25.夜斗の嘘(2)
藍色の夜に変わった頃、俺はフィラで一人、降ろしてもらった。
ユウと暁は、エルトラ王宮で朝日を待つらしい。
大半の記憶は戻ったが……フィラの人間に話しかけられるのは億劫だった。
俺は自分に隠蔽をかけると、リオの家に向かった。
戦争の時に焼けたフィラ……よくここまで復興したな、と思った。
……リオが中心になって――フィラの人間みんなで頑張ってるからだよな。
ユウの言う通り――俺はエルトラでの仕事が多すぎたかもしれない。
今まで随分、リオに甘えていた気がする。
渡せる仕事はヨハネや神官に渡して……もう少し、フィラでの時間を取った方がいいかもしれないな、と思った。
リオの家に着いて、隠蔽を解除しようとしたとき――。
「馬鹿ねぇ、朝日……。何で泣いてるのよ……」
というリオの声が聞こえてきた。
……朝日がいる? 何でだろう。確か、もう少し遅くなるようなことをユウが言っていた。
だから二人は、エルトラに向かったのに。
「だって……夜斗、いっぱい迷惑かけて……それで、理央、も……」
どうやら号泣しているらしい朝日の声が聞こえる。
「ねぇ、いきなり来て泣いたままじゃわからないわよ。一体どうしたの?」
「ユウが……夜斗は、だいぶん記憶を取り戻した……って言ってた……の」
「そう! よかったじゃない!」
「でも……違うの。私が……エルトラに捕まってる間……どうしても、思い出せないんだって……」
「……それで?」
「思えば……そのときからなの。ずっと……そのとき、から、私が……夜斗を、巻き込んだの」
「……それは……」
「記憶……私たちに出会う……直前で……途切れてた。だから……夜斗……後悔……してるの、かも……。やり直したかった、のかも……」
「……」
「いろいろ……あって……ずっと夜斗に頼りきりで……だから、夜斗……お人よし……だから……私のこと……見放せなくて……ずっと……」
「――あのね、朝日」
リオの口調が急に強いものに変わったので、俺はドキリとした。
それは朝日も同じだったらしく、ビクッとしたのがわかった。
……泣き声が止んだ。
「ヤトを見くびらないで」
「……みく……び……?」
「巻き込まれたからって13年間も仕方なくずるずる付き合うような、不甲斐ない奴じゃないわ、私の弟は」
「……ふがい……ない……」
「そんなのだったら、私がとっくにヤトを殴りつけてるわ。朝日にも、いい加減にしてくれって言ってるわよ」
「……そう……なの……?」
「そうよ」
確かに……そうだろうな。リオなら容赦なくやってるだろうな。
「……あのね、朝日」
リオの声がふっと和らぐ。
「朝日と出会って……ヤト、変わったと思うわ」
「え……?」
「気が強い私は、周りと衝突することも多かったんだけど……それをヤトがうまくとり持ってくれてたの。私と違って、ヤトは誰とでもソツなく付き合っていたし、私の言うことに逆らったりすることも全然なかった。だけど……何だか淡々としていて、私は物足りないな、と思っていたの。適当というか……こいつ、自分の意思はないのかってイラッとすることもあったのよ」
「……」
「でも、ミュービュリに行って……楽しそうというか……」
「楽しそう?」
「そう。……任務中なのにね。何か積極的に楽しもうとしているというか……とにかく、活気が出てきて、自分ってものを出すようになったな、と思うのよ」
「……」
「だから……そうね。むしろ、最近のヤトの方が……心配だったわ。何だか……昔に戻ったみたいで」
「そうなん……だ……」
さすが双子の姉だな、リオ……。お見通しってことか。
何だか少し歩きたい気分になって……俺はそっと扉の前から離れた。
どうして朝日に出会う直前まで記憶が戻ってしまったのか……不思議だった。
だけど……わかった気がする。
あの頃……記憶を失う直前、俺は自分を見失っていたんだ。
忙しくすることで誤魔化していたけど、よくわからなくなっていたんだと思う。
そして記憶を失って……朝日と共に、暁やユウと共に、少しずつ取り戻していった。
それは……そのとき感じたことも一緒に取り戻す旅、だったのかも知れない。
次の日――藍色の夜から白い昼に変わった頃、ユウが俺を迎えに来た。朝日がエルトラ王宮で待っているらしい。
どうやら、朝日がリオに会いに来ていたことも、泣いていたことも知らないようだった。
中庭に着くと、朝日が笑って元気に手を振っていた。隣には暁もいた。
あんなに泣いてたけど大丈夫なのか、と思っていたが……いつもとそう変わらないように見えた。
「じゃ、俺は……今日は王宮でフィラの子達と暁の指導だから……」
「わかった。終わったら、顔を出すね」
「ありがとな、ユウ」
「どういたしまして」
「暁もな。修業頑張れよ」
「うん!」
二人は笑って手を振ると、南の塔に向かって歩いて行った。
その背中を見送ると、朝日が
「さて、と……じゃあ、行こうか」
とちょっと緊張した面持ちで言った。
俺がすべてを思い出したらどういう反応をするのか……怖いのかもしれない。
それから……王宮、中庭、泉……さまざまな場所を二人でゆっくりと歩いた。
大広間での託宣のことや泉でのこと、俺が毎日、朝日を鍛えていたことなどを、朝日は身振り手振りも交えて一生懸命に喋り続けていた。
朝日が時折変な演技も交えながら力説するので、可笑しくて仕方なかったが、おかげでかなり思い出せた。
……そうだ。あのとき、俺は朝日を監視する立場だったから、毎日朝日と一緒にいた。
フェルティガの使い方を教えたのも、俺だった。
そんな中で、俺はエルトラの兵士としての立場と、朝日の友人としての立場の板挟みで……かなり葛藤していたように思う。
朝日を戦争に利用することへの後ろめたさが、常にあった。
その頃は……フレイヤ女王も朝日を戦争を終わらせる駒としか思っていなくて……誰も、朝日自身を案じる人間はいなくて……一体、この異国の地で誰が朝日を守るのかって……。
「……西の塔だ」
朝日がポツリと呟く。
気がつくと、目の前にはひと際高い塔がそびえ立っていた。
「ねぇ、夜斗。これ、1回崩れたの……憶えてる?」
目の前の塔を指差しながら、朝日が言った。
「……戦争が終わっても崩れたままだったからな。直したのはそれより後だし……」
「そうじゃなくて。……何で崩れたのかは、憶えてるの?」
朝日はそう言うと、スタスタと歩き始めた。
俺は朝日を追いかけながら思い出そうとしたが……鬼のような形相のリオが浮かんだだけだった。
「……リオが猛烈にキレてたような……」
「そう、正解。理央とユウが壊しちゃったのよね」
朝日はそう言って、クスリと笑った。
「ユウはともかく、リオが……。それは相当キレてたんだろうな。この塔を破壊するなんて……」
思わず呟くと、朝日がきょとんとした顔をした。
「そう言えば、ちゃんと聞いたことなかったけど……」
そう呟きながら塔の中に入ると、朝日は真ん中の祭壇を指差した。
「この塔、どういう目的の塔なの? 他の塔は中が何層にもなっていて部屋もたくさんあるのに……この塔は中はがらんどうで真ん中にあのオブジェがあるだけ。……部屋は一番上に一つあるだけだもん」
「この塔は、二十年に一度の祭祀のときだけ使われる……神殿みたいなものだ」
「神殿?」
「祭祀のために選ばれた神官が泉で身を清め、禊として一週間、あの部屋に閉じこもる。その神官に宿った気を、あの祭壇に捧げる……」
「えっ、じゃあ、すごく神聖な場所なんじゃないの?」
「いや、すでに儀式も形骸化されているから……特に何も。不思議な力に満ちた場所、とかじゃないぞ。女神テスラが宿っている訳でもないしな。ただ……だからって気楽に壊していいもんでもないが」
「ふうん……」
朝日は上を見上げると、かつて自分が居たという部屋の扉をじっと見つめた。
「そんな場所を……私に使わせてくれたんだね。あのときも、夜斗が女王に進言してくれたから、私は自由に過ごせていたんだよね」
「……まあ……」
「だって……私は囚われの身だったんだもん。手足を拘束されたり、場合によっては言うことを聞かせるために拷問されたりしても……おかしくはなかったよね」
「……誰がそんなことさせるかよ」
思わず呟くと、朝日が俺の方を見てちょっとギョッとしたような顔をした。
「夜斗……顔、怖いよ」
「……ああ……」
俺は慌てて両手で顔をパンパンと叩いた。
――あのとき、実は兵士の間では、そんなことを言う奴もいた。
だから俺は、うまく言いくるめたり、場合によっては暗示をかけて、どうにかやめさせたんだったよな。
「……徐々に、思い出してきたよ」
俺がそう言うと、朝日は「そっか」と言ってちょっと微笑んだ。
しかし、その微笑みは……どこか不安を抱えた、とても虚ろなものだった。




