皆、嘘の愛を囁く
最近のクライド様はお忙しい。
パーティに参加できない事が増えた。
私とヴィクトルを接触させるためだろうか。
「アイリーン」
「………」
クライド様が居ない事を良い事に、ヴィクトルがとろける様な微笑を浮かべる。
そう言えば、この表情が好きだった。
この裏にどす黒いものを隠していたとは、全く分からなかった。
あの頃の私は本当に周りが見えていなかった。
「何かご用?」
「愛しい君に声をかけてはいけないのか?」
「……そう」
あれからヴィクトルは私にクライド様の悪い噂を何度も聞かせた。
私が信じるはずもなく、適当に返事していた。
自分には信用が無いと悟ったヴィクトルは、甘い言葉を囁くようになった。
「私とあなたの関係は終わったはず。どうして今更愛を囁くの?」
遊びだった。そう言われた日の事を、私は鮮明に覚えている。
過去には出来ない、忘れてはいけない、強い復讐の感情。
再びヴィクトルに惚れる事など、絶対に有り得ないのに。
「失ってから初めて気が付く事もある」
「何に気が付いたと言うの?」
「君と言う存在がオレにとっていかに大切だったか……」
「大切な人を虐げるのが趣味なのね……ついて行けないわ」
「待ってくれ! オレには君が必要なんだ!」
クライド様への嫌がらせの為に、私が必要なのか。
あんな事をして、あれだけの事をして、よく私に話しかけられるものだ。
本当に精神を疑う。
糾弾した所で意味は無い。
ヴィクトルの中では、私を虐げたのはあの三人なのだから。
自分は何一つ手を下していないと言い張るのだから。
「あなたには肉体関係にある令嬢が沢山居るでしょう? 令嬢達と別れたら考えるかも知れないけれど……」
「そんな根も葉もない噂、本当に信じているのか? クライドに嘘を吹きこまれたのか!」
「………」
事実を認めず、嘘だと言う。
ヴィクトルの噂はクライド様から聞いた話もあるけれど、お兄様から聞いた事の方が多い。
それだけ社交界では有名な話なのだ。
あの時はデビューしてまもなくヴィクトルに告白されて……悪い噂は全く聞いていなかった。
周りの話にもっと耳を傾けていれば、こんな事にはならなかった。
どうしてこんな男の為に、涙を流さなければいけないのだろう。
「オレの恋人はただ一人。アイリーン、君だ」
「………」
「まだ遅くない。やり直そう」
「………」
「愛している、アイリーン」
ふと、私もこうして気持ちのこもっていない愛を囁いていた事を思い出した。
慣れない事をして吐いた事も同時に思い出す。
皆、嘘の愛を囁く。
私も、ヴィクトルも……クライド様も……
『愛しているよ』
クライド様が私にくれた愛の言葉も全部……
ヴィクトルから離れ、会場を彷徨う。
クライド様が居ないとしつこいヴィクトルだが、他の令嬢も気にかけないといけないのか追って来る事は無かった。
パーティも、もう後半。
何をするでもなく、一つの場所に留まりたくなくて当てもなく歩いた。
「……」
「……!」
「……」
すれ違った際、同じ年頃の令嬢の話し声が聞こえた。
明らかに悪口だった。
足を止めて声を聞いた。
「大して綺麗でも何でもない、ブスのくせに」
「お二方に言い寄られているからって調子乗ってるのよ」
「ヴィクトル様の手を煩わせないで欲しいわ!」
「本気でフローレンス家に嫁げると思っているのかしら? おめでたい頭だわ」
ヴィクトル派の令嬢か。
私の悪口を言うように、ヴィクトルから言われているのだろうか。
別に、どうでもいい。
どうでもいい存在に何を言われても、興味を持てない。
私も随分と図太くなったものだ。
声の方を向く。会話を楽しんでいた令嬢は私を見ていたらしく、すぐに目が合った。
何か言われると思ったのか令嬢は一瞬だけ怯んだ。
私は何も言わなかった。
ただにっこりと微笑んで、礼をしてその場を去った。
こんな事で怯む小物に用は無い。
化粧をせず、アレンの姿ならば惚れさせ捨てる事も出来たかもしれない。
そんな事を労力を割いてする必要が無い。
計画が終われば、私は社交界から消える。
どう思われていようと本当に、どうでもいい。
*****
久しぶりにクライド様が社交界に顔を出した。
表情が優れず疲れているように見えた。
いつも通り人気のない場所に二人で来てから尋ねる。
「お仕事、忙しいのですか」
「……ごめん、最近ほったらかしにして」
「いいえ、お仕事を優先して下さい」
クライド様はいつも通り私の頬を撫でた。
クライド様は宰相の下で働く文官……お父様から新しい仕事を任されたのだろうか。
「実は……」
クライド様は重く深い溜息を吐いた。
「僕が次の宰相になる事が決まったんだ」
「えっ!?」
「あ、これ内々で決まった事だから、まだ誰にも言わないでね」
困った顔に笑顔を張り付けて、クライド様は人差し指を立てた。
「えっと……祝った方がよろしいですか……?」
確かクライド様は宰相にはなりたくないと言っていた。
本来ならば喜んで良いはずだが……反応に困る。
「祝い事じゃないよ……」
「どうして宰相に?」
「それがさぁ、聞いてくれる? 父上に嵌められたんだけど!」
「え? えっ? お父様に?」
「僕さぁ、宰相に絶対なりたくなくて手柄を人にあげてたんだよ!」
「えええ!?」
クライド様は絶対に宰相になりたくなかったが、国や民の事はしっかり考えている。
国の為にやった事は功績として評価され、宰相候補になってしまうそうだ。
そこでクライド様は功績を他の文官に渡し、候補から外れるようにしていたそうだ。
「国の為に一生懸命働いた。同時に誰でもいいから適当に手柄を押し付けてきた訳」
その結果……次の宰相候補の数がすごい事になってしまった。
何の功績も達成していないクライド様が候補に挙がっていたのは、宰相であるお父様の独断らしい。
大小付けられない素晴らしい功績を一つだけ持っている候補が多くなってしまっていた。
この状況に疑問を抱いたのはクライド様のお父様、宰相だった。
「サウス領の川が豪雨で決壊した自然災害、知ってる?」
「ええ、多くの人々が犠牲になったと……」
「あの時、僕はすぐに軍を派遣したんだけど……宰相? と言うか文官と軍人って仲悪いんだよね」
「そうなのですか?」
「うん。能書き野郎! 筋肉ダルマ! って罵り合ってんの。馬鹿みたいでしょ」
クライド様は元軍人。
元上司に連絡を入れると、スムーズに人を派遣してくれた。
すぐに軍が動いた事により、被害は予想以下におさまった。
そしてクライド様はすぐにその手柄を人に押し付けた。
そこまでは良かったが……
「父上はこう思ったそうだよ……軍がこんなに早く動くはずない……ってね」
「それでばれてしまったのですか?」
「まあね……それと僕が居ない時を狙ってたみたいで」
「居ない時?」
「職場に居ない時。怪我してて家に居た時があったでしょ」
クライド様が職場に居た場合、アリバイ工作をすると宰相は考えていたようだ。
そんな時、私の復讐を手伝ってクライド様は腕に怪我をした。
「文官なんて重い物持たないし、仕事出ろって言われるんだろうなって思ってたんだけど……」
「けど?」
「珍しく休めって言われたよ。いやあほんと、あの時は意外すぎてビックリしたよ」
「………」
「出とけば良かったって今更後悔してるんだけどさ!」
クライド様が休みに入り、宰相はサウス領の豪雨の件を解決した宰相候補を呼び出し、狭い一室に閉じ込めたそうだ。
まともな自由は与えられず、部屋から出る事を許されない。
宰相はひたすら『この功績はお前では無理だ。誰がやった』と聞く。
文官にも出世欲があり、宰相候補を手放したくなくて『自分がやった』と言う。
罪人と同等の取り調べを受けて、とうとう文官はクライド様の名を言ってしまった。
後は坂道から転がり落ちるように文官達の様々な功績が、クライド様の物だった事が宰相の手により暴かれていった。
結局、クライド様は宰相候補の中で一番功績を立てた文官になった。
クライド様が仕事に復帰した頃には、次の宰相に決まってしまっていた。
「今まで隠して来た事が全部暴かれてて、陛下に次の宰相に任命されて……」
「逃げられないですね……」
「だからちょっと忙しかったんだ……ごめんね」
「いえ……お疲れ様です……」
文官の中で宰相になりたくないと一番思っているであろうクライド様が……
軍に協力を仰ぎやすいクライド様が宰相になるのなら、この先安泰だと思ってしまうのはいけないだろうか。
クライド様はきっと宰相になる運命だったのだろう。
「ヴィクトルの様子はどう?」
気を取り直して、クライド様は目を細めて笑った。
「なにも、変わりません」
「全く変わらない?」
「あえて言うならば……私の事を恋人扱いしてきます」
一瞬だけクライド様の笑顔が消えた。
しかしまたいつもの三日月の嘲笑。
「ふーん、僕が居ないからって好き勝手するねぇ?」
「私がなびくと本気で思っているのでしょうか」
「二人っきりになりたいって言われでも絶対に付いて行かないでね」
「はい、クライド様がいる時だけにします」
抱き寄せられ、クライド様とくっ付く。
クライド様は私の髪を撫で、優しく微笑んだ。
いつもいつも、心臓に悪いお顔だ。
「ちゃんと計画を覚えてたね」
「はい、それだけクライド様の元婚約者の話が衝撃的だったんです」
「僕は君を同じ目に合わせようとしている……」
「途中で助けてくださいね」
「勿論、約束する」
頬を撫でられ、視線を交わす。
「アイリーン、愛しているよ」
「……はい」
唇を重ねながら、クライド様の元婚約者の話を思い出していた。
本当の話ならば胸糞が悪い、そんな話を。




