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邪教堕ち巫女さま天下泰平《ミュートロギア》  作者: 一ノ瀬るちあ/エルティ


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18話「歴史の歯車は」

 時代が飛んだのはそのすぐ後だった。

 いくつかの時間軸を、少しずつトラベルしていく。


 霊力を失ってすぐの時代を見た。

 火を渡す方法が確立された時代を見た。

 火を守るという発想が芽吹いた時代を見た。

 雲行きが怪しくなったのは、原初の巫子の存在があらわになったところから。


(私が思うに、ルミナスが犯した失敗は霊力を与えたことじゃない)


 水中に火を求め、隣の芝生は青く、喬木は風に折らる。昔から人は無いものをねだり、人の持つものに嫉妬し、持つものは災難に見舞われる。古今東西、その真理は恒常不変だった。


(問題は、人に向上心を与えたこと)


 今まで以上を求める心は『善し』を作り、並行して『悪し』を生み出した。嫉妬心が、欲望が、仁義を必要たらしめた。人の体に流れる血に穢れに、ルミナスの過ちは現れている。




 次に見た時代は、憎悪が渦巻いていた。

 霊力を奪われ久しいが、その恨みはまるで晴れる様子はない。

 あるいは孫の世には改善されているのかもしれないが、今を生きる彼らの心からそれが風化することはないだろう。


 けれど彼らに、それを晴らす手段はない。


 なまじ霊力を知っているが故に巫子に逆らうという手段を取ることもできない。そんなことをしても、自らの敗北は必至だからだ。

 だが元凶のルミナスに訴えるのはさらに困難だ。ルミナスが積極的にこの世界に干渉していたならば、あのような地獄が訪れることもなかっただろう。それが起きたという事は、そもそもルミナスは放任主義だという事だ。民の訴えを聞き入れるような存在ではないのだ。


(本当に、次から次へと幻想をぶち壊してくれる)


 昔仕えた主人のダメっぷりを見せつけられているようで、シロハは頭を抱えたくなった。だが、眠気も食欲もないこの時空で頭痛を感じるはずもなく、ただただ失望するだけだ。




 次に見た世界は、魔法が生まれる時代だ。

 窓の無い部屋に、落ち武者のような男たちが集まっていた。


「いいか? よく見ておけよ?」


 男はそう言うと、手のひらから炎を生み出した。

 周りの男がどういうことだと詰め寄る。


「おまえ! まさか霊力が戻ったのか!?」

「かっか、それこそまさかさ。これは呪術の類じゃねえ。霊力に頼らない、神をも冒涜する奇跡――そうだな、魔法とでも呼ぶか」

「霊力に頼らない? 一体どういうことだ?」

「ふっ。霊力は失っても、それを扱う回路自体は残っている事にはお前らも気づいてるよな? ならあとは簡単だ。霊力を籠める逆の事をしてやるんだ。いわば、マイナス方向のエネルギーだ」


 そこから、男による魔法の講習会が始まった。早いものは本当にすぐに、遅いものでも一時間と経たないうちに修得していた。




 そして、歴史の歯車は回り出す。


 景色が変わり終える前に、咽返るような血の匂いが立ち込めた。原初の巫子たちの白装束がルージュに染まる。


「あーはっはっは! どうだよ巫女ども! これが俺たちが生み出した新たな力! 負の方向に伸ばした霊力、魔力だ!」

「負の方向に……! それは、それはルミナス様に対する冒涜だ!」

「あ? 奪うだけの神に、どうして信仰を捧げなきゃなんねえんだよ」

「ぐあぁぁあ!」


 赤色のスプリンクラーが、あちらこちらで咲き乱れる。一瞬の栄華の後に、次々に枯れていく。バラ園の中に、見覚えのある光景があった。


「ここは俺が食い止める! お前らは逃げろ!」

「お父さんっ!」

「行け! 俺の、最期の我儘だ」

「っ! 行くよ!」

「いやだッ! お父さん、お父さんっ!」


 シロハの眉間に皴が寄る。

 男の背中に、実の父を幻視した。

 母に連れられる娘の姿に、自分を重ねて見た。


(神話の時代から、何も変わってなんか)


 父親は、やがて切り伏せられた。

 多量の出血で、黒目も霞んでいる。

 それでも男は妻と子を逃がした方に、手を伸ばした。妻を、子を愛する思いはかくも強いのかと、おみそれした。


 その父の首が刎ねられる。

 霊力を持つ相手を生きながらえさせれば、治癒してくる可能性がある。とどめを刺した男の行動は正しいが、正義と言いたく無かった。


 母と娘に、追手が仕向けられた。ほどなくして彼女らは背水に追いつめられた。そこから巻き返したなら逸話にもなろうが、実際はそんなこともなく呆気なく殺されるだけ。

 殺した男の嘲笑が、月夜に響き渡った。


 ――歴史の歯車は回り続ける。


 白装束の少女が、シロハを見つめていた。


 背中を預ける石造りの壁は、こぞって黒くくすみ。

 真白い彼女を浮き彫りにしている。


 その真白い少女の前に立ち、シロハは息を飲んだ。

 その少女が、まるで自分の生き映しだったからだ。

 いや、時間軸を考えるなら、シロハが彼女の生き写しと言うべきか。

 とにかく、瓜二つの少女がそこにいた。


 シロハを見つめる彼女の瞳は、けれど強い意志の炎が宿る。自分の背後に何かがあるのかと振り返ってみたが、虚空が広がるだけだ。

 目の前の少女は、虚空を力強く見つめていた。


 シロハは理解した。


「あなたが、ネバダなのね」


 原初の破戒巫女であり、邪神と謳われるまでに至った最強最悪。シロハはようやくその存在に辿り着いた。


「ねぇ、信念を貫くと決めた時、どんな思いだった? あるいは今、何を考えてるの?」


 シロハの問いかけに対し、少女は沈黙で返す。いや、返すも何も、そもそもその声は届いていないのだが。仮に聞こえていたとしても答えたかどうかは五分五分だろう。


「そろそろ行かなくちゃ」


 少女は石壁にもたれるのをやめた。

 二歩三歩と歩き、シロハの方を振り返る。


「またね」


 シロハは自分が見えているのかと思った。

 だがそれは偶然だったようで、少女は再び歩き出し、背を向けて立ち去った。


 ――歴史の歯車は空回る。


 最初に感じたのは、肌を焼くような熱気。

 ぐるぐると回る景色は火の粉を散らし、業火を讃えている。業火の中に、真白い少女の姿はあった。尻もちついた男の前に立ち、札を突きつけている。


「ま、待て! 殺傷行為は六戒で禁じられているだろ! 巫女がこんなことしてタダで済むと思うのか!? 今にルミナスの天罰が……」

「もう十分に待った。天罰は下らなかった。天が見逃すというのなら、私が代わりに誅罰を果たす」

「助けてくれ! 俺達が悪かった! 謝るから、どうか命だけは」

「謝る、本当に?」

「ほ、本当だとも! だから、だから!」

「なら、死んで詫びろ」


 少女の放ったお札が、男の首を一突きにした。男の目が白目を向き、地面に赤色が広がる。少女は泣くでもなく、笑うでもなく、淡々と見ていた。まるで事務処理をするように、無表情に。


「たとえ神様仏様が許したとしても、私が許さない……ね。ははっ、こいつらと私に、どれだけの差があるというのやら」


 無機質な声で、少女は呟いた。

 自嘲するように、自責するように。

 それから足元に視線を動かし、広がる血の池を見て言った。


「誰かが穢れる必要があるというのなら、一切合切私が背負ってやる。穢れに身を堕とすのは、私一人で十分だ。だから」


 ついで少女は空を見た。

 空には曇天が広がっている。

 灰色の空に、少女は呟く。


「天罰を下したければ、その時に下すといいさ。これは私の戦争だ。邪魔はするな」


 ――歴史の歯車は刃毀れする。


 白装束の男女が、夜の街を逃げていた。

 時折迫りくるかまいたちを防ぎながら、二人は走る走る。肺を空気が圧迫する。酸素を運ぶことすら拒絶する。

 やがて女性の方に限界が訪れた。


「あなた、私を捨ててお逃げください!」

「ふざけんな! 俺をそんな外道だと思ったのか! ルミナス様も言っていた、最後まで諦めるなと! 今にきっと、ルミナス様の救いの手が伸びる! だから、そんなこと言うなよ!」


「いたぞ! こっちだ!」


 迫りくる追手の声に、女性が声を張り上げた。


「諦めるのではありません! 託すのです! あなただけでも生きてくれれば、私が生きた証は残るのです!」

「証が何の役に立つ! 生き延びてこその命だろ?」

「もう時間が無いのです!」

「いやだ、いやだ! あぁ、神様! ただ一度、もう一度だけでいいのです。もし私の声をお聞きくださるのなら、どうかお助けください!」


「いたぞ! あいつらは巫子だ! やれ!」


「あ、あぁぁあぁぁ!!」


 男は現実から目を逸らすように瞼を閉じた。

 大事なものを死んでも離さないように、女をしっかりと抱きしめた。死を覚悟した。愛した女性を見捨てて生きながらえることと天秤にかけた。

 嘘をつかず、正直に生きた。

 ルミナス様も許してくれると考えた。


 そんな彼に届いたのは、凶刃ではなく狂人だった。


「ルミナス様に代わって、その思いは私が引き受けた」


 目を開けた男の目に飛び込んできたのは、凶手の刃を受け止める、同じ白巫女の姿。


「どうした、惚ける暇があったらさっさと逃げろ。お前のその足は飾りか、お前のその腕は何のために在る。愛する人くらい、その手と足で守り抜いて見せろ」

「で、ですがあなたは!」

「安心しろ。私は強い。この程度の輩に後れを取るような修行は積んでない」

「~~っ!! かたじけない!」


 少女は受け止める刃に対する札の角度を変えて、力を受け流した。フリーになった札をノールックで打ち出す。その先には、敵が放った投げナイフが走っている。お札は投げナイフの軌道を変えて、自身はまた少女の手に戻った。逃げる男を狙ったナイフは、何もない地面に突き刺さった。


「はんっ! 正義の味方気取りか? お前らのそういう偽善が気にくわねえんだよ!」


 凶手が少女に話しかける。

 ドスの聞いた声だが、返す少女の声は軽い。


「そう、奇遇ね。私もウンザリしていたところなのよ」


 少女の手から札が弾け、円形に展開される。

 その中の一枚を選び取り、少女は続ける。


「貴様ら残らず殺してやる」

「は……っ?」


 少女の放った札が、紫電となって頭蓋を貫いた。

 神経を焼き切られた男は間もなく絶命に至る。

 凶手とは別の、斥候役の男が素っ頓狂な声を出す。


「う、嘘だろ? だって、巫女は人を殺せないって……」

「いつ私が普通の巫女だと言った」


 少女はまた別の札を抜き取り、男に向かって投げた。その札は氷となって、男の氷像を作り上げる。

 物言わぬ死体とはこのことだ。


「戒律を破った巫女、差し詰め破戒巫女ってところかしらね」


 少女は氷像を蹴り飛ばしながらそういった。

 夜の街に、氷の砕ける音がした。

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