13.女子会
『ホントに大したことじゃないし、紬も気にしないで』
彼は笑いながら何度も私にそう言った。
私の大好きな人の笑顔。胸がどきどきして苦しくなるのに、とても暖かくなる……幸せを感じることが出来る。私だけに向けて欲しくて、独り占めしたい微笑み。
でも、その時の彼の笑顔は苦しそうで、泣きそうで。
私もそうだ。
笑ってくれているのに、私を見ているのに……全然嬉しくない。
悩んで苦しんでる大好きな人。目の前にいるのに、何も出来ない私が嫌だ。嫌いだ。悔しい。彼にそんな顔をさせる女が……彼の心を占めている女がとても憎い。
私には、何も出来ないの?
どうして何も話してくれないの?
彼の体温を感じながら、必死に問いかけた。
大好きな彼の姿が、ゆらゆらと揺らめく。私は、泣いていた。狡い女だ……泣いてしまえば、彼はきっと答えてしまう。
だって……光樹は、優しいから。
『どうして、そこまで……幼馴染だから、か……?』
幼馴染。
私と光樹の繋がりを示す、その言葉。
中学の時から、私はその言葉が嫌いになった。周りがからかって、私はそれが嫌で幼馴染を捨てた。
高校の時から、私はその言葉を欲した。光樹と話したくて、我儘に、身勝手に捨てたものを求めた。
そして今、彼がそれを与えてくれた。
私とまた幼馴染になってくれた。
……でも……ごめんね光樹。
私はとっても我儘で、身勝手で……光樹の優しさに甘えてしまう女なんだ。だから私は……
『ううん、違うよ……幼馴染だからじゃないの』
――幼馴染よりも、違うものが欲しい――
『だって私は……光樹のことが……っ』
――大好きだから
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「……とまあ女どものことは聞けなかったけど、今の光樹なら近々話してくれると思うわ……はい、報告終わり。解散で」
「ちょっと待って下さい」
そそくさとその場を跡にしようとする語り手の朝日奈。
しかし彼女の肩へガシリと手を置き、その逃亡の阻止を試みた者が一人いる。
「……何よ根津鳥、何か文句でもあるの?」
「むしろ文句しかありませんけど!?何ですか今の!こっちはあなたの惚気話を聞きに来たんじゃねぇんですよ!」
根津鳥は我慢した。何か先輩の悩みに繋がる、とても重要な要素が隠れているかもしれない。だからこそ話を遮らず、黙って最後まで聞いたのだ。
そして、三十分に渡って安いミュージカル口調で語られた朝日奈の惚気話。
結果、根津鳥はキレた。激おこである。
「そもそもテストの勉強会だったんですよね!?それが何で押し倒して、告白の一歩手前までいってるんですか!勉強って何してたんですか!?保健体育の実技は中間テストの範囲じゃねぇでしょうが!」
「な……!?ガ、ガキみたいなこと言わないでくれる!?というかそれセクハラよ!」
「二人とも~?ここが生徒会室なの忘れてないかな?」
互いに豊満なふくらみを押し付けながらも、至近距離で譲れないにらみ合いを続ける朝日奈と根津鳥。
そこに新たな第三者として声をかけたのは、現生徒会長であり、この生徒会室を管理している三木冷花だった。
朝日奈がポエムを語っている間も静かにお茶をすすっていた彼女だったが、さすがに生徒会室で『保健体育の実技』だの『押し倒す』だの『セクハラ』だのと大声で叫ばれるのは止めたかったらしい。
……そう、ここは生徒会室。
中間テストも終わり、一時の緊張から解放された生徒たちが解放されたと言わんばかりに自由を謳歌している放課後ではあるが、誰に聞かれるかも分からない。
「でも三木先輩!テストが終わるまで待てって言われて一週間、やっと先輩のことが聞けると思ったらこれですよ!?しかも私たちとの約束まで破って!」
「まあまあ、落ち着いて凛ちゃん。何か飲んでひと呼吸して……紬ちゃんも、まだ話は終わってないよ?」
「うう~……了解です……」
「わ、分かりましたよ……」
さすがは最上級生といったところか、三木の包容力が為せる業なのか。
朗らかに笑いながらもあれだけ荒れていた根津鳥を落ち着かせることが出来たのは、何かの能力かと思うほどだ。
その微笑には少しばかり黒い気配が感じられるが。
「……てかあんた、何で水筒にストロー使ってんの……?」
「好きだから使ってるだけです。話を逸らそうとしても無駄ですからね?」
「べ、別にそんなつもりないし……」
残念。どう見ても図星である。
「それでー?先輩を傷つけた女性らを特定して悩みが解消されるまでは、先輩への恋愛的アプローチは控えて協力する……その言いだしっぺさんが協定を破った理由を聞かせてもらいたいんですけどー……?」
ずごごとストローで音を立てながらも、ジト目で追及を続ける根津鳥。
生徒会室に来客用として置かれた二つのソファーには、片方には根津鳥と三木が隣り合って座り、向かい合うようにして朝日奈が座っている。
……何故、このような構図が生まれたのか?
この三人の集まりは、根津鳥が朝日奈と初めて会ってから始まった。
この三人は皆田に対して特別な感情を抱いており、どういう因果か、全員が彼の悲惨な境遇と互いの恋心を知る仲となってしまったのだ。
とどのつまり、恋敵。
互いがよきライバルでお互い頑張りましょう、恨みっこなしで……そんな熱い純愛勝負となれば良かったのだが、そうはいかないのが彼女たちだった。
後輩は語る。『先輩のものは全て私のもの』
幼馴染は語る。『隣にいるべきは幼馴染(一生)』
先輩は語る。『彼の味方は私だけ(あと皆敵)』
……彼女たちは恋愛過激派だった。
冷たく笑い合い、真正面から牽制。敬う先輩だろうと可愛い後輩だろうと関係ない、好きな人のためなら何でも出来るとはよく言ったものだ。
つまり本来なら、彼女たちに仲良くする道理はない。
しかし一つだけ……彼女ら共通の目的であり、協力材料となる要素が存在した。
そう、想い人の心を蹂躙した女の存在である。
その女は少なくとも二人おり、一人はこの学校の生徒であるとしか分かっていない。未だ贖罪もなく野放しにしているのが現状だった。
恋愛過激派である彼女たちがそれを放置出来ようか。いや、出来ない。
しかしそちらだけに目くじらを立てていれば、残りの二人に出し抜かれてしまうかもしれない……。
そこで唯一の幼馴染は一計を案じたのだ。
『クソ女どもを見つけるまでは協力して、光樹へのアプローチは控えましょう。彼を守りたいのは、皆一緒よね……?』
20××年の5月某日、生徒会室にて彼女らはその協定に同意。かりそめの和平が成立した。
生徒会室にて定期的な集会を開き、彼女らの共通の敵である者の情報を共有しようと話がまとまる。
ああ良かった、争いはなくなると人々(他の生徒会メンバー)は歓喜した。と言うかそんなことを生徒会室でやるなと言いたかったが、それは我慢した。
そして今日こそがその記念すべき一回目の集会であったのだが……
「だから破ってないでしょ!?み、未遂だし……!」
「三木先輩聞きました!?確信犯ですよこの人!」
「前から思ってたんだけど、一人は同じクラスで幼馴染。一人はアルバイトが一緒で来年もいられる……私だけ凄い不利じゃないかなあ?」
所詮、平和とはこんなものだと、たまたま居合わせた生徒会メンバーは達観した顔つきで語った。
朝日奈が勉強会と称し、身体を使って先輩を誘惑したと根津鳥が指摘。
朝日奈はそんな事実はないと否定。
三木はこの協力関係が不平等条約だと今更になって気付いて批判。
一回目の集会から話し合いは紛糾。やんややんやの地獄絵図である。
……朝日奈は考える。ここまま追及を続けられるのはまずいと。
せっかく自分が有利になる協定を結んだのに、私が追い込まれてちゃ意味ないわ……話を逸らさないと……!
「だ、だいたい何で私があんたの緊急連絡先になってた訳?それと私たちが勉強会してるってどこで聞いたのよ」
「ま~た話を逸らしましたよこの人……」
「……ふう、まあいっか。それだよ紬ちゃん。今日はそのことについて話したいの」
どうやら朝日奈のささやかな抵抗は成功したようだ。
代わりとばかりに三木が示したのは、一つのノートパソコンに映る、とある画面であった。
少しばかりのイラストが描かれる以外は、ほとんどが文章の羅列のその画面。左上にはこの高校の名前と校章があるが……到底、朝日奈には見慣れないものであるため、眉をひそめる。
「……何ですかこれ?」
「私たち生徒会室が運営しているホームページだよ。ここで生徒の要望だったり相談だったりを受け付けてるんだけど……」
「ここですここ。見て下さい」
一生徒である朝日奈が知らなかったことで、三木はその認知度の低さに苦笑いを隠せない。しかしそんなことを知りもしない根津鳥が、問題のある部分を指さした。
そこは生徒会の管理するメッセージボックス。
その中の一つが、まさに問題だった。
「『皆田光樹と朝日奈紬が皆田宅にてなにかしている』……って、何よこれ!?」
まさしくその通りに書いていた。
何を憚られることもなく、実名を挙げてそのままの事実がそこに書かれているのだ。それも生徒会に宛てたメッセージとしてだ。
本当に朝日奈が声を荒げた通り『何よこれ』な文面でしかない。
「だ、誰が……というか何で知って、いやそれよりも何で生徒会にこんなこと……」
「そう、その全てが分からないのが問題なんだ」
出本はフリーアドレスで匿名。
なぜ彼女らの関係を知っているのか。どうしてわざわざ生徒会宛てのメッセージで伝えるような真似をしたのか。
誰がどうやって、何の目的でメッセージを送ったのか……まったくもって分からないのである。
「私も三木先輩からこれを知らされたときは意味不明でしたけど……先輩たちどちらにも連絡が通じないものですから、緊急連絡ってことで無理やり連絡したって訳です。そしたらまさにこの通りでしたよ」
「なにかをしていたと……」
「いやなにかって勉強会だからね!?何でここだけ濁すのよ、変な誤解を招くじゃない!」
「実際は誤解でもなかったですけどね」
「何か言った……!?」
「はい。なにか言いましたけど、なにか?」
「二人とも喧嘩しないの~。それよりも今はこのメッセージのことだよ。紬ちゃんは『なにか』を誰かに知られた心当たりとかない?」
三木先輩まで言うか、という言葉をどうにか飲み込んで朝日奈は思案する。
確かにこのメッセージ……その目的も謎だが、余りにも詳細に書かれ過ぎている。つまり、彼女たちの身近な人間によるもの、そう考えるのが妥当だろうか。
しかし、朝日奈は首を横に振る。
「その日は光樹からの誘いだったので、浮かれてそれ以外のことが曖昧で……えへへ……だ、だってこれって……二人きりのお家デート」
「あなた惚気話に持ってかないと気が済まなねぇんですか!?」
「……はあ……」
今度こそ根津鳥が朝日奈に飛び掛かった。どったんばったん大騒ぎである。
ソファーの上で乱れ乱れる二人の女子高生……文字だけであれば扇情的だが、実態はしつけのなってない犬の喧嘩に近いだろう。
これでは話が進まないと、三人の中でも常識人であろう三木は一人立ち上がって生徒会を出る。
あの二人の相手は同室にいた副会長に任せることにした。
「あのメッセージの差出人の対応もだけど……私には時間がないからなぁ」
何せメッセージに関しては分からないことが多すぎるのだ。
それに見方を変えれば親切に教えてくれたともとれる……とにかく、全てが分からないあのメッセージについて考えていれば時間がいくらあっても足りないと私は結論づけた。
「私が皆田くんと居られる時間は、二人に比べても少ないから……」
私は三年生だ。
あの二人ほどに皆田くんと過ごせる時間は多くないのに、二人は買い物だったり勉強会だったり……ただでさえ後れをとっている。
……だったら、私がすべきことは決まっているよね。
だって……私だって皆田くんが欲しいのだから。
大丈夫。私からは恋愛的なアプローチはしないもの。私はちゃんと協定は守ります。あくまで日常的で、必要なお付き合いをするだけ。生徒会のお手伝いとか、普通にお願いするだけだもん。
……でも……
私は、メールの着信を知らせて震えるスマホの画面を見て優しく笑うのだ。
「彼から誘ってくれるようなら……答えないとね……♪」
差出人:皆田くん
送り先:三木冷花
件名:体育祭の件について
本文:お疲れ様です。体育祭の件、了解しました。
準備から当日まで三木先輩の手となり足となり、
つきっきりでお手伝いさせて頂きます!
何でもしますよ!
私は、優しく、笑うのだ。




