12.勉強会イベント(3)
窓から差し込む和かい夕日が、俺と紬を静かに照らす。
俺に覆いかぶさり、目の前にある紬の小さな顔。そして丸くてきらきらと綺麗で、吸い込まれそうな瞳の中に俺がいた。
紬の頬がほんのりと朱く、そして瞳に映る俺も朱い。夕日のせいだ、なんて誰も聞いてない言い訳も出てこず、ただただ紬の瞳を見つめていた。
チクタクと小刻みに揺れる時計の音。夕暮れを知らせる烏の鳴き声。どこかで騒ぐ子供たちの笑い声……
全て聞こえているはずなのに、聞こえない。
俺の鼓膜を揺らすのは、時折零れる紬の呼吸と、言葉にもなっていない単語の数々。
だけど、それら全てに彼女の想いが込められているようだった。
「あ、ぅ……みつ……き……っ」
「……っ」
……なんだこれは?
やばいやばい何だこれは!?語彙力が死んでいるぞ何だこれはっ!!?
どどどどういう状況!?
ポエムみたいに現状を述べてる場合じゃないんだよ馬鹿野郎!現実を見てこの状況をどうにかしないと色々やばいだろう!!
足をもつらせて態勢を崩した紬が俺の方に倒れてきて、そのまま俺も巻き込まれるように床に倒れた……そして出来たがったのが、俺の上に乗る紬という構図だと……。
つまりどういうことかと言うと、この雰囲気はやばい!あと構図もやばい!!
加えて俺の名前を儚げに呟いて、俺を涙目で見つめてくる紬はやばいの二乗!
どうしてこうなった……!?シリアスとコメディが交互にやってくるから対応しきれないよぉ!さっきまで俺の恋愛ゲーム症候群を憐れむ展開だったじゃない!温度差が激しすぎて風邪ひいちゃう!
とにかく落ち着いて深呼吸でも……ってダメだ。
ここで深呼吸したら俺が紬の目の前でクンカクンカスーハ―してる変態になっちゃうわ。あ、でも紬には恋愛ゲームの件で重症認定されてるから今更だったね。やったぜ!
あああああ!!!
俺の脳内が役に立たない!まともな思考が出来ない!だって恋愛ゲームじゃこんな展開やってないもん!俺だって『ここ、恋愛ゲームでやったとこだ……!』って、某通信教育みたいに華麗に状況打破したいよ!
でも皆お金持っていって、罵詈雑言残して行っちゃうんだもん!どうすりゃいいか分かんないよぉ!
「……あ、ご、ごめんね光樹!その、足がしびれちゃって、それで……っ!」
「……い、いや、大丈夫だ。それよりも怪我はないか?」
「う、うん……」
幸いにも紬が先に我に返ってくれたおかげか、俺も内心お祭り騒ぎだったのが嘘のように対応することが出来た。
しかし、落ち着いたからこそこの状況……ますますよろしくない。幼馴染とは言え、互いに年頃の男女だ。それが密着しているともなると、色々伝わってしまうことがある訳で……心臓の音とか、柔らかさとか香りとかね?何がとは言わないけど。
な、何とかして離れないと……!
「……ねえ光樹。光樹は、私が避けてたこと、もう気にしないでいいって言ってくれたよね。だからこんなにも光樹に聞こうとするのは、別に罪滅ぼしとか、そういうことじゃないの……」
「……」
紬がまっすぐに俺を見つめている。
頬はこれでもかと紅潮し、瞳はゆらゆらと揺れ、身体は緊張からか震えているのが伝わってくる。
……ずっと見てきたはずなのに。
幼馴染の紬の、初めて見る姿……。
「光樹は、優しいよね……でも、だからこそ、そんな光樹が苦しそうにして、それでも笑っているのを見ると……私もとっても苦しいの……痛くて痛くて、そんな光樹に甘えてる私が嫌になって……!」
「紬……」
「これは私の我儘なんだ。ずるいのも分かってる……!でも、光樹は優しいから……そんな私の我儘を聞いてほしい……っ」
『一人で抱え込まないで……私に、その苦しみを分けて下さい……っ!』
それは、どこまでも想いが込められた……とても酷くて、優しい我儘だった。
静かに流れる、一筋の涙。俺の服をぎゅっと掴んで、ないものをねだる紬の姿がそこにある。でもそこにいたのは我儘な子供の姿ではなく、儚くも可憐な朝日奈紬という女の子。
俺の幼馴染の女の子が、はらはらと涙を流して泣いていた。
「……どうして」
「……?」
「どうして、そこまで……幼馴染だから、か……?」
「ううん、違うよ……幼馴染だからじゃないの」
何でこんな言葉が出たのだろうか。
分からない。分からないが……これ以外の言葉があり得ないと知っていた。
そして彼女は……涙も拭わずに、優しく微笑むのだ。
「だって私は……光樹のことが……っ」
――時間が、止まる
『アップデートが終わったよおおおおおぉぉぉーーーっっ!!!!!!』
「「!!?」」
――俺のスマホから放たれた、大音量のメッセージによって
「ふぇっ!?な、何!?今の何!?」
雰囲気台無し☆
数秒前の空気がまるでなかったかのように、驚いた紬が飛びのいて、きょろきょろと周囲を見渡している。
そして茫然自失としている俺と焦る紬のことなど知ったことかと言うように、今度は紬のスマホが大きな着信音を奏で始めた。
「え、機内モードにしてたのに何で……ってこの着信音は緊急連絡の……ご、ごめん光樹!ちょっと電話出るねっ」
「あ、ああ……ごゆっくり……」
「もしもし、朝日奈ですけど……!」
俺の返答も待たずに、紬は電話越しの相手へと意識を向けた。
「……ふぅ……」
とりあえず、ひと呼吸。
そして、机の上に置いていたスマホを手に取った。
……おい瓶底眼鏡ぇぇぇぇっっ!!!!
『アップデートが終わったよ☆』
どういうことだ話が違うんですけどぉ!!?
恋愛ゲームは一時的に運営を止めるって言ってたよねぇ!?しかも今日の朝に言ったよねぇ!?
それが何?アップデート?俺への嫌がらせがアップデートしたってことでいいのかなぁ?
それと何当たり前のように電源切ってたことがなかったことになってんの!?
『アップデートが終わったよ☆』
いや、うるせぇ!
お前の頭を先にアップデートしてこいよ!何なら俺が手伝ってやるから!
くそがぁ……っ!結局この恋愛ゲームに滅茶苦茶にされてるじゃないか……!あの雰囲気を壊してくれたことは感謝するが、俺の鼓膜を壊せとは言ってない。
こんなことならスマホを保冷材でサンドイッチして冷凍庫にぶち込んでおけばよかった……!何で台所で思いついたのに実行しなかったの俺ぇ……っ!
というかタイミング!余りにも狙いすぎだろう!それに音割れするほどの大音量とか……こんなことってあるか……!?
まさかどこかから覗いてるとかじゃないよね?
「はぁっ!?なんであんたが緊急連絡先に……そ、それよりも何で知って……!?分かった、分かったから!あんたもちゃんと説明してよ!?じゃあね!」
アプデアプデと喚き続けるスマホをベッドに叩きつけて黙らせる(だって電源切れないんだもん)と同時に、紬の電話も終わったようだ。
彼女も彼女で随分話が荒れていたのか、少し息を切らして『何でばれた……?』などと呟いている。
……とてもじゃないが、勉強も話を聞くことも出来る空気じゃない……。
「……今日は、解散にするか……」
「そ、そうね……勉強も進んだし……これ、で……っ!」
「じゃあ送っていく……」
「だだ、大丈夫!そんなに暗くないし家近いしっ!それじゃ、また学校で!お邪魔しましたばいばいっ!」
「へ?ちょ……」
はっや!
荷物まとめて部屋を出るのに五秒もかかってない。
……まあそりゃ、あんなことがあった後じゃ恥ずかしいわな……俺が押し倒されていた訳だし……と言うか俺も恥ずかしいし……!
だって結局分かった紬の悩みの種は、俺が恋愛ゲームにマジになっていることだ。で、それを心配されていると。
……俺、心配されるあまり泣かれたってことだよね?
……恋愛ゲームのやりすぎで幼馴染に泣かれる……
うん、考えるのは止めよう。
俺の心が死んでしまう。
それに、あの瓶底眼鏡にも色々と言いたいことがあるし……
ベッドの上でアプデアプデと喚いているスマホに目を向け、画面に映るお知らせを見る。
『恋愛サポーター:サンゴちゃんが実装!彼女と毎日一緒にモテ男への道を極めよう!』




