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ティールーム


ケイトが扉を開ける。


「まあ、すごく広いティールームですね!」

「あれ? この部屋は……」

「どうかなさいましたか?」

「……なんでもないわ」


無事に式を終えて、私はフローレンス家にやって来た。

結婚式は私の髪の事があって親族間だけのこじんまりしていたが、事情が事情なだけに仕方ないし、私はとても満足している。

クライド様の父、ライアン様ともお会いした。

見た目は親子だけあってクライド様とよく似ている。

違うのはクライド様は琥珀色の瞳なのに対して、ライアン様は青い深海の瞳だった。

それから……ライアン様は少し神経質そうだったが、普段は家に居ないから好きにして居なさい、と優しい言葉を貰った。

髪が短い事に対しては何も聞いてこない。

クライド様が説明してくれたんだろう。

ちなみに、修道院へ行くからと捨てた衣類やアクセサリーは全てフローレンス家に運び込まれていた。

みんなグルだったからこのぐらいは普通、と驚いたが自分に言い聞かせ納得した。

服を収納するのに時間がかかり、すでに午後だ。

クライド様が買い始めた長毛種の黒猫が窓枠であくびをした後、外に出て行った。

ちなみに、あの子に名前はまだないらしい。


「ケイト、少し疲れたわ……休みたい」

「ではこの部屋で、でしょうか?」

「そうね……少し一人にしてもらえる?」

「かしこまりました」


新しいメイド服を着たケイトが部屋の外に出て行った。

ここを私の好きにして良いからと言い残して、クライド様は王城へ向かった。

部屋には白い椅子が二脚だけ残っているだけで、他は全て運び出したのか残っていない。

ここはクライド様の母君の部屋だった。

あの時、私とお茶をした……トラウマの部屋。


「……………」


ようやく、クライド様は母親の呪縛から解き放たれたのだと、嬉しく思う。

窓にはカーテンすら取り外しており、薔薇園がとても良く見えた。

近付いて窓を開けて外を眺める。風がとても心地よい。


ガサッ


すぐ近くの薔薇の木が大きく揺れた。

根元で何かをしている人影があった。


「ごきげんよう」


フローレンス家の使用人とは仲良くしておきたいと声をかける。

人影が驚いたのか勢いよく顔を上げた。

恐らく、私よりも若い少年……? いや、ギリギリ青年か。

麦藁帽を被った青年は顔に泥を付けたまま目を見開いている。

その目は、とても美しい琥珀色だ。


「あっ! あのっ」


首を傾げる。

フローレンス家に来た際、使用人達とは全員顔を合わせているはず。

私より若い庭師は居なかったはずだ。

青年は一歩下がった。


「すみません! すみません! 申し訳ありません!」


ひとしきり謝った後、背を向け走り出そうとする青年。


「待って! 何に対して謝っているの?」

「そ、それ、は……」

「挨拶に対して謝罪なんて失礼では無いの?」


青年の顔が真っ青になった。

持っていた肥料の袋をその場に落とした。


「本当に申し訳ありません……アイリーンお嬢様……どうか、どうか……僕に会った事をクライド様に言わないで下さい……」

「私の事を知っているのね……ここの使用人?」

「使用人なんて! そんな大層なものではありません……」


使用人では無い?

どう見ても庭師にしか見えない。

会った事をクライド様に言ってはいけないって、どう言う事?


「大変申し訳ありませんでした。もう視界に入らないようにしますのでお許しを」

「……待って!」


少し考えて大きな声を出した。

青年は今にも泣きそうな顔をしている。


「少しお話なさらない? 休憩中で、話し相手が欲しかったのよ」

「し、しかし……貴方様と話す事を禁じられていて」

「誰がそんな事を言ったの?」

「そ、れは……」

「私は今あなたと話がしたいわ。部屋までいらして……安心して、クライド様には言わないわ」

「………」

「逆に逃げればクライド様に報告するわ」

「わっ、分かりました。それだけはご容赦を……」


青年は一度礼をした後、落とした肥料の袋を拾い走り去っていった。

……クライド様があの青年にわたしに会う事も話す事も禁じた。

理由なくこのような事をするお方では無い。

何かある……まあ、大体の察しはついているのだけれど……


「お待たせをいたしました……」


ビクビクしながら青年が部屋にやって来た。

さっきからずっと顔色が悪い。


「……?」


青年には歩く仕草や動きに妙な色気があった。


「どうぞ、座って。部屋の中で帽子は必要ないでしょう?」

「あ、あ、はい……申し訳ありません……」


青年に落ち着きがなく、緊張状態である事が分かる。

何かに怯えているようにも見えた。

麦藁帽の下から明るい茶色の髪が出てきた。


「……あなた、名前は?」

「い、いえ僕は名乗るような者じゃないので……」

「あなたは私の名前を知っているのに、不公平よ」

「う、うぅ……」


青年は迷いに迷っていた。


「………シュナイド、です……シュナとお呼び下さい」

「そう、シュナイド……良い名前ね」


笑顔で言うと、シュナイドも少しだけ緊張がほぐれたようだった。


「シュナが薔薇を管理しているの?」

「は、はい……クライド様は僕に仕事を与える為に薔薇を植える事をお決めになりました」

「薔薇はクライド様のご趣味ではなく?」

「いいえ。元々は母上の……」


ハッ、とシュナイドは口を覆った。


「い、いえ! クライド様の母君と言う事で、その……」

「………」

「すみません……」


目を細め、シュナイドを見据える。


「やっぱり……あなた、クライド様の弟ね」


両親に娼館へ売られた弟。

顔立ちは全く似ていないが、唯一琥珀色の瞳だけが同じ。


「違います! 僕がクライド様の弟なんて!」


言ってシュナイドは自分を嘲笑した。


「住む世界が違うんです……」

「……」

「僕の存在をご存じなのですね……」

「ええ、クライド様から聞いています」


シュナイドは両手を膝の上で固く握りしめ、恐怖とも怒りとも取れる表情を浮かべる。


「僕は……人に言えないような場所に居たのです……お嬢様と同じ空間には居られません……」


クライド様の半分血がつながった弟は……母の不貞によって出来た子供。

その後、両親によって娼館へ売り払われた。

クライド様は、その後の事は何も知らない、助ける義理が無いとまで言っていたのに……何故、彼はここに居るのだろう?


「あなたとクライド様の関係は? どうしてここに居るの? 本来なら居られるはずがないわ」

「それは……クライド様が……」


シュナイドは目を伏せ、俯いた。


「僕は……娼館で男娼として働き始めました……借金を返すためです……」


カタカタと震えながら怒りとも不安ともつかない顔でシュナイドは語りだした。

まだ幼かったシュナイドは訳も分からず、大人達の醜い欲望に呑まれる事になった。

客は男も居たし女も居た。月日が経つ毎に心は荒み、淀んで行った。

何度も自殺を考えた。けれど勇気が出ずに死ぬ事は出来なかった。

生きているけど死んでいる。客は取るが一向に減らない借金。

希望なんてものは存在していなかった。

長い時間が過ぎたある日。

まだ若い男性客がシュナイドを指名した。

シュナイドは警戒した。若い男性客ほど乱暴をしてくる事が多いからだ。

客が待つ部屋に行き、いつものように相手をしようとすると断られた。


「その人は言いました……こんな事してて楽しい? って」


シュナイドは思わず叫んだ。


「楽しくなんかない! 好きでやってるんじゃない! 僕の事を馬鹿にするな!」

「………」

「思えば……客相手に言う事では無かったですね」


若い客はそれだけ聞いて部屋から出て行った。

それから少し経って、シュナイドは自由の身になった。

先程の客が借金を全て支払ったのだ。


「その……客って……」

「クライド様です。僕はクライド様に買われたんです」

「どのぐらい前の事なの?」

「……もう、数年前です……クライド様が19才だった時でした」


19才……丁度、クローリナ様との婚約が破談となった頃だろうか。

シュナイドはクライド様の事を覚えておらず、買われた意味が分からずにただただ混乱していた。

半分血がつながった兄弟だと聞かされ、そんな存在が居た事をうっすらと思い出す。

シュナイドは屋敷に連れられたが、それを良く思わない人物がいた。


「ライアン様は僕を見て激怒なさいました。無断で男娼を買って来たクライド様にもお怒りになられました」

「……」

「クライド様は多くの代償を支払い、僕をこの屋敷に置いてくださいました」

「代償?」

「……はい」


まず金銭の代償。シュナイドを買うための資金。

すでに領地運営を任されていたクライド様はいくつかの土地や商会を手放していた。

そして……フローレンス家では忌子になるシュナイドを屋敷に置くため、クライド様はライアン様の要求をのむしかなかった。


「当時、クライド様は軍にいました。しかし……僕を置く事を条件に文官になるよう言われたのです」

「クライド様は……宰相に引き抜かれたと言っていたけど……」

「引き抜かれたのは本当でしょう……僕と言う要因があったがゆえに抵抗が出来なかったのです……」


宰相になりたくなくて手を尽くしていたクライド様……

軍に留まるつもりなら出来たのかもしれない……しかし、それは弱味を掴まれていなければの話。


「僕はライアン様の前に姿を現さない事を条件に、この屋敷で働く事を許されました」

「そうだったの……大変だったわね……」

「全てクライド様のお陰です。とても兄弟などと口が裂けても言えません、僕の主ですから」


吐き出してすっきりしたのかシュナイドが笑顔を見せる。

その笑顔に私も微笑を浮かべる。


「今は幸せ?」

「はい! とっても! ……あっ! でも僕、もうすぐこの屋敷から出て行くんです」

「えっ? どうして?」

「いつまでもクライド様に甘えていられないので……他の家で庭師として働く事にしたんです」


シュナイドが今日一番の笑顔を見せる。


「ようやく一人で生きて行けそうです。クライド様もそれを望んでいますから」

「あなたの腕ならどこでもやっていけるわ、素敵な薔薇だもの」

「ありがとうございます」


仕事が残っているからと言い、シュナイドが部屋から出て行った。

見送った後、一人考え込んだ。

どうして弟の存在を私に言ってくれなかったんだろう?


「う~ん」


直接聞けば良いか。

本当の答えが返って来るかは分からないけど。

椅子から立ち上がる。

まずこのティールームを私仕様に変えないとね。






*****






馬車の車輪の音に気が付いて部屋を出る。

玄関の開閉の音が聞こえ、早足に進む。

外は真っ暗。こんな時間まで仕事だったのか。


「お帰りなさいませ」


声をかけるとクライド様は体を猫のように跳ねさせた。

まんまるに目を見開いているのも猫みたい。


「…………あ、そっか……うん、思い出した」

「はい?」

「結婚したんだった。そうだそうだ、うん。ただいま」

「……なんで居るの? って顔してましたよね?」

「いや? そんな顔してないよ」

「嘘言わないで下さい」


腕を掴んで揺らすが、びくともしない。


「怒んないでよ、君と結婚したのがまだ夢みたいで現実じゃないみたいなんだよ!」

「……なんでそんな事言うんですか! 怒れないじゃないですか!」

「怒ってるじゃんか!」

「怒ってないです!」

「怒ってるよ!」


ふふっ、と隣から笑い声が聞こえて固まる。

メイドが一人、屈託ない笑顔を浮かべていた。


「この屋敷もにぎやかになりそうで楽しみです」


恥ずかしくて顔が真っ赤になる。


「アイリーン、まだ怒ってる?」


視線を逸らしたまま、クライド様が聞いてくる。


「……最初から怒ってなんかないです」


クライド様を引っ張って連れて行く。

付いて来ようとしたメイドをクライド様が、いいよいいよ、と言って下がらせた。


「お疲れですか?」

「疲れ? 飛んでっちゃった」

「どこに?」

「にぶいの? わざとなの? 天然なの? 君と話せば疲れなんて」


結婚が決まってから、クライド様はこの調子だ。

よく今まで私への恋心を隠し通せていたものだと感心する勢いだ。

本当に私は愛されている。気持ちに精一杯答えなければ。

私の部屋に着いて、二人で中に入る。


「何か話したい事があるんでしょ」


猫の目がにやーっと笑う。


「今日、シュナと会いました」

「ふーん」

「何故今まで教えてくださらなかったのです?」


クライド様がソファーに座ったので隣に座る。

疲れたように息を吐いたクライド様。やはり疲れているんだ。


「復讐をするのに、優しさは不要だろうと思って」

「どう言う事です?」

「冷徹さを印象付ければ、君からの信頼をもっと得られるんじゃないかと思ってただけ……僕はそんなに優しい人間には見えないだろうし?」


確かにクライド様が優しい人間だとは最初は思えなかったけど……

シュナイドの件と合わせて、情を持った慈悲深い方なのだと印象を改めるしかない。


「どうしてシュナをお買いになったのです? 助ける義理が無いと仰っていたではありませんか」

「言いたくない」

「どうして言いたくないのです?」

「……僕は自分本位なんだ。君に嫌われたくない」

「こんな事で嫌いになんかなりませんよ」


揺れる琥珀色の瞳をじっと見つめる。

やがて諦めた様に再び溜息を吐いた。


「……あの時の僕は……自暴自棄になっていて……」

「クローリナ様の事ですか」

「うん……姉弟って何だろうって考えたんだよ……それでふと半分血の繋がった弟を思い出して、会いに行った。それがきっかけ」

「寂しかったのですか?」

「……そうだね、寂しかったのかも知れないね」


信頼していた血の繋がらない姉に裏切られ、血の繋がった弟に救いを求めたのか。


「血の繋がりがどれほどのものなのか、知りたかっただけだよ」


冷酷な研究者みたいな顔でクライド様は吐き捨てた。

本当はそんな事思ってないくせに。


「シュナの社会復帰が上手く行ったのですね」

「まあね。長らく体を売らされていたから……でも、もう僕を必要としないだろう」


弟の社会復帰に幾分か苦労したのか、クライド様がどこか遠くを見る。

やっぱりクライド様はお優しい。

シュナイドが一番幸せになる方法を模索し、普通の人としての生活を与えたのだから。


「どうして私と彼を会わせたのです?」


今日、あの部屋に行くのはクライド様の指示で決まっていた。

シュナイドも、あの部屋の近くの薔薇の木を手入れする事が決まっていたようだった。

意図して会わせたようにしか思えない。


「……まあ、父上は認めてないけど一応弟だし?」


ライアン様がお認めにならないのは当たり前だと思うが……


「シュナはもうすぐ出て行くから、会わせておいた方が良いかなって」

「やり方が回りくどいですよ」

「だってさぁ、弟を紹介するねって言ったら驚くでしょ?」

「それは……そうでしょうけど」


実は屋敷に弟が居るんだ、紹介するよ! って言われたらパニックになってたかもしれない。

そもそも弟を買い戻したと最初に言って下されば良かったのに。

……駄目か、優しさは復讐の為にならないとお考えだった。


「シュナが私と話す事を禁じられていたようなのですが」

「男娼上がりは君に相応しくないだろう? たとえ僕の弟だとしてもさ」

「……本当にそう思っているのですか?」


近い距離でクライド様の瞳を覗き込む。

しばらくして、唇に柔らかい物が当たった。

そのまま深いものに変わって、動揺しながらも受け入れる。


「……本当は……君と他の男を会わせたくなかっただけだよ」


心臓がうるさくて周りの音が上手く聞こえない。

えっと、こんな時どうすればいいんだっけ。

熱が脳に達し、思考がにぶる。

私は今日からフローレンス家に嫁いだ。

つまり、今日が、その、えっと、はじめ、て?

自然とソファーに横になっていた。

とても真剣そうな表情のクライド様が私を見下ろす。

お仕事中はこんな表情なのかしら? なんて馬鹿な事を考えた。


「……あっ!」


クライド様が大きな声を上げた。

真剣な表情はどこへやら。いつもの顔に戻ってしまった。


「駄目だこんなんじゃ! シャワー浴びないと! それにソファーでなんて絶対に駄目!」

「クライド様?」

「ごめんアイリーン! すぐ戻って来るから! お願い!」


いつもの調子で、ぎゅうと抱きしめられる。

ソファーに座らされた後、クライド様は余裕が無い顔で何度も謝った。


「ソファーは駄目! ベッドで待ってて!」

「ベッド?」

「ベッド!」


どんなお願いですか。

思わず突っ込みそうになったが頷く。


「ああ、君の事になると余裕が無いよ」


とにかく私は愛されている。

それだけ分かれば十分だ。


「待ってて! すぐ戻って来るから!」

「はい。お待ちしてます」


急ぎ足で部屋から出て行くクライド様を見送った。

言われたとおり、ベッドに座った。


「……ふふっ」


フローレンス家に嫁ぐのは正直不安だったけど……

もう大丈夫。きっと楽しい日々が待ってる。

私の『はじめて』の為にクライド様は色々お考えになっている事が嬉しくて、クライド様が戻って来るまでの間ずっと笑顔で過ごした。


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