クライド様のご趣味
「まずはそうだね。これをアイリーンに」
そう言ってクライド様は私に箱を渡して来た。
洋服でも入っていそうな大きめの箱だ。
計画を練る上でこれが必要みたいだ。
持ち上げてみると予想以上に軽かった。中身入っているのだろうか?
ゆっくりと箱を開けて、目を見開いた。
「入手するのに時間がかかったよ。そう売っている物でもないし」
言葉を失いつつ、箱の中のそれを持ち上げた。
「どう? 気に入った?」
体が無意識に震えた。
「こんな高価な物、使えません」
中に入っていたのはウィッグ……かつらだった。
しかも私の髪質と色、とてもよく似たものだ。
人毛で作られているかつらはとても高価だ。細かい髪の色や質までえり好みすれば価格は跳ね上がる。
「どこで入手したのですか?」
「かつらに詳しい友人が居てね、その伝手でかな」
じっとかつらを眺める。見れば見るほど自分の髪と似ている。
ちょっと癖があってくりんとしている所とか、赤茶の色も良く似ている。
「伝手があったから安く手に入ったよ。探すのに時間がかかったかな」
「……どうして私にこれを?」
「復讐の為だよ」
三日月と目が合って、ぞくりと鳥肌が立った。
いつもと違い、とても楽しそうな双眸。体がざわざわした。
「戻っておいで」
アイリーンとして、社交界に。
心臓がトクトク早く動く。今私は最高に興奮していた。
「復讐の為なら」
私はアイリーンとして社交界に戻る事になった。
それがヴィクトルへの復讐にどうかかわって来るのか、私には分からない。
けれど一つ言える事は、クライド様の言う通りにすれば万事解決する。それだけは考えずとも理解できた。
「簡単に計画を説明するね」
クライド様は本当に楽しそうに猫みたいに笑う。
私は与えられたかつらを握りしめ、計画に耳を傾けた。
*****
話を聞き終えて、長考する。
「本当にうまく行きますか?」
にんまりと笑い、見下すように三日月が現れる。
「奴は必ず釣れるさ。釣り針が仕掛けられているとも知らずにね」
楽しそうに笑うクライド様を見つめる。
計画を大まかに説明するとこうだ。
私がこのかつらをかぶり、再びアイリーンとして社交界に戻る。
その私はクライド様と恋人、と言う設定だ。
ヴィクトルの話を聞くに、クライド様と仲が良い女性に手を出す習性が奴にはある。
元婚約者が最たる例だ。
恋人には必ず食いつくとクライド様は自信があるようだが……
「私はヴィクトルの恋人だったのです。それに……捨てられています」
ただの遊び。そう言われてどのぐらい経っただろうか。
まだ昨日の事のように覚えている。
「アイリーン、君は特殊な例だよ」
「何がでしょうか」
「怒らないで聞いて欲しい……ヴィクトルとセックスしたかい?」
ぽかんとした後、頭に血が上った。
言い返したいが言葉が浮かばない。
「わっ、私は」
「良いよ良いよ。反応見れば分かる。無いんだろう?」
不躾だがクライド様を睨んでしまった。
ハッキリ言うと、ヴィクトルと関係を持ったことなど無い。
そもそも私はヴィクトルの手を握った事もキスをした事も無い。
本当にただ恋人と名乗っていただけだった。
その旨を伝えると、クライド様は曖昧な表情になった。
「あの女好きに全く手を出されないってのも……」
「何が言いたいのです?」
「いや! 何でもない……手を出されないで良かったね」
目を細めクライド様を見つめる。
「手を出されなかった理由、クライド様なら推察出来ているのでは?」
クライド様が柄にもなく黙った。
おおよその理由が分かっているのだろう。
「教えてください」
「……言っても良いけど。僕の予想だよ? それに……アイリーンが傷つくかも……」
「教えてください」
クライド様は諦めたように溜息を落とした。
あくまでもこれは予想だと何度も前置きをした上でやっと教えて下さった。
「アイリーンは……その……胸が……」
それだけで全てを察した。
そう言えば今まで復讐して来た女、全員胸が大きかった。
つまりヴィクトルは大きな胸が好きと言う事だ。
知りたくもなかった奴の性癖……!
私に胸が無いのは誰もが知っている事実……一番気にしてるのに!
「でもそれってさ! スタイルが良いって事だろう!?」
「……………」
「無駄なものが付いてないって事で! ね?」
「慰めはやめて下さい……」
泣きたい。クライド様の前だから耐えるけど。
胸が無い事を指摘されるのはもう良い。分かっている事だから。
堪えるのは女好きのヴィクトルに女として見られていなかった事実と。
絶賛片思い中のクライド様にぺたんこと思われてしまっていると言う事だ。
「男の人って大きい方が良いんでしょう? どうせ私は背が高いばっかりで胸に栄養が行かなかったんです」
身長ばっかり育って、女性らしい場所が育たない。
背の低い男性よりも背が高いものだから恋人を作るのにも苦労する。
ああ……世の男性がクライド様のように長身ならば……
「アイリーン」
涙を浮かべながら俯いていた顔を上げる。
「僕は背が高い女性が好きだよ」
「慰めですか」
「そんな事無い。胸なんて飾りさ、有っても無くても変わらない」
「無いよりは有った方が良いですよね?」
「そう卑屈になるなよ。僕は無い方が好き」
「何故ですか?」
「腕に胸を押し付けられた事が何度もあって……正直嫌な感覚でさ」
「………」
「機嫌直せ」
ぐりぐりと頭を撫でられる。
クライド様が私に最大限気を使って下さっている。
それだけで少しだけ気が晴れた。
「計画の為とは言え、私と恋人のふりが出来ますか?」
未だ頭を撫で続けるクライド様と目が合った。
クライド様はふっ、と普通に微笑んだ。
ドク、と心臓が高鳴る。
「出来るよ。アイリーンは僕と恋人になれる?」
頬に熱が集まる。赤くなってしまった顔を背ける。
「な……なれます」
なんとか、か細いでそれだけ言った。
頭を撫でていた手が引っ込んだ。
ふと外を見た。太陽が真上にある気がした。
「もうこんな時間」
部屋に置かれていた時計が昼食時を指していた。
「すみません。すっかり長居してしまったようで」
「問題ないよ。何ならお昼食べてく?」
「いえ、それはさすがに遠慮しておきます」
クライド様は少しだけ残念そうだった。
かつらを箱にしまい込んでもう一度窓から外を見た。
「クライド様。あの薔薇園、とっても素敵ですね」
窓からは多種多様な薔薇が咲き乱れている。
「誰のご趣味ですか?」
「僕」
「……え?」
「僕の趣味」
恐らく私は驚愕を顔に張り付けていただろう。
「らしくない趣味だろう?」
「その……すみません」
「良いよ自覚してる」
薔薇に限らずフローレンス家に咲いている花は全てクライド様のご趣味らしい。
フローレンス家には温室もあり、多様な花を育てている。
「花は良いよ。何も話さないし動かないし……裏切る事もないからね」
クライド様はそう言って寂しそうに微笑んだ。
もしかしたら……花に女性を重ねていたのだろうか。
「ちょっと見て行く?」
「え?」
「帰る前に、花をさ」
未だに寂しそうに微笑むクライド様を見て、断る選択など無かった。
玄関から外に出ると、馬車をすでに用意してくれていた。
荷物を預けた後少し歩いて、薔薇園に入った。
入り口がアーチ状になっている。赤い薔薇がお出迎えしてくれた。
「わあ、すごい」
それをくぐった後、色々な色の薔薇が目に飛び込んできた。
赤、白、ピンク、黄、オレンジ、紫……
青や緑、ベージュや黒赤などあまり見た事の無い色もある。
「色々育てていらっしゃるのですね」
「庭師が良い仕事してくれるんだ。僕は口を出すだけ」
そう言うクライド様は少しだけ楽しそうだ。
「アイリーンはどの色が好き?」
聞かれて少しだけ考える。
周りをぐるりと見渡して答えを出す。
「やはり白でしょうか」
派手な赤も捨てがたいが……白は花嫁の色だ。
純白のドレス、着てみたかったな。もう叶いっこないけど。
「君らしい色だね」
「そうでしょうか」
「白薔薇の花言葉は純潔。君らしいよ」
私は純潔を守ったまま死ぬことになるだろう。
仕方の無い事とはいえ、心が痛む。
言った本人はそんな事考えてはいらっしゃらないだろうけど。
「クライド様はどの色が好きですか?」
あまり考えたくなくて話題を振る。
「僕?」
聞かれた事に意外そうな表情を浮かべ、最初から決めていたのかすぐに教えてくれた。
「この……黒赤かな」
「意味は……花言葉は何ですか?」
話をする限り、クライド様は花や花言葉に詳しいようだ。
薔薇は色や送る本数によって意味が変わって来るとも聞く。
私は知らないが、あまり見ない黒赤色の薔薇にはどんな意味があるのだろう?
「色が好きで選んだんじゃないんだ」
眉を寄せ、クライド様の表情に怒りと悲しみが混在する。
「意味は……憎悪。良い意味では無いよ」
クライド様はヴィクトルを……恨んでいる。
私は復讐に身を投じるクライド様の姿を、軽率にも美しいと感じてしまった。
そこに咲いている黒赤薔薇がクライド様の心情を表しているようで……
そっと黒赤薔薇に触れた。
いつかクライド様が好きな色の薔薇を選べるようになればと……願って。




