28.シィナの悲しみ(2)
「シルヴァーナ様……起きてる?」
ある日の夜――それもかなり更けてからのこと。
コンコンというノックの音と共に、シャロットの小さな声がした。
「――シャロット? こんな時間に……東の塔から来たの?」
私は慌てて扉を開けた。
「ううん。今日はコレットの部屋にいたの。コレットが寝付くまで待ってたら……遅くなっちゃった」
「そう……。じゃあ、今日はこのまま中央の塔にいてね。心配だから」
「うん」
シャロットは頷くと、中央のテーブルの傍の椅子にちょこんと腰かけた。
「あのね……今日、治療師に診てもらったんだけど」
「えっ……どこか悪いの?」
びっくりして持っていたカップを落としそうになる。
シャロットは「違う違う」と言って笑うと、私の手からティーポッドを奪って自分でお茶を注いだ。
「――儀式が可能かどうか、念のため診てもらってたの」
「……えっ……」
一瞬、シャロットが言った意味がわからず……私はぽかんとしてしまった。
シャロットはちょっと笑うと、私の分のお茶も注いでくれて、渡してくれた。
私とシャロットは向かい合わせに座った。
12歳……もうすぐ13歳になるシャロットは、真っ直ぐな瞳のまま、とても綺麗な女の子になっていた。
年齢より、ずっと大人びて見える。実際、その知識や考えていることは、私は勿論――神官たちよりも遥かに上だった。
シャロットが年相応の顔をするのは……アキラと一緒のときぐらいかもしれない。
そんな、シャロットが、儀式……?
「あの……」
「大丈夫みたい。フェルティガが発現してから、母さまから……闇から遠ざけられてたおかげかな。……全然問題ないって」
シャロットは私の言葉を遮ると、ニコッと笑った。
「……それは……よかったけど……」
「だから、私……14歳になって、ミズナさんを助けて……すべてが片付いたら――結契の儀に臨もうと思う」
「えっ!」
「私って……実は母さま似でしょ? 多分、すんなりいくと思うんだ」
私の驚きをよそに、シャロットは自分を指して力強く頷いた。
「ジェコブにはもう話した。2年後だけど……あっという間だからね。誰がいいか見繕ってもらってるの。……あ、なるべく賢そうな人にしてね、とは言ったけど……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってシャロット!」
私は思わず立ち上がった。
「どうして、そんな……意味がわかって言ってるの?」
「わかってる、勿論」
シャロットは私を見上げると、お茶を一口飲んだ。
「12歳になったとき……神官たちから指導があったの。そのときに一通りのことは聞いた。……シルヴァーナ様もあったでしょ?」
「いいえ……私がちゃんと聞いたのは……実際に臨むことになったとき。……イファルナ様からよ」
私が答えると、シャロットは驚いた顔をしてまじまじと私を見た。
そしてしばらく黙りこくったあと、ポツリと「そっか」と呟いた。
「そうだよね。母さまが王宮を取り仕切ってたんだもんね。シルヴァーナ様を女王にしたくないのに、女王になるための勉強をさせたり、誰かつけたりする訳ないもんね」
「……」
そう言われれば……。
シャロットに言われて、私は初めて気づいた。
今コレットが受けている様な教育――私は一切、受けていない。
「知らないのはシルヴァーナ様のせいじゃない。母さまのせい……というか、闇のせいなんだから、仕方ないよ」
そう言うと、シャロットはちょっと顔を伏せた。
「私ね……自分の茶色い瞳のこと、卑下することもあったんだ、実は」
「……そんな……」
「でもね」
残っていたお茶を飲み干すと、シャロットはじっと私を見つめた。
「シルヴァーナ様だけは、私をちゃんと見ててくれた。だからね……おこがましいかもしれないけど、こう考えてみたの。――私とシルヴァーナ様で、一代の女王だって」
「え……」
「シルヴァーナ様はね……すごく力があって、存在感もすごくて、民もとても憧れている。それだけの求心力があるから……独りでウルスラを変える力は十分にあると思うんだ。でも……急な変化は……多分、民は望んでいない」
前にユウさんが言っていたこと……そして私が考えていたことを思い出して、私は思わず息を呑んだ。
「それを裏から私がね……こう、ちょこちょこと調整すれば……いい風に変われると思うんだ。シルヴァーナ様……前に、言ってくれたよね? ウルスラもこれから変わっていけばいい。一緒に頑張ろうって」
「……ええ……」
もう――4年ほど前に……なる。
トーマと……出会った年。
ウルスラ王宮が、大きく変わった日。
「……で、話は戻るけどね」
シャロットはお茶のお代わりをすると、一口飲んだ。
「女王の結契の儀……シルヴァーナ様の代わりに勤めあげるのが、私の役目。そう思ってるの。それで……早く終わらせたいの」
「どうして……どうしてそんなに急ぐの?」
「私、外に出て……ウルスラを巡り歩きたいの」
「……え?」
シャロットの言おうとしていることが全くわからない。
びっくりしていると、シャロットはちょっと微笑んだ。
「シルヴァーナ様は王宮から自由に出歩くことは難しいでしょ? 大勢の人がいるところが苦手……って言ってたもんね。それに、みんな顔も知ってるし……オーラもあるから、お忍びなんて絶対無理だし」
「……」
「だから、私がシルヴァーナ様の目になり、足になる。そう思ってるの。だから早く子供を産んで、器をもつ後継者さえ確定すれば……私も自由に動けるなって」
「そ……」
あまりにも事務的にシャロットが言うので……私はかなり面食らってしまった。
「多分……代々の女王の血族は、こんな感じだったと思うの」
シャロットは驚きを隠せない私をチラリと見ながら、ポツリと言った。
「ずっと狭い王宮の中で……女王の血族はどうあるべきか。それだけを考えて生きていたんだと思う。外の世界がどうなっているかも知らずに……ミュービュリの時の欠片だけを追って……」
「……」
「でも、シルヴァーナ様は違う。さっきも言ったけど……一連の――時の欠片の問題で、全く何も知らされないままだった。それに……外の世界を知ってしまった。そもそもの生い立ちが違うんだもん。今までの女王と同じようにやろうと思う方が間違いなんじゃないかなって思うの」
「シャロット……」
どう言っていいか分からず……私はシャロットをただただ見つめるだけだった。
そんな私に――シャロットはニコッと笑いかけた。
「民もさ……作り笑顔のシルヴァーナ様じゃなくて……本当の笑顔のシルヴァーナ様を見たいんじゃないかな。その方が……みんなの励みになるんじゃないかな。私は……そう思ってるけど」
シャロットの言いたいことは……よくわかった。
私のために犠牲になる、とかではなく、もう一人の女王として――そんな認識を持って、動いているんだということ。
いつまでもくよくよ悩んでいる私に――早く心から笑えるようになってほしい、と思っていること。
でも……感情的には、どうしても受け入れられなかった。
女王としてだけではなく――私自身の存在が、周りの迷惑になっている。
……そんな気がして……。
“こんにちは、シルヴァーナ女王”
そんなアサヒさんの声が聞こえてきたのは、あれから――シャロットの話を聞いてから、3か月後のことだった。
あれから……シャロットは特に何も言わず……毎日修業に精を出している。
本を読んで、手紙も書いて……日本語の勉強にも熱心だ。
ずっと前を見続けている。……私だけが……ずっと同じ場所で立ち止まっている……。
“今からウルスラに行っても大丈夫かな”
(……ええ)
“それで……内密の話があるの。テスラの闇のことで……”
朝日さんの声がかなり緊迫していた。
テスラの闇というと……神器にも関わる最優先事項だ。何か困った問題でも起こったのかしら……?
(では……私の部屋に来ていただけませんか? 人払いをしますので)
“ええ……お願い”
(では、お呼びするまでちょっと待ってて下さいね)
“――わかった。待ってるね”
アサヒさんの声が途切れた。
私はすっくと立ち上がると、神官長のジェコブに向き直った。
「これから……どうしても外せない用事があるの。中央の塔に戻りたいんだけれど、今日の予定はもう大丈夫かしら?」
「……はい」
何らかの連絡があったことは察したのか、ジェコブは何も聞かずに頭を下げた。
「仰せの通りに」
「……では」
私はちょっと頭を下げると、王族専用のエリアに急いで戻った。
ちょうど掃除をしているマリカと出くわす。
「あら? シルヴァーナ様、本日の公務は……」
「今日はもう終わりにしたの。……私の部屋に、アサヒさんをお呼びするの。しばらくの間……誰も近づけないようにしてもらえる? シャロットも……コレットもよ」
「……わかりました」
マリカがお辞儀をするのを見届けて、私は自分の部屋に入った。
マリカが近くの神官や女官に何か指示を出して……すべての気配が遠ざかるのを感じた。
「……アサヒさん。もう大丈夫です」
“ええ”
そんな声が聞こえ……部屋の中央にゲートが現れた。
身軽な服装で……何やら大きな荷物を背負ったアサヒさんが現れる。
「こんにちは、シルヴァーナ女王。……本当に久し振りよね。ずっと来れなくて……ごめんなさい」
荷物を下ろしながらお辞儀をする。
「アキラのこととかヤトゥーイさんとか……いろいろあったって聞きました。……気になさらなくて、大丈夫ですよ」
思ったより明るい雰囲気にホッとして、私は思わず微笑んだ。
私はアサヒさんに椅子を勧めた。二人で向かい合って腰かける。
「それで……テスラの闇の話というのは……」
「あのね。最後の神器――宝鏡が見つかったの」
「えっ! じゃあ、いよいよ……」
「それがね……駄目なの。宝鏡は二つに割れていて……一つは北東の遺跡と呼ばれる場所、もう一つは全く別の場所にある湖の底にあったの」
「え……」
私は驚いてしまってアサヒさんの顔をまじまじと見た。
「神器って……壊れたりするものなんですか? 何か……ちょっと……」
ウルスラではかない長い間、神器の一つである神剣が捨て置かれていた。
その間も神剣は折れたり欠けたりすることはなく――ソータさんがミュービュリで見つけた鞘も、傷一つ残ってはいなかった。
だから、神器が人に干渉することはあっても人が神器をどうにかすることなどできないと思っていた。
できたとしても、それはヒコヤだけだと……。
「そうよね。でも、ジャスラの勾玉も欠けていたってことだから……有り得るのかな?」
アサヒさんはそう言うと、ちょっと首を捻った。
「まあ、とにかく……ソータさんが実際に確認したから、間違いないわ。それでね、半年ぐらい前に夜斗がミュービュリに飛ばされてしまったのは……湖の底の宝鏡によって次元の穴が開いたからなの」
「そうなんですか……」
大昔、ウルスラでは領土のあちこちで次元の穴が開く事例が相次いだ。
それは、女神ウルスラが神器の一つである神剣を持ったまま領土を巡った名残で……どうやら神器とフェルティガの干渉により次元の穴が開いてしまう、ということがわかっている。
「それで……宝鏡はテスラの闇の封印の楔になっているから……今は動かせないの。それに神器を扱えるのは、ソータさんと水那さんしかいないから……あとは、トーマくんかな」
「……トーマ……」
思わぬところでトーマの名前を聞いて、私は少なからず動揺してしまった。
アサヒさんはちょっとハッとしたようだったけど、すぐに何事もなかったように私に笑いかけた。
「だから、テスラの闇を封印するのは、水那さんを救い出してからになるわ。だいぶん先の話になるけど……。それでね、シルヴァーナ女王」
「……はい?」
「その際には、女王の力がどうしても必要になるの。ソータさんによると……テスラの闇を封じ込めるためには、三種の神器を完全な形に戻さなければならないの。割れた宝鏡を一つにするために動かすとき……絶対にテスラの闇が暴れ出す。それを封じ込められるのは……女王しかいないの」
「私が……」
「ユウが言っていたわ。普段は押さえこんでいるけれど、女王の力は桁外れだって。浄化者だけでは難しいかもしれないけど……シルヴァーナ女王の結界なら……」
「……」
この力の代償として失ったものは……大きかった。
でも、この私の力が……私にしかできないことが、遥か遠くの地、テスラにあるなんて。
「でも……女王自身がウルスラを離れることが果たして可能なのか……」
「――いえ」
私はアサヒさんを遮ると、にっこりと微笑んだ。
「必ず行きます。この機会に、信頼できる神官には話をします。シャロットと神官長のジェコブとも相談して……」
「……お願いします」
アサヒさんは深々と頭を下げた。
パラリュスの未来のために、私のこの膨大すぎる力が必要……。
それは私にとって、とても元気づけられる事実だった。




