ダンス? 誰と誰が?
フローレンス家に行ったあの日。
クライド様が復讐の計画を話された時。
ヴィクトルに孕まされ、修道院へ行ったクライド様の元婚約者の話になった。
「修道院に入る直前、クローリナが泣きながらこう言って……」
「クローリナ?」
「あ、元婚約者の名前」
ふっとクライド様が達観した微笑を浮かべた。
元婚約者……クローリナ様の事を思い出したのかも知れない。
「ヴィクトルと関係を持ったのは、本心では無かった、自分は嫌がったのだと」
「どう言う事です?」
「クローリナは確かにヴィクトルに恋をしていたのだけど、体を許す気は無かった……僕と言う婚約者が居たからね」
「……では、何故子供が?」
クライド様は鋭く手元の紅茶のカップを睨んだ。
カップを持つ手に力が入っている。
静かに怒るクライド様は、怖いの一言で言い表せられないほど殺気を放っている。
しかし、殺気を隠すようにすぐいつもの嘲笑を浮かべた。
「呼び出されて二人っきりになって、襲われたんだってさ」
「……! 無理矢理!?」
「うん。それから彼女は処女で無い事を僕に言うってヴィクトルに脅されて何度も……」
「………」
絶句して言葉が出ない。
最低通り過ぎてもはや犯罪だ。
胸が苦しくなった。一刻でもあんな奴を好きだった過去を消したい。
「最初聞いた時、クローリナが嘘を言ってるって思ったんだ……そこまでしないだろうって……」
クライド様は本当に悔しそうに奥歯を噛んだ。
「不細工だったが楽しめた、あいつがそう言った時に真実だと気が付いたんだ」
「クライド様……」
「クローリナを信じてあげられなかった……」
憤怒の炎を琥珀色の瞳に宿して、クライド様は私を見据える。
いつもの笑みは無い。
黒猫のようだと表現したクライド様の姿が、今ばかりは黄金の瞳を持つ黒獅子に見えた。
「僕は僕の為でなく、他の人の為に復讐をする……正しくないかも知れないけれど」
「この復讐が正しくないと言うのなら……私が何度でも肯定します」
「………」
そこでようやく、クライド様はいつもどおり目を三日月にして笑った。
「復讐は正しいって? 自分の子供に復讐なんてしてほしくないかなあ」
「えっ……まあ、確かに子供には………ん? 話し逸らしましたか?」
ニヤニヤと笑うクライド様。
本当に猫が笑っているみたいだ。
「僕達って考えが似てるのかな?」
似てる……だろうか?
復讐は正しくは無い。誰に聞いてもそう答えるだろう。
ただ今だけは……正しい事だと胸を張りたい。
「話を戻すけど」
いつもの調子に戻ったクライド様が紅茶を口に含んだ。
「アイリーンが僕の恋人だとヴィクトルが判断すれば……」
「私にも同じ事をすると?」
「うん……君につらい事を押し付ける形になってしまう、それでも……やってくれるかい?」
クライド様は私をヴィクトルに襲わせる気だ。
証拠が無いと言い張るならば、現行犯で捕まえてしまえばいい。
少々危険だが、成功すればヴィクトルは社交界から居なくなるだろう。
「助けて下さいますか?」
「勿論。君の体に傷一つ付けないさ」
「クライド様が怪我をするのだけはやめてください」
傷があろうとなかろうと、私には関係がないのだから。
*****
ヴィクトルと接触し会話をしている事に、家族は心配している。
お父様もお母様も、私の事を心配そうに見るけれど何も言わない。
きっと私の決意を理解してくれたんだと思う。
お兄様はヴィクトルと話しているとたまに間に入って来るから、しないでほしいとお願いした。
ごめんなさい、お兄様……少しだけ我慢して。
今日も社交界でヴィクトルと対峙する。
「アイリーン」
「……何かご用?」
「君と話がしたい……共に踊ろう」
片手を差し出して来たヴィクトルを見上げる。
ダンスに誘われたのは初めてだ。
恋人の時には無かった。
ヴィクトルが踊っているは何度か見た事がある。
肉体関係にある令嬢と親睦を深めていたのかもしれない。
「お断りよ」
「一曲だけでいい。一刻だけオレの花になってくれ」
少しだけ考える。
断わるのは簡単だ。
ヴィクトルは私と話がしたくてダンスに誘っている様子。
何を話すつもりなのか……復讐に使える事だろうか。
……本当は触るのも嫌だけれど。
「一曲だけなら」
仕方なく手を預ける。
触れた瞬間、鳥肌が立ったが復讐の為と言い聞かせ抑え込んだ。
ヴィクトルに手を引かれ、ダンスホールの中心へと進んで行く。
途中、お兄様と目が合った。
キャロル様と一緒に不安そうな表情を浮かべている。
「………」
「…………」
曲が始まるしばしの静寂の間、ヴィクトルと見つめあった。
クライド様ほどでは無いが、整った美しい顔立ち。
数々の令嬢を虜にしてきた罪深い顔。
「……」
目を見て、一つだけ気が付いた。
確かに綺麗な顔。でもそれだけ。
美しい外側と中身が伴っていない。
瞳の中に淀みが見えた。
この淀みとクライド様に何か関係があるのだろうか。
ピアノの旋律が聞こえ始める。
音楽が始まった。
練習通りにステップを踏み始める。
「それで? 話とはなんです?」
恐らく誰にも聞かれたくない事を話すのだろうと仕方なく手を取った。
さっさと話して欲しい。
「そう急くな。美しい顔が台無しだ」
「あなたの事が嫌い。仕方がないわ」
「つれないな」
ヴィクトルは女性受けする顔でやれやれと微笑んだ。
神経を逆なでされてますます睨みつけた。
「……クライドからオレについて何か聞かされていないか」
「何か、とは?」
「ありもしない悪い噂の事だ」
クライド様の元婚約者、クローリナ様の事だろうか。
聞かれた時、どう返すかはクライド様から指示がある。
「クライド様よりお兄様から聞く方が圧倒的だわ」
「何も聞いていないと?」
「あなたは何を聞き出したいの? 私に何を聞いているの?」
ヴィクトルは少しだけ考えた後、首を左右に振った。
「いや、聞かされていないのなら良いんだ」
表情には出ていないが、安堵したようにヴィクトルは力を抜いた。
さすがにクローリナ様の事を聞かれていては、私を再び惚れさせる事など不可能だと考えていたのだろうか。
「……どうして私に声をかけるのです」
一度捨てた女。遊びだと滅茶苦茶にしてこいつは私を捨てた。
私に再び声をかけるのは、やはりクライド様が関係しているのだろうか。
「君はとても健康的で魅力的な女性だ。美しい人に惹かれてはいけないのか?」
思わず鼻で笑いそうになった。
冗談が過ぎて失笑する。
「私の髪を切ったのはどうしてなの?」
「あれは……! オレがした事では無い!」
「あの時あなたは助けてくれなかった。ただ見下していたわ……私が忘れるはず無いでしょう?」
確かにヴィクトルがした事では無い。
だが、何もしなかった事は事実だ。
目を細める。
あの時感じた恐怖と絶望を……こいつに与えたい。
そうすれば少しだけ私の気が晴れるだろう。
「二人きりで話そう。誤解を解きたい」
来た……!
私がクローリナ様の事を知らないと知って誘ったのだろうか。
「誤解などしてないわ」
「愛しい君に嫌われているのは耐えられない」
「どこで何を話すと言うの? 私には関係ないわ」
「休憩室でオレ達の今後について話したいんだ」
やはり休憩室か。
この誘いを受ければ最後、復讐が終わる。
しかし今日この場にクライド様がいらっしゃらない。
仕事がお忙しいから仕方ないのだけれど……
今はまだ受けられない。
「私とあなたに今後などありはしない」
曲が終わってヴィクトルと離れる。
「アイリーン! 謝って許されるならば、オレは何度だって謝る!」
「謝罪は要らない。己の非をお認めになるならば別だわ」
ヴィクトルは決して自分の非を認めない。
認めれば最後、大勢の貴族から糾弾されクライド様に存在を抹消されると分かっているのだろう。
そこまでしてクライド様に喧嘩を売るのか、私には分からない。
ヴィクトルから離れ、ダンスホールから抜ける。
「……クライド様」
ダンスホールを囲んでいた大勢の観客の中にクライド様が居た。
圧倒的な存在感ですぐに気が付いた。
今日も来るのが遅いと思っていたが……仕事が早く終わったのか。
ヴィクトルと踊って居た所を見られてしまった。
「遅くなってごめん」
「お気になさらないで」
クライド様の腕に寄り添おうとして、止まる。
不思議そうな顔をしたクライド様と目が合った。
「どうしたの?」
「いえ……」
「ヴィクトルと踊ってたんだね?」
「はい、話がしたいと言われたので……」
「ふ~ん」
クライド様が居たのなら呼び出しに応じておけばよかった。
まあ、また呼ばれるだろう。
それにまだクライド様と離れたくない……
別れる心の準備ぐらい、しても良いだろう。
「アイリーン」
「はい」
「僕達も踊ろうか?」
「はい?」
「……ダンスに誘ってるんだけど」
ダンス? 誰が? 誰と?
私、クライド様の順に指を差す。
私と、クライド様が、ダンス?
「うん」
クライド様の頷きで、頭が一瞬で真っ白になった。
少なくとも私はクライド様が踊っているのを見た事が無い。
女性嫌いのクライド様をダンスに誘う事など誰にもできない。
ホールではすでに二曲目が始まっている。
「踊れるのですか……?」
思わず失礼な事を言ってしまうぐらいには戸惑っていた。
クライド様は眉を下げ寂しそうな表情で口を開く。
「人前で踊った事は殆ど無いけど、一般教養だから出来るよ」
「あっ、そうですよね……すみません」
「僕と踊るの嫌なの?」
嫌なはずない。むしろあまりの幸運に茫然自失になっているだけだ。
好きな人と踊るなんて……社交界デビューした時からの夢だ。
曲がりなりにも叶って嬉しい。
「私達は恋人です。ダンスをする事ぐらい……」
「嫌なら強制しないけど」
「嫌なはず……」
嫌なはずないと言い切りかけて停止する。
「クライド様が必要だとお考えならば、何でもします!」
「……えー? 何でも?」
「はい!」
「じゃあ僕と結婚してって言ったらするの?」
「は……」
ノリで、はいと言いそうになった。
……今、何と言ったのかよく聞こえなかった。
結婚? きっと空耳だわ。
「僕は必要だと思うんだけど」
「な、な、なにを?」
「結婚」
「……ご自分の事をもっと良く考えてください」
クライド様はかの名門、フローレンス家の嫡子。
そして、次期宰相でもあらせられる。
私では絶対に釣り合わない。
「冗談はやめてください!」
「本気だって言ったらどうするの?」
「……本当に怒りますよ」
表情で怒りをあらわにすると、クライド様は両手を上げて降参のポーズ。
本当に有り得ない事を仰る……
結婚……未練は無いはずだった。
いつかクライド様とご結婚する女性が羨ましい。
私だって……お側に居たかった。
「ねえアイリーン」
「……はい」
「踊ろうよ。これは必要な事だよ」
差し出された手の上に自分の手を乗せようとして、引っ込める。
「どうしたの?」
「いえ、その……今は触りたくないと言いますか……」
「え、なにそれ傷つく」
「違います! クライド様ではなくて……」
さっきまで私はヴィクトルに触れていた。
すぐにクライド様に触る事に抵抗を感じている。
「ヴィクトルに触れた部分が汚れている気がして……」
俯いて話していると、手首をぐいっと引かれた。
見上げるといつもの飄々とした表情では無く、至って真っ直ぐで真摯な顔だった。
「君は汚れてなどいない。誰にも汚させない」
「……クライド様……?」
「………ま、僕は気にしないって事。さあ行こうか」
「えっ、ええっ!?」
丁度二曲目が終わり、クライド様に引かれて再びダンスホールへ。
またニヤニヤといつもの調子で黒猫のように笑う。
真面目なクライド様は本当に心臓に悪い。
ダンスホールへクライド様が現れて、周りがざわめいた。
当事者でなければ、私も同じように驚いていた事だろう。
「アイリーン、愛しているよ」
「……はい」
人前なのでクライド様は私の手の甲にキスを落とした。
この恋が偽りなのだと、自分に言い聞かせる。
終わらせる事が、ただただ怖い。




