朝日奈と三木
チクタクと、確かに時が進んでいる音がする。
それだけだ。空しい人工的な光だけが照らすだけの生徒会室では、それ以外に何も感じることなど出来はしない。
しかしそれで良かった。何故なら、彼女たちはそれぞれ向かいに座っている存在にさえ注意が向けばそれでいいから。
他の人間は必要ない。望んでいるのは、お互いに一対一の”お話”である。
「……生徒会室を私用で使ってもいいんですか?」
「問題ないよ?今日は生徒会もお休みだから」
朝日奈が挨拶代わりとばかりに、何気ない質問をする。しかしそれは果たして、沈黙を脱したいがための言葉か、それとも。
生徒会室には、入って目の前に大きなテーブルが一つ。朝日奈は入って左側、そして向かいの右側に三木が座っている。
周囲には囲うように書類棚やロッカーにホワイトボードなど、生徒会らしい備品が、物言わぬ観客のように彼女らを見つめていた。
「それで、お話って何かな?」
本題を切り出したのは、三木だった。優しい笑み……それを向けられた朝日奈には異なったものに映ったかもしれないが。
「……単刀直入に聞きます。光樹に抱き着いたのは、どういうことなんですか?光樹とどんな関係なんです……?」
生徒会室の温度が下がった。もし二人以外の人物がこの場に居合わせたなら、そんな震え声を出していただろう。
何せ、朝日奈の表情は無であるから。その俯きがちな表情と声に冷気が纏っているかのようだ。
しかし対する三木は全く動じない。
「……私はただ、彼を慰めてあげただけだよ?今の彼の心は、とっても傷ついているから……」
「そ、それってまさか」
「まあ落ち着いて?次は私が質問したいな」
……いまいち上手く進まないわね、そう独り言ちながらも朝日奈は黙ることで三木の質問とやらを促す。
今回のお話の言いだしっぺは朝日奈である。だから半ば一方的に話が聞けるものだと想定していたが、彼女も自身に話があるとは予想外だったのだ。
ゆえに、少しだけ警戒を強める。
光樹をもてあそんでいるであろう、ミキちゃんが何を言うつもりなの……?と。
「そうね、まず……”ミキちゃん”って誰のことかしら?」
だから、三木が心底不思議そうに聞いてくるものだから、ガクリと肩を落としてしまった。
「な……白々しいですよ!三木先輩のことに決まってるじゃないですか!」
「私の名前は三木令花なんだけど……」
「知ってます、でもミキとも読めるでしょう!知ってるんですからね!?まるで愛称みたいに、その名前で連絡を取り合っていたじゃないですか!羨ましいです!私にも光樹専用のあだ名を下さい!!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて?何を言ってるのかさっぱりだよ~……」
それは恐らく、朝日奈も同じだっただろう。
生徒会室の温度が上がった。もし二人以外の人物がこの場に居合わせたなら、そんな呆れ声を出していただろう。
三木は先輩ということもあり、どうにか顔を真っ赤にして喚いていた朝日奈をなでなでと落ち着かせる。
皆田への抱き締めなでなでスキルは、朝日奈を前にしても有効なようだ。
結果、朝日奈の隣に三木が座るという距離感の壁を打ち消した。
これが抱き締めなでなでスキルの効果である。
「……ごめんなさい、取り乱しました……本当にミキちゃんと呼ばれたことはないんですね……?」
「うん……でも、なるほどね。あの時話してた子はミキちゃんって言うんだぁ……」
「ご、ご存知なんですか!?」
「多分。声だけ……だけどね」
三木は語る。今日の昼休みに、皆田が突然に電話だと言って生徒会室を出ていったことを。その慌てようから心配になり、失礼だと分かっていながらも彼の跡を追ったことを。
そして聞いてしまったのだ。お金をたくさん貢いでいたということ、財布役などと馬鹿にされ、ついには繋がりを切られたその残酷な瞬間を……。
皆田にはくれぐれも口外しないように頼まれ了承したが……あれは嘘だ。
あの女性の行為は、罰せられて然るべきだと三木は思っていた。それに、彼の親御さんも心配する。どちらにしろ、それなりの関係者には話すつもりでいたのだが……朝日奈は彼の幼馴染である。彼の安全のためにも、話しておいた方がいいだろうと判断した。
そしてそれを三木から聞かされた時の朝日奈の顔は……ご想像の数倍の迫力だと言っておこう。
「ユルサナイ……ユルサナイ……ッ」
「それで、紬さんが”ミキちゃん”という名前を見たのは、今日のお昼休みが始まってすぐ……それで間違いないんだよね?」
「ユルサ……あ、はい。お弁当を渡した後、生徒会に行くって……でもその時に、光樹がスマホを見たんです。私、その画面が見えちゃって……そしたら……」
『お昼ご飯、一緒に食べるっていったのに……ミキちゃんの好感度が下がりました☆』
☆じゃねーよと、心から思った朝日奈であった。
これを見た時に生まれた朝日奈の感情に、名前は付けていない。ただ、ヤバい感情だと記しておこう。
だから朝日奈は、このミキちゃんとやらが三木先輩だと思ったのだ。生徒会室に行く前であり、三木先輩はミキちゃんと読むことが出来たから。
結果、今回のお話の場を設け……今に至る。
「ふふ。そっかぁ、あの話してた子はミキちゃんって言うんだぁ……その子ともお話して……光樹くんが頼れるのは私だけなんだから……そう、彼の味方は私だけ……♪」
「まったく光樹は、手当たり次第に女子に優しくしてるからそんな酷い目に……まだあの告白女も見つけてないのに……やっぱり私が守ってアゲナイト……」
互いにあらぬ方向を見ながらブツブツと呟くその光景……。
彼女たちが気付くことがあるだろうか。この二人もまた、一度方向性を誤れば、相当に危険な思想に陥るであろうことを。
しかし、誤解は解けた。
朝日奈にとっても、三木にとっても、今はその事実だけで充分である。
「改めて、誤解したことは謝罪します。それに害ちゅ……そういう女がいることも教えてくれて感謝します」
「大丈夫だよ、誤解が解けて何よりです♪」
「……ふふ。私たち、光樹を大事に思ってるって点でも、似た者同士なのかもしれませんね」
「えへへ、かもね♪」
互いにふわりと笑い合う。
最初の険悪な雰囲気が嘘のようだった。
そう。彼女たちは互いにお話することで、熱く握手を交わすほどに心を開けたのである。そして互いに共通の敵を持ったことで彼女たちは分かり合えたのだ。
しかし、忘れてはいけない。
「ああそうだ先輩!もう一つだけ、聞いてもいいですか?」
「あら、本当に気が合うね。私も最後に聞きたいことがあるんだぁ」
「光樹が頼れるのがあなた“だけ”とか言う戯言、詳しく教えてくれます?」
「手の平返して彼にお弁当とか作ってるみたいだけど、何が目的なのかなぁ……?」
「……アハッ」
「……ウフフ」
共通の敵を持つことは、必ずしも味方になることと同義ではないと。
放課後のお話は、まだ終わらない。