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邪教堕ち巫女さま天下泰平《ミュートロギア》  作者: 一ノ瀬るちあ/エルティ


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15話「穢れ」

「私を依り代にする……?」


 ナッツの言葉に、シロハは戸惑いを隠せない。

 滴る汗が首筋を伝っていく。それを拭って、背中に変な汗が溢れていることにようやく気付く。張り詰めた緊張の糸が、発汗作用を刺激している。


「大変だったんですよ? 【歴代最強の巫女】と聞いて見に行けばまるで穢れと対極。どうすればこの無垢なる魂を堕とせるか。ははっ、勇者の登場と影武者の必要は、本当に渡りに船でしたよ」

「待って。まさか、神社の焼き討ちを指示したのは」


 ナッツの発言に、シロハは一つの考えに思い至る。それはつまり、真の首謀者は、焼き討ちの手引きをしたのは、ナッツなのではないかという考え。そしてその予想は、的中している。


「もちろん、私ですよ。ふふっ、ははっ。あんな無能な影武者が、絶対王政なんて発想を持っているはずがないじゃないですか! いやぁ、カスを操るのは簡単ですねぇ。スポンジが水を吸う様に、私の言葉を鵜呑みにして、神社を焼き討ちにすればこの国が手に入るだなんて、あっはっは!」

「お前ガァッ!!」


 たった一歩で、シロハがナッツの前に躍り出る。神代文字こそ使用していないが、«穿天燕(せんてんえん)»の構えから即座に腕を突き出す。

 ナッツはそれに合わせて腕を出す。ナッツの腕が引き裂かれ、どす黒い瘴気が溢れ出す。その正体は穢れだ。溢れ出した煙が、シロハの腕にまとわりつく。

 シロハは目を見開き腕を振り払う。黒霧から自身の腕を釣り上げたものの、ところどころ、鈍色に変色している。


「っ!」

「あれれー。シロハさん。人を殺さないんじゃなかったんですか? 復讐しないんじゃなかったんですか?」

「黙れッ!」


 懐から札を取り出し、投擲する。近距離は危険だと判断したからだ。しかしその遠距離攻撃は、到達する前に淘汰される。ナッツの腕から溢れる穢れが、まるで意志を持っているかのように暴れ、叩き伏せたからだ。


「よよよ。ナッツさん、悲しいです。影をそそのかしたのも、刺客を送り込んだのも、全部、全部シロハさんを思っての事だったのに」

「誰がそんなことを願った。誰がそうしてくれと頼んだ」

「やだなぁ、シロハさん。シロハさんは願われなければ病人の治療もしないんですか? 頼まれなければ落ち葉を箒で掃くこともしないんですか? 違いますよね? 善意があって人助けをしますよね?」

「善意から行動するのと、悪意から行動するのは違う」

「違いませんよ。例えばその病人が安楽死を願っていたら? 土中の生き物が落ち葉を求めていたら? 悪意で動いても、善意で働いても、導かれる結果に変わりはないじゃないですか」


 話が通じない。会話が成り立たない。

 徒労という言葉の意味を、シロハは初めて知った気がする。

 ナッツことヘーゼルナッツは、壊れている。


 無言でシロハは札を取り出す。

 スナップを効かせて手首を振れば、扇状に綺麗に展開される。


「おや? もう聞きたいことはないんですか? 私はまだまだシロハさんとお話していたいですけど」


 ナッツのそんな言葉に、シロハは行動で返す。もう一度手首を振るえば扇から二枚の札が取り出され、それを親指と人差し指の間に挟む。円盤投げをするように腕を振るえば向心力を持った札が、ナッツ目掛けて宙を駆ける。

 それらの札を、ナッツはそれぞれ指の間に挟んで止める。一瞬手を開き、札を手の内に含んだのちに握りつぶす。その瞬間だった。まばゆい光が手の内から零れだす。


「なっ!?」


 慌ててナッツが丸めた札を捨てようとするが遅い。ナッツの手を離れるより早く、刻まれた【浄化】の文字が起動する。その化け物のような黒く変色した腕を、浄化の札は確かに燃やした。

 痛みにもだえるナッツにシロハが語り掛ける。


「まさか、穢れを纏っているんじゃなく、穢れで構成されているの?」

「うぐぅ、だとしたら何だって言うんですか? 人間じゃないとでも言いたいんですか? 同じように穢れをその身に宿しているのに?」

「そうね、最初から矛盾を孕んでいたのよ。人の体に血液を流した。それがルミナス最大の過ち」

「あはは、ルミナスはルミナスで意図があったらしいですよ? まあ、浅はかだった言わざるを得ないですけどね」


 シロハはまた手首を振り、手札を握り直す。

 円盤投げの様に札を投げ、次いでフリスピーの様に投げる。

 ナッツは先に届いた札の下に潜り込みこれを回避する。次いで二枚目の札を飛び越えようとした。


「それ、浄化の札じゃないわよ」

「は?」


 ナッツが一枚目と二枚目の札の中央に入ったときだ。先の札からあとの札に向かい紫電が走る。いくら速さに自信のあるナッツといえど、予測不能の位置から迸る閃光を避けることはできない。


「あがぁ!?」

「一枚目の札に書かれた文字は放電、二枚目のそれは避雷針よ。ぶっちゃけ浄化の札なんてわざわざ用意してないから貴重品なのよ。他の札と違って、そうポンポン消費してらんないの」

「うぅ、ああ!」

「かといって、切らしたわけじゃないから」


 雷が貫いたナッツの肩。そこから吹き出す瘴気をシロハは札で引き裂く。シロハの腕に出来ていた鈍色の斑点も同時に消えゆく。


「あは、流石に、この姿で巫女と戦うのは相性が悪いですね。それにいくら汚染しても、その度浄化されるんじゃ勝ち目も無し。しょうがないですね、一度立て直させていただきますよ」

「逃がすと思う?」

「まぁ、普通に逃げようとしたら捕まっちゃうでしょうね。でも、シロハさん達にとっての龍神の様に、難敵に噛ませる犬が、私にもいるとしたら?」


 そういい、ナッツはぴゅいと笛を吹いた。

 すると室内だというのに地響きが起こり出す。

 嫌な予感を感じ飛び退いたシロハが見たのは、己がいた位置を食いつぶさんとする化け物の姿。

 おぞましき生き物が、王の間の床を貫いて現れたのだった。


「さぁアリサ王女。この女があなたの覇道を邪魔するものです。どうすればいいか分かりますね?」

「ア゛、ア゛ァ゛……」

「アリサ王女、って……あんたまさかッ!」

「安心してくださいよ。こっちは影武者の方、偽物の方なんですから。別に死んだって構わないでしょう?」


 シロハは慌ててその姿を再確認する。

 黒い毛皮を全身に覆い、剥き出しの牙からは涎が垂れ、筋骨隆々の姿からは女性らしさの欠片もない。

 敢えて形容するならそれは、夜を支配する獣の王。

 ナッツ同様穢れで構成されているのは確かだ。


「じゃあ、私はこれで」

「っ! 待てッ!」

「あらら、敵から目を逸らしちゃダメじゃないですか。シロハさん、そいつ、見た目以上に素早いですよ?」

「ア゛、テキ、コロ゛スッ!」

「んなっ」


 逃げようとするナッツに、シロハが意識を割いた一瞬。化け物がシロハに肉薄し、その剛腕で握りしめる。


「あがっ!」

「あっはっは。いやぁ、先に影の方を殺しにかかられたら逃げるしかなかったですけど、その必要も無さそうですね」


 ナッツが一歩、また一歩とシロハに歩み寄る。

 その背に蠢く、黒い呪いを携えて。

 シロハが握る札を起動すれば、打破できるかもしれない。けれどその札の中には、発火や爆発などが含まれている。使えばシロハもただでは済まないだろうし、その間に穢れに汚染されるだろう。


「うっぐぅ」

「大丈夫ですよ。それみたいな物の怪になるのは実力の劣る者だけです。シロハさんならきっと、その御姿を保てますよ」

「ほ、ざけ」


 シロハは脱出を試みる。

 しかし捉える握力は生半可な物でなく、身動ぎ一つ取れやしない。


(ふざけるな……ッ)


 シロハの心に波が立つ。

 波紋に波紋が重なり、荒立てていく。


(私はお前の道具か? 母上は、父上は、お前の勝手で殺されたのか?)


 目の前の人物の思い通りになるのが嫌で、シロハが最後の足掻きを試みる。

 それはすなわち、握る札の暴発。

 死なばもろとも砕け散れ。

 シロハが霊力を込めようとした時だった。


「シロハさん!」

『馬鹿者! 何をしておるか!』

「アリサ姫!? 龍神様!?」


 頑強そうな扉を突き破り、現れたるは龍にまたがる一人の少女。彼女が統べる龍が天を噛みちぎるかのように首を持ち上げる。そのままそれが首を振り下ろせば、龍の息吹が荒れ狂った。


「ア゛、ア゛ァ゛……ッ゛!!」

『失せろ穢れし者よ!』


 龍神が放った息吹は、浄化の効能が含まれていた。

 穢れに飲まれたアリサの影武者が、浄化の光で焼き焦がされる。


「かはっ」

「ちっ、なんで龍神がここに!」

「私が呼び掛けて、龍神様は応えてくれた。だからここにいる」


 そういいアリサが見せたのは、一つの横笛。龍の呼び笛と呼ばれ、巫女以外が龍を呼ぶ唯一の手段であり、霊泉で龍がアリサに与えた代物だ。

 対峙したナッツは、龍神目掛けて走り出す。


「チィ!」

『む、正面から来るか!』

「冗談、そんな真似するわけないじゃないですか」


 迎撃しようとする龍神の鱗を滑るように、ナッツは通り抜ける。龍神が迎撃しようとするが、ついぞナッツを捉えることはできなかった。ナッツがすれ違いざまに鈍化の呪いをかけたからだ。長く続かないデバフだが。

 豪奢な扉の奥に立ち、廊下の闇からナッツは語り掛ける。


「さて、シロハさん。契約は覚えてますかね? これで無事にアリサさんは王位継承できるようになったわけです。相応の対価を頂いてもいいと思うんですよね」

「けほっ、そんな約束、破棄よ破棄!」

「いいえ? シロハさんは必ず答えてくれますよ。穢れという楔を打ち込まれた人がどうなるか、その目で見たでしょう? この国丸ごと、穢れに堕としてあげてもいいんですよ?」


 龍神の様子がおかしいと思い、シロハは彼と眼を合わせる。

 長くない付き合いだが、龍神が言わんとすることは分かった。

 呪いが解けるまで引き留めろ。

 おおよそ正しく理解し、シロハは会話を続ける。


「……要求は何? きちんと私に叶えられる事なんでしょうね? 出来ないことを要求されても――」

「ああなに、簡単なことですよ。この後、百石ヶ原まで来てください。そこの龍神はおいて、一人で。約束を違えばどうなるか、分かりますよね」

『待て!』


 鈍化の呪いが解けた龍神が、ナッツを引き裂かんと爪を伸ばす。しかしその爪は、ただただ闇を切っただけだった。

 ほんのわずかな差で、ナッツの逃亡を許してしまった。


 あとに残ったのは、戦場となり、惨憺たる現状だけ。

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