20.暁の計画(3)
シャロットに連れられて、オレは大広間を出ると東の塔に入った。
前は中央の塔の王族専用のエリアにしかいなかったから……ここに来るのは初めてだ。
そしてどんどん人気のない方に進んでいくと……その一番奥に、シャロットの部屋があった。
中に入ると、部屋は奇麗に片付けられていた。もう一つ扉があるけど、あれが書庫につながる扉なんだろう。
「相変わらず東の塔にいるんだな。もう、古文書の解読はしてないんだろ?」
「そうだけど……落ち着くからね」
「ふうん……」
「それよりアキラ。さっきのアレ……何?」
「アレ?」
何のことか分からずキョトンとすると、つかつかとオレの方に近寄って来たシャロットが、グッとオレの両腕を掴んで睨みつけた。
「一人前とかどうとか。そんな話じゃなくて、もっと……」
「そんな話って……シャロットはそう言うけどさ」
ちょっとムッとしてオレはシャロットの腕を振り払った。
「小さい頃からウルスラのことを考えて動いているシャロットには、多分言ってもわからないと思うけど……」
「嫌な言い方……」
「そんなつもりはないけど。でも、とにかく……ミュービュリって、そういう所なんだよ。ちゃんと働いてお金を稼いで一人前。――そういうこと」
「それと、嘘をつくことがどうして関係するの?」
「嘘って……まあ、いいや」
実際その通りだし、そこは流しておこう。
……シャロットはもう確信しているし、否定しても無駄みたいだから。
「男としては……半人前の状態でいい加減なことも言えないっていうか……まだ何も成し遂げてないというか……とにかく……」
「いい加減って?」
「ほら、簡単に、好きとかは……」
「どうして?」
「無責任な感じだからじゃない? ……だって、ウルスラに来る覚悟を決めた訳でもないんだから」
「――もう!」
シャロットは急に声を荒げると、オレの襟首に掴みかかった。
「うお、何……」
「これだから、男って駄目なのよ!」
「……!」
シャロットの口から発せられた『男』という単語が妙に頭に響いた。
そうか……シャロットから見れば、オレも『男』のうちの一人だよな。だって、女ではないんだから。
……オレは『男』で、シャロットは『女』。
そんな当たり前のことが……なぜか急に、新鮮なものに感じられる。
変な感覚に陥っていると、シャロットがぐっとオレの顔に自分の顔を近づけた。
「ちょ、シャロ……」
「いい、アキラ!」
「あ、あの……」
「私は何もねぇ……」
「ちょ、ちょっと待っ……苦しい!」
それにやたら近い! シャロットの瞳に吸い込まれそうになる。
「……」
シャロットは不満げにオレの襟首から手を離すと、じっとオレを見つめた。
「――大好き」
「……えっ……」
ちょっとドキッとして、思わずうろたえる。
シャロットはオレを見つめたまま、深い溜息を洩らした。
「――そう言ってくれる人がいるってだけで……救われるはずなの。……絶対」
「……」
……ああ、そういうこと……。続きがあった訳か。
シャロット自身がオレに言ったのかと思った。
「私はね、トーマ兄ちゃんにウルスラで暮らしてほしいなんて思ってないの」
「……そうなの?」
「それはそうよ。トーマ兄ちゃんなりの事情とか、あるだろうし」
シャロットはオレから目を逸らすと、中央に置いてあるテーブルに歩いて行った。
カップを手に取り、ティーポッドからお茶を注ぐ。
手招きされたので、オレは近付いてカップを受け取り、椅子に座った。
シャロットは自分の分も注ぐと、オレの向かいに座った。
「でも……どんなに遠く離れてても、一緒にいられなくても、そう言ってくれる人がいるって……自分を一番に想ってくれる人がいるって……そういうのがあれば、もっと楽しく頑張れると思うんだ」
「まあ……。でも、シルヴァーナ女王がそう思ってるとは限らないじゃん」
「……今のところは、そうは思ってないみたい。独りで頑張ろうとしてる。女王らしくなろうって……甘えちゃいけないって……」
「じゃあ……」
「でもね」
シャロットはオレの言葉を遮った。
「私……視てたんだ。ミュービュリに行ったときの、トーマ兄ちゃんと一緒にいたときのシルヴァーナ様。すごく……可愛かった」
「可愛いのはもともとで……」
「そうじゃなくて! ……本当にわかってないな、アキラは」
呆れたように呟く。何だかかなり馬鹿にされた気がして……ちょっとムカついた。
「素直で無邪気で……素敵な笑顔だった。でも、ウルスラに戻ってからは――私はあの笑顔、一度も見てない」
「……」
そう言われれば――シルヴァーナ女王というと、いつも控えめに微笑んでいる印象だ。
トーマさんの記憶で見た、黒髪の女王は……確かに、すごく可愛かった。
トーマさんが美化している……だけじゃないよね、きっと。
「まあ……シャロットが言いたいことはわかったけどさ」
ずずっとお茶を飲みながらそう言うと、否定的な響きに気づいたのか、シャロットがジロッとオレを睨んだ。
「シルヴァーナ女王が望まない限り、勝手に動いちゃ駄目なんじゃない?」
「だから、トーマ兄ちゃんに動いてほしいの」
そう言うと、シャロットはテーブルの上に置いてあった本をオレに見せた。
日本の小学校低学年向けの『白雪姫』と『シンデレラ』だった。
「……これが、何?」
「姫は、王子様を待ってるの」
「……」
それは、童話じゃんか……。
オレが思わず深い溜息を洩らすと、シャロットが憤慨したように「何よ」と言ってオレの顔を覗きこんだ。
シャロットって大人びてるのかガキなのか全然わかんないな。
「いや、それ、つくり話だから……」
やっとそれだけ言うと、シャロットは口を尖らせて
「知ってるよ」
と言って本をテーブルの上に戻した。
「でも、こういう話がすごく多いじゃない。それって……普通の女の子は、こういうのに憧れてるってことでしょ?」
「……」
そう言われれば、そうかも。
「だから、トーマ兄ちゃん次第なの! シルヴァーナ様から動くことは、絶対ないんだから!」
「何で? トーマさんの記憶がないから?」
「それも……あるけど……」
シャロットはオレから目を逸らすと、ちょっと口ごもった。
「……まあ、とにかく……だから、アキラにトーマ兄ちゃんに会ってきてって言ったの。でも……その感じだと、今のところはまだ……ってことなんだね」
「まぁ、そう。あと1、2年ぐらいは様子を見ようよ。トーマさんも、その意思がない訳じゃないんだから。いつかは……って……」
そこまで言ってしまってから、オレはしまった、と思った。
頭の回転が速いシャロットが、気づかない訳がない。
案の定――シャロットは何かを悟ったように、深い溜息をついた。
「――やっぱりトーマ兄ちゃん、記憶が戻ってるんじゃない……」
「……いや、そんな……」
「……嘘」
「……ごめん、嘘」
「……」
オレが答えると、気まずい沈黙が流れた。
「――――――わかった」
だいぶん長い間黙りこくったあと――シャロットは妙に神妙になってコクリと頷いた。
「しばらく待つ。ユズ兄ちゃんにも落ち着けって言われてるし」
「……うん」
また怒りだしたらどうしようかと思ったけど、よかった。
ホッとして、オレはバッグから何冊かの本を取り出した。
「これ、朝日から」
「ありがとー……あれ? それ、フェルポッド?」
カバンの隅に入れていたフェルポッドを目ざとく見つけたシャロットが言う。
「あ……」
「何でアキラが持ってるの?」
「トーマさん、4個も持ってたから1個もらった。……でも、朝日には内緒な」
「……何で?」
「えーと……怒られそうだから」
シャロットはますます訝しげな顔をした。
「……怒られそうなことに使うの?」
「いや……」
オレが口ごもると、シャロットはちょっと考えたあと、パッと顔を輝かせた。
「――わかった。真似しようとしてるんだ。トーマ兄ちゃんの掘削!」
「う……」
ビシッと指を差されてズバリと当てられたので、オレは誤魔化すこともできずに唸るだけだった。
……困ったな……。誰にも秘密にしておくつもりだったのに……。
「アキラ、自由に行き来できるアサヒさんを羨ましがってたもんね」
そんなオレの様子にお構いなく、シャロットがうんうんと頷いている。
「でも……どうやって使うつもりなの?」
「まだ仮説なんだけど。……それに、今は水那さんを助けるのが先だから……」
「まあまあ……早く、その仮説を教えて?」
シャロットが目をキラキラさせながらオレを急き立てた。
……ま、いいか。忘れないうちに模倣しなきゃと思ってたんだし。
「とりあえず……真似できるかやってみないと。特殊なフェルティガは真似できないからさ」
でも……ファルヴィケンの古文書に載ってたわけだし、トーマさんオリジナルってことはないはずだから……イケると思うんだけどな。
「やってみて! やってみて!」
シャロットはそう言ってはしゃぐと、じーっとオレを見つめている。
ちょっと緊張するな、と思いながらも、オレはさっきのトーマさんの動作を思い出した。
ぎゅっと右手の拳を握りしめる。繋がる先……オレの部屋をイメージする。
「……ふっ!」
フェルポッドに向かって拳をつきだすと、拳から何かが溢れ出て……フェルポッドに吸い込まれた。
急いで蓋を閉める。
「できた……これで、よし、と」
「……どこに繋げたの?」
「とりあえずオレの部屋。これで蓋を開けると、発動してオレの部屋に繋がるはずなんだ」
「でもさ。それって意味ないんじゃない? 一度パラリュスに来ないと……」
「大丈夫。……この感じだと、あと三発は余裕で打てるから」
オレは首を回したり、背伸びをしたり、深呼吸をしたりしながら自分の身体の調子を確かめた。
……うん、あまり疲れてない。やっぱり、オレの方がトーマさんより多くのフェルティガを持ってるから、複数回できるんだ。
……仮説は正しかったな。
「……うん? どういうこと?」
どうやらシャロットはまだピンと来ていないようだった。
シャロットに勝った気がして、それも何だかちょっと嬉しい。
オレは少し笑うと、フェルポッドをバッグに片付けて、テーブルのお茶をごくごく飲み干した。
「いやー、実験成功!」
「もう、早く教えてよー!」
オレの勝ち誇ったような笑顔に焦れたのか、シャロットがオレの腕を掴んでユサユサと揺らした。
いつもは生意気なシャロットだけど……こういうところは、ちょっと可愛いと思う。
「……つまりね。オレの模倣は、見たら真似できるけど、しばらく経ったら忘れてしまうんだ。だからとりあえず籠めておけば……それを見ることで、また真似できるようになるだろ? で、自分の繋ぎたいところに繋げばいいってこと。……そして、二発目は忘れないうちにフェルポッドに籠めておく」
「うん」
「これを繰り返せば、いつでも穴を開けられるってことになるだろ? まあ、朝日みたいに一日に何回も移動することは無理だけど……」
「なるほどー!」
シャロットがパチパチと拍手をしながら感心したように声を上げた。
「無限ループだ!」
「そうそう。シャロットの手紙を読み返して、思いついたんだ」
「じゃ、私のおかげだね」
「そうだな。……でも、しばらくは使わないよ。水那さんを助けるために、修業をもっとちゃんとしないといけないからさ」
「……うん……そうだね……」
シャロットはこくりと頷いた。
「私も……修業、頑張る。……それが、ウルスラの未来にも繋がるはずだし」
そう呟くシャロットは、どこか遠くを真っ直ぐに見つめていた。
シャロットが考える未来に……何があるんだろう。
ふと、テーブルの上の童話が目に入る。オレは『シンデレラ』を手に取ると
「……シャロットも、王子様に来てほしい?」
と聞いてみた。
するとシャロットは
「私はいいや」
とだけ言って、肩をすくめた。




