新月の貴公子
パーティの中盤、私が来ないと悟ったのかヴィクトルは会場で令嬢と話をしていた。
はた目から見ればにこやかに会話しているようにしか見えない。
ヴィクトルがどんな感情を持って令嬢と話をしているかなんて、私には分からない。
会場の中心にあるダンスホールで貴族達が優雅に踊っている。
上辺だけは煌びやかな世界。裏側を知らなければ幸せで居られたのかな。
「……クライドさま」
ぽつりと名前を呟く。
私に本当の恋を教えてくださったのは、間違いなくクライド様だ。
ヴィクトルとは比べようもない強すぎる気持ち。
私はクライド様に恋をして幸せだった。
それだけは否定したくなかった。
「……」
沢山の令嬢に囲まれて、時に数人と踊って、ヴィクトルは楽しそうだ。
己の欲求を満たすために笑顔を振りまいている。
毒牙にかかった令嬢はどれほどいるのだろう。
私は本当に恋人と名乗っていたっだけだった。
腕を組んだ事も手を繋いだ事も、キスをした事も無い。
「……?」
思わず首を傾げた。
どうしてヴィクトルは私にこんな事をしたのだろう?
ヴィクトルからすれば全く益の無い、むしろ害にしかならない行動。
好きでも何でもない私を陥れたのは……何故?
本当にただの遊び? なら胸の無い私でなくても良かったはずだ。
私でなければならない理由でもあったのか?
そんな理由……探しても思いつかない。
ヴィクトルと恋人関係になる以前は、ほとんど関わりが無かった。
声をかけて来たのも、告白してきたのも、ヴィクトルが始めた事だった。
「……」
何故。気持ちが膨らんで行く。
私の髪を切ったのは、本当にただの遊びだったの?
危険を冒してまで、こんな事をする必要があったとでも言うの?
……クライド様ならば何か知っているかもしれない。
そこまで考えて、首を振った。
聞いてどうするの? 知った所で私の行く末は決まっている。
もうどうにもならないのだ。
「アイリーン」
名前を呼ばれ、視線を声の方へ。
「なに? 用でもあるの?」
何故と問い正したい男、ヴィクトル・スラッドリー。
考えに耽って近くに来ていた事に気が付かなかった。
先程までヴィクトルと楽しそうにしていた令嬢達が、遠くの方から私を睨んでいた。
「今夜も来てはくれないのか」
「この場では話せない事なの?」
「ここは少し騒がしいんだ……静かな所で話したいんだ」
ヴィクトルが本当に私を襲うつもりなら、ここでは無理だろう。
目線をヴィクトルから逸らせて俯く。
「パーティも中盤ね」
「もう終盤に差し掛かっているだろう」
「……そうね」
私の復讐と恋も、もうすぐ終わる。
「あなたとは一度話しておきたいとは思っていたの」
「本当か」
「ええ」
作り笑いを浮かべ、頷く。
ヴィクトルは鋭い目で私の事を見ている。
「パーティの終わり頃、あなたが待つ場所に伺うわ」
ヴィクトルが微笑んだ。
大勢の令嬢が好きで好きで堪らない、犯罪的な笑み。
「ありがとう、感謝する」
けれど、私は気が付いてしまった。
「待って居る」
目が全く笑っていなかった。
全く感情の読めない、淀んだエメラルドグリーンの瞳。
ヴィクトルは微笑んだまま会場を出て行った。
もうパーティは終盤。
いつ来るか分からない私を待って居る、と言う事だろう。
終わらせよう……私が始めた復讐と、最後の恋を……
全てを終わらせて、笑顔で修道院へ行くのだ。
*****
私は一人、休憩室の扉の前に立った。
クライド様はまだ来ていない。
お兄様には、少し時間を置いてから来るように伝えた。
クライド様……早く来て。
一人で復讐なんて味気ないもの。
不安で無いと言えば嘘になる。
ヴィクトルは私の髪を切った。今度は純潔を奪われるかもしれない。
正直に言うと、さっきまで恐怖で震えていた。
でも、やるしかない。
これは私にしか出来ない事だ。
自分の為では無い、クライド様の為に……復讐を。
「ヴィクトル?」
決意を固めて、扉をノックをして声をかけた。
部屋からくぐもった声で返事があった。
「入ってくれ」
ごくりと生唾を飲み込む。
「入るわよ」
意を決して扉を開けた。
休憩室、と言う名の通りパーティに疲れた貴族が少しだけ休む部屋。
少しの家具と二人掛けのソファー。壁には絵画が掛けられていた。
「……?」
扉を開けて見える範囲にヴィクトルの姿が無かった。
部屋の中に一歩踏み出した瞬間。
「きゃあッ!!!」
何者かに腕を掴まれ、ソファーに向かって引っ張られた。
転びそうになり、ソファーに上半身を預ける。
ガチャッ!
ハッキリと扉の鍵が閉まる音が聞こえ、振り返る。
「このオレに随分と手間をかけさせたな」
「ヴィクトル! どういうつもり!?」
扉に鍵をかけたヴィクトルがこちらに迫る。
恐怖で体が震えた。
何をされるのか知っているから、余計に怖い。
「最初からこうしておけば良かったんだ」
きつくソファーに押し付けられる。
「私を犯すのか」
痛みの中、何とか絞り出すように言うとヴィクトルが意外そうな顔をした。
「この先の事を知っているのか」
「だったらなんだ」
「無垢な女は行為を知らないんだよ。戸惑っている間に純潔を貰うんだ」
「っ、一体何人の女性を……!」
「さあ? もう忘れてしまった」
ヴィクトルが服を脱がそうとしてくる。
身を捩って抵抗すると焦れたのかヴィクトルは容赦なく私の服を裂いた。
服を簡単に裂いてしまう男の力に怯えて震えた。
でも、負けるわけにはいかない。
「何故クライド様を苦しめる! あの方が何をしたと言うの!?」
「クライドの話をお前は知らないと言っていたが、知っていたのか?」
「全部知ってるわ! お前が孕ませて捨てたクライド様の元婚約者の話も!」
ビリッ! 服が裂ける音に耳を塞ぎたくなった。
上から押し付けてくるヴィクトルを見上げて、息を飲んだ。
「クローリナか……あいつは最高の女だったよ」
目尻を上げ、口角も上げ、ピエロのような表情でヴィクトルが笑う。
一瞬で鳥肌が立った。
「言われた通りに行動する、純真で従順な女だった」
「……ひ」
「騙しがい壊しがいのある女だったよ……!」
喉を引きつらせながら笑う姿は、人のものでは無かった。
怖かった、逃げ出したかった。
でも、この状況では逃げ出せない。
「クライド様がお前に何をしたと言うの」
時間稼ぎに話しかける事しか出来ない。
けれどずっと気にしていた事で、答えが知りたい事だった。
ヴィクトルは達観したような表情で鼻を鳴らした後、語りだした。
「あいつは昔から気に障る男だったんだ」
ヴィクトルは認めた、クライド様に嫉妬していたと。
家柄も、顔も、頭脳も、身体能力も……ヴィクトルは何一つ勝てなかった。
「オレは一度だけ女に恋をした。商家の娘で学園で知り合った」
その女性は見た目がとても美しかった事からヴィクトルはすぐに惚れた。
経験上、自分になびかない女など居ないとすぐに告白した。
だがすぐに断られてしまった。
「クライドが好きだからオレとは付き合えない、そう言われた」
「………」
「分かるか? オレは恥をかかされたんだ」
告白をして断られて、ヴィクトルは恥をかいた。
私にはよく分からない感覚だ。
結局、その女性はクライド様に告白し、にべもなく断わられてしまった。
「オレは失恋したあいつを慰めるふりをして近付き、散々遊んだ」
「あそんだ……?」
「体をもてあそんで、捨てたのはあいつが初めてだったよ」
意味が理解できなかった。
もてあそんで、捨てた?
「彼女の事を愛していなかったのですか!?」
「愛していたさ。だがオレに恥をかかせた、捨てるには十分な理由だ」
「分からない……お前の考えが……」
本当にその人の事を愛していたの?
愛していたのに、もてあそんで捨てるなんて……同じ人とは到底思えない。
「オレが彼女を捨てる原因になったのは、クライド・フローレンスだ」
頭に血が上った。
「クライド様は関係ない! 全てお前が勝手にした事だろう!!!」
「オレは恥をかいたんだ」
「勝手に恥に思って、人を不幸にして……お前は誰かを愛したんじゃない! お前は自分の事しか愛せない! 自分の事ばっかり! クライド様を言い訳にしないで!!!」
バチン!
目の前がグラグラと揺れた。
少しして、右頬がにぶく痛み始める。
頬を叩かれた事に気が付くのに時間がかかった。
「図星……だったんでしょ? だから暴力に訴えるしかなかったのね……」
「………」
「お前とクライド様を比べるなんて……クライド様に失礼極まりないわ」
「黙れ!」
ぐ、と首を絞められた。
上手く呼吸ができない……苦しい……
「お前の体には全くそそられないが、純潔を奪う事によってクライドの顔を歪ませる事が出来る」
「………」
「オレに恥をかかせた罰だ」
クライド様がヴィクトルからの嫌がらせの原因を知らなくて当然だ。
完全な逆恨み。
ヴィクトルの手が首から再び服へ。
「ゴホッ、ゴホッ!」
何度かむせてからヴィクトルを睨む。
冷めた目で見降ろされるが、恐怖よりも怒りの感情が勝っていた。
「私を犯すのがクライド様への報復? 馬鹿じゃないの?」
「何が言いたい」
「あんたのせいで私は修道院へ行くしかないのよ! クライド様とご結婚するのは家柄の良い令嬢なのよ」
「……クライドはお前と結婚すると言っていた」
「はぁ?」
「お前の兄と話していた」
「全部嘘よ、恋人のふりだったんだから……」
恋人のふり、と聞かされヴィクトルの顔つきが変わる。
もしかして騙されていたのが誰なのか、理解したのだろうか。
「オレを騙したのか!」
「こうすればクローリナ様の時のように、私に手を出すだろうとクライド様は考えていたのよ」
「なっ」
ゆっくりと微笑んだ。
私はもうどうなってもいい。
こいつの歪んだ顔が見たい。
「もうすぐクライド様が来る……もうおしまいね」
鬼の形相になったヴィクトルが、私の事を殴った。
頬も叩かれ、口の中に血の味が広がった。
痛みで頭がクラクラしてきた時、意識の外側から音が聞こえた。




