表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/37

カザリアブランカ教会


馬車の中でうとうとと舟をこぎ始める。


『ちゃんと帰って来てね』


あの日の夜、体の奥に刻まれた熱が夢となって再現する。

ああ、いけない。まだ昼前だと言うのに。

早く帰りたくてしょうがない気持ちになってしまう。


『愛しているよ』


耳元で何度も囁かれ続けた夜は、もう六日も前の事。

執拗に繰り返された言葉が耳に残り続ける。


「奥様?」


ハッ、と意識が現実に返る。

隣でケイトが心配そうな顔をしている。


「お顔、赤いようですが……大丈夫ですか?」

「えっ……大丈夫よ」

「? さようでございますか」


こんな時に夜の営みを思い出してどうする気だったんだ。

もう本当に最低だ。


「奥様、見えてきましたよ。あれがブランカ村です」


御者が指差す方には小さな村が見えた。

広大な田畑の中央にぽつんと巨大な建物が見える。

そう言えばフローレンス家を出る際、御者は行先をすでに知っていた。

私の行動は全てクライド様に筒抜け、と思っておこう。


「あちらの大きな建物がカザリアブランカ教会になります」


遠くからでも目立つ白く屋根が青い建物が件のカザリアブランカ教会のようだ。

ここへ来る道中、大きな花を育てている畑があった。

あれは確か、カサブランカ。

御者の話ではカサブランカが有名な村らしく、名前もこれに由来する。

村の様子は貧しい村からそれなりの村へと発展途中と言った感じだ。

それだけに豪華絢爛な教会は異質な存在に見える。

馬車から降りてケイトと共に教会へ歩いて行く。

中はとても広く鮮やかな絵画が壁と天井一面に描かれている。

一番目を引くのは正面に位置する巨大なステンドグラスだ。

村の人達が何人も教会を訪れ神に祈りをささげている。


「立派な教会ですねー」


ケイトが感嘆の溜息を吐く。

ここまで立派な教会はあまりない。

貧しかっただろう村の教会としては不釣り合いだ。


「こんにちは」


掃き掃除をしている修道女に声をかける。


「当教会に何かご用でしょうか?」


貴族風な服装をした私とメイド服を着たケイトを見て、修道女が少しだけ眉を寄せた。

機嫌悪そう……最近修道女になった貴族女性、かしら。

こんなに大きな教会なら修道女の受け入れも盛んだろう。


「お仕事中ごめんなさい。私、アイリーン・フローレンスと申します」

「フローレンス?」

「当家をご存じで?」

「知ってるも何も……毎月大金を寄付してるって聞いてるわ」

「ええ、夫に代わって様子を見に来たのよ」

「……そう。ならクリス神父を呼んできてあげるわ」


適当に見てて、と言い残し修道女は去って行く。

フローレンスの名を出しただけで手紙の送り主に簡単に会える事になるとは……

末端の修道女もフローレンス家を知っていると言う事か。

あの大金では仕方ないのかもしれない。

私が知りたいのは、何故この教会に多額の寄付をするのか、だ。

……思い当たるのはあの人しかいないけれど……会えるだろうか。

ステンドグラスに差し込む光が乱反射している。

少しだけ目を細める。

赤子を抱く聖母が優しく微笑んでいる。

思わず自分のお腹をさすった。


「いやあ、お待たせして申し訳ありません」


バタバタと慌てた様子で神父が一人走り現れた。


「アイリーン・フローレンスです」

「クリス・ハロウェイと申します。カザリアブランカ教会で神父をしております」

「神父様でしたか……急な訪問をお許しください」

「急? いえ、事前に連絡があったのにもかかわらずこちらの準備不足が……」

「連絡?」

「ええ、クライド様から……」


クライド様は早馬で教会に私が行く事を伝える手紙を出していた。

行先を言う事も聞く事も無かったのに。

本当に、クライド様には勝てない。


「それではご案内いたします」


笑顔の神父の後を付いて教会の中を見て回る。

有名な画家が壁のデザインをした、有名工房にステンドグラスを作ってもらった、教会自体も有名建築家がデザインした、などなど。

どこを取っても金がかかっている教会だ。

一体いくらかかったのだろう?

……毎月あの金額を貰っていればこのぐらい建ってしまうのか。


「当教会では孤児院を併設します。この村は裕福とは言えず子供を育てられない家庭も多いのです」


長い廊下。白い壁に絵画がいくつも飾られている。

何人かの修道女とすれ違う。


「修道女の受け入れが盛んなのですね」

「……ええ、ここは元々修道院だったので」

「修道院がどうして教会に?」

「人の出入りがあった方が良いだろうと言うクライド様のお考えです」


クリス神父は笑顔を張り付けている。

確かに修道院では礼拝に訪れる人間はおらず、言ってしまえば閉鎖的だ。

それに……修道院に多額の寄付は出来ないが教会にならできる。


「ここが教会になったのはいつですか?」

「数年前です」

「修道院だった頃、ここはどのような状態でしたか?」

「……ここは黄昏の修道院と呼ばれていました」


貧しい村にある修道院は修道女の数も少なく、管理も行き届いていない。

こんな修道院へ娘を送る親はおらず、当時は狭いボロボロの建屋に修道女が三人居ただけ。

いつしか、終わりの修道院、黄昏の修道院、と呼ばれるようになった。


「ここに娘を送った親はどのような心境だったのでしょう……?」

「法では裁けない罪を犯した娘に罰を与えたかったのだと思われます」

「裁けない罪……」

「貴族は体裁を重んじます。苦しい思いをさせなくてはならないと考えたのかもしれません」

「何故、黄昏?」

「黄昏は一日の終わり、薄暗くなった夕方の事です。一日を修道女達の一生とかけたのだと聞き及んでいます……実際、長く生きた修道女は居なかったようです」


罰を与える為の修道院。

修道院へ行かせる事が罰なのだろうが、さらにつらい罰を与える為の……


「……」


ふ、と甘い香りが鼻に届いた。

視線を向けると庭に沢山のカサブランカが咲き乱れていた。


「綺麗な花」

「庭園をご覧になりますか?」

「ええ」


外に出ると太陽が照りつけていた。

少しだけ暑い。カサブランカが白く輝いているように見える。


「村で唯一誇れるものはカサブランカだけなもので……」

「そうかしら? この教会は素敵だわ、誇れるものだと思うけれど」

「そう言っていただけるとは、ありがたいです」


カサブランカに顔を近付ける。

甘ったるい匂いに息を吐いた。


「少し一人にしてもらってもよろしいかしら? 花を見て回りたいわ」

「当教会自慢の庭園です。カサブランカ以外も咲いています、是非ご覧ください」


クリス神父と一旦別れる。

一緒に付いて来たケイトにも一人になりたい事を告げ、庭園を回る事にした。

それにしても見事な庭園だ。

フローレンス家の薔薇園もすごいが、カサブランカと比べると花の大きさの違いからか教会の庭園の方が美しく感じる。

薔薇園の方は見慣れてしまったからよけいにそう感じるのかもしれない。

フローレンス家にカサブランカは……無かった。

カサブランカは種……じゃなくて球根だっただろうか。

一つ貰ってフローレンス家で育ててみたい。


「……あつい」


日差しのせいか暑く感じる。

丁度良く太陽を遮る木の下にベンチがあった。

ポケットからハンカチを取り出しながら座り、額を拭く。

……今日はいい天気だなあ、とぼんやり考える。


「………あの」


いつの間に隣に来ていたのか、一人の修道女がおぼん片手に立っていた。

ダークブラウンの瞳が複雑そうな表情に一瞬だけ歪む。


「よければどうぞ……」


そう言って氷と水の入ったグラスを差し出して来た。


「……ありがとう、いただくわ」

「………」


私に飲み物を渡す仕事だったのだろうと視線を逸らす。

しかし、修道女は立ち去らない。

無言でずっと立ちつくしている。

改めて修道女の姿を確認する。

ちょっとふくよかな体系にダークブラウンの瞳。髪色は帽子に隠れていて不明。

私に何か話したそうにしているが、何を話したらいいのか分からずに無言。


「どうぞ隣に座って」

「いえ……その……」

「私はあなたに会いに来たのよ。クローリナさん」


修道女が驚いた表情を浮かべた。


「私の事ご存じで……」

「クライド様が教えてくださったわ。ヴィクトルにやられたのでしょう?」


クローリナがじわりと涙を浮かべる。


「私、貴方様にお願いがあって参りました」

「……なにかしら?」

「あの子に……寄付をやめるようにお願いできませんでしょうか」

「……」

「私は裏切ったのです。もっと苦しい思いをしないといけないんです」


ぽろぽろと拳を握りしめ泣き始めるクローリナ。


「落ち着いて。座ってお話しましょう」

「これ以上何を話す事がございましょうか。本当なら姿を現す事も無礼なのに」

「あなたがクライド様の元婚約者だった事なら気にしてないわ」

「あの子には前を向いて欲しいだけ。私の事も忘れて欲しいだけなのです」


『あの子』、クライド様の事をそんな風に呼ぶのは、恐らくこの方だけだ。

私の知らないクライド様を垣間見ているようで少しだけ胸が痛い。

姉と弟のような関係だったと言っていたクライド様の話に信憑性が出てきた。


「落ち着いて、ほら………女性が泣いている所は見たくない」

「……!」

「涙が似合う女性なんて居ないよ」

「は……は、い」


ハンカチでクローリナの涙を拭う。

クローリナは驚いた表情の後、少しだけ顔を赤らめた。

かつらを被って女の恰好をした私でもアレンの技が通用するようだ。

……クローリナを口説いたなんてクライド様に言ったら怒られそうだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ