13話「情報屋」
情報屋がその腕をぶっきらぼうに引っこ抜く。
前のめりに倒れる勇者が、私に覆いかぶさる。
自然と胴に手が回り、勇者を支えた。
「え……?」
勇者の背中に手を伸ばせば心臓があるはずの部分に穴が開いている。
代わりにそこに在るのは微妙に粘り気を帯びた水。
恐る恐るそこを触った手のひらを見れば、真っ赤に染まっている。
「ああぁぁ!?」
「あ、治癒はやめておいた方がいいですよ? その傷を癒すほど霊力を込めると、あの日の様にその男が肉塊に代わりますよ」
「じょ、情報屋!? なんでここに、いや、それより、どうして」
勇者の血で【治癒】の文字を書こうとし、情報屋の言葉で思いとどまる。過剰に霊力を込めれば、人の体内に含まれる魔力と反発し、爆発する。すなわち、シロハに勇者を救う術はない。
「なんで? やだなぁシロハさん。分かりきってることじゃないですか。アリサさんに、確実に王位継承していただくためですよ」
「でも、あなたには勇者を殺す理由は」
「え? だって邪魔じゃないですか。旧体制の力の象徴なんて」
ナッツはそういい、虫を見るような眼で勇者を覗く。いや、虫に向ける視線の方がまだ優しいか。とにかく、眼力で殺さんばかりに勇者を蔑視していた。
「むしろ、シロハさんは何をそんなに狼狽してるんですか。はじめて人が死ぬのを見たわけでもなし。大事な人を失ったわけでもなし。シロハさんにとって邪魔な人物がいなくなる。ただそれだけの事じゃないですか」
「私にとっては他人、それは確かにそうだけど……、この人にはこの人の縁者が」
「あぁ、そいつ、天涯孤独の身ですよ」
ナッツは続ける。
「そいつが勇者として覚醒したのは三ヶ月前。ちょうどその頃、この国から遠くない、一つの宿場町が焼けてなくなってるんですよね。他ならぬ、その男の手でね」
「え……」
「力の暴走、そう表すのが早いですかね。勇者の放った魔法は一つの町を飲み込み、全員が焼死したらしいですよ。ただ一人、その男を除いてね」
「まさか、王女様王女様と言っていたのは……」
シロハがそう言うと、ナッツが目を丸くした。
そうして次いでカラカラと笑う。
広いひろい王の間に、ナッツの笑い声だけが反響する。
「あはは、そいつ、そんなこと言ってたんですか。おおよそ、幼馴染の影を影に重ねてたとかですかね?」
ナッツは勇者の跳ねっ毛をひん掴み、シロハから引き離す。シロハは抱きかかえていて気付かなかったが、男の顔は血の気が失せ、青白く変色し始めている。それでも口は、うわごとのように何かを呟こうとしている。
「人を散々殺しておいて、自分は英雄ですか。いい御身分ですね」
そういい、ナッツは勇者を乱雑に投げ捨てた。
どさりという音を立て、勇者が地に倒れ伏す。
「ああ、それでシロハさんは殺しをためらってるんですか? あはは、大丈夫ですよ。今回の反乱で担がれる神輿はアリサさんですからね。シロハさんがいくら穢れようと問題ないですよ?」
「そんな高邁な精神じゃない。ただ――」
倒れた勇者の横に座り、その手を握る。
もう助からない。もう救えない。
時は流水の如く進み、決して逆には引き返さない。
「――姫様が私に、人を殺してほしくないと言った。父上が私に、復讐に囚われるなと言った。だから私は」
「ちっ、イライラするなぁ」
キンと、金属音が響いた。
シロハは腕を頭の後ろに回し、札を構えていた。
その札に弾かれた投げナイフが地面を転がる。
「情報屋……あんた、何がしたいのよ」
「それは言えません。ただまぁ、正直国盗りなんてどう転んでもいいんですよね。ただ、シロハさんにそういう状態でいられるとこちらとしては都合が悪いんですよ」
そういい、ナッツはホルダーから苦無を二本取り出し、逆手に構える。シロハもそれに応えるように、立ち位置を微妙に変える。勇者の方を一瞥し、握っている手を放す。
「ですので、その化けの皮、剥がさせてもらいます」
「敵うと思ってるの? 一介の情報屋が、歴代最強と謳われた私に」
「一介の情報屋……? あはは、まさか」
次の瞬間、シロハの目の前にナッツは迫っていた。
シロハもようやっと目を見開くがもう遅い。
「なっ!」
右手に構えていた札で、ナッツの左手の苦無を防ぐ。しかしナッツは二刀であり、片方を止めてももう一つの刃が迫る。そちらは流石にどうしようもなかった。首を捻ることで受けるダメージを最大限受け流す。目の上、眉毛の辺りをバターの様に引き裂いて鮮血を上げた。
「これでも昔は名立たるS級冒険者だったんですよ。殺す気で来ないシロハさん相手に負けるほど衰えてませんよっ」
「っ!」
そういい、ナッツは後ろに飛び退いた。かと思えば壁を蹴り、天井を蹴り、縦横無尽に空間を駆ける。
姿が見えないわけじゃない。
けれど知覚から攻撃までが早すぎる。
人間の反射神経では対応が間に合わない。
少しずつ、シロハの白い肌から鮮血が吹き上がる。
交差際に、ナッツは苦無で斬りつけているのだ。
「あはは、どうしたんですかシロハさん。突っ立てるだけだと死んじゃいますよ? 早く殺す気になってくださいよ」
「ふぅ……」
四方八方から聞こえる声に、シロハはため息をついた。まともにやり合ってどうにかなる相手ではない。
そして、未だに急所を狙わない当たり、殺す気もないと見える。懐から筆を取り出し、シロハは自身に文字を刻んだ。
「ほらほら! ちゃんとやり合わないと……!」
背後から亜音速で迫りくるナッツの攻撃。ゆらりと揺らぐシロハの影。シロハは紙一重で避けた。
受けるはずの抵抗を受けずに、ナッツはわずかに揺らめいた。とはいえ、次の一瞬には元の速度に戻っていたが。
「あはは、ようやく本気を出してくれましたか? それじゃあ、こちらも本気で行きますよ!」
言ってすぐに、ナッツは天井を駆け抜けた。頭上は人間にとって絶対の死角。シロハが使った術如何にかかわらず、対応できるものではない。
ただし、ナッツの知識の中では、だが。
「は、はぁっ!?」
これまでの斬撃とうって変わり、肩を刺すつもりで放った突き。しかし実際に突きささったたのはシロハの手のひら。苦無を握るナッツの手を、シロハは掴んで離さない。
「捕まえた」
そう言い、シロハの拳が振り抜かれる。拳はナッツの頬に当たって止まり、その運動量を漏らさずナッツに叩き込む。空中にいるナッツは衝撃を逃がそうとするが、ナッツがその手を掴んでいるせいでそれもかなわない。
「空趨鷲」
伸びたナッツの体を、シロハが投げ技で叩きつけた。肺を強打したナッツは空気を零し、苦無を握るシロハの手はより血飛沫が飛び散る。
「がはっ」
「痛ったぁ」
ナッツからもぎ取った苦無をナッツの太ももに突き刺す。ナッツが悲鳴を上げる。慌てて苦無を引き抜くが、もう先ほどのような高速機動はできないだろう。ナッツが無力化した瞬間である。
「はぁ、はぁ。なんですか、今の超反応。人間の動きじゃないでしょう」
「あんたが言うか。私は人間だよ。ただ、神経を強化しただけだよ」
シロハはその強化を解除し、治癒の魔法で手の平と腕の傷、それからナッツに付けられた細かな傷を癒した。
「神経を強化って……それ、痛覚も強まるんじゃ……」
「そりゃそうなるよね」
「ははっ、その上で手の平を犠牲にしたんですか。あはは、それは人間じゃない筈だ……がふッ!?」
途端、ナッツがもだえ苦しむ。
「シ、ロハさん。あなた、一体何を」
「ん、ああ。麻酔打った」
「麻酔? でも、麻痺毒を打つタイミングなんて……」
「あったんだよね、これが」
そういい、シロハはナッツの眼前に一枚の札を突きつける。
霊力を込めると、青い光が立ち込める。
穢れを見抜く、ルミナス光だ。
「私が龍神様を連れて国に帰ってきたとき、あんたの頬に文字を書いたでしょ。あれをあんたは真偽を見極めるものだと考えたみたいだけど残念。実際は対象を麻痺させる文字でした」
「なっ、にを。仮に、それが本当だったとして、とっくの昔に拭って……」
「穢れってさ、血と違って水なんかじゃなかなか落ちないんだよ。ほら、見なよ」
そういい、シロハは鏡を見せた。ナッツの左頬には確かに文字が刻まれている。ルミナス光に照らされ青く光るそれは、間違いなくシロハが使う神代文字の一種だった。
ナッツの顔が絶望に歪んでいく。
そしてナッツは狂ったように嗤いだした。
「く、くくはは。あーはっはっは!!」
シロハは麻酔の文字を使ったことがなかった。知識としては有していたが、今日まで使うタイミングがなかったのだ。それ故適当な加減で霊力を込めたが、過不足があったかと思い始めた。すくなくともシロハの知識に、麻酔を受けると笑いだすという一文はない。
「……ごめん加減ミスったかも。でもごめん、先に影を引きずり降ろしてくるから、それまでちょっと我慢してて」
「加減……? あはは、いやいや、完璧ですよ。四肢の末端に向かうほど痺れが増して、それでいて思考はすっきりしてます。その上霊力と魔力の反発も見受けられない。流石は【歴代最強の巫女】といったところですよ!」
「……だったら、あんたは何を笑ってるのよ」
シロハはあきれたように呟いた。
ナッツは変わらず笑いこけている。
「いや、なに。私の想像以上にシロハさんが穢れを有効活用してくれていて。あはは、いや、嬉しい誤算ですよ」
「何を言いたいの」
「分からないですかね。シロハさんが聞いた、私の目的と同じですよ。国盗りより、勇者より、何より優先すべき事」
言うや否や、ナッツの体から瘴気が溢れる。
ルミナス光にあてられたそれは、順次青く光る。
「あんたまさか!」
「あはは、穢れを使えるのはシロハさんだけではないんですよ。むしろ、私の方が先を行くかな?」
ナッツの頬の神代文字を、穢れが塗りつぶしていく。
半紙に書いた筆文字に、墨汁をブチまけるように。
「穢れの活用方法、教えてあげますよ」
そこにいたのは、全身を黒くし、白目と黒目を入れ替えた。
悪魔のような情報屋だった。




