4話「叛逆の影」
「シロハさんはどこまでナッツさんからお聞きになられてますか?」
「情報屋から?」
「えっ。ナッツさん、何もお話していらっしゃらないのですか?」
「あはは。やだなぁ、話しましたよ。……掻い摘みながら」
「なんでそんな大事なところ端折ってしまったのですか!?」
アリサはどこから話したものかと悩み、シロハの前提知識を確認するところから始めることにした。ナッツにはシロハの捜索に際し全てを打ち明けていて、シロハにも伝えるよう指示してある。
しかし、ナッツは自分の口より本人の口の方が信頼に値すると判断し、詳しく語らずにここに連れてきたのだった。
「もういいです。最初から説明させていただきますね。そうですね、きっかけは勇者様の出現です」
「……勇者」
「大事な点は勇者そのものではなく、勇者が出現したことに在ります。国王には勇者が魔王討伐に出る際に、十全なバックアップを行うことはシロハさんもご存じの通りです。そうなれば当然、その娘である私も勇者様と鉢合わせることになります」
アリサの言葉に、それはそうだろうなと考えたシロハ。
しかしアリサは、実際にはそうならなかったと言い放って続ける。
「実際には顔合わせをしていない?」
「はい。先々代の勇者と魔王の戦いで、我々人間側は大いに追いつめられることになりました。原因は明確、魔王が勇者を騙り、不意を突いて国王を殺害するという事件があったためです。これ以降、王族の中では一つの定石が生まれました」
アリサは一度、肩で大きく息を吸い、中身をすべて吐き出すように吐き出した。
「それが、影武者と勇者の顔合わせです」
「……身代わりを立てたという事?」
「そういうしきたりなのです」
シロハは神社焼き討ちの首謀者がアリサでないと分かり、気と口が緩んでそんな言葉を発した。
アリサは咎められたと思い、苦虫を噛み締めたような顔をする。
その後、心情をおおよそ正しく把握したシロハもまた、自らの失言を自覚し、それ以上掘り下げることもなかった。
「事の発端は、確かに勇者が現れたことでした。しかし、問題となったのはそこではありません」
もしまた魔王が勇者に成りすましていた場合に、二の轍を踏むことになる。それを回避するためだ。そう前置きし、アリサは続ける。
「すべては、影の抱いていた闇を見いだせなかった、私と陛下の業なのです。影は勇者との邂逅が終わると、まず陛下の毒殺を試みました。それも、即死の類の物ではありません。数ヶ月にわたり、徐々に体内から殺していくような弱い毒です。病に伏していると言われている噂は、影が意図的に流布させたものなのです」
アリサの拳が細かく震える。語調が徐々に荒げていく。
「自らの異変に気付いた陛下は、私を城の外へと逃がしました。それがおよそ二ヶ月前の事です。とはいえ私は温室育ちの一令嬢に過ぎません。いえ、たとえ一般人であったとしても、唐突に一人放られて生きていける人など少ないでしょう。とにかく、私はあっという間に飢えと渇きで死にかけました。その時助けてくれたのがナッツさんなのです」
シロハは驚き、ナッツの方を見た。
ナッツは鼻高々に、腕を組んでうんうんと頷いている。
「私は、甘く見ていたのです。影の野望を、欲望を。あれは、一国の王という立場に甘んじる生き物ではなかったのです。私がその事に気付いたのは、ナッツさんからルミナス大神社が焼き払われたと聞いた時でした」
アリサの頬を、雫がつつと伝っていく。
「影の狙いは、権力の一点集中と絶対王政。誰一人逆らうことのない世界を作り上げる事だったのです! 彼女は父上を亡き者にした! ルミナス教を過去の遺物にした! 次に影が狙うのは、間違いなくこの国の民たちです! 国民一人一人、私の大事な人なのです! これ以上、大切な何かを失いたくないのです!」
アリサが面を上げた時、そこには涙でぐしゃぐしゃになった顔があった。
シロハはそれを見て、面食らったようにたじろぐ。
「お願いします、シロハさん! 虫のいい話なのは分かっております。私たちの身から出た錆だという事も理解しております! けれども、恥を忍んででも、私は大切なものを守り抜きたいのです! どうか、どうか力を貸してください」
「アリサ姫……」
シロハは瞑目し、今の話を振り返っていた。
要約すればつまり、アリサを守るために用意したはずの影武者が国盗りを試みている。アリサはそれを阻止したいというところか。
そこまで考えて、シロハは質問を投げかけた。
「一つだけ、お教えください。アリサ姫は、ルミナス様に縋らないのですか?」
シロハが思い出していたのは、ついさっき、自らが死に瀕したときの事。
あの時シロハは、確かに神に縋った。
だがアリサは、ルミナスではなくシロハを頼っている。
それが唯一、シロハに引っかかりを与えていた。
そしてその引っ掛かりは、最もしっくりくる形で解決される。
「ルミナス様がいらっしゃるなら、既に影や私に天罰が下りています。だからこそ、天に変わって裁きを下す人が必要なのです」
「……ははっ。ははは」
「あ、も、申し訳ございません! ルミナス教のシロハさんの前で私!」
「アッハハ。いえ。アリサ姫がそう思われたように、つい先ほど私もルミナスなんて架空の存在だという結論に辿り着きましてね」
シロハは自らの手のひらを見つめる。
そして、目に見えない何かを握りつぶすかのように、その手を強く結んだ。
その目の光は、黒雲を焦がす闇のよう。
「……届かない祈りなんていらない。結ばない願いなんていらない。私が欲するは力のみ。大事なものを取りこぼさない力のみ。だから、アリサ姫の仰ることはよく分かります」
ですから、と。
シロハは続ける。
「ルミナス様に代わって、その思いは私が引き受けましょう」
それは驕りか自惚れか。
いいやきっと、確信だった。
「というわけで、プライバシーの欠片もないこの空間は後にしましょう」
「酷いなぁ、シロハさん。私がお二方の事を売るような真似するわけないじゃないですか!」
「勘違いしないで欲しいわね。私があなたに抱いているのは信用であって信頼じゃない。用いることはあれど頼ることは無いわ」
「わ、私はナッツさんの事も信頼しておりますわよ?」
アリサが間の抜けた返しをする横で、シロハはナッツに殺気を叩きつけて威圧していた。
ナッツは飄々と受け流すだけで、臆することも返すこともない。
まるで暖簾に腕押しだと感じ、シロハは脅迫を諦めた。
「はあ、あんた何者なのよ」
「やだなぁ、ただの情報屋ですよ。あ、無料って訳じゃないですよ?」
「まあいいわ。もう二度と巡り合わせないことを願っているわ」
「私はシロハさんのそのつんけんとした言葉遣いが好きですよ?」
「私はあなたの軽口が好きじゃないわ。じゃあね」
アリサはシロハとナッツがギスギスする様をおろおろと見ていたが、シロハが退店するのに続いて情報屋を後にした。
アリサはナッツにお礼を言い、ナッツはアリサを笑顔で送り出した。
*
スラム寄りの王国を、二人は歩いていた。
遠目に見れば路地裏を探検しているように見えなくもないが、交される言葉はなかなかに物騒なものだ。
「とはいえ姫様、衆寡敵せずとはよく言ったもので、私一人で革命を起こすには些か無理があると思いますが」
「大丈夫ですよ! シロハさんは【歴代最強の巫女】なんですから」
「……最強とは言っても、所詮は巫女の中でです。私たちがこれから相手にする国家には、当然彼が居ます」
「彼?」
「勇者です」
勇者の噂は、俗世と隔離された神職のシロハの耳にも届いていた。
曰く、全属性の最高位の魔法を習熟している。
曰く、魔術師団長よりも豊富な魔力を持っている。
曰く、騎士団全員でかかっても無傷で切り抜けるだけの剣腕を有している。
他にも荒唐無稽に思える噂は後を絶たないが、たった一つの事実がそのすべてに信憑性を持たせている。
「勇者は魔王との戦いで、単騎で乗り込んだと聞き及んでおります。魔王を一対一で倒すだけの実力者。私より格上である事は必死です」
「そ、それでは勇者が居ない隙を見計らって……」
「アリサ姫は魔王のいないこの世界で、勇者が王国を離れることがあるとお思いですか?」
「そ、それは……」
魔物との争いに一段落付いた今、国王が最も警戒するのは人の手による武装蜂起だ。
それを分かっていて、勇者を遠ざけるなど愚の骨頂と言わざるを得ない。
よしんばそうせざるを得ないことが起きたとしても、そのタイミングをシロハ達が入手するのは困難を極める。
革命を起こす事と勇者と対峙することは、切っても切れない関係にあった。
「でしたら、こういうのはどうでしょう」
アリサが胸の前で手を合わせて提案する。
「龍神様を呼び出しましょう! 龍神様が影に対して宣戦布告してくだされば、影はきっと勇者を向かわせますわ」
「りゅ、龍神様って……」
龍神様というのは、代々ルミナス教を守ってきたルミナスの使いだ。
20年に一度の遷宮の際に呼び出し、加護を与えてくださる存在でもある。
しかし、と。
シロハは一つ、不可解な点に気付いた。
(……ルミナスが居ないなら、龍神様は一体誰に仕えている? そもそも龍神様の加護が何の役に立つというんだ?)
シロハが渋る声を出した後に深く考え始めたものだから、アリサはだんだん不安になってきた。
「や、やっぱりダメですよね」
「ん? いや、いいんじゃないですかね。私も龍神様に聞きたいことができましたし」
「で、でしたら!」
興奮気味のアリサに、シロハは答える。
「龍神様、呼び出しますか。助けになってくださるかは別ですけど……」