22.夜斗の自覚(2)
「あの……夜斗くん?」
ソファでボーっとしていると、瑠衣子さん――朝日の母親に話しかけられた。
俺はハッとして顔を上げた。あれから、13年が経っているという。
確かに……あのときより少し年老いた女性の顔があった。
今はまだ昼だから、朝日は会社に行っているし暁も学校に行っている。
俺と瑠衣子さんの二人きりだった。
「何だかボーっとしていたから……」
「あ……ちょっと、思い出していました」
朝日とユウに出会ってから――この世界を去るまでのことを。
「大丈夫? 辛くない?」
「いえ、辛くは……。ただ、朝日を攫った後がまだはっきりしていなくてモヤモヤとはしていますが……」
答えてから、俺は思わず立ち上がった。
「あの……すみませんでした。朝日を、誘拐して……」
頭を下げる。反応がないので顔を上げると、瑠衣子さんはきょとんとしていた。
そして俺の顔をまじまじと見ると
「いやあねぇ……もう13年も前のことなのに……」
と言って笑い出した。
「いや、でも……あ、そうか」
頭をポリポリと掻く。
瑠衣子さんがコーヒーでも飲んで、と言って勧めてくれたので、俺はテーブルのそばの椅子に腰かけた。
「あなたがどれだけ朝日の力になってくれたか、知ってるわ。……もう気にしなくていいのよ」
そう言うと、瑠衣子さんはコーヒーを飲みながら微笑んだ。
「でも……それは、もっと後の……」
「いいえ」
俺の言葉を遮る。
その強い口調に意図を感じて――俺はまじまじと瑠衣子さんを見つめた。
「あなたは……朝日を攫うときも、わざわざ私の所に来てくれたのよ」
「それは……」
「いなくなった朝日を心配することのないように……暗示をかけに来てくれたの」
「……」
「これは、朝日が暁を連れてこっちに帰って来て……だいぶん経ってから気づいたんだけど……」
瑠衣子さんは慎重に言葉を選んでいるようだった。
……記憶のない俺にも伝わるように、という配慮だと思う。
「朝日を攫うだけなら、朝日の存在自体をみんなの記憶から消すこともできたでしょ? だって、アオや自分たちのことは……消したのだもの」
「はい……」
「でも、あなたのかけた暗示は『朝日は一年間留学に行く』というものだった」
「ええ、まあ……」
戦争が終わりさえすれば――朝日はテスラに居る必要はなくなる。
あのとき咄嗟にそう考えて――そうしたんだ。……そうだ、そうだったな。
「これは私の想像でしかないし、あなたは自覚がなかったのかも知れないけど……あなたは、朝日をちゃんと帰すつもりだったの。もう、あのときには……そう決めていたのよ。自分の責任において、何があっても……」
「……」
「だから、もうあの頃には……朝日のことを考えて動いてくれていたのよ。……本当に」
そう言われて――俺は胸が締め付けられるような思いにかられた。
瑠衣子さんにとっては13年前のことなのだろうが、俺にとってはついさっき起こった出来事だった。
……記憶を取り戻したばかりだから。
任務はこなしたけど、葛藤があって……とにかく複雑な気持ちで……。
「だから……心配なの。朝日には、とても聞けなかったんだけど……」
「え……何が、ですか?」
瑠衣子さんが、朝日ではなく俺を心配するというのがかなり意外だった。
びっくりして聞き返すと、瑠衣子さんはちょっと溜息をついた。
「あなたはね、朝日が暁を育てるために……ずっと力になってくれていたの。4年前、暁が初めてテスラに行ってからは、暁に対しても……。暁もあんなに懐いてるし……」
「……みたいですね。でも、俺自身も暁を気に入っていたみたいだし……」
暁のことはまだ思い出せないが、どうやら俺も本気で可愛がっていたらしい、ということはわかる。
一緒にいても違和感なく話せるし、何だか幸せな気持ちになれるからだ。
「……あなた自身のやりたかったこと……できなくなってやしないかと、不安なの」
俺自身のやりたいこと……。
それは、結婚とかフィラの復興とかのことを言っているのだろうか?
「いや……どうでしょう?」
記憶がないので何とも言えないが……感覚で分かる。
別に自分を犠牲にして二人を見守ってきた訳じゃない。
「多分……それはないと思います。フィラの復興についてはリオがいますし……。あと、フィラでの俺は、中心となってみんなを守る立場にあったんですよね。だから、もし俺がずっと独りなのを心配してるのなら、大丈夫です。もともと、俺は一生独りじゃないかとは思っていたので」
瑠衣子さんを安心させるためではなく……これは本当のことだしな。
「……独りでいることを選んだのと、独りにならざるを得なかったことは……違うと思うのよ」
「……?」
瑠衣子さんの言葉には何か含みがあるような気がしたが……今の俺にはよくわからなかった。
「……ごめんなさいね。夜斗くん、まだ記憶が戻ってないのに……こんなこと言っても、困るわよね」
俺の沈黙を誤解したのか、瑠衣子さんは慌てて首を横に振った。
「でも……何かあったら、私の言葉を思い出してね。どうしてあげたら喜んでくれるか、じゃなくて、自分がどうしたいかで決めていいのよ」
「え……!」
ずっと考えていたことを見抜かれた気がして、俺はギョッとした。
「アオが戻って来たから、あなたは必要ないとか言ってるんじゃないのよ」
「それは、勿論……」
「あなたにとても感謝しているから……本気でそう思ってるの」
「……はい……ありがとうございます……」
お礼を言いながら、俺は背中に汗が流れるのを感じた。
何と言うか……やっぱり朝日の母親だな、と思う。
「……あなたにとっては、今回のことは大変だったと思うけど……。私にとっては、あなたと直接話す機会があって、よかったわ」
瑠衣子さんはカップに残ったコーヒーを飲み干すと、優しく微笑んだ。
「いえ……俺も……」
残りわずかだったコーヒーを飲み干す。
「自分のことを振り返るいい機会になったんで……よかったです」
それだけ言うと……空になったコーヒーカップの底を、じっと見つめた。
今は空になっている俺の記憶。
……そこに埋まるのは、どんな想いなのだろうか。
瑠衣子さんと……恐らく最後になる会話を交わした、次の日。
俺は暁に連れられて……二人の少年に会った。
ユズルという少年は記憶を視る力があり……もう片方のトーマという少年はパラリュスに繋がる次元の穴を開ける力があるのだそうだ。
少し不安だったが、暁が二人のことをかなり信頼しているようなのでとりあえず任せることにした。
暁は、自分のことを憶えていない俺に対して、何も言わなかった。
ショックな表情を見せたのは、一番最初だけだ。
ユズルと俺を二人きりにするために、暁はトーマと一緒にいったん部屋を出ることになった。その間際、
「……夜斗兄ちゃん、頑張ってね」
と俺に声をかけた。
一瞬、心配そうな、淋しそうな表情がよぎった。
大人びては見えるけど、まだ12歳だ。いろいろな不安を抱えているに違いない。
何だかグッときて
「……ありがとな、暁」
とだけ答えた。
……ごめんな、暁。……ちゃんと思い出してやれなくて。
もう少し……待っててくれ。俺は、どうやら無自覚のままずっと……流されるまま自分の人生を過ごしてきたみたいなんだ。
だから……あの頃の気持ちを、もう一度見つめ直したいんだ。
暁はちょっと頷くと、黙ったまま部屋を出て行った。
「……では……」
ユズルの声で、我に返る。見ると……左目が、紫色だった。
「それ……」
「僕はウルスラの血を引いていて……普段はコンタクトレンズで隠してるんです」
「ウルスラ……」
そう言えば朝日が言っていた。
俺がもといた世界には、テスラだけではなくウルスラ、ジャスラという国がある……と。
「でも……本気で、慎重にとりかからないといけないので……」
「……よろしく頼む」
「じゃあ……横になって下さいね」
俺は言われたとおりにベッドに横たわり……目を閉じた。俺の枕元にユズルが近付く気配がした。
……しかし、次の瞬間には――もう、どこか遠くへ意識が飛んで行ってしまっていた。




