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3話「姫様」

「娘は父親の戒律を守れという言葉を順守した。父が託した未来というのは、娘自身の命の事だと思ったから、父を見捨てて逃げ出した。境内の周りには無数の魔術師がうろついていた。戦闘を回避するために真夜中の森を駆け抜けた。暗い方へ、暗い方へと走り続けた」


 シロハは昔話を語るように、他人事のようにナッツに話していた。

 ナッツは時折相槌を打ちながら、手帳に筆ペンでメモを取っている。

 どれくらい口を動かしていたか。シロハは一息つくように物語を締め括る。


「そうして娘が辿り着いたのはこのスラム街で、父親との約束も守れずに息絶えましたとさ」

「ああ。そういう感じで締め括るんですね。私に偽情報を流せと?」

「嘘は吐いてない。巫女は人を殺さないから、当代巫女のシロハは死んだも同然」

「そうですか。けれどいいんですか? シロハさんの話だと、父君がシロハさんを探している可能性もあるんでしょう?」

「それはないわね。父上の霊力は、あの日を境にパタリと途絶えた。殺されたのか死んだのかは分からないけれど、幽明境を異にしたのは確かよ」


 シロハは今一度、ぼんやりと虚空を見つめた。

 まるでここではないどこかに思いを馳せているようだとナッツは思った。


「もしや、ご両親の後を追うつもりで?」

「まさか。この期に及んで死後の世界を信じるほど馬鹿じゃないよ」

「その割には、最初に会った時も、今も、あなたの双眸はこの世界を映していないようでしたが?」


 シロハはナッツの方に一瞥をくれ、それから再びぼんやりと景色を眺め始めた。焦点のあっていなかった双眸が、徐々に絞られて世界を映し出す。


「まだ死ねないよ。母上と父上の仇をとるまでは」

「父君の願いは、正しく生きる事だったのでは?」

「父上の願いは死んだ。当代巫女の思いも死んだ。あとに残ったのはこの如何ともしがたい身を焼く復讐心だけ。この痛みから、苦しみから逃れるために。先立った想いなんざ知ったことじゃない」


 朝日が昇る前までは、かろうじて戒律と理性がシロハの復讐心を押さえつけていた。だが、人殺しという最大の禁忌を犯し、理性のタガが外れた今となっては、決壊した水門に渦巻く激流のような衝動が駆り立てるのみ。


「はぁ、まるで別人ですね。ま、いっか。それより、シロハさんの情報を得たがっている人の事についてでしたよね。ここで言うのは簡単ですけど、そんな不確かな情報、シロハさんも別に望んでいないでしょう?」

「ええ」

「でしたら! どうぞ私の拠点までついて来てください! 証拠と一緒に依頼人についてお話してあげますよ」

「その言葉を信じろと?」


 懐疑的なシロハに、ナッツは笑みを向ける。


「信用商売でしょう? 情報屋っていうのは」


 シロハは手を口に添えてしばし悩み、やがて歩き出した。


 スラムと王国の境界線。

 清濁併せ呑むその場所は、立ち並ぶ家屋も雑多だった。

 本が日に焼けないように(ひさし)を伸ばした本屋。

 顔を顰めたくなるような刺激臭を放つ薬屋。

 用途の分からない魔道具を扱う道具屋。

 門前雀羅を張り、暇そうにしている店主もいれば、市を成して活気づいている店もある。


「あれ、どうかしましたか?」

「……いや、別に」


 見慣れない建物の並ぶ路地に、知らずしらずのうちにシロハの足は遅くなっていた。わざわざスラムに近い場所に構えられた店だ。中には表立って取引できないものを扱っている店もある。いや、そういった店の方が多いだろう。そんな場所でシロハのような行動は如何せん危うく、ナッツはそれとなくそれを指摘したのだった。

 シロハ達が歩調を戻し、しばらくしてようやく目的地が顔を表した。


「ようこそシロハさん! ここが私の拠点です!」

「ここが?」


 ナッツの言葉にシロハは目の前の建物に目をやった。そこには大きな看板を入り口の上に飾り、豪奢な飾りつけの施された建屋が映っていた。その絢爛な立ち姿は、いくら多様な店舗が綯交ぜとなったこの場所でも明らかに存在感を放っており、おおよそ情報を取り扱うのに向いているとは言い難い。


「あっはは。やだなぁ、シロハさん。そっちじゃないですよ、こっちこっち」

「こっちって言ったって……」


 ナッツはそう言い、派手な建物の右隣りの路地の手前に立つ。そうして目の前に手をかざすと、空間が縦に裂け、新たに入り口が出来た。


「もしかして、空間拡張……?」

「お、流石シロハさん! やはり気づきましたね! そう、これは巫女が使う呪術を再現した魔道具。いわば空間魔法です」

「……へぇ」

「もう! シロハさん! 反応薄い!」

「まぁ、魔力と霊力の歴史を考えれば……」


 創造神ルミナスは、まず世界を創った。そして次に、世界を発展させるために人を生み出した。この時代では、一切衆生が霊力を有していたとされている。しかし、争いばかりの人々を見かねたルミナスはこれを没収したという。この時、鎮静化を試みていた人たちだけはルミナスに回収されず、これが初代巫子になったとされている。

 一方で力を失った人たちの暮らしは惨憺たるものだった。火を起こすことも、水を生み出すこともできなくなり、狂乱に陥ったという。そこまでして、人々が初めて生み出したのが魔力と魔法だったと言われている。もともと霊力があった部分に出来た負の方向への力、神をも欺く疑似的な呪術を魔法と呼んだ。


(もっとも、それもどこまで本当の話やら)


 話の前提となっている創造神ルミナス。

 これがいないと分かった以上、信憑性のかけらもないと思い、シロハは薄くため息を吐く。


「シロハさん?」

「いや、何でもない」

「なに自己完結してるんですかー。私にも教えてくださいよ」

「それは有料コンテンツ。約束の情報が先よ」

「はぁ。はいはい、分かりましたよっと」


 そういってナッツは空間の裂け目に入って行った。

 倣う様にシロハも裂け目を潜る。

 少しの浮遊感の後に、景色が変わる。

 まずシロハの目に入ってきたのは、愉しそうに笑うナッツの姿。

 それと、その隣に立つ少女。


「……なんでっ、ここに」


 吊るされた照明に煌めく金髪。

 陶器のようになめらかな肌。

 身に付けている衣装は、派手ではないが意匠が凝らされており、上質な素材で編みこまれていることが一目で分かる。


 切れ長な瞳を更に細め、お嬢様のような女性が声を発した。


「シロハさん」

「第一王女ッ! それ以上踏み込まないでください!」


 シロハは相手の出方を警戒し、札を取り出そうと懐に伸ばした。しかしその手は空を切り、そこでようやく札を一枚も持たずに飛び出してきたことを思い出す。


「どうしてあなたがここにいらっしゃるのですか。いや、それより情報屋! 裏切ったな!?」

「やだなぁ、シロハさん。今はシロハさんの味方ですよ? シロハさんもそれを信じて着いてきたわけでしょう?」

「……信じる者はバカを見るってこと、か」


 シロハが最初に考えたのは、逃走手段の確保。目の前の人物がここに居る理由は二の次だ。

 親指の腹を犬歯で切って、インクを確保した時だった。


「シロハさん! ずっと、ずっと会いたかった」

「あっ……」


 トンっという衝撃を胸に覚え、次いで加わった重力を慌てて受け止める。

 その正体は、シロハが警戒していた令嬢だ。


「アリサ姫、おやめください! 穢れてしまいます!」

「シロハさんが穢れているはずありません! 今は、シロハさんと一緒にいたいのです!」

「アリサ姫……」


 シロハがアリサを警戒した理由は、彼女が自身の神社を焼き討ちにしたと思っていたからだ。当初はアリサのはずがないと言っていたシロハも、スラムで数日かけて考えを巡らせれば、アリサ以外に犯人像が浮かばないことに気付いていた。まして久しぶりの邂逅が、このような場所でこのような形になってしまえばなおさらだ。

 だからこそ、シロハは自分の胸で震えるアリサに対してどう対処したものかと頭を悩ませていた。今はまだアリサが犯人ではないと分かったわけではない。それでも本能に従えば、抱きしめてあげたいというのが本音であり、血塗れの自分に触れていることが気がかりだった。


 結局シロハは長嘆息し、親指から滴る血を使って自らの首筋に神代文字を記した。書いた文字は二つ。【浄化】と【治癒】だ。その後手のひらをポンとあて霊力を流すと神代文字が起動し、傷跡と血痕がきれいさっぱり無くなった。


「アリサ姫、聞きたいことがあります」


 表面上、穢れを落とせたことを確認してから、シロハはアリサを抱きしめた。

 アリサの震えが、少しずつ収まっていく。


「シロハさん……、承知しておりますわ」


 アリサはシロハの袖を掴む手に、いっそう力を籠める。

 歯を食い縛り、悔恨を食い締めるように言葉を絞り出す。


「ルミナス大神社の焼き討ち。これは第一王女、アリサ(・・・)殿下が指示して行ったことです」

「アリサ……殿下……?」


 その言葉に、シロハは違和感を覚える。

 殿下という言葉は敬称の一つであり、姫様を敬う際に使うものだ。

 自敬表現として考えられなくはないが、敢えて『私』という一人称を使わずに他人行儀に呼ぶのは何故なのか。

 その理由は、姫様自身の口ですぐに打ち明けられることになる。


「正確には私の影武者(・・・)が指示したこと。シロハさん、これから話すことはおおよそ荒唐無稽に聞こえるかもしれません。それでも、紛れもない事実なのです。嘘偽りなき真実なのです!」


 アリサはシロハの背中に手を回し、しっかりと抱きしめた。

 そうしないと、自分を見失ってしまいそうだったから。


「このままでは、多くの民が傷つきます。どうか、どうかシロハさんの手を貸してください」


 シロハの瞳が、宙を泳ぐ。

 差し伸べられる手はないと分かっていても、神に縋りたくなってしまう。

 ついさっき、裏切られたばかりだというのに。

 そのことを自覚し、シロハは話を聞くという意味で頷いた。


 アリサもまた目を閉じ、二人の間に意思が疎通する。

 ひりつく空気の中、アリサは打ち明け始めた。

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