21.夜斗の自覚(1)
あの日――俺の中で、朝日がただのターゲットではなくなった日――を、思い出した。
三家の直系ということで、俺はリオと共にフィラの仲間の中心にいることが多かった。
だから周りにはつねにたくさんの人間がいたし、その中の誰かを特別扱いする訳にはいかなかった。
……とは言っても、それは言い訳かもしれない。
もともと、俺は誰にも興味なんか無かった気がする。
だから――それを隠すように、誰とでも親しく、みんな平等に接しようと心がけていた。
……そう、思う。
……フィラの人間……エルトラ王宮の人間……その誰にも、自分の近くまで踏み込ませようとはしなかった。
俺自身も、特定の誰かに踏み込む気には全くなれなかった。
エルトラのために、フィラのために――みんなのために、働く俺。
みんなから、頼られる俺。
……それが、俺の存在意義だったのかもしれない。
俺は一生こうやって過ごして行くんだろうと……漠然と思っていた。
そして……エルトラのために、俺はミュービュリに来た。
ミュービュリは、俺にとって意外に面白い場所だった。
穏やかで、自分の感情をむき出しにしないエルトラの神官やフィラのフェルティガエしか見たことがない俺にとって――ミュービュリの人間の行動は、なかなか興味深かった。
テストで悪い点を取ったとか、試合に勝ったとか、誰やらに文句を言われたとか、誰かが好きだとか――俺から見たら、とても些細なことで一喜一憂する人間ばかりだった。
――そんな中でも、朝日は特に一生懸命でひたむきだった。
ミュービュリに潜入している間、俺はずっと、朝日と――そして傍にいるユウを見つめていた。
勿論、それは任務のためだった訳だが……最初は何だか面倒臭くて大変だった。
随分後になって気づいたが、俺は他人をよく知ろうとするということを、ずっと放棄して生きてきたんだと思う。
だって俺は長い間――その他大勢を見守る立場だったから。
そして、ミュービュリに来て1か月ほど経ったある日のこと。
俺もだいぶん学校に慣れてきて、朝日とユウを含め、クラスの人間と――例によってまんべんなく親しくなれたな、だいたい溶け込めたな、と思えた頃だった。
昼休み、ユウが先生に呼ばれていなくなり、朝日だけになった。
情報を聞き出すチャンスだと思って立ち上がったが、何と朝日の方から俺に近寄って来た。
「あの、夜斗……きゃっ!」
何かに躓いたらしく、朝日がよろめいた。
俺は思わず両手を伸ばして朝日の身体を支えた。
「……ちっさ……」
朝日が小柄なのは十分わかっていたが、触れてみると予想以上に小さくて軽かった。
――こんなのが戦争を終わらせる鍵なんだろうか。
そう思ってしまい……咄嗟に声が漏れたようだ。
「……今、何て……?」
朝日は俺の両腕を掴み返すと、ぷるぷるしながら真っ赤な顔をして俺を見上げていた。
どうやら俺は言ってはいけないことを言ってしまったらしい、と気づいたが――。
「ぶっ……」
その様子が可笑しくて、俺は思わず吹き出した。
「何よ!」
朝日がさらに赤くなって俺を睨む。
俺は朝日の身体を離すと、視線を逸らして自分の口元を右手で覆った。
「いや、悪い……。悪かったけど、何もそんな顔……」
そうか……背が低いの、そんなに気にしてたのか……。
本当にミュービュリの人間って、小さなことで……くくく……。
何だかツボに入ってしまって笑っていると、朝日がフンと鼻を鳴らした。
「何よ、ちゃんと普通に笑えるんじゃない。……こんなので笑うなんて、失礼だけど」
「――え……」
意外なことを言われて、俺はギョッとした。
普通に笑えるって……。え? どういうことだ?
「それ、どういう……」
「いつも適当な愛想笑いしかしてないな、と思ってた。クラスの皆と仲良くなりたいって言う割に、一線を引いてるなって」
「……」
図星を突かれて、俺は絶句した。
そんなこと、真っ直ぐに言われたのは初めてだ。
いや、そもそも……気づかれたこと自体が初めてな気がする。
一線を引いている所は確かにあった。
でも……ちゃんと笑えていない、というのは俺の予想外だった。
「……ひょっとして、自覚なかったの?」
俺が戸惑っているのがわかったのか、朝日が不思議そうな顔をしてじっと俺を見上げていた。
「そう……かも……」
「ふうん……ずっと外国暮らしで緊張してたとか? それとも財閥社会ってそんなにストレスなの?」
「いや……」
財閥の息子ってのも、二年間の外国暮らしってのも、どっちも嘘八百だしな。
「……ま、いいか。とにかくね、そういうのって分かる人には分かるからね。ちょっと失礼だと思う。本当にクラスの一員になりたいんなら、もっと一生懸命にというか……」
朝日がそこまで言ったところで、ユウが教室に戻って来た。
「ま、そういうこと!」
朝日はそう言い残すと、ユウのところに走っていった。
……俺と話している所を見られると、マズイのだろうか。
まぁ、ユウは朝日に近づく人間すべてに対して、警戒しているようだしな。
……それにしても……。
何だか胸にぽっかりとした穴が開いたようだった。
自分がひどく空虚な人生を送って来たように感じて――俺は愕然としていた。
そうだ。この日からだ。何だか……俺の気持ちが変わって来たのは。
その後、8月……俺達が攫うより前にキエラが朝日を攫ったことで――俺達の計画は大幅に狂ってしまった。
とりあえず朝日を取り戻す協力はしたが――結果として、さらに長期の滞在を強いられることになった。
それは、俺にとって悪い展開ではなかったんだ。……そうだ。
戦争もフィラも三家の直系とかも関係なく、俺がただの『夜斗』でいられる日々が、俺は自分で思っている以上に気に入っていたようだ。
……なぜなら、俺が長い間見失っていた、自分自身と向き合えた時間だったから、かもしれない。
俺は他人を知ろうとしていなかったと思っていたが、それは同時に自分のこともちゃんとは分かっていなかったんだと――だいぶん経ってから、気づいた。
でも、気づいた時には……もう時間がなかった。俺とリオは――朝日をエルトラに誘拐した。
――ヤト。言われた通り……朝日は西の塔に閉じ込めたわ。
――……ああ。
――ねぇ、朝日を拘束もせず放っておいていいの?
――ずっと見ていたが……朝日はフェルティガが効かないだけで、他には何の力も持っていない。一人であの場所から逃げ出すことなんてできないんだ。……充分だろ。
――そう女王に進言したのはヤトだって聞いたわ。
――……だから?
――……いえ、いいわ。ところで、どうしてまだミュービュリなの?
――ちょっと……後始末しないといけない所を思い出したんだ。
――そう……。じゃあ、終わったら……なるべく早くエルトラに戻って来てね。
――わかった。
リオの通信が切れて……思わず、溜息が洩れた。
俺はタクシーの運転手を操り、朝日の家に向かっていた。
後始末――朝日とユウに関わっている人間に、幻惑をかけなければならない。
託宣の少女である朝日をエルトラに連れて行かなければ……俺の任務は終わらない。
戦争を終わらせる鍵となる娘――エルトラには、絶対に必要な人間だから。
それは、わかっては、いたが……。
考えている間に、辺りはだんだん暗くなっていた。テスラにはない――この夕方という時間が……俺を惑わせているのかもしれない。
テスラに戻れば、俺もエルトラの兵士だった頃に戻って……。
「……!」
だった頃、という自分の表現に少しおののく。
……どういうことだよ。
「……着きました」
タクシー運転手のぼんやりとした声に、ハッと我に返った。
外を見ると――朝日の家があった。
あの不思議なバリアはもう消えている。部屋に灯りがついているところを見ると、母親は中にいるのだろう。
俺はユウと朝日のリュックを背負い、タクシーを降りた。
幻惑を解除すると、運転手は少しキョロキョロとした後、慌てた様子でエンジンを吹かし、走り去っていった。
インターホンを鳴らすと、しばらくしてから「はい?」という声が聞こえてきた。
「すみません。朝日さんのクラスメイトの日高夜斗といいますが……」
『朝日の? ……ああ、夜斗くん……ちょっと待っててね』
朝日は家で俺の話もしていたのだろう。どうやら顔も知っているようだ。
なので、母親はすんなりと開けてくれた。
ずっと謎のバリアで阻まれていたから、朝日の母親に会うのは初めてだった。
女社長をしていると聞いていたが……とてもそうは見えない、穏やかで物腰の柔らかい、綺麗な女性だった。
俺は――幼い頃に死に別れた母親を思い出した。
「……こんにちは」
「こんにちは。でも、どうして……」
母親が何か言いかけたが、俺は彼女の顔の前に掌を翳した。途端に……彼女の瞳が虚ろになる。
俺は暗示をかけると……手を下げた。
「……すみません」
声が届かないのはわかっていたが、言わずにはいられなかった。
まだぼんやりとしたままの彼女に黙ってお辞儀をすると……足早に玄関を立ち去った。




