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邪教堕ち巫女さま天下泰平《ミュートロギア》  作者: 一ノ瀬るちあ/エルティ


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10話「はいぱー語彙ぱぅわー」

 風の吹き抜ける草原。

 鼻に入る若葉の香り。

 二人の帰路は、平穏無事そのものだった。

 その代わりに、言葉を交わすことも少なかったが。


(どうしてあの時、姫様は私を止めたんだろう)


 シロハはずっと、その事を考えていた。


(勇者はこの先、確実に障害になる。あの時なら、確実にやれた)


 山の中腹で勇者ウォルグとすれ違った時、シロハはウォルグを殺すチャンスと見た。一切の躊躇なく振るわれた凶刃は、他ならぬ姫によって阻まれた。シロハにはアリサの言動が矛盾しているようにしか思えない。なにかしら、意図的に隠し事をしているのではないか。そんな疑問が湧き出でる。


 シロハが真剣にその事を考えているせいで、アリサはシロハに声を掛けるタイミングを掴めずにいた。もっと言えば、なまじシロハの考えていることを的確に理解しているからこそ、墓穴を掘らないように閉口せざるを得ない状況だ。シロハは邪神ネバダと違うと信じる一方で、同じ道をたどるのではないかと疑ってもいた。


 二人がそんな状況だったから、会話がなくなるのも当然だろう。

 風に吹かれる雑草の歌声を聞きながら、二人は王国に足を向ける。

 王国の門に差し掛かった時、ひょいと影から女性が飛び出した。


「ややっ! ご両人方、こんなところで会うなんて奇遇ですね!」

「ナッツさん!」

「情報屋……何の用?」


 二人の前に現れたのは、情報屋のナッツ。

 放逐されたアリサを保護した人物で、二人を引き合わせた人物でもある。


「やだなぁ、シロハさん。言ったでしょう? 偶然ですよっ、ぐーぜん!」

「偶然なら、私たちが外から来たことにどうして疑問を抱かないのよ」

「あはは」

「ごまかしてないで……」


 シロハ達は昨日、認識阻害の呪術を使うことで門番をやり過ごした。情報が漏れ出るはずはない。ここにナッツが居るという事はすなわち、何らかの方法で行動を監視していて、帰ってくるタイミングに合わせて鉢合わせたと考えるのが自然だった。


「あはは、偶然ですよ。偶然私が依り代の事について知っていて、たまたま霊泉の場所を知っていて、図らずしも禿山の事象を観測できただけです」

「きちんとスナイプしてんじゃないの」

「あはは、偶然って怖いですねぇ!」


 ナッツにペースを掴まれて、シロハは頭を抱えたくなった。これ以上不毛な論争をしても詮無き事と思ったシロハはナッツに用件を離すように促す。


「いやぁ、結局、ドラゴンの件はどうなったのかなぁと思いまして」

「ドラゴン……? ああ、龍神様の事ですね! 龍神様なら……ムゴッ!?」

「情報屋、信頼関係云々はどうした。タダで情報掴もうとしてんじゃないよ」

「やー、ダメかぁ。結構口車に乗せられる人多いんですけどね」


 滑りそうなアリサの口を、シロハはかろうじて押さえつけた。彼女たちが無事にここに居る事と、アリサの声色からおおよそ正しく事態を把握しているだろうが。

 シロハの考えは正しく、ナッツは次点で交渉に入る。手をパンと叩き、一度話を切った。


「ところでシロハさん。供給曲線は知っていますか?」

「さぁ? 流通なんて知らないわよ」

「アリサさんは?」

「えっと、価格が安いほど買い手は増えるというものですよね?」

「おお! ですです!」


 アリサの解答にナッツは満足げに頷く。

 シロハはそんな当たり前の事なら普通に言えばいいのにと思っていた。


「ではもう一つ、『悪貨は良貨を駆逐する』という言葉はご存じですか?」

「質の悪いものほど広く流布し、良質なものは淘汰されるという言葉ですよね」

「おお! 流石アリサさん!」

「情報屋、こちとら七面倒くさい駆け引きに付き合う気は無いのよ。簡潔に表しなさい」


 シロハの怒気にあてられて、ナッツは両手を上げた。根付けたい知識は刷り込めたため、ナッツとしては問題ない。よく通る声で語る。


「根も葉もない噂と、根拠のある真実。どっちの方が早く広まると思います?」

「……ああ、そういうこと」


 シロハは納得したように舌を打ち、ナッツは悪戯を仕掛けた子供の様に舌を出した。

 唯一理解の追い付いていないアリサだけが右往左往する。


「え、えと。シロハさん。つまりどういう事ですか?」

「王国、あるいは傭兵ギルドとかもそうかな。彼らに私たちが国盗りを試みていることをバラされたくなければ真実を話せ。そう申してるんですよ」

「ちょっとちょっとー、シロハさん! 誰がいつそんな物騒なこと言いましたか! あくまで穏便かつ穏健に交渉しようとしてるじゃないですか」


 ナッツの主張を受けて、シロハは親指の腹を犬歯で切る。ぷくりと溢れた血を使い、ささっとナッツの頬に血文字を刻む。


「本心は脅すつもりである、そうでしょう?」

「……」

「え、えと。ナッツさん?」

「……」


 遥か昔、巫女の中には戒律を破ったかどうか判断する術を持っているものがいたという。それを知っていたナッツは、自らの頬に刻まれた文字を真偽を判定する類のものだろうと予測した。それ故閉口し、馬脚を露すことを回避したのだった。

 懐から手拭を取り出し、頬の血をふき取る。

 それを見てシロハはため息をついた。


「はぁ、あんた、いつもはあんなに口が軽いのに勘は鋭いのね」

「口が軽いわけじゃなくて舌がよく回るだけですよ! 見てください! このはいぱー語彙ぱぅわーを!」

「ナッツさん……、語彙は見るものではないです」

「なっ!?」


 ナッツが驚愕の表情を浮かべる。


「まさかボケ役のアリサさんに突っ込まれるとは……っ!」

「ボケ役!?」


 アリサとナッツの漫才は放っておいて、シロハは考えていた。

 この状況で取れる選択肢は二つだ。

 尻尾を出すか、出さないか。

 情報を王国に流すか流さないかだ。


 流さない場合のメリットは奇襲が出来る事か。

 ただし、勇者の在否を知る手段がなければ仕掛ける隙もないだろう。


 流す場合のメリットは勇者の動向をある程度掴める点か。他方デメリットは相手にもこちらの動きを知られ、対策を立てられる点が挙げられる。


 単純な損得勘定で言えば前者を選ぶべきだろう。しかし今回の作戦に合致しているのは後者であり、何より情報屋の裏をかけるという点が、シロハの判断を困らせていた。


「シロハさんからも言ってあげてください!」

「……いえ、ここは何も言わないでおきましょう」

「シロハさん!?」


 アリサは自分がボケ役ではないとシロハに証明を求めた。

 しかしシロハは漫才の成り行きを知らないので、情報を明け渡すかどうかの話だと思っている。

 シロハにまでボケ役認定されたと思ったアリサは王族らしからぬだらけ切った顔でシロハにもたれ掛かった。


「あやー。言っちゃいますよ? 国王様にも傭兵ギルドにも冒険者ギルドにも言っちゃいますよ?」

「大丈夫、情報屋の口は堅い」

「おおっと! 研鑽に研鑽を積み研磨された口が滑りそうだ」

「滑り止めに縫い合わせてしまおうか」


 シロハの目の笑っていない笑顔に、ナッツは窮鼠の様に立ちつくす。

 だが窮鼠とて、牙を持たないわけじゃあない。


「私は自分の利になるように行動しますよ?」

「私がどう行動したところで、結局得するように動いているんでしょう?」

「まぁそうなんですけどねぇ。ちょっと予想外です」


 想定の範囲内ではあるんですけどね、とナッツは続ける。


「ただ、理由だけお伺いしてもいいですか? まさか不意打ちを卑怯だとか言うわけではないでしょう?」

「そりゃそうよ。この世界には正義も悪もない、在るのは名誉と屈辱だけ。理由はその頭で考えなさい」

「うへぇ、人の心情を察するの、苦手なんですけどね……」


 ナッツはうんざりとした表情でそう呟いた。

 その後幾分か重くなった足取りで、再び王国の方へ歩いて行く。どうやら本当に龍神をどうしたのかを聞きに来ただけらしい。


「あ、そうだ」


 そう言って、ナッツがこちらに振り替える。

 まだ何かあるのかとシロハは顔を顰めたが、続く話は重要なものだった。


「国王様が昨晩、遂に崩御なされたらしいですよ」

「お父様が!?」


 国王の死の知らせを聞いて、落ち込んでいたアリサが息を吹き返した。

 しかしその目は死んだように絶望に揺れている。


「数日のうちに戴冠式が行われ、アリサ様が(・・・・・)新国王となられるそうです」


 そういってナッツは、もう一度シロハの方を見る。

 シロハは何も言わない。

 そんな様子を見て、ナッツは得心いったとばかりに頷く。


「なるほどね。敢えて私に情報を拡散させるつもりでしたか」

「そういうこと」

「じゃあ、私が動かなかったら困ります?」

「いえ? その時は当初の計画に戻すまでよ」

「はぁ、私がどこに行こうと掌の上という事ですか。やんなっちゃいますね」


 ナッツはそう言うと踵を返し今度こそ王国に向かった。



 龍神様がお怒りであるという事は、瞬く間に世に広まった。


 悪い巫女が、国盗りを狙っている。

 そんな一文と共に。

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