ー第10幕ー
キリアン邸、最上階のベランダ。そこにこの世の女神がいた。彼女はずっと、カドゥラ湖の揺らめきを眺めているようだ。鋭い銃声が聞こえてからも変わらずに。
「アヴェーヌ様」
アヴェーヌの振り向いたその先、見覚えのある女性が立っていた。彼女は青ざめた顔で俯いていた。左手には拳銃が握られている。
「そうか。今の銃声、其方だったか」
イザベルは俯いたまま頷いた。
「そうしょげるな。不味いワイン飲ませてくれたお蔭で目が覚めたぞ。妾は」
イザベルは「すいません」と小さく呟いて頭を下げた。
「それで? これからどうするのじゃ? 新たな契約者よ」
アヴェーヌは優しく尋ねた。イザベルはゆっくりと顔をあげた。サングラスの縁から涙が零れるように落ちていた。
「私を……私をどうか赦して下さい。鬼のように情けをかけられない私を。血も涙もないと謳われた私を。何もかもに無責任な私を。私はこの務めを果たすのに疲れたのであります。この無情な輪廻を私自身の手で断ち切らせていただきたいのです」
イザベルは自分の顎に銃口を突きつけた。アヴェーヌは何も動じてない。
アヴェーヌは優しい表情を変えないままだ。
「言ったはずじゃ。其方が契約者である以上、妾は其方の鏡であると。何をするのも自由。其方が自分の意志を持って妾を消すというのなら、歯向かうまい」
それから少し考えた素振りをみせると、女神は言葉を続けた。
「お疲れ様じゃ。其方が休むのなら妾も一緒に休もう」
1度止まった涙が再び溢れる。しかし彼女は自然と笑顔を作れたのだった。
「嗚呼、なんて……素敵な女神様なのでしょうか……」
キリアン邸よりこの日最後となる銃声が聞こえた――
イザベル・ラベルスは自ら命を絶った。後を追うようにして消えていく女神の当体。アヴェーヌは何も言わず、ただそっとイザベルの頬を撫でていた。その瞳からは涙が止めどなく流れていた。イザベルの背中にぴたりと溶け込むように寄り添い、やがて伝説の女神はその姿を完全に消したのだった――




