2話「烏有」
「いやはや、凄い現場に遭遇してしまいました」
幾分か冷静さを取り戻し、シロハは声のする方を向いた。
そこには先ほどまで話していた女性が立っている。
純粋な疑問から、少女は女性に声を掛けた。
「……逃げないの?」
「あはは。いやー、命の恩人にお礼も言わずに去るのは情報屋としての矜持が許さないと言いますか」
「情報屋……?」
「ややっ。そういえばまだ自己紹介が済んでおりませんでした!」
女性はそういうと、ローブの袖に手を入れて小さな紙を取り出した。
シロハにそれを差し出して、続きを述べる。
「『あなたの闇を買い取ります!』私こそが天下の情報屋、ヘーゼルナッツと申します! どうぞナッツとお呼びください!」
「そう、私はシロハ。ただのシロハ」
「巫女にただのというルビが振られるとは知りませんでしたねぇ……」
「奇遇ね。私も人を殺す巫女がいるなんて知らなかったわ」
差し出された名刺を受けとりながら、シロハは先のように返した。もう巫女を名乗るつもりはないという意味で放った言葉は、上手く伝わらなかったようだ。
「情報屋、ね。……私の情報の引き取り先は誰かしら?」
「……何のことでしょう?」
偽造防止の透かしが入っていないかと、シロハは名刺を太陽に翳しながらそういった。手の甲の傷口から血が溢れ、頬に零れては滴り落ちる。透かしは特に無かった。
「いくら闇を取り扱うと言っても、あなたの活動拠点はスラムじゃないでしょうに。売れる情報や買う財力を有している者なんて、その日暮らしの人間にはそうそういないでしょうからね。どこかから私の捜索を持ちかけられた、そんなところでしょう?」
そういうと、ナッツは感嘆の吐息を漏らした。
「はぇー、さすがの考察力ですねぇ」
「あなたが情報屋だと言わなければ気付かなかったわよ」
「ありゃ、これは失敗しちゃったかなぁ。あっ、申し訳ないですけど、教えられませんからね? クライアントの情報は私の信用にかかわるので」
それもそうだと思い、シロハは小さく首肯した。
敵に情報を流す輩は彼女も利用しない。
ナッツが誤魔化さずに彼女の考えを肯定したのは返礼からだろう。
シロハは口に指を当て、真剣な表情で考え始める。
(もし国が私の生存を確認した場合、なりふり構わず消しにかかるはず。先の刺客が情報を持ち帰った可能性……はないか。もしそうなら、物量で仕掛ける、あるいはスラムを丸ごと焼き払う方が自然)
シロハは現状証拠から推測しようとするが、どれも推論の域を出ない。判断材料が少なすぎると判断し、唇から指を離して口を開いた。
「……それなら、私が情報を買うという形ならどうかしら?」
「シロハさんが? いやー、難しいんじゃないですかねぇ。先にも述べた通り顧客の情報はトップシークレットですから。まして文無しのシロハさんだと……」
「取引に利用できるものは、何も金銭だけじゃないでしょうに」
シロハは今しがた受け取った名刺を二本指で挟み、ピシッとナッツの方に向けた。
「等価交換。要求は変わらず私の事を調べている人物について。提供は、そうね。勇者が魔王を倒した裏で、私たちの身に起きた真実」
「……それは確かに魅力的ではありますが、いいんですか? シロハさん、その事に触れて欲しくなかったのでは?」
「その巫女さんは、もういないらしいわよ」
「そう、ですか」
シロハの独白に、ナッツは口に手をあて下を向いた。
もともと深くフードを被っていたこともあり、その表情は一切読めない。
「分かりました。交渉は成立です。ただし、先払いでお願いします」
「構わないわ」
そうしてシロハは、先日起こった焼き討ちについて語りだした。
*
事が起こったのは数日前、宵闇の頃。
日はとうの昔に顔を隠し、けれど月も昇らぬ暗闇の中。
シロハが属していたルミナス教の総本山、ルミナス大神社は全焼という結末を迎えることになる。
ルミナスとはこの世界を作った全知全能の神である。
その総本山であるルミナス大神社はつまり、この世で最も神聖な場所であり、本来なら烏有に帰すなどあり得ない。
もっとも、その神が実在すればの話であるが。
開戦の知らせは、一条の稲妻が担った。
雷鳴は自らを轟かさんとばかりに境内を駆け巡り、意志を持つかのように大地を抉る。
いや、その落雷は確かに悪意を以て暴力を振るっていた。
その正体は、王国が放った10人の刺客による雷魔法だった。
紫電は木造の社に火をつけ、その身を火炎に変えていく。
それはほんの一瞬の事だったが、シロハ達が目を覚ますには十分な出来事だった。
爆音に驚いたシロハが飛び起き、戸を開け放つ。
「何ごと!?」
シロハの目に飛び込んできたのは、まるで白昼のように明るい夜。
社が、ルミナス大神社が燃え盛っている。
揺らめく赤は絶えず形を変え、蛇が鳥の卵を丸のみするかのように蠢いている。
その中に、黒点のような何かが浮かんでいた。
「何事だ!」
「父上!」
シロハがぼんやりと黒を眺めていると、隣の部屋からシロハの父が飛び出した。
無防備のまま飛び出したシロハとは違い、その手にはお札が握られており、既に臨戦態勢を取っている。
「シロハ、これは一体」
「分かりません。轟音に飛び起きてみれば既にこのように……」
そう言ってシロハは火炎の方に顔を向け、そして気付いた。
黒い影が、高速で接近してきている事に。
一拍おくれて、シロハの父も同様に気付く。
「シロハ! 危ない!」
シロハの父が、二点間に割り込むように身を滑り込ませる。
札に霊力を込めれば刻まれた神代文字が反応し、円形の盾となり害意を防ぐ。
鋼鉄よりも固くなった札の隙間から覗かせる顔に、シロハの父は驚いた。
「お前は! 陛下の忠臣の!」
「死に逝く者には関係のないことだ」
シロハの父に出来た虚を突くように、札の隙間を縫うように刃が迫りくる。
片刃で、円形の鍔を持つ、日本刀と呼ばれる白刃だ。
シロハの父が目をますます丸くするのを見て、黒い男は獰猛な笑みを浮かべた。
「あなた!」
だがしかし、続く石を突くような感触に男の笑みはフッと消えた。
見れば鳥のような白い紙が、シロハの父を守るようにその羽で刃の侵攻を防いでいる。
「チィッ、式神か! という事は!」
「母上!」
「シロハ! 無事なのね!」
男の視線が、シロハの父からシロハの母に移る。
シロハの父はその間に懐から筆を取り出し、円形に広がる札に裏から文字を書く。
「そういうこった。父親として、まだまだこの命をくれてやるわけにはいかんなァ!」
シロハの父が霊力を流せば、札から突風が吹き荒れた。
男は吹き飛ばされ、地を転び跳ねる。
「「シロハ!」」
「父上! 母上!」
父親と母親と娘、三人が一所に駆け寄った。
火の手はますます強くなり、夜はますます明るくなっていく。
「あなた、これは一体」
「分からん。だが、下手人が陛下の忠臣だということは事実だ」
「陛下の忠臣……? だけどあなた、陛下はもう二月も寝込んだままだって」
「……もしかすると、王女殿下の方かもしれんな」
「アリサ姫の!?」
驚きの声を上げたのはシロハだ。
シロハの中で王女殿下と言えば、「シロハさん、シロハさん」と人懐っこく、可愛らしいお姫様だったからだ。
だからこそ、父親に異を唱える。
「父上! アリサ姫はこんなことをするお方ではありません!」
「落ち着けシロハ、可能性の話だ。とにかく、そこに転がっている男に問いたださねばならんようだな」
シロハの父が男の方に視線を遣ると、男は既に地を掃ったかのように消えていた。
「……しまったな。きちんと拘束しておくべきだった」
「そうだな。技を決めた後に油断するのは、今も昔もお前の悪い癖だ」
燃え盛る空から、黒が墜ちた。その先端には銀色に煌めく切っ先があり、シロハの母の脳天に深々と突き刺さる。男が刃を引き抜けば、母親だった人影の胸が裂けて銀色が飛び出した。
「……母、……上?」
シロハの前で、母親だった肉塊が崩れ落ちる。参拝客に踏み固められた茶色い土に、鮮血の赤が広がっていく。
即死だった。歴代最強と呼ばれたシロハにも、死人を蘇らせることはできない。シロハの母親は、もう帰ってこない。
「キサマアァァ!」
シロハの父が、咆哮して男にとびかかった。胸倉を掴み、拳を振り上げ、空気を引き裂くように振り下ろす。しかしその拳が男を捉えることは無かった。シロハの父が、寸前で止めたからだ。
「甘いな」
男は腰を捻り、初動無しで水月に掌底を叩き込み、胸倉を掴む力が弱まると同時に脇の下を蹴り飛ばした。
「ガハッ!」
「父上!」
シロハが駆け寄り、父親を見れば、あちこちに擦り傷が出来ていた。
「シロハ……ッ」
「父上! 今治癒を!」
シロハは父親の懐から筆を取り出すと、さらさらと文字を書き込んでいく。
霊力を込めれば、父親の体から傷跡が消えていった。
「この期に及んで戒律か? まったく、お前の甘さには反吐が出る」
「あっ……」
シロハの前に、影が落ちる。
母を殺し、父をこんな目に合わせた非道の影だ。
シロハは父親を庇う様に前に出た。
「ッ! ここから先には通さない!」
シロハは唯一肌身離さず持っていた札を前に突き出す。
その札は霊力を流すことで、鉄をも切り裂くナイフとなる物だ。
獲物を手にして、シロハは自らの震えに気付いた。
いくら最強と言われても、それは霊力の話であり、自身は殺傷行為をしたことがない。
(この札を振るうだけで、人から血が出る)
鼓動の音が、耳の裏からバクバクと響く。
視界は隅から暗くなり、呼吸は浅く短くなる。
「やめろ、シロハ」
ハッと気づけば、目の前に父親が立っていた。
札を構える手を、ごつごつとした岩肌のような手のぬくもりが包んでいく。
「シロハ、六戒は覚えているな」
「は、はい」
「今を諦める事と、未来に託すことは違う」
シロハの父から噴き出る霊力が、木々に、風に感応する。
生きろ、シロハ。行け、シロハ。
「お前は俺のようにはなるなよ」