フローレンス家
アレンの服装で玄関前で振り向いた。
「では行って参ります」
玄関でお兄様がお見送りに来てくれた。
今日はアレンの姿で馬車に乗ってお出かけ。
行先は……
「クライド様に失礼の無いようにな」
「分かっています」
クライド様の家、フローレンス家だ。
あの傷害事件から数日が経っている。
クライド様の傷は、血が結構出たものの浅く数針縫うぐらいで大事にはならなかった。
ただ傷の療養としてしばらく社交界はお休みするそうだ。
昨日この話をクライド様からの使いから聞いた。
わざわざ屋敷に使用人を送って下さったのだ。
その際に私の方から会えないかと聞いた所、クライド様も私と会って話がしたかったらしくすんなり日取りが決まった。
今日の午前中に馬車で迎えに来ると言う。
最初は断わったが、クライド様がどうしてもと使用人が言うので折れるしかなかった。
「はぁ」
玄関から外に出る。まだ馬車は来ていないようだ。青い空と白い雲のコントラストが目に痛い。
天気は良いが心は暗い。
公爵家であるフローレンス家は、何度も言うが名家だ。
現当主であるクライド様のお父様は、国の宰相として力を振るっている。
クライド様はそんなお父様についている文官。次の宰相とも言われている。
使用人が若い女性を上げるのは本当に久しぶりですと、楽しそうに話していたのを思い出した。
どうやら使用人にはアレンの正体を話したようだ。
「ん」
馬車がやって来たのか、馬の蹄の音が聞こえる。
「わお」
贅の限り尽くした豪奢な馬車が現れた。
馬車だけでは無い。馬に乗った私兵が二人馬車を守るように左右に一人ずつ付いている。
王族の送迎か何かだろうか? あいにく乗るのは髪の短い伯爵令嬢なのだけど。
馬車から御者が降りてきた。
その人は昨日の使用人だったので頭を下げた。
「おはようございます」
「おはようございます、アレン様……こうお呼びした方がよろしいですか?」
「ええ、誰が聞いているか分からないので」
「承知いたしました」
使用人がニコニコと笑うので、微笑み返した。
私兵二人にも挨拶をして馬車に乗り込む。
外見は派手だが中は落ち着いていた。中まで派手だと目が痛くなるからかもしれない。
フカフカなクッションに驚いていると、馬車がゆっくりと動き始める。
馬の蹄の音と馬車の規則的な揺れ。昨晩あまり眠れなかったせいか瞼が落ちそうになる。
フローレンス家に行く事になったけれど内心不安だし、変に興奮している。
行こうと思って行ける場所では無いからだ。お陰でほとんど眠れなかった。
馬車は私の家の敷地を抜け、石畳の道に出た。
「アレン様はクライド様とはどう言った御関係ですか?」
馬を操る使用人に聞かれ、返答に詰まる。
私の復讐を手伝ってもらっています、とは言えないし。
なのでずれた答えを返した。
「今回の怪我の原因はボクにあります。なので直接会って謝罪を」
「クライド様は謝罪を受け入れないと思われます」
「な、何故です?」
道を行くうちに少ないながらも人とすれ違った。
皆大層驚いた表情で豪華な馬車を見上げて居た。
「怪我をしたのは自分が浅薄だったからだとクライド様は仰られておりました」
「浅薄だなんて……そんなことは……」
「誰かからの謝罪を欲しているようには見えませんでした」
視線を下に向け、クライド様の事を考えた。
クライド様も私と話したかったはずだ。
謝罪が欲しいのでは無いと言うのなら……何を話す気なのだろうか。
私が一番恐れているのは、怪我によって復讐をやめると言われる事だ。
三人への復讐はクライド様が居なければ達成できなかった。
私にとっては居なくてはならない存在だ。
だけれどクライド様は数針縫ったと何度も聞いた。恐らく傷跡が残ってしまったのでは無いだろうか。
怪我をしてまで私の復讐を手伝いたいと思えないだろう。
「クライド様は何を欲しているのでしょうか」
「それはご本人にお聞きになって下さいませ」
クライド様と同じように何処か飄々としている使用人の背中を眺めながら、馬車は進んで行く。
不安に押しつぶされないように何度も深呼吸しつつ、街の風景を眺めた。
*****
馬車が止まった。
閉じていた瞼を開け、窓から外を見た。
目に飛び込んできたのは立派な門だった。
まさかこの門がフローレンス家の門なのか?
一見重そうな木の門は門番と使用人が一言二言会話するだけで簡単に開いた。意外と軽いのかもしれない。
フローレンス家の広大な庭のような森に入って行く。
しばらく森が続いていたが、開けた場所に出た。
整備された綺麗な庭。花壇や花畑もある。遠くに色々な種類の薔薇が咲いていた。
誰の趣味だろうか?
「あ……」
屋敷が見えた。さすが我が家よりも大きい。ちょっとした城ぐらいはある。
恐らく玄関と思わしき場所に、誰かが立っていた。
「クライド様?」
見間違うはずはない。
あの長身と体格。それから髪の色。
いつもとは違いラフな格好だったが、すぐに分かった。
「やあアイリーン。よく来たね」
「ご無沙汰しています」
馬車から降りる際、怪我の無い方の手を借りた。
あれだけの怪我だったのに出歩いて大丈夫なのだろうか?
「その恰好で来たんだ」
「はい。アレンの服装で……」
「ドレスでも良かったのに」
ぽかんと口を開けて見つめてしまった。
よほど間抜けな顔をしていたのかクライド様は笑い始めた。
「その顔面白いね!」
「面白くないですよ! ドレスなんか着て来れません!」
髪は短いままだし、注目を浴びるような豪奢な馬車で来た。誰が見ているか分かったものでは無い。
「君のドレス姿をどれぐらい見ていないだろう?」
「あの日から数か月は経っていますね」
「惜しいな。君は赤のドレスがとても似合っていたのに」
私は赤や派手な色のドレスを好んで着た。
お母様の影響もあるが、純粋に目に付く派手な色が好きだった。
それをクライド様が覚えているとは全く思わなかった。
「まあまあ、それは冗談として」
クライド様に手を引かれて玄関に向かう。
玄関は控えていた使用人が開けてくれた。
「立ち話もなんだから案内するよ」
「……お邪魔致します」
扉をくぐり、屋敷の中へと入った。
豪華だけれど色調が落ち着いた玄関だった。どこか安心する。
「こっちだよ」
機嫌が良さそうなクライド様が私の手を引く。
エスコートされているみたいだと思い、少しだけドキドキする。
廊下に置かれている調度品は一級品だろう。存在感があった。
クライド様は切られた方の手でドアノブを捻った。
ドアを開けるぐらいは何とも無いようで少しだけ安堵した。
「適当に座って」
部屋には白い椅子が二脚に同じく白い机が一つ。机はそれほど大きくなく、椅子は向かい合わせに置いてあった。
食器入れと……小さなクローゼットだろうか。
机もそうだが、置いてある家具はみな白く……
「可愛らしいお部屋ですね」
「そう?」
夢見がちな少女が住んでいそうな……そんな部屋。
クライド様が閉まっていた可愛いレースのカーテンを開けた。
窓の外には薔薇園が広がっていた。
白い椅子に座ると、使用人が入って来た。
食器入れからカップを取り出している。
どうやら紅茶でも淹れるようだ。
「誰のご趣味ですか?」
カーテンを開けて戻って来たクライド様に問いかけると、一瞬だけ目尻が動いた気がした。
すぐに笑顔に戻ったので私は眉をひそめた。
「僕の趣味に見える?」
「見えないから聞いてます」
クライド様は少しだけ考えて、いつものように笑う。
「この部屋の主だった人の趣味だよ」
その笑顔がいつもと違う事に私は気が付いてしまった。
言葉では言い表せない、違和感。
「女性はこう言った部屋の方が好きかと思って」
「嫌いでは無いですけど……可愛すぎな気もします」
「僕もそう思う。ちょっとやりすぎだよねー」
おどけて笑うクライド様を見つめるが、何を考えているのか全く読めない。
読み切れた事など一度も無いけれど。
使用人が紅茶をテーブルに置いて、部屋を出て行った。
少しだけ飲んだ。ローズヒップのようだ。
「さて、アイリーン」
「はい」
「君は僕に、僕は君に言いたい事があるはずだ。先に君からどうぞ」
レディファーストだよ、とクライド様は続ける。
視線を合わせると、目は三日月になりつつある。
私は深呼吸をして、話し出す事にした。




