6.朝日の心配(3)
結局、私がウルスラに行ったのは、それから1か月後――もう3月になっていた。
私はゲートで、ウルスラに訪れていた。
本当はユウと一緒に来る予定だったんだけど、サンが飛べなくなってしまったからだ。
飛龍は大人になる前に、一度羽が生え替わる時期が来るらしい。
その間――3か月ぐらいは、飛べなくなってしまうんだそうだ。
「あ……アサヒさん。いらっしゃい」
ウルスラ王宮のシャロットの部屋に行くと、少し大人になって奇麗になったシャロットが私を出迎えてくれた。
短かった赤い髪は、少し長くなり肩の辺りで揺れていた。背も伸びて、すらっとしている。意思の強そうな茶色い瞳は、相変わらずまっすぐだった。
「ごめんね。もっと早く――ユウと一緒に来たかったんだけど、どうしてもサンが無理みたいで」
「そんな、仕方ないですよ。でも、飛龍にはそんな時期があるんですね……。知らなかった」
「――それでね」
私は鞄から漢字ドリルを何冊かと便箋を取り出した。
「これ……どうかな?」
「……カ、ン、ジ、ドリル。……ん?」
シャロットは興味深そうにパラパラとめくる。そして顔をパッと輝かせた。
「これ……カンジを覚える本ですか?」
「そう。ミュービュリの子が使うんだけど……暁がね、書いた方が覚えるんじゃないかってアドバイスくれたから」
「アキラが……。嬉しいです。頑張って勉強しようっと。それで……これは? 紙?」
「手紙を書く……便箋っていうものなんだけど」
「ああ、手紙はウルスラにもありますよ。神官に指示を出すときに、文書の場合もあるので」
「シャロット、ユズルくんや暁と話せなくなったでしょ? 文通ならどうかと思って」
「ブンツウ……?」
シャロットが便箋と私の顔を見比べながら、首を捻る。
「手紙のやりとりのことね。これに書いて、ミュービュリに送る。……ゲートを使って」
「ゲート!?」
「これなら、シルヴァーナ女王もトーマくんと連絡を取れると思うのよ」
「アサヒさん……すごい! 名案!」
シャロットがとても嬉しそうに笑いながら、拍手した。
そして私の手をガッと掴むと、
「早くシルヴァーナ様にお願いしなきゃ!」
と言って部屋を飛び出した。
こういうところはまだ子供かも、とちょっと可笑しく思いながら、私は慌てて一緒に駆け出した。
「文通……ですか」
シャロットに促されて一通りのことを説明すると、シルヴァーナ女王は不思議そうに首を傾げた。
シルヴァーナ女王はちょうど領主との謁見を終えたばかりで、大広間に居た。ミュービュリに関わる話なので、神官たちはみな下がっている。
ここにいるのは、私とシャロットとシルヴァーナ女王だけだった。コレットは勉強の時間なので自分の部屋に籠っているらしく、ここにはいなかった。
「でも……ゲートは、越える回数には限りがあると聞いていますが……アサヒさん以外は……」
「そこが盲点でね。ゲートは、実際に人が越えるのには限りがあるけど、開く分には限りがないの」
「……そうなんですか?」
「そうよ。それはフェルティガエの一つの能力に過ぎないから……それでね」
私は紙を一枚取り出すと、ママに教えてもらった通りに折り始めた。
ママの父親……つまり、私のおじいちゃんが残した紙飛行機。折り方にコツがあって、とても長く飛ぶ紙飛行機だって言ってた。
ママがパパに教えて……13年前、パパからの最後の言葉を届けた、紙飛行機。
「これは紙飛行機と言って……こうやって飛ばすと」
私は紙飛行機を投げた。白い紙飛行機は宙を舞い、大広間の奥の……入口付近まで飛んで行った。
「結構飛ぶのよ。最短でゲートを繋げれば、多分問題なく届くと思う。心配なら……フェルを乗せればいいし。シルヴァーナ女王なら、できるんじゃないかな」
「私が……?」
「シャロットは今、フェルを使えないから……。シルヴァーナ女王ぐらいの力があれば、最短でゲートを繋ぐことは問題ないと思う。シャロットの手紙を……ミュービュリの私の家に届けてくれないかな?」
「……私……が……」
思ってもみなかったらしく、シルヴァーナ女王は目を見開いている。
「シルヴァーナ様……お願い。私、ニホンゴをもっと覚えたいし……アキラとも、もっと話したい」
「シャロット……」
シルヴァーナ女王は立ち上がると、シャロットの近くまでゆっくりと歩み寄った。そしてシャロットの手を取ると、嬉しそうに微笑んだ。
「今までずっと……私がシャロットに助けられてきたのよ。初めて、私があなたのためにできることなのね?」
「初めてじゃないよ。シルヴァーナ様は、いつも……私を庇ってくれたもん」
「……」
シャロットの言葉に、シルヴァーナ女王はにっこりと微笑んだ。
「それにね。この方法なら……トーマ兄ちゃんともお話しできるよ」
「……トーマ……と?」
シルヴァーナ女王の表情が変わる。
それは……単なる嬉しさや喜びではなく、不安や後ろめたさと言った……少し苦しそうな表情だった。
「でも……それは……。それに、私はニホンゴは書けないから……」
「私が教えてあげる。それに……シルヴァーナ様は『声』を届ければいいじゃない」
「……」
「そうだ。コレットにも教えてあげようよ。ユズとトーマはどうしてウルスラに来ないのってうるさかったじゃない」
「――そうね」
コレットのためにもなる、という言葉が効いたのか、シルヴァーナ女王はゆっくりと頷いた。
「……わかったわ。やって……みます」
女王はそう言って微笑んだけど……嬉しいような、困ったような、複雑な表情をしているのが――気になった。
「シルヴァーナ様……やっぱり、いろいろ悩んでるのかな……」
部屋に戻ってくると、シャロットが少ししょんぼりとしていた。
「――そうね」
自分の気持ちと女王としての立場。……思い悩むことは色々あるに違いない。
「時々……私もこっちに顔を出すわね。機会があれば……女王とお話ししてみるわ」
「お願いします。私には……話せないこともあるかもしれないから」
勘がいいシャロットは、どうやらシルヴァーナ女王の悩みをある程度はわかっているようだった。
「それでね、シャロット」
私はユウから預かったフェルポッドを取り出した。
シャロットが不思議そうな顔でまじまじと見ている。
「何ですか、それ?」
「フェルポッドって言って……フェルティガを籠めることができるものなんだけど……」
「そんなものがテスラにあるんですか? 凄い!」
「……そうね」
そうだ、フェルポッドについても調べておかないと駄目ね。
カンゼルは……どうやってこれを発明したのか……。
「シャロット、12歳になったでしょう? これでフェルティガエとしては大人の仲間入りなんだって。ただ、今後の修業をどうするか決めるためには……今のフェルティガを見ないと駄目らしいの。だから、これに入れてきてくれってユウに頼まれたのよ」
「な、るほど……」
シャロットはまじまじとフェルポッドを見ると
「これって1個しかないんですか? 貴重な物?」
と聞いてきた。
「そうね、貴重だけど……どうして?」
「これがあれば、トーマ兄ちゃんもウルスラに来れるのにな、と思って」
「え?」
どういう意味か分からず、シャロットの顔をまじまじと見る。
「だって……フェルポッドに掘削を1回分入れておけば、3か月後、2回使えるってことでしょう? そしたら、往復できるから」
「あ……!」
私は思わず手を叩いた。
「なるほど……! シャロット、賢い!」
「えへへ……」
2年前、中平さんの看病のためにトーマくんに渡したフェルポッドは、そのままになっている。
すっかり忘れてたけど……そうか、そうやって使えばいいんだ。
「その案、私からトーマくんに伝えておくわ」
「はい! 5ヵ月後、ウルスラの水祭りがあるんです。お手紙で誘ってみようっと。あ、そうだ、コレットにも教えてあげなきゃ。コレットはユズ兄ちゃんにすごく懐いてるから、きっと喜ぶ!」
「……そうね」
くるくる動きながらたくさん喋るシャロットを見て、私はちょっと嬉しくなって微笑んだ。
一度にすべてを解決することはできないけど……これが、ウルスラの女の子達の幸せにつながる一歩になればいいな。
――そう思って。