もう一人の主人公
「ほう……綺麗だな」
学校に行く途中の道、桜色の意匠の凝ったドレスを纏った木々が道路の両端に等間隔に並ぶ様は溜息が出るほど美しく、そんな壮麗な景色が俺の陰鬱な気持ちを幾分か和らげる。
俺の名前は京極 聡太 といい清峰高校に今年入学する一年生だ。
どうしてそんな新入生には似つかわしくない梅雨の曇り空のような感情を抱いているかと言えば、それは中学時代の出来事に由来する。
俺には中学時代、同じクラスに好きな女の子がいた。その娘はクラスの人気者で、可愛くて、頭もよく、運動神経抜群とまあ二次元の世界から飛び出してきたんじゃないかと疑うほどのスペックをしていた。
そしてその女の子と俺は小学校も同じで仲も結構良かった。そして中学も同じになり、三年間クラスが同じという幸福にも恵まれ、時々一緒に遊んだりして、そして俺はいつしか彼女に恋心を抱いていた。
告白をしようとした、でも躊躇った。だって彼女は完璧な美少女で俺はなんの取り柄もない普通の男子中学生。いくら仲が良いとは言え、それが恋愛感情にそのまま発展してくれるかと言えば大きな疑問符が付く。
何人も見てきた。好きな人に告白をして、そしてその人と過ごす日常さえも壊してしまった人達を。そして俺はそいつらを心中で嘲笑していた。ざまあみろと。よく考えて行動しないからこうなるんだと。……本当に今となって考えてみると死ぬほど笑えてくるな。
そしてそんな拗らせた色々を抱えた中三、俺は彼女がこの県で一番偏差値が高い県立高校を受けると聞いた。そして俺は決めた。俺も彼女と同じ学校を受けて、一緒に合格したら告白しようと。
それから俺は頑張っていた野球部を途中で辞めて、そして友達と遊ぶ時間も、そして彼女と遊ぶ時間も削ってひたすらに勉強に打ち込んだ。
……そして今年。その県立高校に落ちた。こんなはずじゃなかった。いい判定も出していたし、手応えもあった、でも落ちた。勿論、彼女は合格した。
第二志望の清峰高校には受かれたし、一年前の自分の成績からするとそれでも上出来だろう……だがそんなのはどうでも良かった。
暫くショックで失意の底に沈んでいたのだが、やっぱりそれでも彼女に告白しようと思ったのは春休み。
……そしてその春休み俺は彼女が俺の事を好きに思っていた事と、同時に彼女が他の男子と付き合い始めた事を彼女の友人から聞いた。
その男子生徒は何回も彼女に告白しては断られて、それでも告白し続けていた奴で……最も俺が嫌悪して見下していた奴だった。そしてそいつは彼女とは他の学校に進学した。
不思議と彼女にもそいつにも怒りは湧いてこなかった。そもそも俺には怒りを向ける事の出来るような資格すらない。
……冷静に考えてみれば、自分にいきなり冷たくなってそして興味のなさそうな奴よりも自分を好きだと何度も言ってくれる奴の方を選ぶだろう。例えどんなにそれ以前に愛情があったとしても。
で更に一年間独りぼっちで過ごしたおかげで友達も殆どいなくなってしまった為、春休みもすっごく暇だった。
結局俺に何が残ったのだろう。好きだった野球も、友人関係も、そして一番好きな女の子も失った俺に。
ああ一つあった。それは教訓、それも至極簡単な、でも見落とされがちな。
その教訓というのは この世界は自分を中心にして回っていないという事実だ。
自分がいなくてもつつがなく日常は展開される。部活も、友人関係も、恋愛関係も。
シェイクスピアは言った「この世は全て舞台、男も女も役者にすぎない」と。その通りだと思うだが一つ変えさせてもらうとすれば舞台のところを、主役の居ない舞台と変えた方が適切だと思う。つまりいくらでも自分の代わりは居るということだ。
二次元の主人公みたいに努力が必ず報われる訳でもない、自分の事だけを一途に思ってくれるヒロインなんかも居ない、美少女にいきなり告白されるイベントもない。
だから恋愛面にこの教訓を応用するとすれば 手を伸ばさなければ想い人は手に入らないということ だと思う。
代わりがいくらでもいる中で、誰よりもあなたを愛していると宣言する事が、その人にとっての特別、つまり代わりが居ないと思われることに繋がるのだろう。
「と言っても辛いな……」
心機一転して前に進もうと思うのだが。やっぱりまだ辛い。春休みを経て少しは気持ちの整理もついたが、やはり昏い思い出は未だに心の奥底にこびりついている。
さっき言った通り余りにも暇すぎたから後はネット上に転がっているモテる為の情報とかをかき集めたりしてみたり、後は現役読モとかなんやらやっている姉に色々とアドバイスをもらったりしてまあまあ見た目もよく見えるようになった……と思いたい。まあ姉のお墨付きもあったしそんな酷いことにはなってないはすだ。
つまり高校デビューして、昔の記憶を忘れるような素敵な恋をしようということなのだが。
正直言って恋する気分にまだなれない。まだ恋をすることに対する恐怖や抵抗感が拭えないし、そんな状態で女性に向き合うのは失礼だと思うし。
「というか……こんな時間に家を出すなよ」
母親の仕事が何時もより早く始まるという理由で姉と一緒に随分と早い時間に家を出された。姉は近くのカフェでモーニングと決め込むらしいが俺の方はそんな風にいく訳もなく、仕方なくかなり早い時間に家を出て今に至るというわけだ。
「ふわぁぁ……眠っみ」
そう欠伸を漏らしたその瞬間、強く風が吹いた。
「うわっ!」
土に眠っていた桜の花びらがふわっと空に飛び立つ蝶のように一斉に舞い上がった。砂埃が入りそうになって咄嗟に目を閉じる。
風がやんだ。目をあけると桜は元居た場所に還って桜色の絨毯を形成していた。そして俺は見つけた。
……自分が恋するべき人を、いや心から恋したいと思った人を。
その人は俺が立っている方とは逆側の道を歩いていた。制服は清峰のそれ、リボンの色からして……高三? 妹と見られるこちらは高一の女の子と一緒に学校に向かって歩いていた。
その女の子は高三としてはだいぶ低めな身長。病的な程白く透き通った肌、整った鼻梁、空に舞う桜の色をした艷やかな唇。間違いなく美少女と言えるそんな女の子は朝日に目を眇めつつ歩いていた。
そしてその女の子は何故か制服の上に白衣を羽織っていた。……って何で?
「お姉ちゃん、もっとしゃきっとしなよ!」
「僕、朝は苦手なんだよ……」
「お姉ちゃん生徒会長なんだからしっかりして! というか今日も仕事あるんでしょ……サボろうとしてたけど」
「……煩いなぁ、僕の勝手でしょ」
「私が入学したからにはサボらせないからね」
「うぇ……。役割分担だよ役割分担。僕は僕の役割を全うしているだけ、で自分の役割以外はやらないの」
「お姉ちゃんっ!」
「……どうしたの?」
「お姉ちゃんの格好いい姿見たいなぁ……」
「…………ずるい。はぁ……善処するよ」
「やった……お姉ちゃんちょろいっ!」
「置いていくよ……そして迷うがいいさ」
「お姉ちゃん私を振り切れるほどの運動神経無いでしょ」
「………はぁ……というかトップが頼りないほど部下が頑張ってくれるの。だから僕が適当なのはわざとなの」
「はいはい言い訳は結構」
「例えば昴っていう子が居てね、その男の子は生徒会の一員じゃないのに手伝ってくれたり……」
そう言いながら去っていく背中をぼんやりと見ていた。
そして短くも長くも思える時間がたった後。
「ははははは!!」
俺は大きな声で笑っていた。周りの人がギョッとした目で見ているが知ったことか。
「ああ……可笑しい。というかあの女の子生徒会長だったのかよ」
あんなに恋なんか出来ないと言っておいて、そしてそのすぐ後に恋に落ちてしまったのだから。
「でも……」
一度曲がりにも真剣に誰かを想った者だから分かる、この恋は本物だ。失恋の苦しみを紛らわせる適当なそれではない。
一目惚れだった。まるであの女の子が自分にとっての運命の人であるように本能的に感じられた。こんな感覚は以前の恋でも感じたことがない。
実際は運命の人でも何でも無いのかもしれない、ただの片思いに終わるかもしれない、その女の子が生徒会長でも、よく分からないが白衣を着ていても構わない。
だって……今恋しているという事実は疑いようがないのだから。
それだけで恋の実現に向けて動く理由としては十分だ。 今回は絶対に後悔しない、全力であの娘を手に入れてみせる。
「ふはっ……」
もう一度笑う。 空を見上げれば桜の隙間から漏れ出た朝の光が俺を優しく照らしていた。




