全ての始まり
華やかな社交界。広いダンスホールにシャンデリア。心が華やぐ光景。
その光景とは真逆の複数の冷たい目が私を突き刺す。
「まあ、まだいらしたの?」
「目障りだわ」
「消えていただけないかしら」
いつも通り三人の令嬢から言葉の暴力。
これだけ直接的だと、いっそすがすがしい。
私はその場を辞して、会場の中を歩き始めた。
誰も私に話しかけてこない。目が合うとさっと逸らされる。
私はあの三人にありもしない悪評を流され、友人を失った。
寂しいけれど、それでも良かった。
「あっ」
最愛の存在を見つけ、急いで近付く。
「ヴィクトル様!」
「ああ、アイリーンか。どうしたんだ?」
ヴィクトル様は今日も沢山の令嬢に囲まれて大人気。
私の恋人、ヴィクトル・スラッドリー様。私と同じ伯爵家で今の社交界では新月の貴公子と呼ばれているすごく素敵な人なの!
他にも太陽の貴公子と夕闇の貴公子が居て、併せて3貴公子って呼ばれている。
ヴィクトル様、とっても素敵……金の髪は伸ばしてゆるく後ろで結んである。まるで天の川のようだわ。
そんな彼と私が付き合っているだなんて……! 本当に夢のようだわ!
私にとっては初めての恋人。あいつだけはやめておけなんてお兄様には言われたけど……止まれる訳ないじゃない!
お付き合いをするきっかけになったのはヴィクトル様からの告白。
『オレの満月になってくれないか』だって! 新月の貴公子にかけてるんだわ! 本当に素敵。ヴィクトル様の為ならなんでもするわ!
「ヴィクトル様、私……両親にヴィクトル様の事を」
両親にヴィクトル様の事を報告したい。いつも浮いた話一つない私を心配しているのだ。
言葉の途中で、ヴィクトル様の美しい人差し指が私の唇にちょんと触れる。
「もう少し待ってくれないか」
「えっ? どうしてですか?」
「オレ達はまだ互いの事をよく知らない。もう少し待ってくれ」
まただ。ヴィクトル様に両親に報告したいと言うと、待つように言われる。
確かにまだ付き合い始めて日は浅い。キスも……まだだし。
何度も何度も疑問に思っていたけど。
「愛してるよ。アイリーン」
その言葉と美しい顔に騙されて、笑顔で頷くしかなかった。
まさか数刻後に死ぬほど後悔する事になるとは、夢にも思わずに。
*****
髪を乱暴に引っ張られ、痛みに叫んだ。
いつも嫌味を言ってくるあの三人に、人気のない場所に無理やり連れてこられた。
ガン! とお腹を蹴られてその場に倒れ込んだ。
混乱する頭で周りを確認すると会場では無く倉庫のようで、物が乱雑に置かれていた。
「目障りなのよ、あなたとヴィクトル様が釣り合うとお思い?」
「背も高くて胸もぺたんこ! 本当に女?」
多勢に無勢。数に勝てるはずも無く、無言で三人を見る。
確かに私の胸はぺたんこだ。無いと言って良い。背が高いのも事実だ。
「夢見てる勘違い女はこれで成敗しなきゃね」
一人がどこからかナイフを取り出した。
何をする気なのか分からなくて、怖くて声が咄嗟に出なかった。
まず、着ているドレスを切られた。ズタズタにされた。
声を上げる事も抵抗する事も出来なかった。
怖くて縮こまっている事しか出来なかった。
次に三人が目を付けたのは、私の髪だった。
「いっ!」
「二度と社交界に出られなくしてあげるわ」
「まあ、お優しいのね。ふふっ」
「早く切りましょう」
二人が私を押さえつけて、もう一人が髪を無理に引っ張りザクザクと乱雑に切っていく。
私はそこで初めて涙が出た。今まで何をされても平気だった。
嫌味を言われても友人が居なくなっても、本当はつらかったけど泣く事は無かった。
令嬢が短く髪を切る時は、俗世を離れ修道院に入る時だ。
髪は女の命でとても大切にしてきた。それをこの三人はよく知っている。だから髪を切ったのだ。
髪をざんばらに切って、三人は満足したのだろう。本当に楽しそうに笑っていた。
切り落とされた赤茶の髪をただ茫然と見ている事しか出来なかった。
どうしてこんな酷い事が出来るのだろう。恐怖と怒りと戸惑いで思考は殆ど停止していた。私が一体何をしたと言うのだろう。
そこに、一人の男がやって来た。男は私もよく知っている人だった。
「もう終わったか?」
「まあ、ヴィクトル様」
三人の令嬢はヴィクトルにはべる。その光景に違和感しかなかった。
確かに私と目が合ったのに、助ける気配が全くない。
恋人が髪を切られて恐怖でうずくまっているのに……助ける気配が無いどころか私を害した三人と仲良くしていた。
終わったか、と確かに言った。つまり、ヴィクトルはずっと近くに居た?
「ヴィクトル、さま……?」
震える声で名前を呼ぶと、ゴミを見るような目で私を見た。
感情を感じないエメラルドグリーンの瞳に、恐怖を覚えた。
ヴィクトルはふっと鼻で笑った後、
「髪が短いと本当に男のようだな。男に興味は無い」
「なぜ……このような……」
「分からないのか? 頭の悪い……」
ヴィクトルは笑いながら教えてくれた。
今までの嫌がらせはヴィクトルが三人にさせていた事だった。
悪口も悪い噂を広め友人を無くした事も、ヴィクトルの仕業。
何故付き合ったのか、それだけが知りたくて聞き返すと冷たい声で返された。
「ただの遊びだ」
遊び? 遊びで、私は……こんな目に?
唖然と四人を見上げるしか無かった。
「無様だわ、最高のショーだったわ」
「くすくす。修道院にすぐに行けるようにしてあげたわ」
「最初から遊ばれていたのに、気が付かないなんて……ふふっ」
四人は私を笑いながら去って行った。埃っぽい倉庫の中に私は一人取り残された。
涙腺が決壊して頬に涙が流れ続けた。
ヴィクトルの事が好きだった。愛していた。でもそれは……遊びだった。
声も出さずに泣き続けた。
失恋と騙された悔しさで頭がどうにかなりそうだった。
それからどのぐらい時間が経ったかは分からない。
「アイリーン?」
名前を呼ばれたので緩慢な動きで視線を動かすと、そこには良く知った人物が凍った表情で私の事を見ていた。
「アイリーン!」
「おにいさま……」
会場に居ない私を探していたのだろう。私の兄、アルフレッドが血相を変えて駆け寄った。
「ああ、なんて事だ!」
兄に抱きしめられて、そこでようやく安心して声を出して泣いた。
怖かった。ナイフで刺されて死ぬのかと思った。
「誰にやられたんだ」
「ひっく、ひっく、ヴィ、クトル……」
「ヴィクトル? やはりあいつ……」
兄が怖い顔をして立ち上がろうとするので、引き止めた。
「行かないでおにいさま……!」
「しかし、このままでは」
「一人にしないでっ、お願い……」
兄は私が落ち着くまで一緒に居てくれた。
すでにパーティは終わっているようで、兄に帰ろうと言われた。
でも、部屋から出る事が怖かった。またあいつらにひどい目にあわされたらどうしよう。
「歩けないなら抱えて行く。自分で歩くのとどっちが良い?」
「あるく……」
歩いている途中で結局腰が抜けて兄に抱えて連れて帰ってもらった。
馬車に乗って家に帰ると、まず母が卒倒した。父も怒りで体がブルブルと震えている。
誰にされたんだと父に問い詰められ、耳を塞いだ。
「もう思い出したくないの!」
それだけ言って私は部屋に閉じこもった。
ボロボロになってしまったドレスを着たままベッドにうつ伏せ、ただただ泣いた。
母や侍女が心配する声が扉越しに聞こえたけれど、無視をした。
悔しくて悔しくてたまらなかった。兄はヴィクトルに熱を上げる私にあいつだけはやめておけと何度も言っていたのだ。良い噂が無い、と。
それを無視してこんな事になった。忠告をちゃんと聞いて置けば……私がヴィクトルの本性に気が付いていれば、こんな事にはならなかったのに……
短くなってしまった髪に触れ、また涙した。
女の尊厳をズタズタに引き裂かれた気分だった。
私はもう、華やかな社交界には帰れない。怖くて戻れない。
一晩、泣き続けた。