女性嫌いの原因
紅茶を淹れ直し、使用人が美味しそうなお菓子を持ってきた。
お皿にはクッキーとかチョコレートが綺麗に乗っている。
使用人が退室してからクライド様は紅茶に手を付けた。
「う~ん」
「……どうでしょうか」
考えてみれば自分が淹れた紅茶を家族以外が飲むのは初めてだ。
正直、滅茶苦茶緊張している。
「賛否両論ある淹れ方かなあ」
やっぱり口に合わなかったか。
フローレンス家の使用人と比べたら下手糞ですよね……
「だけど」
にっこりと爽やかに微笑むクライド様と目が合った。
「僕は好きだよ」
心臓の脈拍が早くなっていく。
まるで告白されたみたいではないか。
「ありがとう、ございます……」
お辞儀をして、そのまま俯く。
体温が上昇している、暑い。
いつもの三日月はどこへ行ったんだ!?
あの顔で企み顔で笑ってくれたら良かったのに、その顔は反則だ!
手の平にじっとりと汗をかき始めた。
動揺を隠すために心の中で、落ち着け、を繰り返す。
「あとはヴィクトルだけだね」
「はい、無事にここまでやって来れたのはクライド様のお陰です」
「ふ~ん……」
俯いたままお礼を言うと、目の前に何かが伸びてきた。
クライド様の手だった。しかも傷がある方だ。
「あっ!」
がっ、と顎を掴まれた。
振り払おうと一瞬考えて、怪我をしている事に気が付いた。
顔を上げさせようと強い力が伝わって来た。
「っ、なにっ」
傷が開いたらいけないと力に従った。
机に半分程身を乗り出しているクライド様と目が合った。
「やあ」
クライド様は三日月を作った。
「やっと目が合ったね」
「あっ……」
「お礼を言うのは良いけどちゃんと相手を見て言おうね?」
赤くなるのが正解か、青くなるのが正解か、分からない。
「すみません……」
「怒っては無いよ? ただ、僕を見て欲しかっただけ」
「……見てます」
「俯いてただろ?」
「そ、それは……その……」
挙動不審に視線を彷徨わせる。
クライド様とずっと目を合わせ続ける事なんて出来ない。
理由が理由なだけに説明する事も出来ない。
「アイリーン?」
私の必死に目を合わせようとしない反応が癇に障ったのか、ぐいぐい引っ張られる。
「っ、傷開きますよ!」
「君が僕を見ないからだろう? 開いたって構わないさ」
「ダメです!」
しばらくの押し問答の末、結局私は顔を前に突き出す格好になる。
真剣な琥珀色の瞳が至近距離で私を見つめる。
「なにが、したいんですか……」
「前にも言ったと思うけど」
クライド様の瞳を見つめ返す。
宝石みたいでとっても綺麗だ。
「もっと僕の事を見てもバチは当たらないよ」
「……」
「考えてくれてもいいけど」
もうとっくに私は……あなたの事ばかり考えているのに。
でも、絶対に言えない。
墓場まで持っていくつもりだ。
「離してください」
「えー?」
「えーじゃないです。離してください」
「う~ん……仕方ないか」
言うと簡単に離してくれた。
再び椅子に深く腰掛ける。
クライド様は何が楽しくて私に触れて来るのだろうか。
触れる女性が他に居ないからだろうか。
「どうしてクライド様は女性が苦手なのですか」
クライド様は一瞬だけ眉を寄せた。
その反応に、聞いてはいけない事を聞いたのではないかと青くなる。
社交界でもクライド様の女嫌いの原因を知る人は居なかった。
クライド様には婚約者が居た。その人が関係しているのではないのかと言う話は聞いたが……
「女嫌いの理由?」
「あ、の……踏み入った事を聞きました、申し訳ございません」
頭を下げた後、クライド様の様子を窺う。
少しだけつまらなそうな表情をし、いつもの三日月の笑顔を浮かべる。
「気にならないの?」
「え……?」
「僕の女嫌いの原因にヴィクトルが関わっているって……言ったら?」
目を見開いた。
クライド様はヴィクトルを嫌悪している。
ヴィクトルの話をしているとたまに殺気が混じる。殺してやりたいと思うぐらい嫌忌している。
「本当なのですか……?」
「君を今日ここに呼んだのは、マリーシャの事とヴィクトルへの復讐の話。それから……」
クライド様は少しだけ寂しそうな表情を浮かべ、続ける。
「僕の話。何故ヴィクトルに復讐したいのか話しておきたかったんだ」
「何故私に?」
「僕は君が何故復讐したいか知っている。でも君は僕が何故復讐したいのか知らない。フェアじゃないと思ってね」
言って、クライド様はチョコレートを一つ摘まんだ。
クライド様にも復讐をする理由がある……?
「君に話しておきたかったんだ」
「どうして?」
「その方が楽しいかなって思ってね」
再び作った三日月は、どことなく無理をしているように見えた。
「自己満足だけど、聞いてくれるかい?」
「はい……私で良ければ」
「アイリーン、君でないといけないんだよ? そうだな……まずは僕の女性観の根底に存在するある女性から。ヴィクトルは関係ないけれど聞いてくれる?」
「女性嫌いの原因ですか?」
「そうだね」
「分かりました」
女性嫌いの原因……気にならないはずはない。
それにクライド様にはいつも迷惑をかけている。
クライド様が話したいと言うならば、私は何でも聞くつもりだ。
「アイリーン、ありがとう」
力無く微笑むクライド様に心臓が激しく動いた。
この人のそばに居たい、と出来もしない願望が沸き上がった。
「まず前提として……その女性は夢見がちな少女のような人だった」
女性は貴族令嬢で若くして嫁ぎ、すぐに男の子を産んだ。
母親となった女性はある日、再び妊娠した。
当時男の子は五歳、当然だが男の子はとても喜んだ。未来に生まれて来るであろう弟か妹の存在。自分は兄になるのだと信じて疑わなかった。
しかし母の表情が優れなかった。理由はその時には分からなかった。
次の日、母が消えた。父に聞いても使用人に聞いても、
「遠い所に行った、忘れなさい……ってね」
「その……男の子って……」
「僕の事さ。僕は五歳の時に母親が消えた子なんだ。理由はね……」
言ってしまうと、母は浮気をしていた。お腹の子は浮気の末に出来た子だった。
すぐに腹の子が父の子で無いと言えたのは、父が宰相と言う役職に付き忙しくて母の相手をしている余裕が無かったからだ。
結果、母は身一つで家から出された。父は不貞を働く人間が大嫌いだったからだ。
母は僕を理由に抵抗したらしいけど意味は無かった。
僕がこの事実を知るのはもう少し経ってからだった。
「あっ、この部屋って」
「そ、元は僕の母親の部屋だった」
「どうしてまだ残っているんですか」
「子供の頃、残してって無理を言ったんだ……思い出だから」
「クライド様……」
母との思い出は決して悪いものでは無かった。楽しい思い出が沢山あった。
それから七年後、十二歳の時再び母親と出会った。
僕が領地視察と称して街を探検していた時だった。
母はフリルの可愛らしいドレスを着て、男性と男の子を連れて現れた。
身なりから男性は貴族である事と母の再婚相手である事が見て取れた。
母は言った。『ようやく迎えに来られた』と。
僕は意味が分からなかった。当時の僕は真実を知らされていなかったから。
母は僕を捨てたものだと思っていた。
僕はこの時、拭いきれない違和感を感じていた。
母は確かに母だった。けれど雰囲気が変わってしまっていたし、会話をしても演技臭さを誤魔化し切れていなかった。
極め付きは母の隣に居た男の子の台詞。
言わされているかのように僕の事を『お兄様』って何度も言ったんだ。
年齢からあの時お腹に居た子供なのだとすぐに察した。
母の再婚相手である男性も胡散臭い笑顔で僕を懐柔しようとしてくる。
僕達四人で家族なんだ! って空気出されて、とっても気持ち悪かった。
「吐きそうだった。何故か優しい男性と、操られている母と子。気味が悪かった」
慌てて逃げ帰り、父に報告した際に母の浮気の事を聞かされた。
ショックだった。けれどそれ以上に気持ち悪かった。
母はそれから父が居ない時間帯を見計らい、子供を連れてフローレンス家にやって来るようになった。当たり前だが、門前払いだ。
「何故急に会いに来たのでしょうか」
「僕が優秀だったから」
「優秀だから迎えに来た……?」
「当時通っていた学園で僕はいつだって好成績だった。それが母の再婚相手の目に止まったってこと」
事態を重く見た父は母の周辺を調べる事にした。
再婚相手の家は財政状況が芳しくなかった。
しかし、母は金を湯水のように使う女性だった。フローレンス家では問題なかった散財も再婚相手の家では重くのしかかる。
「まあ言っちゃうと、財政難に陥った領地経営やその他諸々を僕に押し付けたかったみたい」
「えっ、でもクライド様はまだ十二歳で……」
「当時すでに領地の事を任されていたから。上手くやれていたと思うよ」
「そうですか……それを知って接触してきたのでは……?」
「そうかも知れないね」
僕の種違いの弟はあまり成績が良くなかった。だから頭の良い稼ぎ頭が欲しかったのかも知れない。
気持ち悪い。僕は金を稼ぐ道具では無い。
それから一度だけ母と面と向かって会話をした。
離婚は不本意だった。僕の事を考えると悲しくて涙が出た。また一緒に暮らしたい。
要約するとそんな事を言った。だから僕は呆れながら言った。
「離婚の原因を作ったのはあんただろう。夫が居ると分かっていて不倫するような男と一緒に暮らしたくない。僕の事を本当に考えているのなら、二度と顔を見せるな」
母は泣きながら隣に居る男の子を前に出して、この子はあなたの弟なのよ? お兄ちゃんと一緒に暮らしたいって思っている、なんてさ。
その子、滅茶苦茶不本意そうだったよ。そんな事思ってないって顔してた。
僕は自分には兄弟はいない。ずっと一人っ子だ。って言ったよ。
幸い父は後妻を取らなかった。母が原因で女性不信になってしまったからね。
それでも母は納得していないようだった。僕と再び家族になれる事を信じて疑わなかったよ。
「結局、どうなったのですか」
「再婚相手の家を父が潰して終わり。領地はフローレンス家の一部になったよ」
「その方が民には良いかもしれないですね」
「褒めてくれてるの? ありがと。でもこれで終わらないのが恐ろしい所で……」
相手の家を潰した後、僕は誘拐された。
一人で出歩いている時に薬を嗅がされて気を失った。
目を覚ますと倉庫のような場所に母と再婚相手が居た。自分は腕も足も縛られてる。
子供は居なかった。どこかに遊びに行っているのだろうとこの時は思った。
気絶したふりをして二人の会話を盗み聞いた。
母はこのままでは暮らしを維持できないと騒いでいた。
再婚相手は母をなだめ、こう言った。
「綺麗な顔をしているから高く売れるさ、って」
「ひっ……まさか」
「娼館にでも売るつもりだったみたい。気持ち悪いね」
二人の会話から、子供はすでに娼館に売り払った後だった事を知った。
その金でしばらく生活したが母は何度も言うか金を使い込む女だ。
子供一人売った所で賄いきれなかったのだろう。
母は何度も言うが夢見がちな少女のような人だ。
再婚相手に促されるままに子供を手放し金にした。娼館の意味が分かっていなかったようだ。
子供の為、なんて再婚相手にそそのかされて売り払ったみたい。
「父と使用人が助けに来てくれてね。たいした怪我も無かったのだけど……こう、なんていうの? 本当に気持ち悪くて」
「……」
「トラウマだよね。女って自分の事しか考えられないのかな? 無知を理由に子供を不幸にするの? そんな人ばかりじゃないのは今なら分かるけれどね」
「それで女性嫌いに?」
「う~ん、どちらかと言うと人間不信に近いかな。母の再婚相手は男だったし、そいつも気持ち悪かったから」
「二人の子はどうなったのですか?」
「さあ? まだ働いているかもしれないし、興味ないよ。血は繋がっているのかもしれないけれど、助ける義理が無い」
そもそも弟だと思った事など一度も無い。
母と再婚相手は牢に入れられ、しかるべき処罰を父が与えたのだろう。
最終的にどうなったのか、僕の耳には入ってこなかった。
「聞いてくれてありがとう」
「いえ……」
「誰にも話した事なくて。気軽に話せる内容でもないのだけど」
浮気して消えた母親が現れて、再婚相手の子供にされそうになって失敗して、家潰して、お金に困ったから誘拐されて売られそうに……
壮絶だ。不運だ。本当にトラウマだ。
全ての不幸のきっかけが母親にあるのが気持ち悪い。
クライド様が私が淹れた紅茶を飲み干した。
それでも母親の部屋を残しているのは本当にすごいと言える。
可愛い部屋だと思っていたが、今は気持ち悪さでいっぱいだ。
「また淹れましょうか?」
じっとしているのがむずがゆくて立ち上がる。
「そうだね。淹れてくれる?」
カップを受け取り、紅茶を入れ始める。
「今度こそヴィクトルの話……僕の元婚約者の話をしようかな」
「はい……」
「さっきの話みたいに気持ち悪さはあんまりないから、安心してね」
いつもの三日月と目が合った。
ほっ、と安心している私が居る。
紅茶を淹れなおして、渡すとクライド様は先程よりも楽しそうに話を始めた。




