9.テストイベント
「俺に勉強をさせて下さい」
まさかこんなセリフを吐くことが俺の人生にあるなんて思いもしなかった。
大抵の現代人にとって勉強とはつらく苦しいもの。つまり好き好んでやることではない。好きな人ももちろんいるだろうが、少なくとも俺は強制されたり何かしらの危機感を抱かなければやりたがらない質だ。
それでも言わなくちゃならない。この目の前で瓶底眼鏡をかけた野郎に。
「……やればいいじゃないか。誰も止めないよ?」
「だったらあの恋愛ゲームを一時的に止めてくれよ!?お前実は俺のことを留年させたいとかじゃないよね!?」
五月の終わりと言えば、そう……中間テストである。
中間テスト。成績に直結。とても大事。だから俺も勉強しなければならない。
そんなことはこの瓶底眼鏡も分かり切った話のはず。
なのにあの恋愛ゲームを止めないのは、俺の成績を落とそうとしてるってことでいいんだよね?
もはや言うまでもないが、あの恋愛ゲームは現実に干渉してくる。
バイブが止まらなくなるほどのメッセージを送りつけたり、俺の身体を焼きにきたり。そんなことをされたら勉強に集中出来るはずもない。
……電源を切ればいい?勝手に電源が入るんだよ。
……自分の近くに置かなければいい?煙が出て、家の火災報知器が反応して大変なんだよ。
今、あの恋愛ゲームのアプリが入ってる状態でスマホを我が身から離すのは恐怖でしかないのだ。いつの間にか出火していて消防車を呼ばれても不思議じゃないのだ。いやホント、笑い事じゃなくて。
正直そんな事態に陥る恋愛ゲームなどすぐに修正しろと言いたいところだが……手っ取り早く運営であるこの瓶底眼鏡にアプリを止めてもらえば良いだろう、と思って今に至る。
「本気でお願いする。テスト期間中は止めてくれ。恋愛ゲームで成績が落ちたとか笑えないぞ。それで進路に響いたら尚更だ」
「あの恋愛ゲームをやっていればモテるようになるし、進路に問題はないんじゃない?」
「お前、俺にヒモになれと言ってらっしゃる?」
何?進路相談で『俺はモテるので女性に養ってもらいます』とか言えばいいの?そんなこと言ってる時点でモテる男には程遠いと思うんだけど。
と言うか、お前の言う恋愛マスターってヒモになることなの?だったら速攻でアンインストールしてやるからな。
「それに君、あのゲームでのプロフィールは学生だろ?だったら『イチャイチャ勉強モード☆』で勉強できるじゃないか」
「いや確かにあれは凄い機能だと思うけど……」
『イチャイチャ勉強モード☆』
それは、あの恋愛ゲームに搭載されているシステムの一つの名称である。
一見頭が悪くなりそうなモードではあるが、まあ聞いて欲しい。
その名の通り、ヒロインと一緒に勉強気分を味わえるというもの。テーブルにスマホを立てかけるように置くと、さながら向かい側にヒロインがいるかのような映像を創り出して、一緒にお家デートを兼ねた勉強会が出来るのだ。画面越しに見ると、まるでそこにヒロインがいるような光景が見れるという訳である。
つまり恋人っぽく会話を楽しみながら勉強が出来ると。
そしてこのモードだと、どのヒロインも無駄に賢くなる。
今回の中間テストを例に出すと、まず範囲となる教科書と該当ページを入力すれば先生ばりに全て解き方を教えてくれる。何なら予測テストとかもしてくれる。もう目の前に家庭教師がいるのと同じなのだ。
しかもこれは中間テストに限らない。と言うかプロフィールがどんな職業であっても、このモードではその職業に沿って求めた情報を全て教えてくれる。現在の目的や将来の夢を語れば、その方法を最適解で示してくれる訳だ。『ヘイ、ヒロイン!石油王になるには?』って感じで。
このモードがあれば人生がそこで完結すると言っても過言ではないんじゃない?良いヒロインだと愚痴やら人生相談やらカウンセリングをしてくれるらしいよ。
……本当にこの恋愛ゲームは何を目指しているのだろうか。全人類をこのゲームで掌握するつもりなの?
まあつまり、異様に便利ではある。俺も分からないところはサクッと聞けるし、練習問題も即興で作ってくれるしで非常にお世話になった。
……それでも恋愛ゲームを止めてくれと言う理由が分かるかい?
ヒロインの罵詈雑言がひどすぎるのよ。
『え、ここが分からない?えと、ちゃんと考えるための脳みそは持ってる?持ってなかったら一緒に探してあげるからね!』
『ここはね、“といいち”って読むんだよ♪意味は一番目の問題って意味で……え、分かるの?凄い!じゃあ次は頑張って自分の名前を漢字で書いてみよう!』
『その問題を解き直すより、人生をやり直した方が早いと思うな♪』
止めました。開始十分でこのモードは止めました。
上のセリフを優しく微笑みながら言ってくるんだぜ?本当にサイコパスだと思ったね。会話を楽しみながら勉強?ヒロインしか楽しんでないよ。しかも一緒に勉強できるヒロインは、今まで出会ったヒロインからしか選べないから……その残酷性は言わなくても分かってくれ。
しかも間違えたりするとお仕置きと称して色々な攻撃を仕掛けてくる。カメラのフラッシュで目を攻撃するの止めて下さい。
このモードを続けていたら、テストの日が来る前に俺は死んでしまう。
「本当にお願いします。テストが終わるまではあのアプリを止めて下さい」
「……分かった。君に留年されるのも困るし、止めよう。何か最近の君は女子に人気のようだから本当は止めたくないけど。じゃ、勉強頑張り給え」
「ちょっと?その理屈はおかしいだろ」
この恋愛ゲームをやってれば恋愛マスターになれるとか言ってたのお前だよね?何でちょっと不機嫌になってんの。
……とにかく、あの恋愛ゲームは一時的だが止まったのだ。
この解放感は素晴らしいな!テストまでヒロインの脅威に怯えることもなくなるなんて……!
「よし、早速今日は何をやるかの計画を……」
「あ、あの……皆田くん!ちょっといいかな……?」
自席に戻ってカバンを漁っていたときだった。
聞き慣れない声で俺を呼んだのは、同じクラスの女生徒二人。同じクラスだから顔は知っているが、名前まではちょっと分からない。
「あ、ああ。別にいいけど……何だ?」
「あー、えっと……何って程でもないんだけどさ。ほら、私たち二年で同じクラスになってから話したことなかったから、ちょっと話しかけてみようかなって思って……」
「そ、そうそう!なんか最近皆田くん変わったなーって!か、かっこよくなったというか……だからちょっと話してみたくてさ!」
「お、おう……?」
いまいち話しかけた目的が分からない。わたわたとしていて、俺も曖昧に相槌を返すことしかできない。
『何か最近の君は女子に人気のようだから……』
……ついさっき、瓶底眼鏡が言っていたことだ。
実はこれ、結構本当だったりする。いや、人気かどうかは分からないが、こうやって知らない女子に話しかけられることは確実に増えた。
その理由は多分……と言うか絶対にあの恋愛ゲームのせい。
もっと細かく言うなら、あれを攻略するために始めたイメチェンの効果だろう。五月初めに根津鳥の助力もあって始めた服選びから数えたら、すでに三週間経っている。あの後も色々と挑戦しては続けているのだ。
服だけでなく髪形や肌にも気を使い、良い体格を得るために筋トレも始めた。その効果が現実でも出始めたということだろう。
当然だが、高校では制服が原則。それでも変わったと目の前の女生徒らには印象付けることが出来ているのだから、その効果は馬鹿に出来ないものだったのかもしれない。あいつの言っていた恋愛マスターになれるとか言う話も、あながち嘘ではないようだ。
……しかし、言わせてもらっていいかな。
褒められても、正直そんなに嬉しくないです……。
いや、分かるのだ。こんなことを言ったら、『何かっこつけてんの?』とか『調子に乗ってる』とか思うだろう。俺だってそう思うさ。
でもさ、俺はこの変化と評価を得るためだけに……五万円使ったんだぜ……?
五万円だよ!?高校二年生が五万円!!しかもこの三週間で!
服を買いました。肌を綺麗にするためにトリートメントとか買いました。美容院で印象の良い髪形の勉強をしました。ファッション雑誌を漁りました。
はい、気付いたら五万円を消化していましたとさ!
しかもこれ、あの恋愛ゲームのためにやったから課金したも同然なんだぜ!?素直に喜べないよ!!
……俺、気付かない内に整形とかにも手を出しちゃうんじゃないかな?というかもう整形してたりして。ちょっと鏡持ってませんか!?
筋トレとかは比較的にお金かかってないけど、代わりにインストラクターを務めたヒロインに罵詈雑言を受けながらやってるんだからな!?俺別に肥満体質じゃないのに食事制限とかやらされてるし!特製スタミナドリンクを作るために果物三十種を買えとか馬鹿じゃないの!?並みのスーパーじゃ揃えられんて!
正直、評価を受けることと苦しいことが釣り合ってない……!
「そ、その……連絡先とか交換しない?ほら、今テスト期間中だし、分かんないこととか互いに聞けると思うしさ!」
「そ、そうだね!それに私たち、皆田くんとももっと話したいし……!ね?」
それにあれだ。ちょっと変わった位でこうも簡単に態度が変わると思うと……あの悪魔のヒロインたちと姿が被るんだよね……。
いやこの子たちには何の罪もないし、やっぱ急に変わると興味が湧くのも理解できるんだけどさ……。
……しかしまあ、せっかく言ってくれてることだし……変に断る理由もないか。
「分かった、俺で良ければ」
「ほ、ほんと!?」
「やった……!じゃあこのQRコードを読み込んで」
「何してんの……?」
「え……ひっ!?」
俺の机を囲んでいた二人の女子生徒が小さな悲鳴を上げて、身体をビクつかせた。
というか今のは俺もビビったぁ……!もう夏も近いというのに、底冷えするような低い声。
この二人に囲まれて見えなかったけど……いつの間に来たんだ、紬……!?
「え、え……朝日奈さ……」
「質問に答えてくれる?光樹と……ナニシテタノ?」
「ごごごごめんなさい!なんでもないですぅ!」
二人は泣きそうな声で謝ったかと思えば、そそくさと何処かに行ってしまった。
何で分からないかって?朝日奈の刺すような視線から目が離せないからだよ……。いや、これは怖いわ。二人が逃げたのも頷ける。だって俺の身体動かないもん。石になっちゃったのかな。
何でこいつは朝からこんなに機嫌が悪いんだ……いや現実を感じられるから嬉しいけども。
「ねえ光樹……ナニシテタノ?」
「今度は俺か……クラスメイトと話してただけだって。それと連絡先を交換しようとしてたとこ」
「……そう。害虫ではなさそうだけど、注意が必要かしら……」
しかし、こんな冷たい雰囲気の紬も久しぶりだ。
最近はめっきり昔のように親しげな幼馴染に戻っていたから何があったかと勘繰ったりしたものだが……それにもさすがに慣れてきたけど。
結局、探りを入れると言ってくれた三木先輩も分からないと言っていたし、俺からも聞いてみるしかないか……?と言うか三木先輩も変わり過ぎてどうにかしないといけないけど。
しかしあの恋愛ゲームがあったんじゃ、落ち着いて二人で話すことも……あ。
「……なあ紬」
「まだあの害虫どもの足取りさえ……ん、何?」
「その、紬さえ良ければなんだけどさ」
「うん」
「俺の家で勉強会とか、しないか?」
「……ふええっ!!?」
恋愛ゲームが停止している今がチャンスじゃないか。