26.夜斗の嘘(3)
「……それで、あの部屋だけどね」
そう言うと、朝日は急に俺を担ぎ上げた。
「何だ!?」
「当時の私は何もできなかったから……理央がこうやって抱えて連れて行ってくれてたの。あるいは、夜斗の瞬間移動で……」
「やってみせなくていい!」
「まあまあ、夜斗は私の師匠だから……せっかくだから、成長したところをね、見せたいな……と!」
朝日はそう言いながら、力強く床を蹴った。物凄い勢いで飛び上がる。
おいおい、ちょっと飛びすぎな気がするぞ。どうやって着地……。
「おい、あさ……!」
「大丈夫……と!」
若干飛びすぎた朝日は、俺を抱えたまま空中で一回転してスピードを緩めた。
そしてゆっくりと下降すると……扉の前の狭い足場にストンと降り立った。
「は……」
朝日はちょっと息を漏らすと「できた!」と嬉しそうな声を上げた。
「凄くうまくいった! ちょっと信じられないぐらい!」
異常に喜んでいる。
……というか、成功する見込みはそんなに低かったのかよ……。
「……わかったから、早く下ろせ」
「あ、うん」
朝日に下ろしてもらうと、俺は下を見下ろした。
……思い出した。ここに腰かけながら……どうすべきか、すごく悩んでいたことを。
もういっそ、ユウが朝日を攫ってくれないかな、とか……エルトラの兵士らしからぬことも考えていたんだっけな。
「中にも入りたかったんだけど、許可が下りなかったの。……思えば、儀式でしか使わない部屋だからなんだね。だから……ここで話をしようよ」
そう言いながら、朝日は狭い足場に腰を降ろした。空中で足をぶらぶらさせる。
俺は黙って朝日の隣に座った。
「……あのね。あの日――ユウがエルトラ王宮に突入してきた日。夜斗はね……ずっと考え込んでいたの。そしたら、理央が凄い形相で部屋に来て……私を連れて行こうとしたの」
「……そうだな」
「私は勿論、抵抗して――ちょっとバトルみたいになっちゃったの。そのときに……部屋の壁が壊れちゃって、穴が開いたの」
……そうだった。朝日が抵抗するもんだから、リオがキレて壁を殴り壊したんだよな。
「……それで……」
そこまで話すと、朝日は急に黙りこくってしまった。
俺が思い出したか確認しようとしてるのかな……と思い、俺は頭の中の記憶を探った。
……その後……どうなったんだっけ?
でも……あんまりよくわからない。抜け落ちているようだ。
ひどく疲れてしまって……中庭で白い空を見上げたところからしか、思い出せない。
「……っ……」
頭痛がして、俺は頭を抱えた。
朝日が
「夜斗……」
と呟いて心配そうに俺を見ている。……瞳には、涙が溜まっていた。
「やっぱり……その部分なんだね。思い出せないの……そこなんだね」
「朝日……」
「ずっと……怖くて、言えなかったの」
朝日の声が……震えていた。
「あのとき……私が、夜斗の人生を狂わせたのよね。穴から落ちて……強制執行で夜斗の意思を奪ったの。夜斗に無理矢理……理央を裏切らせてしまったの。だから……」
「いや……」
「夜斗は落ちた私を助けてくれて、その後の……理央の攻撃からも庇ってくれて……倒れたの」
朝日はポロポロ涙をこぼした。
「私が……夜斗を……」
「人生が狂ったとか……そんな訳ないだろ」
「どうしてそう言えるの!?」
朝日は両手で自分の顔を覆った。
「夜斗、憶えてないじゃない! 思い出したくないのかもしれないじゃない! 心のどこかで……夜斗は、もしあのときエルトラを裏切らなかったらって……」
「違うって!」
「何が違うの!?」
興奮した朝日が身を乗り出して俺に掴みかかろうとした瞬間……ぐらりと、その小さな身体が揺らいだ。
「きゃっ……」
「――朝日……!」
落ちていく朝日の涙に濡れた顔と――まだ幼い、16歳の朝日の顔がだぶって見えた。
――夜斗! 助けて!
朝日の強制執行……俺を突き動かした最初の一歩は、確かにそうだった。
でも……違うんだ。
お前の言いなりになったんじゃない。俺が助けたかったんだ。
あの瞬間、俺はエルトラでもフィラでもなく、お前を選んだんだよ。
自分に……必要な存在だったから。
――こいつを死なせてしまったら……もう俺は生きていられない。
そう思ってしまったから。
「――夜斗!」
頬に水滴が当たる感触がした。
うっすら目を開けると……朝日がボロボロ泣きながら俺を見下ろしていた。
「馬鹿! あの時とは違うのに……。私は落ちても大丈夫なの。……なのに、何で……」
「何で……かな」
俺はちょっと笑った。
これから何度こういうことがあったとしても、俺はやっぱり躊躇わずに――一歩踏み出すんだろうな。
「俺……今、何をした?」
「あのときと一緒よ。……私を抱えたあと、防御で衝撃を抑えてくれた……」
「そうか……だからか。おかげで……全部、思い出した」
俺はゆっくりと起き上がった。
あのときとは違い……辺りはシンとしていた。
中央の祭壇は――冷たく立ちはだかっていた。
「そのあと、リオが祭壇を投げつけてきて……俺は朝日を庇って、ユウが祭壇を大破させたんだよな?」
「……そう」
「そうだった、そうだった。くくく……」
俺は思わず笑い出した。
「祭壇を攻撃に使うなんて……リオの奴、相当ブチ切れてたんだな……今にして思うと」
「何で笑ってるのよ!」
朝日は涙を拭うと、キッと俺を睨んだ。
「それも、私が……」
「お前さ」
俺は朝日の言葉を遮った。
「お前、あのときの自分が相当へっぽこだったって、わかってるよな」
「へっぽこって……まぁ、力不足だったとは……」
「そのお前が、強制執行なんていうまぐれな大技で俺を完全に操れたなんて……本気で思ってるのか?」
「え……」
朝日はきょとんとした顔をした。
――じゃあ、夜斗が理央と敵対してまで私を守ってくれたのは、私の強制執行が効いたからってことなの?
――……ま、そういうことだな。
あの時ついた小さな嘘――これが、こんな長い間、朝日を……そして俺を縛りつけることになるとは、思わなかった。
朝日に、ずっと元気で笑って生きていてほしい。
それが俺の望みだった。俺にとって、初めての『特別な存在』だった。
自分で決めたことだったのに――この嘘と……この後いろいろなことが目まぐるしく起こったせいで、いつの間にか――俺は自分を誤魔化してしまっていた。
ユウの代わりに、俺が二人を見守らないと……。そんな気持ちにすり替えてしまっていた気がする。
だから、ユウが戻って来て……思い込んでいた理由が消えて、よくわからなくなってしまっていたんだ。
代わりなんかじゃない。俺は、俺の意思で――朝日を……いや、朝日だけじゃない、暁とユウも……守っていこう。幸せに暮らしていけるようにしよう。
――そう考えていたはずなのに。
朝日が、大事で……朝日が大事に想っている暁とユウも、大事だから。
「……つまり、どういうこと?」
朝日は訳が分からない、というように首を傾げた。
「お前の強制執行が効いたのは一瞬だけで……俺はあのとき、自分の意思で動いたってことだ」
「そう……なの?」
「そうだよ」
「えっ……でも……あれっ……?」
混乱したらしく、首を捻りながら何度も瞬きをする。
「夜斗が……自分でそう言ったのよ? 嘘ってこと?」
「強制執行のせいであって、俺の意思じゃない。――そういうことにしておけば、罪も軽い。……実際、それもあって赦してもらったようなものだしな」
……まあ、リオにはバレていたけどな。フレイヤ女王も、本気で信じた訳ではなかっただろう。
朝日はちょっと考え込んだあと、じっと俺を見つめた。
「じゃあ……どうして……エルトラを裏切ってまで助けてくれたの……?」
……まぁ、そう来るだろうな。
しかし……いくらなんでも、本当のことを言う訳にはいかないだろう。
『朝日が笑顔でいられるように』……には、反してしまう。
「忘れてるだろうが……朝日は俺のことをお兄ちゃんみたいだと言ったことがあるんだ」
「……言った……かな? 言った……かも」
実際には、それを言ったのはそのときよりずっと後のことだけどな。
そして――それを言われたのもあって、俺は自分で自分を……ちょっと違った風に納得させてしまったんだろうけど。
「……だからかな」
「妹みたいだってこと?」
「……恐ろしく出来の悪い、手のかかる妹だったけどな」
「何よ、もうー!」
朝日は赤くなってちょっと怒ったあと……嬉しそうに笑った。
今、また小さな嘘をついてしまったけれど――これぐらいは、いいだろ。
この笑顔を守るために……俺は生きていく。
そのために、必要な嘘だから。




