最終復讐対象者
アイリーンとして社交界に参加して数回。
私は常にクライド様と一緒に行動した。
恋人だと周囲に、ヴィクトルに知らしめる為。
クライド様はとても紳士的だった。
手を繋いだり、腕を組んだり、恋人みたいに見つめあったり。
キスだってあれから何度もした。
これは演技だと何度言い聞かせたか分からない。
「アイリーン」
「お兄様」
パーティ会場でぽつんと一人立っていると、心配してかお兄様が声をかけてくださった。
「今日、クライド様はどうしたんだ?」
「仕事が忙しいそうです。今日は遅れて来ると」
「一人で大丈夫か?」
お兄様は心配して下さっているのだろう。
私には友人がいる訳でもない上に、ヴィクトルと言う不安要素も存在している。
「大丈夫です。クライド様を待ちます」
「……そうか、気を付けろよ」
去って行くお兄様の背中を見送った。
今の所、ヴィクトルとの接触は無い。
ずっとクライド様と一緒だったから警戒しているのかも知れない。
壁を背に立ち、会場を遠目に見渡す。
「………」
他の貴族達が楽しそうに会話をしている。
その会話の中に本音は含まれているのだろうか。
綺麗、可愛い、令嬢を持て囃す言葉。
本当にそう思っているの?
思っていなくても言葉に出来る事を、私は知っている。
愛しいどころか憎い相手に、私は愛を囁いていたから。
腕を組んで、ぼおっとしていると、音もなく隣に誰かが立った。
「……?」
横目で視線を投げる。
「っ……!」
ヴィクトル・スラッドリー。
こいつのせいで私は……!
『落ち着け』と居ないはずのクライド様の声が聞こえた。
手の甲をつねった。
落ち着け、冷静に、作戦通りに……
「……何かご用です?」
真っ直ぐ会場を見つめながら声を出す。
顔は見ない。怒りに我を忘れてしまうかも知れないから。
「アイリーン……」
「軽々しく呼ばないで下さいません?」
「……すまなかった」
「何に対して謝っているのです? 証拠が無いから罪に問えない。あなたの家はそう言ったのです」
「オレはあの三人にそそのかされて」
「そそのかされた?」
鼻で笑ってやった。
どう見ても首謀者はヴィクトル本人だろう。
「何故髪を切ったのです?」
「あいつらが勝手にやった事で……」
「答える気が無いのですね……もういい、そんな事は、もう……」
糾弾した所で髪は返ってこない。
私の行く末は決まっている。
「用が無いならもう行きます」
「待て、話があるんだ」
「今更何の話があると?」
「クライド・フローレンスについてだ。無関係ではないだろう」
一度だけヴィクトルを睨んだが、本人は全く動じない。
ヴィクトルからクライド様の話が聞けるなんて……
クライド様への嫌がらせの原因が分かるかもしれない。
「……あの三人が社交界から消えただろう」
「ええ、ですから私は戻ってこられたのです」
「三人が社交界を追い出されたのはクライドが関係している」
知ってる。クライド様は表立って行動して下さった。
私の復讐の為に。
「クライドは女の事を何とも思っていない。君も社交界から消える事になる」
「クライド様は私の事を愛して下さっています。逆にあなたの事は信用なりません」
「アイリーン! オレは君の事を想って……」
その場から離れようと壁から歩き出すと、腕を掴まれた。
思わず振りほどいて睨みつけた。
「私は遊びだったのでしょう? もう終わったはずだわ」
「そう言うように三人に言われたんだ!」
「実際に声に出して言ったのはあなたよ。もう関わらないで」
「アイリーン! オレは君の事を心配して」
続きを聞いていたくなくて足早にその場を後にする。
本当に釣れた。クライド様の読みが当たってほくそ笑む。
ヴィクトルはクライド様が居ない時を狙っていたのだろうか。
今までずっと一緒に居たから接触が無かったのだろうか。
「アイリーン、大丈夫か?」
「大丈夫、何も無かったから」
お兄様が心配して駆け寄ってくれた。
「クライド様が来るまで一緒に居よう」
「平気よ。お兄様がシスコンだと思われてしまうわ」
「構うものか」
お兄様に手を引かれて他の貴族に挨拶に回った。
皆に合わせてにこやかに、上辺だけ微笑む。
「アイリーン嬢、クライド様の女性嫌いを治したと聞いていますが、本当ですか?」
「治していませんよ。私だけ触れても大丈夫だと仰られています」
「そうだったのですか。何にせよこれでフローレンス家は安泰でしょうね」
お兄様も私も微笑んだ。
フローレンス家の現当主、クライド様のお父様に子は一人しかいない。
これで直系が崩れずに済むと思っているのだろう。
私がフローレンス家に嫁ぐなんてありえない。
クライド様とは恋人ごっこ。復讐のための設定。
「アイリーン」
振り向くと優しく微笑むクライド様が立っている。
これも演技。
「クライド様!」
傷のある方の腕に優しく寄り添う。
「遅くなってごめん」
「お仕事なら仕方ないわ」
クライド様の耳元に口を近付ける。
「ヴィクトルが接触してきました」
クライド様は一瞬だけ三日月を作った。
「静かな所で話そうか?」
「はいっ」
クライド様と居るといつもドキドキする。
これは……演技?
違う……演技じゃないといけないの。
ゆっくり息を吸って、吐いた。
「ほらね、釣れるって言ったでしょ?」
計画通りに事が進んでクライド様はご満悦だ。
「君には嫌な思いをさせてしまったね」
「いえ……あいつを不幸にしたいのは私も同じですから」
「ごめんね」
クライド様に頬を撫でられる。
気恥ずかしくて少し俯く。
これは演技、演技なんだから……
「もう少し君を釣り餌にする事になる」
「目的の為です」
クライド様はあの三人に引導を渡して下さった。
今度は私がヴィクトルに引導を渡す。
復讐を終えて私は笑顔で修道院へ行きたい。
クライド様はあまり気乗りしない表情で私を見つめている。
「ヴィクトルが、クライド様には気を付けろと」
「へえ?」
「クライド様は女の事を何とも思ってない。あの三人みたいに不幸になると」
「自分の事棚に上げてよくもぬけぬけと……何とも思ってないのはアイツだろう」
「ええ、本当にそうですね……私はこれからどう行動すればよろしいですか」
腰を抱かれてクライド様にくっ付く。
ヴィクトルが見てるのだろうか。怒られるから振り向いたりしないけど。
「完全に拒絶しないで、今日みたいにほんの少し会話するぐらいでいいよ」
「それだけですか? もっとこう……気のある素振りとか」
「必要ない。気が無いと判断したアイツが取る行動は一つだけだよ」
クライド様は喉を鳴らして笑った。
いつもの三日月が私を見下ろす。
この目をしている時、クライド様は本当に笑っているのだろうか。
表に出してはいけない感情を隠すために笑っている気がしてならない。
「アイリーン」
「はい」
「愛しているよ」
「はい」
クライド様の手が私の顎に触れる。
キスをする前、クライド様は私に愛を囁く。私に心の準備をさせる為だと思う。
私は毎回返事をするようにしている。
『はい。これが演技だときちんと理解しています』
心の中で何度も呟く。自分に言い聞かせる為に。
愛の囁きはクライド様の本心では無いと真に理解するために。
*****
復讐が終われば私は修道院へ。
クライド様と会えなくなる。
会えなくなったら私は……どうなってしまうのだろう。
こんな気持ち、生まれて初めてだ。
いつか来る復讐と言う名の終わりが、こんなにも恐ろしい。
恋と言う感情がこんなにも胸を締め付ける。
クライド様と離れたくない。
復讐を遂げたくない。
当初の目的から目を背け、クライド様を裏切った事に苦悩した。
「お嬢様」
ベッドでうつ伏せに寝ていると女性の声が聞こえた。
侍女のケイトだった。
「お加減悪いのですか?」
「………」
「泣いていらしたのですか……私で良ければお話伺います」
「………私は……」
修道院になんか行きたくない。
クライド様とずっと一緒に居たい。
無理な事は十分分かっている。
私はクライド様を愛してしまったけれど、クライド様は私の事を何とも思っていないから。
「復讐をやめたいと思ってしまったの……クライド様とずっと一緒に居るなんて無理なのに……」
「さぞお辛かった事でしょう……」
「初めて心の底から人を愛してしまった……気持ちの整理がつかないの」
同じ恋なのにヴィクトルの時と比べようがない程、苦しい。
偽りの恋人だと思えば思うほど、胸が締め付けられた。
「復讐を終えなければ長く一緒に居られると思ったの……最低だわ」
「もうヴィクトルは憎くないのですか」
「憎いわ! でも……それ以上にクライド様を好きになってしまったの……」
ヴィクトルを地獄に落とすまで、心の底から笑えない。
目的の為なら何でもするつもりだった。
心にためらいが生まれるならば、恋なんかしたくなかった。
「クライド様にお気持ちをお伝えしてはいかがでしょう?」
「そんな迷惑な事出来ない! 復讐が最優先なの」
「……お嬢様」
心配そうな表情を浮かべるケイトと目が合った。
復讐が最優先だと言っておきながら、やめたいとも言ってしまっている。
本当に気持ちの整理がついていない。
「クライド様には幸せになって欲しいの。私の告白など……」
つらすぎる過去を乗り越えて、幸せになって欲しい。
私ではクライド様を幸せに出来ない。
「……復讐をお辞めになる気は無いのですね?」
「無いわ」
「恋人のフリがおつらいのですか?」
「いいえ……クライド様に何も想われていないのが……」
恋人ごっこは心から楽しんでいる。
一瞬、復讐を忘れるぐらい、クライド様は私を酔わせてくれる。
その時にふと思ってしまう。
復讐の為なら、クライド様は好きでもない私に愛を囁き、唇を重ねる事が出来るのだと。
「お嬢様……やはり気持ちを話された方が良いかと」
「できない! そんな厚かましい」
「今すぐにではありません。条件を付けましょう」
「……条件?」
「はい」
ケイトが人差し指を立てた。
「復讐が優先です。なら、復讐が終った後に告白をすればいいんです!」
「……ぇ?」
「終った後なら何の支障も無いでしょう? 告白するのはお嬢様の自由です」
復讐が終わった後?
それなら関係を壊さずに済む。
私はその後、社交界に行く事も無いから顔を合わせずに済む。
「で、でもケイト。やっぱりご迷惑だと……」
「告白するのが怖いだけなのでは?」
「………」
そうだ、ただ私は告白して断られるのが怖い。
復讐が失敗する以上に、クライド様に拒否されるのが怖い。
「私……クライド様に嫌われたくない」
「告白して答えを聞かずに逃げてしまえばよろしいのでは?」
「え、逃げる?」
「復讐を終えれば、会う事も無いはずです。逃げちゃえばいいんですよ」
「………」
「答えが聞きたいなら話は別です」
ケイトの言葉に首を左右に振った。
クライド様に告白して答えを聞くなんて……無理。心臓が壊れる。
復讐がどんな形で終わるか分からないが、最後に『お慕いしていました』と言って逃げ帰ってくればいいのか。
「少しは気が楽になりましたか?」
「ええ、ありがとう。気持ちを伝えるわ、復讐の後にね」
私は笑ってからまたベッドに横になった。
ケイトも微笑んだ。
「お休みなさいませ」
「おやすみ」
ケイトが部屋から出て行ったのを確認して目を閉じた。
私の最後の恋。
想いを伝えよう。それで未来が変わる訳ではないけれど……
気持ちは固まった。復讐に集中できそうだ。




