今回に限ってはファインプレイかな……でも諦めが早すぎる!!」
キリエが一通りの不満をぶちまけると、彼女のポケットの中でスマリトの着信音が鳴った。
「はい、キリエだけど」
『キリエ。取り戻す者たちのヘルタだ。やばいことになった。笑顔の贈り手にこちらの動きを感づかれた。連中は襲撃計画を早めるつもりだ。こっちはまだ十分な戦い準備ができていない。そっちの方は上手くいってるのか?』
「ううん……まあ……ぼちぼちって……感じかな……」
キリエは嘘をついた。
『とにかく、あんたになにか考えがあるなら、こっちとの連携とかは考えずにすぐにでも動いてほしい。最悪多少の犠牲は受け入れざるを得なくなるかもしれない。それじゃあまた後で連絡する』
ヘルタは早口でそう言ってから、スマリトの通話を切断した。
「……」
「キリエ……」
ヴィッキーが思いつめた表情のキリエに話しかける。
「独りで行く。みんなはアジトで待ってて」
「無茶だ! 危険すぎる! 向こうには能力持ちもいるんだろ!?」
横で黙っているラファエルとアメリアの二人も、ヴィッキーと同じ意見のようだった。
「時間がないの! 今までずっと独りでやってきた。たまに他人と協力することはあっても、基本は独り。だから今度も独りでやる。失敗したらそれまでの話! ……それじゃあ、バイバイ。ああ、それと、私が帰ってこなかったら、このスマリトでヘルタ = シュマッハーっていう人にそのことを伝えておいてね」
キリエはそう言って自分のスマリトをテーブルに置くと、地下室のはしごを登ってアジトを後にした。
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「……てな感じで啖呵きっときながら、結局牢屋の中へ後戻りか」
またしてもカチコミに失敗したキリエは、結果的にラーニア=バロンの屋敷の牢屋の中へ、自分から戻る形になっていた。サラマンドラが使った抜け道も当然、厳重に塞がれている。
「ねえあんた、新入りの奴隷かい?」
コツコツと鉄格子を叩く音と同時に、隣の牢屋から若い女性の声が聞こえてきた。
「……まあそんな感じ(その前に殺されるだろうけど)。貴女は誰?」
「名前なんて無いよ。82番って呼ばれてる」
「ふーん……何でここにいるの?」
「ちょっとしたヘマでバロンを怒らせてね……それより私はこの農園で産まれて、5つの時から17年間、ここで働き続けてるんだ。良かったら色々教えてあげるよ。どの部位が蹴られてもそんなに痛くないかとかさ」
「……貴女、そんな生活で嫌になったりしないの?」
キリエはバニリウムの手錠をがちゃがちゃ言わせながら尋ねる。
「そりゃあ嫌に決まってる。でももう慣れたよ。私の母親も奴隷だったから。不幸な星の下に産まれちゃったってだけさ」
「……そう……」
しばらくの沈黙の後、今度はキリエの方から口を開いた。
「ねえ82番。貴女、夢とかあるの?」
「……夢? 眠ってるときに見るやつ?」
「そうじゃなくて、こう……いつか自分はこうしたいっていう望みって言えば良いのかな」
「ははは……笑えるね」
82番は低い声でひとしきり笑った後、しばらく黙り込む。そして、ぽつりと呟いた。
「空を……飛んでみたいな」
「空?」
「うん。農園で働かされている途中に、監視役の隙を突いて、空を見上げることがあるんだ。そうすると、たまに鳥が飛んでいるのが目に入るんだよ。それが私にとっての唯一の楽しみでさ。それで……私もあんな風に自由に大空を飛べたらって……思って……うぐ……ごめん、これ以上話すのはやめにするよ」
最後の方でとうとう気持ちが抑えきれなくなった82番は、声を押し殺しながら静かにすすり泣き始める。牢屋の壁越しであっても、82番がどんな様子でいるのかはキリエには容易に想像がついた。
「……! くそっ、くそっ、バロンのXXX野郎!!! 雷に打たれて死んじまえ!!!」
キリエはやりきれない思いを蹴りという形で、鉄格子にぶつけるのであった。
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同時刻、「ゴールド・ブレイズ」のアジトにて。
『そうか、そんなことがあって……キリエはまだ帰ってこないってことか』
「うん、多分もう捕まってる」
キリエが帰ってこないことから事態を察したヴィッキーは、ラファエルとアメリアと共に、彼女の残したスマリトでヘルタに連絡を取っていた。
「ねえヘルタ……私達これから、どうしたら良いんだろう……」
『うーん……』
ヘルタは少しの間考え込んでから口を開いた。
『そういえばあんたたち、お互いに自分の身の上を話してはいないのかい?』
「ううん、全然」
『それなら、まずはお互いのことをよく知るべきだね。これからどう行動するにせよ、組織で行動するなら、それなりの信頼関係は築いていかないと』
ヴィッキーは二人に視線を向けたが、ラファエルは露骨に目をそらし、アメリアは沈黙を保ったままの様子を見て、小さくため息をついた。
「それじゃあアタシから話すよ。私は見ての通りオーク族だけど、みんなが聞いているような恐れ知らずで勇敢に戦うオークのイメージとはかけ離れた女だ。喧嘩の一つも出来ずに、いつもビクビクしててさ。他のオークにも『腰抜け』って呼ばれて虐められていた。そんな自分を変えたくてこのチームに参加したんだけど……結局あの有様だ。こんなんだから同胞にも虐められるんだよな」
「違う」
アメリアがヴィッキーの言葉を否定した。
「貴女が虐められたのは、貴女の周りのクズ共が貴女を虐めたから。それだけのこと。まともな奴は臆病だからって同胞を虐めたりしない」
「アメリア……」
「何なら後でそいつらのこと殺してあげよっか? 私の弓矢を前にしてそいつらがどこまで『勇敢』でいられるか興味があるし」
「えっ? あっ、いや、それは流石にやりすぎじゃあ……」
「そう。気が変わったら教えてね」
アメリアはそう言うと、微かに口角を上げてヴィッキーに目配せした。
ラファエルは依然として沈黙を保っていたが、やがて意を決して口を開く。
「皆さんも知っているとは思いますが、ワタクシが産まれたベルティリア家は、この地方で最も有名な魔術師の名家ですわ。私はその血筋でありながら、幻覚魔法や簡単な補助魔法といったものしか扱えない落ちこぼれでした。他の者が指先一つで天災の如く炎や雷、氷を操り、鋼鉄よりも頑丈な結界を張れる中でです。ついたあだ名が『道化師』。私の魔法は手品と対して変わらないという意味ですわ。このチームに参加した理由は、自分が落ちこぼれの出来損ないなどではないことを示して、他の家族を見返したかったからですの。でも、理想の自分を現実の自分と偽って見せたせいで、キリエを失望させてしまいましたね」
「手品、か。ねえ、その手品、見せてよ」
ラファエルに向かってヴィッキーが言った。
「アタシ、手品ってみたことないんだ。オーク族は魔法はまず使わないし、連中の器用さっていうのは、剣や斧が作れるのがやっとなことが殆どだからさ」
「……分かりましたわ」
ラファエルが指を弾いて鳴らすと、彼女の手のひらの中に一瞬で一輪の薔薇が現れた。
「わあ……すごい。ありがとう、ラファエル」
「ふふ……懐かしいですね。小さい頃は屋敷をこっそり抜け出して、庶民の子供たちを手品で喜ばせたものですわ」
ラファエルは目を輝かせるヴィッキーに魔法で作った薔薇を渡すと、ここに来て初めて心からの笑みを浮かべた。
「私の生い立ちは……二人と比べると、恵まれてるかも。少なくとも弓矢の才能があったし、家族も友達も、私に良くしてくれた。森の中での暮らしには、何の不満もなかった」
アメリアはそう語り始める。
「10歳の時に賊が私達の住んでいる森を賊が焼き払うまではね」
その一言でヴィッキーとラファエルの動きがピタリと止まった。
「エルフは人間より頑丈で不老だから、奴隷としての商品価値が高いんだ。私の家族は最後まで抵抗したから殺されて、降伏した他のエルフたちは奴隷として連れられていった。私だけがなんとか逃げ延びることが出来たの。その日から私は復讐のためだけに生きてきた。弓矢の腕を鍛え上げて、国中の賊や奴隷商人とその取引相手をこの手で殺してきた。このチームに参加したのも、標的が奴隷の所有者だって聞きつけたから」
アメリアは二人が心底申し訳無さそうな表情になっていることに気がつくと、肩をすくめた。
「別に、貴女たちが経験してきた不幸が些細なもんだって言うつもりはないよ」
3人(スマリト越しのヘルタを含めるなら4人)の間に静寂のひと時が流れる。それを破ったのはヴィッキーの一言だった。
「キリエにもあるのかな、こういう感じの……過去とかさ」
「分かりませんわ。ワタクシには転生者の過去など想像も出来ません」
「まあこのまま何もしなけりゃ、そのことは一生聞けずじまいだけどね」
ラファエルとアメリアがそれに続く。
そして、3人はほぼ同時に立ち上がった。
「じゃあ、行こうか。アドバイスありがとう、ヘルタさん」
『いいってことさ。もしキリエの救出が上手く言ったら、こっちにもわかるような合図を送ってくれる? バロンの屋敷はこっちの斥候が常に監視してるから』
「うん、分かった」
ヴィッキーはそう言って通話を切ると、スマリトの端末をポケットの中にしまった。