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邪教堕ち巫女さま天下泰平《ミュートロギア》  作者: 一ノ瀬るちあ/エルティ


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17話「ルミナス」

 邪魔者を一つ排除した。

 この先何度も現れそうだったから、いっそのこと自身に封印した。

 苦戦を覚悟した心持はしかし無意味だった。龍神の戦い方はこの目で見て、この体が傷を負い、血肉で覚えた。対策の一つや二つ思いつくというものだ。それすらも喰い破り、予想の遥か上を行く可能性も考えたが杞憂だった。死んでも死なないという驕りが、龍神の判断を鈍らせたのだと予想する。


「――っ?」


 シロハは最初に、耳鳴りを覚えた。

 知らない人の声が聞こえる。

 シロハは次に、目眩を覚えた。

 見知らぬ景色が、暗闇の先に広がっている。


 平衡感覚が失われる。そんな錯覚の先。

 記憶にない映像がシロハの中に流れ込んできた。


 夢と(うつつ)の境界を、まどろんでいた。

 青い空、白い雲。

 麗らかな日差しを映す湖畔。

 微かに波打つ水面は、穏やかな風を感じさせる。


 シロハは歩き出した。

 どこに向かっているのかは分からない。

 ただ帰りたいという思いが、足を動かした。


 それからどれほど歩いた頃だったか。

 数分だった気もするし、もう何日も歩いたような気もする。


 シロハは一つの村を目の当たりにした。いや、より的確に表現するならば集落か。刈り揃えられた雑草に、踏み固められた小道は人の生活感を感じさせる。けれどシロハにはそこに人が住んでいるようには感じられなかった。理由はすぐに思い至った。


 その住宅街には、井戸がなかった。近くを流れる川のせせらぎもない。

 その棟々には、薪のたくわえがなかった。あたりには草原が広がるばかりで林もない。

 その集落には、畑も畜産場もなかった。果樹園や牧場がある様子もない。


 要するに、その村には必要な物が欠如していた。人が住んでいる予想と、人が生きて行ける環境ではないという直感。


(あれは……?)


 空に漂う雲の一つが、ふわふわと集落に降りた。

 シロハが呆然としていると、そこから人が現れる。

 驚いたことに、その一人一人が霊力を有していた。

 そしてそれより、さらに驚いたことが一つ。

 最期に雲から現れた、絶世の麗人。


 シロハは、息が止まったかと思った。

 面識のない相手だが、シロハは一方的に彼女の事を知っている。いや、シロハの知る彼女が目の前の佳人とは限らないが、何故か確信を持てた。


「……ルミナス、様?」


 すぐに足が動いていた。手を伸ばしていた。シロハが歩み寄れど、その女性が気付く気配はない。シロハの伸ばした手が、女性に触れる時。その手が女性の体を通り抜けた。


 目を開き、通り過ぎたシロハは立ち返った。

 女性は小さな子供と話し込んでいる。

 その話声が聞こえてきた。


「なぁルミナス様! 今日は俺の家に来てくれよ!」

「こら! あんたルミナス様になんて言葉使ってんのよ!」

『ふふっ、いいのですよ』

「もう! ルミナス様がそんなだからこいつがつけあがるんですよ! 悪いことしたときは心を鬼にしないと!」

『あらあら、ごめんなさいね。どうにも怒るのは苦手で――』


 そこから先の事を、シロハは覚えていない。

 ただ一つ、分かったことがあった。


(もしかして、これは龍神の記憶?)


 根拠はない。だがそうだと確信した。

 幻かもしれない。だがその可能性を否定した。

 胸に(ひし)めく感情が、郷愁が、史実と信じて疑わない。




 しばらくすると、景色がグルグルと回り出した。

 ベクションが襲い掛かり、乗り物酔いのような感覚が圧し掛かる。嘔吐(えず)きたくなる思いを我慢して、どうにか地に足をつけて立ちつくす。

 それから少しして、景観は一新された。催した吐き気は留まり続け回復したとは言いづらいが、気分は幾分マシになっただろう。


 シロハは見知らぬ国にいた。

 見たことのない巨大なカラクリが回り、奇怪な装束に身を包んだ人々が往来を歩く。空には水路が浮かんでいて、それを渡る船はまるで空を飛ぶがごとく。物の売り買いをする現場を見れば、あたかも当然のように空間拡張術を使い、宙に浮く裂け目から品物の交換をしている。


 あぁ、と。シロハは思い至った。

 これはまだ、人が霊力を持っていた頃の話だ。

 当時の人々は現代に生きる巫女より自由に術を使えたらしい。シロハといえば天才と言われ、流石に町行く人々よりは優れているだろう。けれどその裏には改良の積み重ねという歴史があり、太古の人々が斯く自在に術を行使しているのは驚きだった。


 シロハが知る由はないが、当時の人々にとって術は最初からあって当然の物だった。現代の感覚で表せば、物を掴むだったり、手を振るうだったり、それと何ら変わりない。手先が器用だとか、力が強いだとか、そういった差配はある。しかし、生きとし生ける全ての命にとって、教えられずとも学んで然るものだった。


 しばらくシロハは、そんな国の様子を見ていた。

 人が築き、人が繁栄させた国。個々の生き物がそれぞれの生活を営むことで、時代が結ばれゆく。なるほどこれは、いくらルミナスにもできないことだ。


 シロハが知る由はないが、群知能と呼ばれるものがある。有名なものだと、アリ一匹一匹が餌を求めて動き回ると、やがて全てのアリが最短経路を通るようになるというものがある。個としての知能はエサを求めるだけなのに、全体としては最短路を導きだすのだ。それが人の生活の中にも表れていた。




 しばらくすると、また景色がグルグルと回り出す。

 今度はベクションを感じないように、シロハは目を閉じた。平和な時代を生きる人々の鼓動が遠くなる。

 どれほど経った頃だったか。

 また別の鼓動が、響いてきた。


 シロハがゆっくりと目を開けば、そこは知らない国だった。と、思ったのは最初の一瞬だけ。夜の帳がおり、静寂に包まれたこの国は、どこかに先の平和な国の面影を残している。


 時間帯が違うだけでここまで別物に見えるものか。しかしすぐに、それだけが原因というわけでないことに思い至る。シロハの嗅覚を刺激したのは、最近覚えたニオイ。スラム街だけで漂っているそれの名は、きっと死臭だ。


 シロハはその香りを立ち昇らせる方へと、ぽつぽつと歩き出した。石畳の道路は、面がキレイに切りそろえられており、隙間もなく、足を踏み外す心配もない。歩く者の事を考えた優しい設計になっていることに、やがて気付いた。


 やっと、シロハは一つの小路に辿り着く。

 月光煌めく暗闇に、屍の山を見た。

 肉が爛れた屍。やせ細った屍。頬こけた屍。

 シロハが巫女でなかったとしても、一目で餓死だという事は推測できただろう。


 シロハがその惨状に唖然としていると、刃の交わる金属音が響いた。

 振り返ったシロハ。その双眸に紅の滝が登る。

 真っ赤に燃える、血飛沫。

 夜の街に、断末魔が上がる。


 今しがた斬り合っていた男の内、生き残った男が死んだ男に歩み寄る。血に塗れ、衣裳を赤く染める男の懐に手を伸ばしまさぐる。巾着のようなものを取り上げれば口を開き、手に出した。二枚の硬貨が一度だけチンと音を立てた。その音よりも、男がその後にした舌打ちの方が響いた。


 歩き出した男の体が、炎に包まれた。

 人の肉が焼ける、嫌なにおいが鼻を刺す。

 ゴムを焼いたように、黒々とした煙と、声を上げて男は息絶えた。また別の男が現れ、焼死体となった男から効果を奪い取って去って行った。


(これが、本当に起きたことなの……?)


 地獄絵図、修羅悪鬼、阿鼻叫喚。

 形容する言葉は数あれど、どれも力不足だ。

 あの活気づいた色彩鮮やかな国が、どうあればこうなるというのか。


 路地に面した家の窓から、幼子が顔を覗かせていた。殺人鬼と子供の目が合う。シロハは走り出した。

 男の手から炎が現れ、子供に向かって飛んでいく。




 ……また、景色が回り出す。

 どちらにせよ、シロハに彼女を助けることはできない。シロハは龍神の記憶を見せられているだけで、この時代に生きているわけではないから。過去に干渉する術を、彼女は有していないないから。


 伸ばした手が空を切る。

 今度はシロハは、どこかの屋敷に立っていた。少しの蝋燭と、数枚の鏡をうまく使い、最低限の明るさを確保している。輪郭程度しか窺えない人影が、等間隔で円形に並んでいる。


「このままでは、人という種は絶滅する」

「そんなことは分かりきっておる! 大事なのは、如何にその苦難を乗り越えるかだ!」

「お静かに、我々は影となるのです。音もなく、人に寄り添い支える。そのような影に」

「口では何とでも言えますけどね。実際問題何を成せばいいやら」


 老若男女、様々な声がした。どの声もピリピリとした殺気を帯びていて、穏やかな話し合いではないことが肌で分かる。シロハには、思い当たる知識があった。彼らこそが彼女の祖先、原初の巫子になる存在。そんな予感がした。




 景色がグルグルと回る。


 男と男が争っているところに、滝が現れた。水の壁に阻まれ、互いの拳は通らなくなった。すぐに足を水流が攫い、戦いそのものが終了させられる。


「終わったっすよ。二人とも無事っす」


 その声は、先ほど屋敷で聞いた男の声だ。やはりここは、人が霊力を奪われる前を投影している。そして、原初の巫子が現れたという事は、神話の終わりは近い。

 そう、思っていた。


 裁きの日は、なかなか訪れなかった。

 あの日以来、時間軸がスキップすることはない。


 何度朝日を見ただろう。

 何度夕日を見ただろう。

 どれだけの星を数えただろう。

 どれだけの星を見失っただろう。


 待てど暮らせど、その日は来なかった。


 そうこうしている間に、原初の巫子となる彼らの心はすり減っていった。瞳にあった希望の光は、泥闇に飲まれて浮かばない。

 結局、裁きの日が訪れたのは、春秋三度移ろいだ頃。前触れなく、唐突にそれは起こった。


 曇天が空を揺らす日の事だった。

 雲の切れ間から、光が溢れた。

 その光芒は、天地を繋ぐ梯子のよう。

 ほどなくして空から神が舞い降りた。


 遠く、遠く。

 顔なんて見えるはずもないというのに。

 シロハにはルミナスが、涙しているように思えた。


 次の瞬間、人々から光が零れ、神の元へと飛んでいった。放物線を描くように、螺旋を描くように。

 光が一所に集まったとき、頭に声が響いた。


『聞きなさい、我が子供たちよ。あなた達に霊力を与えたのは、この世界を発展させてほしかったからです。これ以上この力が、破壊や殺戮に使われるのは我慢なりません』


 あちらこちらから、声が聞こえる。

 その多くは、術が使えなくなったことに対する怒声。一部聞こえる安堵の声は、相当に貴重なものだ。


『あなた達が私を恨むのも無理ありません。あなた達に霊力を与えたのがそもそもの間違いだったのです。分かってくださいとは言いません。ですが、知っておいてください。私はもう、十分に待ったのです。あなた方がかつての様に、この星に繁栄をもたらしてくれる日を。ですが、もう限界です』


 そんなルミナスの叫びを聞いて、シロハが思ったことはただ一つだった。


「……あぁ、本当に。最初から、見捨てられてたんですね」

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