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35.ユウの涙(1)

「……暑い」


 思わず呟くと、通りすがりの女性二人組がチラチラとこちらを見ていた。

 やっぱり変な格好していたかな……と慌てて自分を見回したが、行き交う人もあんまり変わらない感じだし……大丈夫そうだ。

 前にソータさんとミュービュリに行った時に着た服……まだ残っていて、本当に良かった。


 俺は辺りを見回した。

 東京の……千鳥ヶ淵という場所だ。大きな池が目の前に広がっている。

 この5か月の間にも、2回ほど次元の穴は開いたが……海の中と、どこかの山奥――多分、ソータさんと行ったときに着いた場所だと思うが――だったので、諦めた。

 今の俺は、フェルティガを無駄遣いする訳にはいかない。


 シャロットの実験はこの5カ月で少し進んでいた。

 繋がる場所によって、場の揺らぎが少し違うらしい。

 それによると、今回はどうやら朝日の家からそう遠くない、以前にも開いたこの場所だということが分かって……俺は思い切ってミュービュリに来た。


 俺は辺りをキョロキョロと見回した。

 暁には、シャロットから連絡してあるはずだ。

 シャロットには、直接フェルティガを使って連絡していいって言ったし……。

 さて……暁との待ち合わせはこの辺だったような……。


「あの……すみません」


 声がして振り返ると……さっき通り過ぎたはずの女性二人組だった。


「はい?」

「あの……ひょっとして迷子………ですか?」

「え?」

「ずっとキョロキョロしてるから……」


 暁が手紙で送ってくれた映像を思い出しながらウロウロしていたから、どうやら勘違いされたらしい。


「いや……」

「あの……案内しますよ」

「一緒に行きませんか?」


 俺が返事をする間もなく、畳みかけられる。


「いや、僕は……」

「――ユウ! 何やってんだよ!」


 鋭い声が聞こえ、誰かが俺と二人の女性の間に割り込んだ。

 ――暁だった。かなりムッとしたような顔をしている。


「わっ……」

「すご……」


 二人は俺達を見比べると、何だか妙にはしゃいでいた。


「あのー……弟さんですか?」

「そっくりですねー」

「いや、暁はむ……」


 息子で、と言おうとしたら、暁に凄い勢いで口を塞がれた。


「……んぐっ……」

「どうも、それじゃ!」

「うわっ……」


 暁は俺の腕を掴むと、ずんずん歩きだした。


「何、のんびりナンパされてんだよ。朝日に言うぞ!」

「ナンパ……って何?」

「……知らなくていい!」

「そんな怒らなくても……」

「ユウこそ、ミュービュリの人間は苦手じゃなかった? 何で平気なの?」


 暁に言われて、ハッとした。

 確かに……昔、朝日を守るためにミュービュリに来たときは、朝日以外の人間と話すのは少し苦痛だった。

 でも、今は……あまり感じない。

 フェルティガが減少したことは、こんなところにも影響を与えるのかもしれない。


「まあ……ね……。年を取ったからかな」

「何を言ってるんだか」


 暁は呆れたような声を出すと、ふと俺の方をまじまじと見た。


「……ユウ、ここに来るまでに何か無理した? 疲れてない?」


 そう言われて……俺はドキリとした。

 暁に会うのはおよそ1年振りだ。だから、俺の衰えぶりがよく分かるのかもしれない。

 暁の潜在能力は高い。

 修業も続けているし、相手の力量を見極める力もついてきているはずだ。


「いや……ちょっとね。それより暁、何で制服なんだ? 荷物も多いし」


 話題を変えるために、聞いてみる。

 実際、俺を迎えに来るだけのはずなのに、暁は二つの鞄と何か大きなものを背負っていた。


「こっちで練習試合があるからって嘘ついたんだよ。ユウが朝日に内緒にしろって言うから……」

「だって怒られるからね、多分」

「そりゃ……。まぁ、オレも隠し事あるから、いいんだけどさ」


 そう言うと、暁は肩の鞄をかけ直して少し溜息をついた。

 だいぶん荷物が重いようだ。


「結局、朝日はまだ寝てたからあんまり関係なかったけどね……」

「ふうん……朝日、家にいるんだ。瑠衣子さんは?」

「あ、そうか……ばめちゃんに会いに来たんだっけ。でも、何でばめちゃん?」


 カバンから携帯を取り出しながら、暁が何気なく聞く。


「俺がこっちに来ないと、会えないから」

「ふうん……?」


 暁はわかったようなわからないような顔をしながら電話をし始めた。


「……あ、ばめちゃん? オレ。今どこにいるの? ……えっ、家に向かってるの? 打ち合わせは? ……そうなんだ……。えっと……うーん……」


 外で会おうと思ったのに、どうやら瑠衣子さんは家に向かっているらしい。

 朝日に内緒じゃないと意味がないし……どうしたものか……。


「じゃあ……また電話する。あ……オレが電話したこと、朝日には内緒ね。……何だっていいから。後で話すよ」


 じゃあね、と言って暁は電話を切った。


「とりあえず……家に向かおうか。朝日も出かけてるかもしれないし……。もし朝日がいたら、ばめちゃんだけ呼び出せばいいしね」

「……わかった」


 俺と暁は、並んで歩き出した。

 その間も、いろいろな話をした。

 暁の学校の話とか、部活の話とか、友達の話とか。

 暁は相変わらずミュービュリの人間は苦手だけど、修業を積んだのもあって、だいぶんマシにはなったらしい。

 将来の目標とかは決まっていないけど、当分はミュービュリで暮らしていくようだ。


 ……暁とちゃんと話せる機会も、あとどれぐらいあるだろうか。

 そう思ったら……話しておかなければ、と考えていたことはいくつもあったはずなのに、喉がつまったようになって……何も言葉にできなかった。



 電車をいくつか乗り換え、最後に……バスを降りた。

 そうだ……ここだ。

 初めて朝日に会った場所……このバス停の近くの並木道。

 角を曲がると公園があって……昔、俺もまだ小さかった頃……ヒールが最後に瑠衣子さんに会いに来たんだったよね。

 そのあと、術をかけて、ヒールは老いてヤジュ様になって……。


 ヒール……俺の手を引きながら、どんな想いであの道を歩いたの?

 俺は朝日に……何をしてあげればいい?


 そのとき不意に、暁の携帯電話が鳴った。


「もしもし、どうし……え?」


 暁の顔色が変わった。何だか気になって耳を近づけると、暁の持っている携帯の向こうから

“何だか……おかしいの!”

という瑠衣子さんの叫び声が聞こえてきた。


「おかしいって……出かけただけじゃないの?」

“靴は全部あるもの。それに……書斎が……”

「ああ、もう、わかった。とにかくもうすぐ着くから!」


 暁は早口でそう言うと、急いで電話を切った。


「朝日がいなくて、何かおかしいってばめちゃんが騒いでる。ユウ、急ごう」

「ああ」


 暁が走り出したので、俺も一緒に走り出した。


「ただいまー!」


 家に着くと、暁は大声でそう言って玄関のドアを開けた。

 瑠衣子さんがいて、暁の後ろの俺を見てひどく驚いていた。


「アオ……どうして……」

「説明は後。ばめちゃん、それよりおかしいって……」

「……こっちよ」


 瑠衣子さんが慌てて階段を昇った。暁と俺も後に続く。

 長く伸びた廊下の両側にいくつかの扉がある。

 その一つを開けると、瑠衣子さんが

「何か……散らかってて……ひょっとして、攫われたとか……」

と言いながら震える手で部屋の中を指差した。


 今はどの国でも戦争は起こっていないし、朝日を攫えるような人間はいない。

 瑠衣子さんの心配は杞憂だとは思うが……。


 そんなことを考えながら覗くと、部屋全体が散らかっている訳ではなく……一つのファイルと、中に綴じられていたらしい紙が散らばっているだけだった。


「ひどく慌てて出かけた……んじゃないかな。攫われたってことはあり得ない。格闘した気配もないし……」


 俺が言うと、暁が「なーんだ」と言ってちょっと安心したように笑った。

 でも瑠衣子さんは

「靴も履かずに? 急にテスラに行く、ってなったときも、靴はちゃんと履いてから行くわよ」

と言ってまだ不安そうな顔をしている。


 俺は部屋の中をもう一度見回した。

 やっぱり、おかしいのはこの紙が散らばっていることだけで……。


「……カンゼルの資料だ」


 俺は呟くと、一枚一枚拾い集めた。

 いなくなる直前、これを読んでいたのは間違いないだろう。


「パラリュス語?」

「ああ。……俺が読むよ。えーと……フェルティガの喪……失……」


 読みあげてから……顔が青ざめるのが、自分でもわかった。


「……ユウ?」

「いや……これは……ちょっと……」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。

 やっぱり……朝日は気づいたんだ。俺の様子がおかしいこと。

 それで、カンゼルの資料から何か探ろうと……。


「ねぇ……何? これ、何かあるの? やっぱり……これのせいで、朝日はどっかに行ったの?」


 暁が心配そうな顔で覗き込もうとする。

 暁に読める訳はないのに……俺は咄嗟に、ファイルを閉じて隠した。

 その様子に、瑠衣子さんが何かに気づいたような顔をした。


 ひょっとしたら……朝日から何か聞いているんだろうか。

 瑠衣子さんには……どっちみち話すつもりだった。

 そのつもりで――ミュービュリに来たから。

 でも……暁には、まだ……。


「アオ……。お願い。何か知ってるなら教えて。アオが今、ここにいることと関係があるんじゃないの?」

「……でも……」


 俺は思わず暁を見た。

 ――暁には……まだ、うまく説明できない。


「――暁」


 瑠衣子さんがそっと暁の両肩に手を置いた。


「アオと二人で話があるから……ちょっと自分の部屋に行ってなさい」

「何でだよ。……どう見ても、オレにも関係あるじゃん」

「……いいから」


 瑠衣子さんの本気の言葉に、暁は一瞬黙り込んだが……やがて、不満そうに部屋から出て行った。


「……」


 瑠衣子さんは暁が自分の部屋に入るのを見届けると、書斎の扉をパタンと閉じた。

 そして真っ直ぐに俺を見た。


「……気持ちを落ち着けてからでいいわ。それを読んで……私に教えてちょうだい。アオのこと。……そして、朝日はどうしていなくなったのか」

「……」


 俺は瑠衣子さんから目を逸らすと、閉じたファイルをじっと眺めた。

 俺が漠然と感じていたこと――きっと、これには明確に書いてあるのだろう。

 それは……俺自身にとっても非常に恐ろしいことだった。

 嫌でも――現実を突きつけられる。

 しかし……朝日がいなくなった手がかりがこれしかないのなら……仕方ない。

 俺は覚悟を決めると――ファイルを開いた。

 


 ――身体年齢が若いにもかかわらず、フェルティガの回復量が急速に衰える。

 ――デュークの干渉は強い力を生みだす分、生殖異常や極端な寿命短縮などをもたらす。

 ――症状が現れてから回復量がゼロになるまでに、短い者で一年、長い者では五年。



 目の前が真っ暗とはこういうことをいうのか……。


 そう思ったときには、俺はガクリと膝をついていた。

 長い者では五年、という文章がグサリと突き刺さる。


 だとしたら……俺は……多分、あと1、2年の命……ということに……。


 それ以降の文章は、もう目に入らなかった。

 俺はファイルを閉じて……その場にうずくまった。


「アオ……!」


 瑠衣子さんが俺に駆け寄り、抱きしめてくれた。


「すみません……俺……」


 それ以上は……声にならなかった。


 もう……それぐらいの時間しかないのか。

 ずっと一緒にいるって言ったのに……今度こそ、ずっと一緒にいようねって言ったのに。


 ――ごめん、朝日。

 今、どこにいる? もしかして……独りで泣いてる?



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