復讐の決意
一夜明けた。結局まともに眠る事は出来なかった。
地平線の向こうから太陽がゆっくり顔を出した。
もう涙が出なかった。残ったのは大きな喪失感だけだった。
ヴィクトルの事を好きなどとは口が裂けても言えなくなった。
「本当に、好きだったのに……」
確かに好きだった。初めての恋人で一生懸命尽くしたつもりだった。
『遊びだった』の一言で全て切り捨てられるとは思わなかった。
家族は心配しているだろう。閉じこもっている事に対して怒るかもしれない。
ふと、部屋に置いてある鏡台に目を引かれた。
髪は本当に酷いありさまだった。化粧だって昨日のままで涙で半分落ちている。
取り敢えず、お風呂に入りたい……
そう思って部屋を出た。
出るとすぐに侍女の一人が私を見つけた。
「お嬢様……?」
「ケイト……」
私付きの侍女、ケイトだった。相当心配したのだろう。心なしか顔色が悪い。
「お風呂に入りたいのだけど……準備してくれる?」
必死にいつもの笑顔を作った。もうこれ以上心配させたくなくて。
だけどケイトにはそれが痛々しく見えたようで、涙を浮かべた。
「はいっ、は、い……すぐにご準備いたします……アイリーンお嬢様……」
ケイトはすぐにお風呂の準備をしてくれた。
お風呂で化粧を落として、切られてしまった髪に恐る恐る触れた。
長さもまちまちでもう元には戻らない事を認識し、喪失感が胸に残った。
まだ髪とドレスだけで良かったのかもしれない。体を傷つけられないで良かった、と前向きに考えられるようになった。
お風呂から出ると、ケイトは早速髪を整えてくれるようだった。
髪は予想以上に酷い状態だったらしく、ケイトは何度も顔をしかめた。
再び切り落とされていく髪を眺めていると、怒りの感情がふつふつとわき上がってくる。
あいつらは私を玩具にしたのだ。痛めつけるだけ痛めつけて、捨てたのだ。
この時初めて、復讐、の二文字が頭を過ぎった。
「さあ、出来ましたお嬢様」
大きな鏡に映しだされた私の姿は、太陽の貴公子と呼ばれる兄アルフレッドにそっくりであった。
その時、ヴィクトルに言われた言葉を思い出した。
『髪が短いと本当に男のようだな』
私は胸もぺたんこで、背が高い。しかも温和な笑顔が女性に人気なお兄様と顔立ちがとても良く似ている。
「アルフレッド様そっくりでいらっしゃいます」
ケイトもこう言っている。
私は化粧をするとすごく顔が変わる。化粧を教えてくれた母が派手な化粧を好むからだ。
母は派手な顔立ちだからこの化粧で良いのかもしれないけど、思えば私にはケバすぎたかもしれない。
「そうだ!」
立ち上がって、走り出した。お兄様の部屋まで来ると、ノックも何もせずに開けた。
部屋の主は居なかった。居ない方が今は都合が良い。お兄様の衣類を漁って試しに正装を着てみた。
「お嬢様?」
「ケイト! 見て。似合う?」
袖が長くてぶかぶかだったし、ズボンはちょっと無理に履いた。お兄様は小尻のようだ。
ケイトは突然お兄様の服を着始めた私に大層驚いていたけれど、私が楽しそうにしている様子を見て泣き始めた。
「ああっお嬢様っ……おいたわしい……」
「ケイト?」
「申し訳ありませんお嬢様……お嬢様をこんな目に合わせた奴が憎くて憎くて堪りません……お許しください……」
お兄様の服を着たまま、ケイトに寄り添った。
私よりもあの四人を憎んでくれている。悲しんでくれている。
私は楽観的な性格だからか、この事に関して泣く事はもう無いとは思うけれど。
地獄に落としてやりたいと震えながら話すケイトにまた復讐の二文字が浮かぶ。
「ケイト、そんなに泣かないで」
「お、じょ、う……」
「ほら……可愛い顔が台無しだよ」
「!」
指先で涙を拭ってあげると、ケイトは真っ赤になった。
涙は止まったみたいだけど……
「お嬢様っ」
「?」
「カッコイイです……!」
太陽の貴公子と呼ばれ、女性に人気のあったお兄様に似ているから納得できる。
成る程、男装すると私はカッコイイらしい。
「ケイト、私は御令嬢に人気が出るかな?」
「勿論です! アルフレッド様そっくりですから」
「女だってばれないかな?」
「お嬢様はその……背が高くて女性にしては体格も良いので……」
ケイトはとても言いにくそうだ。
肩幅が広くて服選びに何度も悩ませてしまっているから、今更だけど。
「アイリーン、俺の部屋で何をしているんだ」
「お兄様」
家には居たらしいお兄様が顔を覗かせる。
私の髪と服装を見たお兄様はとても複雑そうな顔をした。
「似合っていますか?」
「ああ。中性的な男の子って感じだな。ぶかぶかだけど」
お兄様は私の余っている袖を引っ張り上げて、つらそうに笑った。
そして一瞬で怒りの表情へと変わった。
「実は父上と一緒にスラッドリー家に抗議して来たんだ」
スラッドリー家……ヴィクトル……
「どう……でしたの?」
「知らぬ存ぜぬ、証拠がないと言われたよ。アイリーンの証言が何よりの証拠だと訴えたが、嘘を付いているのではと言われたよ」
「そう……」
「クソッ、親も親なら子も子だ。お前の代わりにぶん殴ってやりたかったよ」
スラッドリー家は当家と同じ伯爵家。
そう言えばスラッドリー家は悪い噂しか聞かない。
当主は……ヴィクトルの父は女遊びが激しい。妻を飽きたらポイ捨てするような人で、離婚歴が何度もある。町に出て好みの女を物色し手籠めにするとか、メイドに手を出して子供が出来たら捨てたとか。
そう言えば……私はずっとヴィクトルの噂を聞かないようにしてきた。
本当はどんな人なのだろう。
「お兄様……私にヴィクトルの事を教えていただけませんか?」
「……大丈夫なのか?」
「?」
「あの時の事、思い出したりしないのか」
目を伏せた。思い出さない訳がない。気丈に振る舞ってはいるけれど、時々あの時の光景がよみがえる。
「思い出します。勿論……怖いです。でも! 何も知らないまま閉じこもっているのは嫌!」
「……分かった」
お兄様は私の顔色を窺いながら話をし始めた。
ヴィクトルにも父親と同じような噂が付いて回っていた。
顔が良い事に大勢の令嬢と肉体関係を持ち、令嬢が結婚を迫るとポイ捨て。中には婚約者が居た令嬢に無理やり迫り関係を持ち子供を孕ませて捨てたと言うおぞましい内容も。
「本当、なのですか?」
「火の無い所に煙は立たない。全部とは言わないが、半分は本当なのだろう。実際に俺はあいつから睨まれた事があってな」
「何かされたのですか?」
「すれ違いざまに嫌味を言われたよ。俺が奴のハーレムの女を取ったとかで」
元々ヴィクトルと関係を持っていた令嬢の一人がお兄様に鞍替えしたらしく、それで遠まわしに文句を言われたようだった。
お兄様にはすでに婚約者が居る。お兄様と同じくとても優しい性格でふわふわとした笑顔がとても愛らしい方だ。
「俺はお前を守れなかった。お前の兄として昨日の事を何度も悔いた。すまなかった」
「お兄様のせいではありません……元々はヴィクトルが……」
私の事を遊び感覚でズタズタにした。
これではもう社交界には出られない。髪をこれほどまで短く切った以上、結婚をする事も出来ず、修道院へ行くしか……
「私……もう結婚できないのね……」
「アイリーン……」
「幸せに、なる事ができないのね……」
「俺と父上がふさわしい相手を見つける、だから」
「こんな男みたいな女と誰が結婚するの? 希望を持たせるような事を言わないで」
お兄様の服を着たまま自分の部屋へと戻る。
お兄様も近くに居たケイトも何も言えなかった。
悔しかった。何もできない自分が。このままあいつらに何もできないまま修道院へ行く事になるのが。
自室に着いて、鏡台が目に入った。覗き込むと怒りと悔しさで真っ赤な顔をした青年が居た。
これが……私?
鏡台の前に座って改めて自分の姿を眺めた。
顔はお兄様によく似ている。お兄様より中性的ではあるが、十分魅力的な顔だと言える。
その光景を見て、ひらめいた。
もう私は幸せにはなれない。このまま修道院に行くしかない。
あの四人はのうのうと笑いながら生きているのに。
だったら、私と同じところまで落としてやる。
男装し男として社交界に舞い戻り、復讐の限りを尽くしてやる。
あの三人には婚約者が居たはずだ。仲を引き裂いて修道院送りにしてやる。
待ってろよ、今会いに行くからな。
鏡に映った青年が笑った。
その笑顔はお兄様と比べると冷たくて氷のようだった。