44.シャロットの変化
「アサヒさん。お願いがあります」
「え……何? どうしたの?」
私が頭を下げると、アサヒさんがちょっと驚いたように瞬きをしていた。
「トーマ兄ちゃんのことです。やっぱり……もう、直談判しかないと思うんです」
「えーと……?」
「トーマ兄ちゃんの記憶は、もう戻ってるんです。シルヴァーナ様への気持ちもちゃんとあるんです。ただ……女王の使命のためとか、もっと自分がちゃんとしないと、とか、何だかんだ理由をつけて……先延ばしにしてるんです」
「……」
「だから……私、ミュービュリに行きたいんです。ゲートの開き方を教えて下さい!」
私が頭を下げると、アサヒさんは
「ちょっと待って……どうしてそんなに慌ててるの?」
と言って私の両肩に手を置いた。
「何か、妙に急いでるけど……」
「急いでます。私が自由に動けるのは……今しかないから」
「え?」
不思議そうな顔をしているアサヒさんに、私は闇の問題がすべて解決したら、結契の儀に臨むつもりだということを話した。
「その後は……もう王宮からは、出れなくなります。私は自分の子供を育てないといけない……女王の血族として、教育しなければならない。だから……」
「……もう……決めてるのね」
「はい」
「……トーマくんの記憶が戻っていて……気持ちがちゃんとあるというのは、確かなの?」
「はい。アキラに確かめてもらいました」
「暁ぁ?」
私がヤトゥーイさんが来たときのことを説明すると、アサヒさんは
「あの子は……隠してたの、フェルポッドのことだけじゃなかったのね」
と呟いて溜息をついた。
「まったく……シャロットも……暁も……本当に……誰に似て……」
アキラは間違いなくアサヒさんに似たんじゃないかな、とは思ったけど、私は黙っていた。
私は……母さま似だろう。目的に向かって真っ直ぐ突き進むところはもともとの性質だって、イファルナ様が言っていた気がする。
その真っ直ぐさを、闇に利用されたって……。
「でも、アキラには私が無理矢理、頼んだんです。アキラもトーマ兄ちゃんのことはあまり乗り気じゃなくて……。男ってそういもんだから、とか責任が、覚悟がどうとか……」
「……ああ……」
アサヒさんは苦笑いをすると、うんうん頷いた。
「そうね……そういうところ、あるよね……男の人って……」
「だから……」
「――でもね、シャロット」
アサヒさんが私の言葉を遮った。
「トーマくんに覚悟が必要だというのは……本当にそうよ。トーマくんは、シルヴァーナ女王の事情をどれぐらい把握してるのかな?」
「事情……?」
「儀式に失敗して……これからも、見込めないこと……背負えるのかな?」
「それって……そんなに大事なことですか?」
「――大事よ。代わりがきかないから。シルヴァーナ女王が一番、恐れているのも……このことだから」
「……恐れて……?」
アサヒさんは頷くと、じっと私を見つめた。
「自分の孤独にトーマくんを巻き込むこと……それを恐れている」
「孤独って……」
ちょっとショックだ。私達……すごく仲良くやれていると思ってた。
なのに――シルヴァーナ様は、孤独を感じているの?
「だって私や……コレットも……いるのに……」
「淋しいとかそういうのとは別の感情なの。……多分、誰にも癒せないの。代わりがきかないって、そういう意味よ」
「……」
「だからシャロット、トーマくんが単に好きだと言って解決することじゃないの。その辺の事情も踏まえた上で、トーマくんがシルヴァーナ女王に告白できなければ意味がないの。中途半端な覚悟なら余計傷つける。……わかる?」
「……はい……」
「その覚悟を問い質す、というのなら……協力しても、いい……けど……」
そう言ったアサヒさんの顔は……なぜか、心配そうに見えた。
◆ ◆ ◆
「――と言う訳でね。アサヒさんからゲートを習って……ここに来たの」
一通り説明すると、アキラは少し呆れたような顔をした。
「まさか、朝日が協力するとは思わなかったな……。それにしても、何でオレのところに? トーマさんに直接会いに行けばよかったのに」
「心配だから、アキラと一緒に行きなさいって。だって……ミュービュリのこと、よくわからないもの」
「だから、何でそれをオレに言っておかないのかな……朝日は……」
「驚かせたかったから……内緒にしてもらったの」
私はアキラに連れられて、アキラの家に向かっていた。
ここからトーマ兄ちゃんの住んでいる場所はかなり遠くて、オカネが必要なんだって。
「……ここだよ。……あ、ばめちゃんもいるな」
「バメチャン?」
「朝日の母親で……オレのおばあちゃん」
アキラはそう言うと、玄関の扉を開けた。
『ただいまー』
『お帰りなさい。……ずいぶん早かったのね?』
女の人が迎えに出てきた。そしてアキラの隣にいる私を見て、かなり驚いた顔をしていた。
アキラのおばあちゃん……優しそうで、綺麗な人だ。
『あ……こいつ、ウルスラのシャロット。話したことはあるよね? それで、さっきこっちに来て……こいつをトーマさんのところに連れて行くことになったんだ。だから、準備したらすぐに出るよ。……ひょっとしたら、泊めてもらうかも』
アキラが靴を脱いで上がったので、私も真似をする。
そうか……生活習慣も違うのね。入口もすごく狭いし……王宮とは全然違う。
『初めまして、ウルスラの王女、シャロットです』
挨拶をすると、バメチャンはますます驚いた顔をしていた。
『初めまして……。日本語、喋れるのね……。……あら? え? どうして……英凛の制服を着ているの? しかも冬服……』
『朝日があげたらしい。ミュービュリの服、これしか持ってなかったんだって』
『あら、まあ……』
そう言うと、バメチャンは慌ててどこかに去っていった。
どうしよう……と思ったけど、アキラがとりあえずこっちに来いと言って私を引っ張ったので、私は大人しくついて行くことにした。
階段を上がり、アキラが並んだ扉の一つを開けた。
見ると……ベッドと机、タンス、本棚などが狭いスペースに所狭しと置かれている。
「……こっちって……小さいんだね……」
「そりゃ、王宮と比べれば……。やっぱりお前、何だかんだ言って王女様なんだな」
アキラはそう言うと、そこ座ってろ、と言ってベッドを指差した。
テーブルも椅子もないから、くつろぐ場所もないんだ……。
大人しく座ると、アキラは「さてと……」と呟きながら少し大きめの鞄を取り出した。
タンスを開けたり机の引き出しを開けたりしながら、ボンボン荷物を詰めていく。
「……これも持っていくか、一応」
そう言ってアキラが取り出したのは、フェルポッドだった。
「ゲートで帰れるよ?」
「まぁ、そうだろうけど……念のため。……こんなもんかな」
荷造りを終えたアキラが少し離れて横に座った。……他に座る場所がないからだろう。
私は手を伸ばすと、アキラの袖を掴んだ。
「部屋が小さいから……手を伸ばすとすぐ届くね。いつも向かい合わせだから……何か変な感じ」
「まぁ……そうだな」
アキラはパッと立ち上がると、机の前にあった椅子を持ってきて私の正面に座った。
「……これでいいか?」
「あ、うん……」
別に、隣にいてもよかったんだけどな。
『暁? 入るわよ?』
開いていた扉からバメチャンが顔を覗かせた。
『これ……夏物のワンピースなんだけど……シャロットちゃんにどうかしら?』
手に持っていた白い布を広げる。それは、王宮で着るドレスの丈を短くして、デザインも少しシンプルにしたような感じで……綺麗だった。
『いいと思うけど……ばめちゃん、これどうしたの?』
『3年ぐらい前に朝日が衝動買いした物なんだけど……結局、着て行く場所がないから誰かにあげてって言われて預かってたの。……ほら、あの子、結局ズボンばっかり穿いてるでしょう』
『朝日の? サイズ大丈夫? シャロットの方がだいぶん背が高いけど……』
『ワンピースだし、シャロットちゃん、痩せてるし、ざっくり着る服だから大丈夫じゃないかしら。シャロットちゃん、どう? 着てみる?』
『はい!』
ミュービュリの服は、いろいろな型があってとっても素敵。ウルスラの服より、ずっと歩きやすそうだし。
私はバメチャンに連れられて、バメチャンの部屋に行った。
『シャロットちゃん、こっちの世界に来てみて……どう?』
私に服を着せながらバメチャンが言った。
『シャロット、でいい。……えーと、不思議なものがいっぱいあって、楽しい。夢鏡で覗いてたけど……実際に見るのは、だいぶん違う』
『ウルスラで……お勉強、頑張ってるんですって? 朝日が褒めてたわ』
『オレの仕事だから。アサヒさんにも、かなりお世話になってるんだ』
『そう……。あ、やっぱりよく似合うわね』
そう言うと、バメチャンが私を鏡の前に連れて行って見せてくれた。
すっきりとしたシルエットで、いつもよりずっとスタイルがよく見える。
『素敵……ありがとう!』
『どういたしまして。……あ、そうだ、髪の毛もやってあげるわね』
そう言うと、バメチャンは私を鏡の前に座らせた。
『朝日はねぇ、活発なのはいいけどオシャレには全然興味がなくて……こういうのも嫌がる子供だったの。だから、何だか楽しいわ』
『オレも普段はしない。忙しいから』
『あらあら、勿体ない。こんなに綺麗なのに……』
『……』
私は、鏡に映ったバメチャンを見た。
心なしか、嬉しそうに私の髪を編んでいる。
私のおばあちゃんは……私が物心がついた時には、もう正気を失っていた。
ひいおばあちゃんにあたるイファルナ様も……いつもしかめっ面で私を見ていた。
だから、私は……こんなに温かい眼差しを向けられたことは、ない。
『バメチャン……優しい』
『そう?』
『うん。……嬉しい』
バメチャンは少し驚いた顔をすると、鏡ごしでにっこりと微笑んだ。
『……さ、できた。シャロット……どう?』
『可愛い……』
『朝日は、こういう気は回らないものねえ……』
バメチャンはそう言うと、くすりと笑った。
『ちゃんとした格好をすると……それに見合った行動をしなきゃって気持ちになるでしょ? シャロットは王女さまなら……はったりも必要よね』
『ハッタリ……?』
よくわからない日本語だ。
『王女らしい、風格っていうのかな。自分でそうだと意識して振る舞えば、周りもそう見るようになる。本質はどうあれ……そういう見栄というか……形作ることが必要な場面はあるわよねってことよ』
『……うん』
今まで、ずっと勉強ばかりで……知識を入れることが自分の役目だから、そういうのはどうでもいいと思ってた。
私はコレットとは違うから……って。
でも、私がもっと王女らしい立ち振る舞いをして、その上でいろいろな話をしていった方が……神官や領主も聞き入れやすいのかも。
ハッタリ……か。面白い日本語だ。覚えておこう。
『バメチャン、ありがとう。ハッタリ、頑張る』
バメチャンの方に振り返ってそう言うと、バメチャンは「ほどほどにね」と言って優しく微笑んでくれた。




