29.シィナの悲しみ(3)
アサヒさんはホッとしたように息を漏らすと、嬉しそうに笑った。
「何だか……女王には助けられてばっかりな気がする。私にできることがあったら何でも言ってね」
「そんな……。ところで……すごい荷物ですね」
ふと、アサヒさんの足元に置いてある荷物に目が行く。
アサヒさんは「ああ」というと、ちょっと中を開いて見せてくれた。
「シャロットに渡す本とか……制服なの」
「制服?」
「暁の学校の話とか聞いて、興味を持ったみたいなの。だから……まあ、お土産?」
「まあ……」
私は思わず笑ってしまった。
やっぱり……シャロットが無邪気に笑っていられるのは、アサヒさんやアキラのおかげなんだと思う。
シャロットだけじゃない……私も。
「ミュービュリの物はパラリュスに持ち込むべきではないとは思うけど……シャロットは十分にその危険性もわかってるしね。シルヴァーナ女王も何か欲しい?」
「いえ……私は……」
――ふと、トーマと一緒にいたときに……トーマが照れ臭そうに服を買ってきてくれたことを思い出した。
一緒にご飯を食べたり、散歩に出かけたり……。
あの日々は、私の中で少しも色褪せず――キラキラと輝いている。
その輝きは、どこかアサヒさんと似ている気がした。
「あの……アサヒさんって、いつも元気で前向きで……素敵だなって思います」
「あ、ありがと……」
アサヒさんは少し顔を赤くした。
「それで……辛い経験もされてるのに、どうしてそんな風にいられるんだろうと思って……ユウさんに聞いたんです。アサヒさんってどういう方ですかって」
「……どうせ、無茶苦茶な人とか言ったんでしょ」
「えっと……相当無茶をする人だけど、そういうところが可愛いって」
私が素直にそう言うと、アサヒさんが「もう!」と言ってますます顔を赤くした。
「どうしてユウはそういう……恥ずかしいことを平気で言うのかな! 場所とかお構いなしなんだから!」
「でも……仲良しで……羨ましいです」
私が言うと、アサヒさんがハッとしたように私の方を見た。
「それで……ユウさんが助言してくれたんです。アサヒさんと話してみたら……って」
「ユウが?」
「アサヒさんなら……私の力も、言葉も……受け止められるからって」
「……」
「……私の話を……聞いていただきたい。そう思ったんです」
「……うん」
アサヒさんは真面目な顔をすると、小さく頷いた。
私は勇気を出して、自分の話を始めた。
ずっと……ミュービュリを――トーマを見つめていたこと。
事の重大性があまり理解できていなかったせいで――覚悟が足りず、記憶を失い……ユズとトーマに迷惑をかけてしまったこと。
……トーマが本当に好きになってしまったこと。
でも、女王になるために――トーマを諦めたこと。
なのに……女王の義務が果たせなかったこと。
シャロットが、私の代わりに義務を果たそうとしていること。
「私は……女王らしいことは何もできていない、とか……。シャロットが……私の犠牲になっているとか……どうしても、そんな考えがよぎってしまうんです」
「……私も、考えたことがある。夜斗が……私の犠牲になってるんじゃないかって」
「……ヤトゥーイさん……ですか?」
「そう。……ずっと、支えてくれた人なの」
アサヒさんはそう言うと、ちょっと幸せそうに微笑んだ。
ユウさんのことを話す時の恥ずかしそうな表情とは、また違う――穏やかな笑顔だった。
「でもね……一時しのぎではなくずっとそうしてくれる人のことは――やっぱり、信頼しないとね」
「信頼……」
「シルヴァーナ女王は、自分に自信が持てなくても……シャロットのことは信頼できるでしょ?」
「それは、勿論……」
「シャロットの行動をマイナスに捉えるのは、シャロットの言葉を信じていないことになるでしょ? それは……嫌よね」
「はい」
「だから、私も……細かいことはおいといて、夜斗の言葉を信じることにしたの」
すごく明快な答えだった。
ずっとシャロットといろいろな話をしてきた。
シャロットが無理をしているのか、本当にそう思っているかぐらい、わかるはず。
そのシャロットが真剣に投げかけた言葉を……私が信じないで、どうするの。
「そう……ですね」
ちょっと目の前が明るくなった気がして……私は思わず微笑んだ。
「あのね……女王。言いにくいことだったら……いいんだけど……」
アサヒさんが心配そうに私を見つめた。
「儀式がうまくいかなかった理由――女王はもう把握しているみたいだけど……」
「……ええ」
「話してもらっても……いい? それは……他の国では、聞いたことがないの……」
アサヒさんはミュービュリでは治療師の資格みたいなものを持っていて、将来的にフェルティガエの医療に役立てるための勉強をしているって話を……ユウさんから聞いていた。
だから、いろいろな事例を把握しておきたいのかもしれない。
私も……確かなことが知りたい。
「……あくまでイファルナ様――先代女王の見解、なんですけど……。私の母は……儀式から、実際に私を産むまで――十年かかっているんです」
「十年!?」
アサヒさんが目を見開く。
「そんなこと……あり得るの?」
「ウルスラでも前例はなかったようです。なぜなら……それは、ウルスラの闇――あの、ソータさんが封印して下さった闇ですね。あの闇と、私との……闘いだったから」
「闘い……?」
「私の力を恐れた闇が、私を生まれさせまいと妨害していたんですね。でも、胎児の私が十年かかって打ち勝って……生まれた」
「……」
「ウルスラでは……小さい頃にフェルティガの干渉を受けることは、歪みを生じさせる原因になると言われています。それについては……多分、そういう事例があったのでしょう。ですから、私はこの力の代償に……こういう形で歪みが生じたのだろうと……それが、イファルナ様のお話でした」
「そう……なの……」
アサヒさんはそう呟くと何かじっくりと考え込んでしまった。
今までの知識やテスラでのことなど……いろいろ鑑みているのかもしれない。
「あの……でも、それは……ちょっとホッとしたところもあるんです」
私は思い切って言ってみた。
……今まで、誰にも言ったことはなかったけれど……。
アサヒさんはちょっと不思議そうに私を見た。
「ホッと……?」
「もう、儀式をしなくてよい、と……イファルナ様が仰ったので……これで私は……自分の心を裏切らなくて、済む、と……」
言いながら……涙が溢れて来た。
「女王の……重要な義務は、果たせないけど……トーマを……好きなままで……いられる、と……」
「シルヴァーナ女王……」
泣き出してしまった私の手を、アサヒさんがぎゅっと握ってくれた。
「ねぇ、シルヴァーナ女王……。トーマくんのこと……このままでいいの?」
「……いいんです……」
「トーマくんも……もし、同じ気持ちだったら……」
「……でも、駄目なんです。……私では……駄目なんです……!」
「女王……」
私はアサヒさんの手を振り払うと、両手で顔を覆った。
今までずっと心の中で溜めていたものが、溢れてくる。
いけない、力が暴走する――!
一瞬そう思ったけど……ふと、アサヒさんが私を抱きしめる気配がした。
辺りに渦巻いていた力が溶け込んでいく――。
「……あ……」
「大丈夫……何でも言って。思ってること……全部」
アサヒさんの声が優しく響いてきた。
その声に……私は緊張の糸が切れて、ボロボロと涙をこぼしてしまった。
「……っ……トーマ……は……」
私の脳裏に――一緒に暮らしていた時のトーマと……記憶を失った後のトーマ……両方の姿が浮かんだ。
どちらも……大好きなトーマだった。
強くて元気なトーマも……穏やかで優しいトーマも。
「両親と離れ離れになって……おじいさんと二人で暮らしてきて……そのおじいさんも、もう……亡くなって……独りで……」
トーマは学校の先生になると言っていた。子供たちにいろいろなことを教えてあげるんだって。
アキラも言っていた。きっと、いい先生になるって。
テスラの血を引いていても……トーマは、ミュービュリの人だ。
ミュービュリで、幸せに……家庭を持って……。それが……。
それを……願うのが……私ができる、唯一の……。
「もし私が甘えたら……トーマは応えてくれるかもしれない。でも……それは、駄目なんです。私は……トーマに……何もしてあげられない……んです。……家族を……作ることも……できない……」
「シルヴァーナ女王……」
「トーマが……私の気持ちに……応えることは……」
「……」
「私が癒される……だけ……。トーマには……何も……」
「そんな……」
アサヒさんが何か言いかけたけど、私は強く首を横に振った。
「トーマが……私を選んでも……それは……私の孤独に……トーマを巻き込むだけ……なんです……」
そこには――トーマの幸せなんて、ない。
言葉にしてみると……絶望しかなかった。
私はただただ……泣き崩れた。




