11話「嚆矢」
ルミナス大神社での討ち洩らしが、国家転覆を狙っている。
その知らせを受けた影は、国王の葬儀より戴冠式より、これの再殺を優先した。
城下町には傭兵や憲兵が溢れている。
民衆たちはそれを見て、噂話に花を咲かせた。
『なんだか今日は兵隊さんが多いわね』
『ここだけの話、クーデターを企てた奴がいるらしいわ』
『あのお優しかった姫様が、国王様の葬儀より優先させるなんて……』
『誰にも内緒だが、お姫様も偽物が成り代わってるらしいぜ』
『こいつはあくまで噂だが――』
『お隣さんのお隣さんが教えてくださったのだけど――』
悪事千里を走るというか、噂は鼠算の様に広まった。
これを知った影が急いで緘口令を敷くも時すでに遅し。むしろそれが更に噂に拍車をかける。
噂を広め、恐怖心を煽る者。
好機とみて旗を揚げる、政府に反感を持つ者達。
その影に隠れるように盗みや暴動を起こす者。
国の治安を恐れて出国を求める者達。
数日の内に国は狂乱に陥っていた。
「いやぁ、大変なことになりましたね」
「情報屋……、あんた一体何をしたの?」
「何って、そんな大それたことはしてませんよ。あくまで火種を用意しただけ。そこに木綿を被せたのも、風を吹き付けたのも私じゃありませんからね。せいぜい自由研究みたいなものです」
「自由研究って……、ナッツさん! この件で被害を被るのは私たちじゃなく国民の皆さんなんですよ!?」
「それを選択したのはシロハさんですから」
スラムを囲う聳えたつ岩壁。
建物の影に紛れるように、三人は立ち、話し合っていた。
「そうね。正直見くびっていたわ」
「シロハさん! でも!」
「ええ。これ以上長引かせるとまずいですね。日没とともに仕掛けましょう」
「おや、その事私に聞かせてしまっていいんですか? 私は影武者の方ともつながっていますよ?」
「今更あんたが何か言ったところで信じられないでしょうに。いや、緘口令を敷くようなバカならあるいは信じるか?」
指を口にあて思案に耽るシロハ。
ナッツはそんな様子を楽しそうに眺め、アリサは不気味さを感じていた。ナッツの笑みはアリサに向けるものと変わらない。それでもどこか怪しいと思う、言葉にならない何かがあった。
「で、どうします? シロハさん。私はどっちでもいいですけど」
「嘘ね。いくら火種を作っただけと言っても、根回しは十全にしたんでしょう? そこまでしたのは後々不利益を巻き返すだけの算段があったから。そしてそれは今、私から巻き上げるつもりでしょう」
「あはは。お見通しというわけですか。でも、そこまで読めればこそ、最善手が何か分かっているんでしょう?」
「お二人とも、何の話を」
シロハとナッツのやり取りは、二手三手先のところで行われている。それも、随分腹黒い応酬だ。
アリサもまた、王族である以上、そういったやり取りを見たことは少なくない。それでも、親しい二人がそんなことをしているなんて発想に至るはずもなく、一人会話進行から取り残されている。
「いいですか、姫様。現状私たちに取れる選択肢は大きく三つです。一つ、情報を秘匿する。二つ、情報の流出を放っておく。三つ、偽の情報を掴ませる。これら以外の選択肢は存在せず、必ずいずれかのルートを進む必要があります」
「え、えぇ」
「しかしこのうち二つ目の選択肢は選べません。これを選ぶと情報の真偽に関わらず、影は持てる兵力の大半を王城に集めるでしょう。そうすると姫様のいう、罪なき民が血を流すことになります」
「それは選びたくないですわね……」
シロハは言いつつ、自らの失態を痛感していた。
けれどこの情報屋であれば、何らかの方法で襲撃のタイミングを掴むであろうし、結局は同じかと思う事にした。
そもそも彼女たちのもとに現れたという事は、動向をきちんと把握していたという事だ。こちらの行動は全て筒抜けだと考えて差し支えないだろう。
「となると、取れる選択肢は二つになります。情報を隠すか、偽情報を流すか」
「どちらにせよ私は儲かりそうなんでいいんですけどね~」
「情報屋、口じゃなくあんたの息の根を止めるって選択肢があるのを忘れない事ね」
「そ、それはダメです!」
シロハはアリサの言葉に、またも違和感を覚えた。
最初にアリサと会った時、シロハは返り血を浴びていた。シロハが生物を殺す、あるいは傷つけたことなんて、容易に思い至るはず。また、それに気付かないほどシロハの知るアリサは阿呆ではない。
だというのに、勇者の時といい、今といい。
アリサはシロハが穢れることを異様に忌み嫌う。
もう、今更だというのに。
「アリサ姫、あくまで選択肢の一つです」
「そ、それでも私は、シロハさんにそんな事してほしくないのです」
「はいはーい。私も! 私もシロハさんに殺人なんてしてほしくありません!」
「姫様やっぱり天誅を加えましょう、天誅」
「そんな軽いノリで加えてはいけませんよ!?」
怖い眼をして札を構えるシロハを、アリサが必死に止める。
ナッツは怖い怖いと一歩後ずさり、シロハの間合いの外に出る。
「ちっ、そういうわけだから……、そうね。『明日の日没とともに攻め込む』とでも触れ込んできて」
「まいどありー。で、お代の方は?」
「姫様が無事に戴冠できたら払うわ」
「まぁ前回は先払いしてもらいましたしそれでいいですよ。その代わり、必ず成し遂げてくださいね」
「あんたが邪魔しなければね」
そんな二人のやり取りを、アリサは見ている事しかできなかった。
成ろう事なら、血の流れないように。
そう祈りながら。
*
さて、戦争には準備が必要だ。
二人が龍神様を味方につけたのもそうだが、シロハはこの数日、札作りに没頭していた。
勇者とすれ違った当日に王城に攻め入らなかったのも、ひとえに大勢を相手にするには資材が不足していたことに起因する。
そしてその準備は整った。
もっとも、空間拡張術を使えるシロハにとって札の過多は問題にならないため、万全という表現は適さない。それでも一国を打ち滅ぼすにあたり、必要だろう札は準備できたというのがシロハの考えだった。
西の空に、陽が沈む。
真紅に燃える夕焼け空は、広がる山々を闇で覆う。
夜が迫るのは、東からだったか西からだったか。
あるいは逃れられない呪縛かもしれない。
予想通り、しばらくすると世界が光を忘れ去る。
「……ちっぽけな存在だね」
スラムにそびえる岩壁に立ち、国を眼下に一望し。
弓を引き絞り、シロハは言う。
穂先にはシロハがここ数日で用意した札が巻き付けられており、矢文のような見た目になっている。
シロハがその指を離せば、しなる弓がうなり上げる。放たれた矢は闇を切り裂いて、狙い通り王城の片隅に突き刺さる。一つ二つと、続けざまに矢を放つ。王国側が気付いた様子はない。
人間の目は光量によって虹彩を絞る。この時徐々に暗闇に目が慣れる様子を暗順応という。部屋の電気を消した後、少しすれば僅かな灯りで空間を把握できるのはこの能力に起因する。
そして夕暮れ時は、この暗順応が間に合わない時間に当たる。この条件下で矢を見つけるのは些か厳しい所がある。
シロハが的確に矢を射れるのは、自身に【適視】の文字を使っているからだ。
「龍神様、龍神様。神代の契りに基づいて、汝の魂我が呼びかけに応え給え」
依り代を取り出し、龍神様を呼び出す。
空に広がる龍の姿に、流石に誰もが気付いた。
遠く、下から、喧騒が広がっていく。
シロハは【遠視】の文字を使い、城の様子を窺う。
暫くして城門が開かれ、山で出会った男が現れる。
龍神様に合図し、なるたけ遠くに逃げるように指示を出す。
勇者が龍神の逃げた方に向かうのを確認してから、シロハは追加で一本の矢を放った。
その矢にも今まで同様札が括りつけられている。
しかしその中身は他とは違う。
それは時限式で近くの神代文字を起動する。
「さぁ、始めようか」
最期にはなった矢が弾けるのを待つ。事前に打ち込んだ札が起動すればシロハの分身となり、王城を内部から攻略する。その好きに一気に攻城する。
機を窺っていると、岩壁を一人の女性が登ってきた。
「シ、シロハさん!」
「姫様、どうしてここに」
「シロハさん一人に罪を背負わせるわけにはいきません! 私もご一緒します」
「私がそれを肯定するとでも?」
「これは決定事項です!」
その時だった。
せ時限式の札が起動する。
たった今、話していたシロハが札に変わる。
「……シロハさん?」
ばらけた札が、風に吹かれて宙を舞う。
矢を放っていたシロハは、最初から分身体だったのだ。最後にはなった矢こそが、本物のシロハ。彼女は変身術で自身を打ち出したのだった。
「シロハさん!」
アリサは急いで、スラムの岩壁を下る。
すべてが手遅れになる前に。
*
『ひっ、ひぃ! なんだ貴様! よ、寄るな!』
『隊長! 二時の方角から侵入者です!』
『言われんでもわかっとるわ!』
『隊長! 五時の方角からも侵入者です!』
『なんだと!?』
難なく城内に忍び込んだシロハ。
この状況を正しく把握しているのは彼女一人。
城の外には何人もの彼女が現れ、対応する兵士は混乱するばかりだ。
襲撃が明日と聞いて警備を手薄にしたのか、兵士の数はすこぶる少ない。
自身と兵士の合戦を尻目に、シロハは王城の窓から侵入した。
ずっと昔、子供の頃。アリサに連れられ探検したことがあり、王城の見取り図は大体頭に入っている。
接敵を回避しつつ、あるいは意識を刈り取りつつ、シロハは王の間まで一直線にやってきた。無駄に荘厳で豪奢な扉を蹴飛ばして開く。
しかしそこにいたのは、シロハの予想とは大きく異なる人物だった。
「なっ、なんであんたがここに!」
人当たりの良さそうな風貌に、跳ねた髪。
青を基調とした装束に、赤いマフラーが印象を掴む。
その人物は、先ほど龍神を追って外に出たはずの人物。
「やぁ、また会ったね」
「勇者、ウォルグ……ッ!」
突き刺すような眼光が、シロハを捉えた。




