19.暁の計画(2)
次元の穴の中――。
真っ暗闇の中、夜斗兄ちゃんがオレの腕を掴んだのがわかった。
「暁、大丈夫か?」
「うん。それより夜斗兄ちゃんは……?」
「大丈夫だ」
足元に光が見えて……暗闇を抜ける。
着地してから辺りを見回すと……何だか寂れた庭だった。隅の方に祠が見える。
「……ウルスラ王宮の裏庭だ」
「そうなのか?」
「うん」
「アキラー!」
そのとき、遠くから女の子の声が聞こえた。多分、シャロットだ。
オレ達が向かったこと、ユズ兄ちゃんがすぐに知らせてくれたのだろう。
やれやれ、相変わらず元気だよ……と思いながら、オレは声がした方を見た。
「……え」
思わず固まる。
息急き切って走ってくるのは……オレの知らない女の子だった。
肩より少し長い、赤い髪が、クリーム色のワンピースによく映えていた。ドレスの裾を両手でたくし上げ、はぁはぁ言いながらものすごい勢いで走ってくる。
オレと目が合うと、女の子は嬉しそうに笑った。その笑顔があまりに綺麗で……オレはちょっと息が止まりそうになるのを感じた。
「アキラー! 会いたかったー!」
「うわーっ!」
てっきり目の前で止まるかと思ったのに、シャロットはそのままオレに突っ込んできた。
受け止めきれずに後ろにすっ転ぶ。
「もう、何でそんなひょろひょろしてるの? でも、すごく背が伸びたねー! 前は私よりちょっと大きかっただけなのに。……あ、骨折してたんだっけ。それで倒れた?」
「シャロット……とにかく、どいて……」
近い、近い……距離が近い!
オレの上に乗ったまま喋りまくるシャロットに、やっとそれだけ言う。
シャロットは隣の夜斗兄ちゃんに気づくと、ハッとしたように慌てて立ち上がった。
「あ……ごめんなさい。えっと……ヤトゥーイさんですか?」
「そう……だが……」
そう答えると、夜斗兄ちゃんはどうにか起き上がったオレを見てちょっと吹き出した。
「いやー……しかし……ぶふっ……」
「笑いごとじゃないけど……」
思わず呟くと、シャロットがちょっと顔を赤らめた。
「ごめんなさい……。2年ぶりだったから、ちょっと舞い上がってしまって……。初めまして、ヤトゥーイさん。ウルスラの王女、シャロットです」
「王女!?」
夜斗兄ちゃんがギョッとしたような声を上げた。
「あ……すみません、そうは見えませんよね……」
シャロットは困ったように俯いた。
さっきの言動について反省しているのか、それとも瞳が紫色でないことを気にしているのか、オレにはどっちなのか分からなかった。
「いや、そうではなくて」
夜斗兄ちゃんは慌てて手を振った。
「ウルスラでは、王女はこんな気軽に出歩けるのか?」
「シャロットは特別かも。自由に動けないシルヴァーナ女王の代わりに出かけたり、仕切ったりすることも多いんだってさ」
オレが答えると、夜斗兄ちゃんは「そうなのか」と感心したように呟いた。
こうして見ると、中身は全然変わってないし……顔も、2年前の面影はちゃんとある。
――でも……こんなに可愛かったかな……?
いや、シャロットはシャロットだし。
そう言い聞かせて、オレはちょっと深呼吸をした。
シャロットの案内で地下通路を抜け、大広間に出る。
そこには、シルヴァーナ女王と神官長のおじさんの二人きりだった。
神官長はオレ達に会釈すると、すっと静かに大広間を出て行った。
「シルヴァーナ女王。ヤトゥーイ=フィラ=ピュルヴィケンと申します。今回は……自分の個人的な事情でウルスラにもご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありません」
夜斗兄ちゃんは女王さまの前に跪くと、丁寧に挨拶をした。
「え、いえ、あの……そんな畏まらなくても……」
シルヴァーナ女王がちょっと慌てている。
「夜斗兄ちゃん、カタい……」
「女王への挨拶は、普通こうだろ」
「もっと気さくな感じでいいんだって」
「いや……そうは言っても……」
そのとき、どこかに行っていた神官長のおじさんがユウを伴って再び現れた。
「あ、ユウ! もう来てたんだ」
オレはゆっくりと歩いてくるユウに駆け寄った。
「今日ウルスラに来るのは聞いてたからね。……暁、また背が伸びたね」
ユウはそう言うと、嬉しそうに笑った。でもその笑顔は、何だか元気がない。
「ユウは……少し痩せたような気がする」
「夜斗の代わりにエルトラの仕事をしてるからね。もう、忙しくて……。本当に、夜斗を尊敬するよ」
そう答えると、ユウは夜斗兄ちゃんの方に振り返った。
「夜斗にとっては……俺はまだ女なんだっけ。……おかしい?」
「いや……」
夜斗兄ちゃんはユウをまじまじと見ると
「何か……思い出してきた」
と答えた。
「え! ほんとに?」
オレの声に、夜斗兄ちゃんは「ああ」と言って頷いた。
「ユズルに記憶の整頓をしてもらったせいかな。ユウが男の姿で現れてから……それ以降の、ユウに関することは、何となく……」
「記憶の……整頓?」
「夜斗兄ちゃん、ミュービュリに来てからの出来事、順番にちゃんと思い出そうとしてるから……テスラに戻ってからのことはぐちゃぐちゃになってたんだって」
ユズルさんに聞いたことをそのままユウに伝える。
……でも、やり直したいと思ってるかもしれないことは、黙っておいた。
「ユズ兄ちゃん、そんなことできたっけ?」
シャロットが不思議そうに首を傾げている。
それならトーマさんの記憶もどうにかしてくれればいいのに、と思ったのかもしれない。
シャロットの言葉に、神官長のおじさんが恭しく頭を下げた。
「先日いらっしゃったときに……少しだけ指南を頼まれました。扱い方を知っておきたいと仰ったので……」
「そっか、ジェコブが教えたんだ」
シャロットがホッとしたように笑った。
おじさん、ジェコブって名前だったっけ。このおじさんにだけは、トーマさんやユズルさんのことも伝えてあるって言ってたな。
「じゃあ……俺に関することってことは……戦争が終わった後のことも思い出せたのか?」
ユウが聞くと夜斗兄ちゃんは首を横に振った。
「まだだな。やっぱりテスラに戻った方がちゃんと思い出せる気がする。ただ、ユウからも話は聞いておきたいけど……」
「それとね、テスラに戻ったら、朝日が……捕まっていた間に過ごした場所を夜斗兄ちゃんと一緒に回るって言ってた」
「はぁ……なるほど」
「あの……」
シャロットが口を挟んだ。
「じゃあ、ユウ先生達はすぐにテスラに戻るんですか?」
ちょっと心配そうにしている。
それは、オレも同じだった。シャロットに話さなければならないことは、色々ある。
「いや……。朝日がテスラに来るのは、早くても明日の夜なんだよね?」
「うん。そう言ってたけど」
「じゃあ、今日の夜になってから出ても間に合うから……しばらく二人で話したら? 俺も夜斗と少し話をしたいし」
「わかった」
「アキラ、じゃあ私の部屋に行こう!」
シャロットがぐいぐいオレの腕を引っ張った。オレは「ちょっと待って」と言ってシャロットを止めると、シルヴァーナ女王の方に向き直った。
「あの……トーマさん、試験受かったって。春から小学校の先生になるって言ってた」
「そう……」
女王は嬉しそうに微笑んだ。
「ミュービュリでは、社会に出てやっと一人前なんだって。オレから見ても、トーマさん、いい先生になれると思う」
「本当に? ……よかった」
シルヴァーナ女王はほっと息を漏らすと、何かを口の中で呟いた。
ユズルさんから真似した力はもう消えてしまったらしく……シルヴァーナ女王が何を呟いたのかは、オレにはわからなかった。
だけど……トーマさんが自分の道を真っすぐに突き進んでいる。
そのことをちゃんと伝えることは、女王を安心させることになるはず……。
そう、思った。




