母としての決意
おずおずと隣にクローリナが座った。
「この教会、すごく派手ね。昔は黄昏の教会なんて言われていたんでしょう?」
「はい……私が来た時はボロボロの建物しかなくて……食べ物も自給自足で……」
「それがどうしてこんな事に?」
「お父様は罰を与える為にここに私を送ったのです。それなのに……いつの間にかこの村がフローレンス領になり、修道院が教会になり、多額の寄付がされるようになりました」
多額の寄付金が出た事により、クリス神父が派遣された。
寄付によって修道女達の生活もうるおい、黄昏の教会などと言われる事が無くなった。
苦しい生活から脱した事をクローリナは喜んでいたものの、これはすべて『あの子』がした事だと考えなくても分かる事だった。
それからクローリナは何かと特別扱いされた。
多額の寄付はクローリナがここに居るからだと教会も分かっていたのだろう。
それから苦悩の日々が始まった。
罰を与えられるためにここに来たのに、特別扱いされ他の修道女が行う雑務をしなくて良いと神父に言われ続けた。
どうしてここに居るのか、何の為にここに居るのか。
全ては自分が犯した罪の禊を行う為のはずなのに。
「犯した罪は元に戻せない。私は一生罪人です……誘いに乗った私が愚かだったのです」
「……無理矢理だったと聞いています」
「無理矢理でも何でも……私が婚約者以外の子を孕み、産んだ事は事実ですから……」
「悔いて……いるのですか」
「何度も悔いました。神に許しを請いました……それだけしか出来なかった」
「………」
「直接会って謝罪する事も許される事もできませんから……」
クローリナは無理をして笑った。
どうやらクライド様がこの教会にいらした事が無い事が分かった。
さすがに顔は会わせられなかったか。
「クライド様があなたを悪く言う事はありませんでした。もう許していると……」
「嘘。嘘よ!」
力の抜けた表情と声で話していたクローリナが叫んだ。
「私に罪を忘れさせないためにこんな事をしているのでしょう!? 忘れたりなど絶対にしないのに! 私に罪悪感を覚えさせるためなんだわ!」
「クライド様はそのような方ではありません!」
耐え切れず大声で反論してしまった。
二人で口をつぐむ。
またクローリナが泣き始めた。
「あの子にそんな気は無い事は百も承知です……とっても優しい子でしたから……」
思わずクライド様を悪く言ってしまったのは自分が弱いからだと泣きながら語るクローリナ。
雑務の免除で、他の修道女と折り合いが悪いらしく孤独なようだ。
「クローリナさんは……クライド様をあの子、と呼ぶのですね」
クローリナは赤くなった後、青くなった。
「申し訳ありません、癖で……婚約者と言うより弟として見ていたので……」
「クライド様とは幼少期からの付き合いですか?」
「はい……天使のように可愛らしい子で……母親の件が無ければ冴えない令嬢と婚約する事も無かったでしょう……」
極度の人間不信に陥ったクライド様に親しい令嬢を婚約者としてあてがった。
……そんな所だろうか。
「私、アイリーン様に会えてとても安心したんです」
「何故かしら?」
「あの子……クライド様も恋をして結婚したんだと、これから楽しい事が沢山待って居るんだって……そう、思ったのです」
「どうして恋愛結婚だと思ったの? 家が決めた結婚かも知れないわ」
「それは……貴方様がとても幸せそうにクライド様の名を呼ぶから」
思わず指先で唇に触れた。
幸せそうに呼んでいたかしら。
「この教会では結婚式も行われます。新婦が新郎を呼ぶ時みたいにクライド様の名を言うので、幸せなんだな、と……それに、恋愛結婚したと最近噂で聞いたので……」
と、言う事はつまり……
私は知らない間に幸せを振りまいていた事になる。
身悶えそうになるのを何とか堪える。
恥ずかしい……変な汗が背中を伝う。
「結婚して妻が居るのに、私なんかにお金を使うのはおかしいでしょう?」
クローリナが笑顔を浮かべる。
確かに、元婚約者に貢ぐのは違う気がする。
「寄付を辞めさせてください。お願いします」
深々と頭を下げるクローリナ。
考えるまでも無く頷く。
「あなたがそれでいいのなら、伝えておくわ」
「ありがとうございます」
「ねえ、一つだけ聞いても良いかしら」
「何でしょう?」
「幼少期のクライド様って、どれだけ可愛らしかったの?」
クローリナは何度か瞬きをした。
そしてはじけた笑顔を見せた後、嬉々として語りだした。
「天使です。線が細くて私より女の子でした! あっ、私のドレスを着せた事がありまして、似合いすぎてプレゼントしたぐらいです」
「えっ、それって女装……」
「顔立ち綺麗でまつげ長くって、髪が長ければ完全に女の子でした!」
クローリナの笑顔に固まる。
髪が短くて男装までした私とは正反対じゃないか。
クライド様が幼少期の事をあまり話さないのって、これが原因なのではなかろうか。
「今では全く似合わなくなってしまったんでしょうね……最後に会った時はギリギリいけそうな雰囲気だったのですが……」
クローリナが最後にクライド様に会ったのは、軍に入る前の時だったらしく、今ほど体格は良くなかったようだ。
筋肉は偉大だ……今のクライド様に女装はきつい。
取り敢えず、クローリナがクライド様を恋愛対象として見ていなかった事が良く分かった。
クライド様は着せ替え人形じゃありません。
……見たくないと言えば嘘になるけど。
「そう言えば、ヴィクトルがどうなったのか知ってる?」
「え……あの人、また何かしたのですか」
「この国を出て行ったみたい。きっと戻って来れないわ、罪人だもの」
「罪人……? どう言う事ですか?」
「女性を暴行したの。牢に入れられていたのだけど、脱獄したのよ」
「それで他国に?」
笑顔を向けると、クローリナは何とも言えない表情で顎を引いた。
自分を孕ませ捨てた男が不幸になって嬉しくないのかしら?
「実は……孤児院が併設になりまして……」
「聞いてるわ」
「私が産んだ子をここに迎え入れて育てる事になったのです……」
「憎い男の子を育てるの?」
クローリナがここに居るのはその子供が原因だろうに。
「驚くのも無理有りませんよね……憎い男の子供ですものね……」
思い出したかのようにクローリナがお腹を撫で始めた。
「実は私、子供の名前も性別も知らないんです」
「えっ」
「産んですぐ取り上げられてしまったので……本当に悲しかった……」
出産をした時を思い出しているのか、クローリナは遠い景色を眺めた。
「子供が生まれると、母乳が出るようになるの」
クローリナの涙が頬を伝った。
「でも、母乳を欲している赤ちゃんが居ない……痛かった。毎日毎日母乳で胸が張って……痛みの度に思い出すのよ、赤ん坊の存在を……」
「………」
「産んだ子には抱きしめてくれる母親も父親も居ない。子供に罪は無いのに……」
「それで、孤児院に?」
「はい」
クローリナは涙を流してはいたが、幸せそうに笑った。
「過去は変えられないと悟りました。前を見て生きていくしかないんです」
「憎い男の子を育てる事が前を見る事なの?」
「確かに憎い男の子です……でも、私の子でもあります」
自分の子供だから育てたい、か……
少しだけ悩んでいると、クローリナが再び笑う。
「母親になれば分かります。自分の事より、子供の事が大切になるんです」
お腹をさする。
分かるだろうか?
自分が母親になる未来がまだ見えない。
そう遠くない未来に子供は欲しいけど……
「私は産んだ子を育てます。だからクライド様も前を見て欲しい」
「寄付を辞めさせれば、前を見る事になると?」
「私に関わるのを辞めてほしいんです。ヴィクトルの子を育てる私の事を忘れて欲しいから」
「クライド様があなたを忘れる事なんてありえないと思います」
「だから貴方様にお願いしているのです」
クローリナが私の手を握った。
「私の事など忘れるぐらい、あの子を幸せにしてください」
泣きながら笑うクローリナの、決別の言葉。
過去を振り返らず誰にも頼らないで自分の子を育てる。
これが、母親、か。
クローリナがその場から去って行く。
これ以上話す事はもう無いと悲しみを背負った背中を向けて。
「……?」
手の中にはハンカチに包まれた球根があった。
さっき手渡しされたものだ。
手の平の上でコロコロと球根を転がす。
……屋敷に戻ったら植えてみるか。
*****
「ただいま戻りました」
十二日で戻って来るのは案外きつい。
カザリアブランカ教会には数刻しか居られなかった。
クライド様との約束だから、無理に戻って来た。
外は真っ暗、ギリギリの帰還だ。
「お帰りー、遅かったね?」
「遅くなってすみません」
「いいんだよ。いつもと立場が逆になっちゃったね?」
既に王城から帰っていたクライド様に迎え入れられた。
いつもは私がクライド様をお迎えしていたから、確かに逆の立場になっている。
「アイリーンをお出迎えするのって、なんか楽しいかも」
ニヤニヤと猫のように笑いながら私を腕の中に収める。
飼い主にすり寄る猫のようだ。
「……ん?」
足に何か柔らかい物が当たった。
ふと見ると闇にまぎれてフィンが足にすり寄っていた。
初めてフィンにすりすりされて驚いていると、
「フィンも寂しかったんじゃない?」
フィンも? クライド様も寂しかったのだろうか。
「どうだった? 教会は」
歩き出したクライド様に付いて行く。
「無駄に贅沢な教会でした」
「君がそう思うのだからやりすぎてるのかー」
「……会って来ましたよ」
「………」
無言のままクライド様は扉を開けた。
「随分と様変わりしましたね」
ここはクライド様の自室。
書類が置かれていた机が無くなり、部屋が広くなったように感じる。
物が多い部屋だったが、いくつか移動したのか前よりさっぱりした印象。
相変わらず壁には剣が飾られてはいるけれど……
「元気だった?」
ベッドに座りながら質問を投げられて、息を吐いた。
元婚約者の事、気にはしていたけど会いに行けなくて代わりに私に行かせたような気がする。
「元気でした。寄付を辞めるように言われました」
「やっぱり?」
「あの額はやりすぎですよ」
「う~ん」
クライド様が考え始めてしまった。
隣に座って思案顔を見上げる。
……女装は似合いそうもなさそうだ。
「領地経営のモチベーションだったんだけどなあ……」
「ええ?」
「そんなに嫌がってた?」
「滅茶苦茶嫌がってましたよ」
「そんなに、かあ……」
眉を寄せたまま、へこんだのか顔を歪める。
「自分の事はもういいから、前を見て欲しいと言っていました」
「………」
「妻が居るのに元婚約者に大枚はたくのも違うと思うのですが?」
「そりゃそうだ」
納得したように頷くクライド様は、どこか吹っ切れた表情をしている。
「寄付を減らすよ、最終的には無くす。それでいい?」
「クライド様がお決めになったのなら、異論はありません」
いきなり寄付を辞めるのは問題になりそうだから少しずつ、と言う事だろう。
「これからは君の事だけ考えるよ」
「……」
「ね?」
やばい、十二日も離れていたせいかクライド様に対する耐性が無くなってる。
つまり心臓が痛い。
その笑顔は反則だって言ってるでしょうが!
「……アイリーン」
クライド様に頬を撫でられた。
あ……まずい。
「あ、待ってくださ……」
唇が重なる。
強引なキスに久々に目眩がする。
ようやく慣れて来たと思っていたのに……初めからやり直しだ。
「あ、あぁ……待って……」
首筋にキスされて、服を脱がされ始める。
こんなに恥ずかしかっただろうか。
頭に血がのぼる。
「十二日ぶりだから我慢しないよ」
耳元で囁かれたその言葉に、ハッと冷静になる。
今日、いっぱい汗掻いた!
お風呂入ってない!
「あー、ああー……クライド様?」
「なに?」
「お風呂入ってきていいですか……?」
半分脱がされかかってる状態で何を言ってるの? とクライド様の顔に書いてあるようだ。
だって、さっき帰って来たばっかりで、準備も何も出来なかったんだもの!
「昨日入った?」
「昨日は宿で……」
「じゃあいいや」
「よくないです」
「僕は気にしない」
「私は気にします」
「我慢できない」
「して下さい」
「えー?」
不満そうに唇を尖らせるクライド様。
子供みたいだな……可愛いけどお風呂だけは譲れない……
「すぐ戻ってきますから……離してください……」
私の体を抱え込む腕から逃れようとするが、意味は無く体力を消耗するだけ。
ただでさえ旅行で疲れているのに。
「……クライド様?」
目が合ったクライド様は、悪魔的なひらめきをしたのか悪い表情でニヤッと笑っていた。
……いやな予感がする。
「じゃあお風呂入ろうか」
「は、はい……入ってきます」
「一緒に」
……ん?
首を傾げる。
今、なんと言った?
「僕も一緒に入る」
「何に?」
「お風呂に」
嫌な汗が吹き出す。
一緒にお風呂!? 無理無理無理! 絶対無理!
「じゃあ行こう」
「っ! 待っ……!」
私の意思を無視してクライド様は私を抱えて部屋を出た。
逃げられない!
バタバタ暴れる私にクライド様が呆れたように言う。
「お風呂に入りたかったんでしょ?」
「クライド様はもう入ったんじゃないんですか!?」
「入ったよ」
「また入る事無いじゃないですか!?」
「入らなくても良いんだけど……」
暴れる私に構わずクライド様は進む。
「早く君が欲しくてたまらないんだ」
暗闇でも分かるぐらい赤くなるクライド様を見て、何も思わないはずもなく。
そんな若干恥ずかしがってるように言わなくても……
こっちまで恥ずかしくなっちゃうのに……
長い期間会ってなかったから気持ちは分かる。
もう拒否できないじゃんか。
「分かりました……」
暴れるのを辞めて逆に抱き着くとクライド様は嬉しそうに微笑んだ。




