さようなら
お兄様が衛兵を呼んできてくれた。
昏倒していたヴィクトルは取り敢えず治療する為運ばれていった。
私も治療を受け、状況を説明しているクライド様とお兄様に合流した。
根掘り葉掘り事情を聞かれたが、途中で怪我をしているからと配慮され家に帰る事となった。
詳しい事情は後々聞き取りに来るそうだ。
パーティは結局中止となった。
元々後半だった為、影響はほとんど無いだろう。
ヴィクトルへの罪状は、婦女暴行強姦未遂、になるのだろうか。
私とお兄様は怪我が原因で帰る事になったが、クライド様は最後まで残る事になった。
お仕事で疲れているだろうから、早く解放してあげて欲しい。
「クライド様……先に帰らせていただきます」
「うん……お大事にね」
「……はい」
乗って来た馬車に乗り込んで、再度クライド様と視線を交わした。
クライド様は柔らかく微笑んだ。
今日は一日、あの三日月を見る事は無かった。
これが本来のクライド様の姿なのだろうか。
馬車がゆっくりと動き始めた。
きっとこれが最後。
クライド様とお会いする最後の時。
「クライド様」
見上げるクライド様を見下ろす。
私は精一杯微笑んだ。
「ずっと、お慕いしておりました」
言うとクライド様はゆっくりと目を見開いた。
何か言うつもりだったのか、口を開いた瞬間。
「クライド・フローレンス!」
遠くから誰かに呼ばれ、クライド様は振り向いた。
返事を聞くつもりが無かった。怖かった。
間を置かずに言葉を重ねる。
「どうか私の事は忘れて、幸せになって下さい」
目を見開いたまま固まるクライド様に微笑む。
きちんと笑えているだろうか。泣きそうな顔になっていないだろうか。
「さようなら」
私の分まで、幸せになってほしい。
クライド様は最後まで固まったまま私の事を見上げて居た。
馬車はすでに出ている。
追って来る事も呼び止められる事も無かった。
修道院へ行くしかない女に告白されて、大層困惑していた様子だった。
最後の最後に本当に申し訳ない事をした。
「アイリーン……」
隣に座っていたお兄様が心配そうに私に声をかけた。
「これで良かったのか?」
「……何がです」
「告白の返事を聞かなくて……」
「いいのです、どうせ断られますから」
私とクライド様の関係は復讐によって繋がっていた。
共犯、それだけ。
クライド様と恋人になるだなんて……本当に有り得ない事。
「……ごめんな」
「何故お兄様が謝るのです?」
「お前が……泣いているから……」
言われてから頬に触れた。
涙を流している事を指摘されようやく気が付いた。
泣いていると気付いたら、もう駄目だった。
「お兄様……私……」
「クライド様の事、好きだったんだな……」
「はい……好きでした……初めてちゃんと恋をして、キスをして……」
ぽろぽろと涙が溢れ、クライド様の上着に落ちて染みになった。
「私の全部を理解して受け入れてくれた人でした……」
「ごめんな」
お兄様は何度か謝って、私を抱きしめてくれた。
クライド様と同じぐらい安心できる腕の中。
嗚咽が漏れた。涙が止まらなかった。
「ほんとうに、恋人だったら良かったのに……そんな、叶わない……」
髪が長ければまだ……と思った事もある。
そもそも私の髪が長ければ、復讐をする事も無く、クライド様と親しくなる事も無かった。
どちらにしても、クライド様との未来など有りはしなかった。
「クライド様の事、好きだったんだな」
「好きでした……愛して、いました」
猫のように笑う姿は不吉だったけれど、今ではそれすらも愛おしい。
不遇な過去を含め、私はクライド様を愛している。
ヴィクトルの時とは比べ物にならない強い感情。
あいつに捨てられた時よりも、今の方が断然悲しい。
復讐の終わりが恋の終わりでもあるなんて……
私はこれから何を糧に生きて行けばいいの。
「おにいさま……私、これからどうしたらいいの……」
泣きじゃくる私を抱きしめたまま、お兄様は何も言わなかった。
黙ったまま私の言葉を聞いていた。
沈んだまま家に着いた。
その頃には嗚咽は止まっていたが、涙で前が霞んで見えた。
全て終わった。
私の行く末は決まっている。
ヴィクトルの最後を聞き終えて、修道院へ行こう。
「さようなら、クライド様……」
もう会えない、愛した人。
よたよたと馬車を降りてふと夜空を見上げた。
クライド様を思わせる細い三日月が笑いながら私を見下ろしていた。
さようなら。
もう一度胸の中で呟いた。
*****
私は自室で一人クローゼットの中を乱雑に引っ張り出した。
「お嬢様!?」
慌てた様子でケイトが走り寄る。
引っ張り出した衣装を悩みがながら綺麗に畳んで行く。
「どうなさったのです」
「もう必要ない物だから、整理しようと思って」
あれから数か月。
私の髪も少しだけ伸びた。
「修道院へ行くのだから……華美な服は持って行けないでしょう?」
「で、ではどうなさるのです?」
「捨てて欲しいの。売れるなら売ってもいいけど」
先日、お兄様の結婚が決まった。
お相手は言わずもがな、キャロル様だ。
私は邪魔になる。私物を整理して出て行かなくてはいけない。
「お嬢様、そんな……早まらないで下さい!」
「早まってないわ。むしろ遅いぐらいよ」
私の復讐は終わった。クライド様は上手くやってくれたようだ。
お兄様の話では、スラッドリー家は最初こそヴィクトルを庇っていたが、とうとう言い訳が通用しない所まで来るとあっさりヴィクトルを捨てた。
ヴィクトルは長男だったが、腹違いの弟がいる為そちらに跡を継がせるつもりなのだろう。
ヴィクトルは禁固刑になったが、少しして逃げ出したと当家に連絡があった。
報復に気を付けて、との事だったが今の所何も無く平和だ。
抜け出したヴィクトルがどうなったのか、私では知る事が出来ない。
「これも、これも……捨ててくれる?」
お気に入りの赤のドレス。もう着る事は無い。
ヴィクトルから受けた傷はすっかり治った。
傷を見ては復讐をしてきたと感じる事が出来たのに、それが無くなり、私は本当にクライド様と共に復讐をしてきたのだろうか? 長い長い夢を見ていたのではないか。
そんな風に思ってしまった事は一度や二度では無い。
「お父様に修道院の話をしなくちゃ」
再び引っ張り出した服の中に、アレンの物があった。
ほんの少し前の事なのに、妙に懐かしく感じた。
「お嬢様……」
ケイトは寂しそうな顔で戸惑っていたが、最後には整理を手伝ってくれた。
まとめた服は売れるか審査する為に外に運ばれていった。
服を外に運び出した後、一台の馬車が敷地に入って来た。
「アイリーン様、ご機嫌いかがですか?」
御者に見覚えがあった。
フローレンス家の使用人だ。
「こんにちは、変わりありませんよ」
「それはようございました。それではいつものを……」
そう言って使用人は私に塗り薬や湿布薬、包帯などが入った薬箱を手渡してくる。
復讐が終わり、定期的にクライド様が薬を送って下さる。
もう怪我は治っているのに。
「もう送ってこなくて大丈夫だと、お伝えください」
「クライド様は貴方様に何かを送りたい様子でしたよ」
「……私はこの家を出ますので」
「家を……? どうかなさったのですか?」
使用人に私が修道院へ行く事を言っていなかったのだろう。
「近いうち、修道院へ行きます。ですのでいらしても私は居ませんので」
「……さようでございましたか」
「クライド様はお元気ですか? お仕事、お忙しいのですか?」
「ええ……本当は直接手渡ししたいと前々から仰られてはいるのですが……」
クライド様は変わらずお忙しく、復讐を終えた後の社交界には顔を出していないそうだ。
宰相になる為には色々と大変そうだ。
「先程すれ違った馬車は?」
「私の服です。もういらない物なので」
「そうですか……寂しくなりますね……」
使用人は本当に寂しそうに微笑んだ。
あの時、ヴィクトルを殴ったクライド様だったが、裁判ではほぼ不問となっていた。
恋人の服を裂いて首を絞めている男を思わず殴るのは仕方ないだろう、と。
少しでも問題になっていれば宰相になれなかったかもしれないと使用人が話していた。
……クライド様はむしろ問題になって欲しかったのかもしれない。
「それでは近いうちにまた参ります」
「いえ、贈り物は結構ですので……」
「……それを決めるのは私ではありません……それではまた」
再び馬車が走り出した。
馬車の背中を見送った後、再び自室に戻り今度はアクセサリー類を整理し始めた。
その時に三日月のネックレスを見つけてクライド様を思い出した。
クローゼットの奥に入れてそのままだったウィッグを取り出す。
クライド様に頂いた物……捨てたり売ったりなんてしたくない。
復讐最終日に借りたクライド様の上着も取り出す。
未練があって持っていたけれど、フローレンス家の使用人が近いうちに来ると言うのなら。
……全て返そう。
それでこの気持ちに終止符を打とう。
フローレンス家の使用人が来たのは、荷物をほとんど整理し終わった五日後だった。




