幕間3.魔界の王子 クロス視点
情報収集と称して猫の姿で各国をウロウロしているときだ。
見知らぬ家から良い香りがして、ふらふらっと歩みを進めたら、少女が窓辺でうまそうに菓子を食べていた。
匂いにつられて部屋に入れば菓子を食べさせてくれた。
礼を言いたかったが、そのときは猫の姿をしていたため、猫らしく頭を摺り寄せて見せると……少女は満面の笑みで俺のことをそっと撫でた。
何度もこちらの大陸に来ていたが、こんな心地よい場所は初めてだ。
良い香りがするたびに少女の部屋を訪れては、菓子を振舞ってもらった。
きっと、気が抜けていたのだろう。
ある日、俺は少女の問いに答えてしまった。
そうして、少女……アーシュは俺のことをしゃべる猫と思うようになった。
その日から、飼い猫のような扱いを受けたが、アーシュが部屋にいる時間だけだから何も問題はなかった。
この大陸に関する調査の疲れをアーシュが作った菓子が癒していく。
心地よいこの場所を壊したくない一心で、調査結果を国に持ち帰らずにいた。
そして、事件が起こった。
「やっぱり似合う~!」
「なんだ?」
「首にリボンをつけたんだよ。真っ黒な猫さんだし、銀色のリボンが似合うって~」
「は? リ……リボンをつけた……だと?」
「食べてるときにつけたんだけど、気づかなかった?」
俺がアーシュの作った菓子に夢中になっているうちに、首に銀色のリボンを結ばれた。
魔法大国でそれは、婚約の証。
合意の上で行う行為だが……アーシュは知らなかったようで一方的に行ってきた。
なんてことだ!
魔法大国の次期魔王であるこの俺がただの少女であるアーシュにリボンを結ばれるなど!
初めはショックのあまり項垂れた。
だがよくよく考えてみれば、これはチャンスではないか。
俺にとってアーシュが作る菓子は絶品。そしてアーシュのいるこの空間は心地よい。
アーシュが婚約者に……ひいては俺の妻になれば、この心地よさを継続できる。
「そんなに嫌なことだった? はずす?」
顔を上げ、アーシュの顔を見れば、かわいらしく首を傾げている。
俺をじっと見つめて心配そうな表情をするアーシュを見ているうちに気がついた。
なんだ、俺はアーシュのことを好いていたのか。
「はずさなくていい……。むしろ、このままでいい。……覚悟しろよ」
そう理解した途端、顔がニヤけてくるのがわかった。
いろいろとやることができたが、今は目の前のビスコッティを食べつくそう。
その日の夜、俺はアーシュのベッドにもぐりこみ、アーシュの温もりと香りを堪能した。
翌日から、魔法大国へ戻り、情報収集の報告とともにアーシュと婚約宣言をした。
魔王である父はニヤニヤと笑い、あっさりと許可をくれたのだがそれ以外の者たちがうるさかった。
特に婚約者候補とその親戚どもがうるさく、黙らせるのにひと月もかかってしまった。
すべて片付けた俺は猫の姿になったあと転移方陣に乗り、アーシュの家の庭……桜の木の根元へと飛んだ。
アーシュは寂しそうな表情のまま外を眺め、ため息をついていた。
そっと桜の木の根元から姿を見せれば、盛大に目を見開いて、口をパクパクとさせるアーシュがいる。
にゃあんと鳴けば、名前を呼び嬉しそうな表情になった。
すぐに窓枠を越えて部屋へ入れば、挨拶もそこそこに抱き上げられた。
「ただいま」
「おかえり! どこいってたの! 心配したんだから~!」
ただいま・おかえり……たったそれだけの会話で俺の胸がどきどきと高鳴った。
これはくるものがある。
嬉しさのあまりアーシュの唇をぺろっと舐めてみたが、大した反応はなかった。
頰ずりをしたほうがまだ反応があるとは……。
しばらくアーシュの好きにさせていたが、撫でまわされるのに限界を感じた。
体中をくまなく撫でられるというのがどういうものかわかるだろ?
身じろぎをして離れたいことを無言で訴えれば、アーシュはベッドの上に俺を降ろした。
「……いきなりベッドか……」
「うん?」
「いや……まあ、その……ちゃんとわからせてやるよ」
何もわかっていないようでアーシュは首を傾げた。
まあいい。すぐにわからせてやるさ、今度は俺が撫でる番だと。
床に降り、変化の魔法を解いてみせるとアーシュは驚いたあと、俺の姿を見て惚けているようだった。
人型に戻った俺は、すぐにアーシュの隣……ベッドの縁に座った。
「え!? 近くない!?」
「いつも抱きかかえてたり膝の上にのせているくせに何言ってるんだ」
「……膝?」
「はは~ん。目の前で元の姿になったってのに信じられないんだな?」
「……元の姿?」
「改めて言おう。俺の名前はクロス・サマーヘイズ。別の大陸にある魔法大国の王子だ。こっちの大陸だと、魔王の息子ってこと」
どうやらアーシュは理解できない事態に合って思考停止状態なようだな。
「まだ理解できない?」
目が点状態でじっと俺の顔を見ているアーシュの腰に手を回してぎゅっと抱きしめた。
猫の姿のときのようにすりすりとすり寄れば、アーシュは俺の名前を呼んだ。
「……クロス」
「やっと理解できたか」
ああ! アーシュに名前を呼ばれることがこんなに嬉しく感じる日がくるとは!
先ほどと同じように唇にキスをすれば、アーシュは驚きの声を上げ、さらに頰ずりをすれば、恥ずかしそうに叫び声を上げた。
その後、アーシュが俺の婚約者になったことを明かし、一生離さない宣言をしてみた。
アーシュは現実逃避を始めたようで、俺にシフォンケーキを渡すとベッドに突っ伏して眠ってしまった。
シフォンケーキを食べている間に、アーシュは本当に眠ってしまったようで、すうすうと寝息を立てている。
同じ部屋に婚約者がいるのに無防備すぎやしないだろうか。
食べ終えて、アーシュが寝ているベッドの縁に座ったが、起きる気配がないようだ。
頭を撫でれば、うつ伏せから仰向けになり、へにゃっと笑った。
「……覚悟していろよ」
眠っているアーシュの耳元でそうつぶやき、そっと耳たぶに唇を当てた。
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