32.カンゼルの資料(2)
引き続きカンゼルの資料を調べる、朝日視点の話です。
次の日、私は十時過ぎに目覚めた。一階のリビングに降りたけど……どうやら誰もいないようだ。
電話の傍のメモ帳を見ると、六本木、Yさんと言う単語だけが殴り書きしてある。ママの字だった。
……急に打ち合わせでも入ったのかな。
ママは、そろそろ現場から離れてゆっくりしようかな、と言っていた。
だから、最近は引き継ぎとかいろいろ忙しくて家にいないことも多い。
カレンダーを見ると、今日の日付に丸がつけてあって、練習試合、と書いてある。
……そうか、暁の弓道の試合の日だ。
休みだから応援に行こうか?って聞いたのに、恥ずかしいから来るなってつっけんどんに言われたんだった。
……恥ずかしいって、どういう意味よ。
私は遅い朝食をとってから二階に戻ると、書斎に向かった。
フェルティガエ自身に対して行った実験関係の本を探す。
この関係の本はある程度は目を通したはずだけど……何か見落としがあるかもしれない。
* * *
〈フェルティガエの異常〉
①知能低下
力は非常に強いが暴走しがちである。まったく学習能力が見られないため、調査することにした。
結果、五歳児ぐらいで止まっていることがわかった。
対応→人をつけて教育を試みる。幻惑でどの程度操れるか調べる。
結果→教育は無駄だった。自我の確立は不可能。幻惑でかなり行動制限できたため、以降は術者の下でまとめることにする。
②視覚異常
フェルティガの感知能力は高いものの、咄嗟の対応が遅れることが多い。器官としては存在しているが全く機能しない。
いろいろな刺激を試みたが、回復することはなかった。
対応→夢鏡、遠視など、直接見えないものを「視る」力に長けている。要塞に常駐させ、必要に応じて力を使わせることにする。
③言語能力の喪失
②と同じで、器官は存在するもの、全く機能しない。
対応→喋れないこと以外は問題ない。また、フェルティガエ同士ならばある程度意思の疎通を図れるため、普通にディゲの兵士に組み入れる。
④生殖機能異常
②や③と同じで、器官は存在している。外見は普通の女性と変わらないが、懐妊するための機能が完全に失われている。
自分の子供を作ることは難しい。
対応→すでに産むだけの体力が失われているフェルティガエの代わりに出産できないか。
結果→出産のための機能も停止しているため、不可能。
* * *
その後は……機能改善のために、この女性に対してさまざまな実験を試みたようだった。
だけど、カンゼルの力をもってしても、駄目だったようだ。
ウルスラにも治療師はいる。シルヴァーナ女王がきっぱり言う以上、可能な範囲で調べたのだろう。
……だって、シャロットは大丈夫だったと言っていたんだもの。
ということは……やっぱり、女王が自分の子供を持つことは不可能、ということだ。
女王に……何て言おうか……。
溜息をつきながら本を閉じる。
ふと時計を見ると、もうお昼の一時になっていた。だいぶん集中して読んでいたらしい。
こんなに時間が経っていたなんて……全然気付かなかった。
……そう言えば、あのときのユウもこんな感じだったのかな。
私に気づかずに……。
「……あれ?」
何か……変だ。
ゲートは、辺りの空間を激しく歪ませる。
背中を向けていたとしても――フェルティガエなら、あのときの場の変化に絶対気づくはずだ。
意識してフェルティガを遮断しない限りは……。
――ふと、私はユウがひどく疲れやすくなっていることを思い出した。
死んでもおかしくない大怪我から立ち直ったんだから……以前より弱くなっているのかもしれない。
だから無駄にフェルを使わないよう、普段は閉じているのかもしれない。
……そこまでして……?
漠然とした不安を抱えつつ……今まで読んでいた本を書棚に片付けた。
そのとき――ふと、一冊の薄いファイルが目に止まった。
私の字で「フェルティガの喪失」と書いた紙が貼ってある。
資料を分類したときに一ページ目の表題だけを書き留めたものだ。
中は……まだ見てない……。
そうだ……「フェルティガの喪失」。ユウの状態は、これに近い気がする。
以前……私を守ってくれていた時より、圧倒的に減っている気がする。
そう感じるのは、自分が以前より強くなったせいかと思っていたけど……違うの?
私は震える手でそのファイルを取り出した。そして……勇気を出して開いた。
* * *
〈フェルティガの喪失〉
フェルティガエがフェルティガを喪失する原因としては以下のものが考えられる。
①フェルティガの内包
弱いフェルティガエに時折見られた。失ってはいないが引き出せない状態になる。命に別条はないが、兵士としては機能しなくなる。
→対応……通常の兵士に配置換えを行う。または繁殖用検体とする。
②身体の老化
ある一定の年齢を越えると身体がフェルティガを維持できなくなり、漏れ出す。年齢には個人差がある。力の弱い者、フェルティガを浪費した者ほど早くなる。
自分の限界を越えた力を使用した場合にも起こり得るようだ。通常のフェルティガエは症状が現れてから完全に喪失するまでに一年ほどかかる。
→フェルベッドによる実験を試みる。
フィラの長老がこの状態になったときに使用したが、身体の時を止めても漏れ出すことは止められないようだ。開けてしばらくしたら死んでしまった。
→対応……身体の老化は止められない。症状が出た時点で抽出を行う。
③フェルティガの老化
身体年齢が若いにもかかわらず、フェルティガの回復量が急速に衰える事例がいくつか発生した。共通事項は以下の通り。
・要塞で生まれている
・胎児の時に強い負荷が加えられている
・戦闘経験が豊富
結果として、強い力を持たせたディゲほどこの現象が発生しやすいと言える。
→デュークの干渉は強い力を生みだす分、生殖異常や極端な寿命短縮などをもたらすと考えられる。
→対応……特別強い力をもつディゲには、自己回復させるためにフェルベッドを用いることがあったが、今後は禁止とする。
→経過……症状が現れてから回復量がゼロになるまでに、短い者で一年、長い者では五年ほどかかった。ゼロになる頃には身体もフェルティガを維持できず、死亡してしまう。
→対処……フェルポッドによりフェルティガの供給を試みたが、効果はなかった。他者のフェルティガを受け取れる者はいないようだ。兵士として機能しなくなった時点で抽出を行う。
* * *
私の手からファイルが落ちて……バサバサという音をたてて、床に散らかる。
その光景を、私は茫然としながら眺めていた。
目の前が真っ暗になって……思わず座り込む。
ユウが……老化? もう……助からない?
いつから……一体、いつから? あと何年あるの?
どうして……!
「……っ……」
胸が苦しい。ユウと初めて出会ってから、これまでのことが……頭の中を駆け巡った。
赤ん坊のときと……13年前。生死を彷徨う大怪我をして、ガラスの棺――カンゼルの資料で恐らくフェルベッドと呼ばれているもの――に入って……自己回復したユウ。
これまで二度、ユウは死の淵から帰って来た。
そんなユウだから、身体も丈夫ではなかった。
だから……ユウが……私より長く生きることはないだろうとは、思っていた。
でも……それは、こういう意味じゃない。こんなに早くいなくなるなんて……そんな覚悟は、していない。……できない。
――そんな覚悟は、したくないよ!
「――ユウ……!」
思わず涙がこぼれたそのとき――誰かが階段を上がってくる気配がした。
ママか暁が帰って来たに違いない。
駄目……今はこんな状態、誰にも見せられない。
どこか――どこか……誰もいない――誰も追いかけられない所へ。
「……っく……」
私は無我夢中でゲートを開いた。
どこに繋がっているかは分からない。
でも、とにかく――私が望む、誰も届かない場所に、繋がっているはずだった。




